俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

執行役員

2009-08-25 16:16:11 | Weblog
 ビジネスマンとして恥ずかしいことだが私は執行役員という制度の意味が理解できなかった。取締役・常務・専務・社長という職制とどう違うのか分からなかった。CEOなどと同様のアメリカかぶれだと思っていた。
 たまたま私の勤務先の企業で執行役員の解任が相次いだことから思った。これは体の良いリストラ(本来の意味の「再構築」ではなく単なるクビ切り)ではないかと。
 本来、執行役員は取締役への登竜門の筈だ。しかしこの制度を悪用すれば簡単にクビ切りができる。
 執行役員を命じられた人は大変だ。1年以内に成果を残さなければクビを切られかねないということだ。つまり背水の陣を強いられるということになる。仮に50歳で執行役員になったら、1年以内に成果を残さなければ51歳で免職になってしまう。たった1年の給与増と引き換えに9年のサラリーマン人生を放棄せざるを得ないということだ。
 日本の企業ではクビ切りは厳しく規制されている。しかし新たな執行役員という制度を使えば1年の「執行」猶予期間を与えてクビを切るというとんでもないやり方が合法化されたと言えよう。

抽象論

2009-08-25 16:01:10 | Weblog
 こんなパズルがある。
 問①4枚のカードがある。表はアルファベットで裏は数字だ。テーブルの上には「A」「D」「1」「4」の面が見えている。「母音の裏には奇数がある」ということを証明するためには最小限どのカードをめくれば良いか?
                     *            *
 制限時間にもよるが正答率は1割程度しか無いらしい。答えを書く前にもう1問。
 問②4枚のカードがある。表は男か女の絵で裏は動物か植物の絵だ。テーブルの上には「田中角栄」「紫式部」「猿」「桜」の面が見えている。「男の絵の裏には動物の絵がある」ということを証明するためには最小限どのカードをめくれば良いか?
                     *            *
 実は全く同じ構造のパズルであるにも関わらず問②の正答率は3割ほどに高まるらしい。
 このことから言えることは、人間は抽象的なことを考えることが意外なほど苦手だということだ。抽象論になるとすぐに騙されてしまう。抽象論が苦手な人は具体論に置き換えたほうが良かろう。
 ところで私はこのパズルをもっと抽象化した数学的(論理学的)手法を使って解く。「母音の裏には奇数がある」の対偶は「偶数の裏には子音がある」ということだ。①の正解は「A」と「4」。②の正解は「田中角栄」と「桜」。

政権放棄

2009-08-25 15:44:16 | Weblog
 安倍・福田と2人続けて政権放棄をした後、麻生氏を代表とする自民党は今度は党として政権放棄をしようとしているように思えてならない。
 政権放棄は言わば開き直りだ。「もしワシよりうまくやれる奴がいるならやってみろ」ということだ。安倍氏・福田氏の場合は個人としての政権放棄だったが今度は党としての政権放棄だ。
 景気は今後一層悪くなると私は思っている。100年に1度の不況に20年に1度と思われる冷夏が重なり、更に新型インフルエンザの流行まで加わったら景気が好転する筈が無い。
 エコポイントという変な制度で稼いだ企業以外は冷夏に苦しんでいる。ビールもアイスクリームも売れなかったし夏物衣料は惨敗だ。多分衣料品業界ではこの秋冬に倒産が相次ぐだろう。
 日本経済は今後悪化して当たり前、良くなったらそれこそ奇跡だろう。誰がやっても悪くなるなら責任を誰かに押し付けるに限る。そんな読みに基づいて自民党は政権を放棄して、民主党に貧乏くじを押し付けようとしているのではないだろうか。
 言わばババ引きのようなものだ。最悪の状況の責任を誰に押し付けるかというゲームのようにさえ思える。「民主党政権になって景気は悪化した」と言いたいがために自民党は政権放棄を図っていると思える。
 ここには国民の幸福という視点は全く無い。あるのは党利党略だけだ。

徹夜

2009-08-18 16:37:31 | Weblog
 試験前に徹夜で勉強をすることは、たとえ短期的にも、良い結果を招くとは思えない。
 体力テストや大切な試合の前日に徹夜で練習をする人はいない。直前まで厳しい練習をするよりは休養を取ってコンディションを整えることを誰もが心掛ける。
 体力であれ「脳力」であれ充分に能力を発揮させるためには直前の休養が必要だ。
 起きている限り脳は働き続ける。眠ることによってのみ脳を休ませることができるのだから、脳を充分に働かせるためには充分な睡眠が必要だ。
 体については常識になっていることがなぜ体の一部である脳については例外扱いされるのだろうか。

年功序列

2009-08-18 16:25:19 | Weblog
 年功序列制度が多くの企業で再評価されているそうだ。当然のことだ。これは常識とは逆に、企業にとって有利な賃金体系なのだから。
 生涯賃金が同額なら支払いが遅いほど企業にとって有利となる。それを利用するのが年功序列であり退職金制度だ。
 本来40代までに支払うべき賃金を後払いで50代に支払うことによって企業は資金繰りにおいても金利においても利益を得る。これが年功序列および退職金制度の企業にとってのメリットだ。
 給与を後払いにするメリットはそれだけではない。途中で退職したり不祥事を起こしたり死亡したりすれば、それまでに支払うべきだった賃金を踏み倒すことができる。
 日本だけで年功序列という制度が成功したのは日本人が羊のように従順で文句を言わない民族だからだろう。狼のような西洋人ならこんな制度を許さないだろう。
 成果主義で30代・40代の給与を上げてしまえば50代で賃下げでもせねば生涯賃金は大幅に増加する。人件費抑制のために始めた成果主義がかえって人件費を増やすことになることに気付いて慌てて見直しを始めたのだろう。

「社会」主義の矛盾

2009-08-18 16:12:28 | Weblog
 人類は社会的動物だ。一人で生きるよりも群の中で生きることを好む。群居動物としての本能が進化して社会に適応することを快適と感じる。
 こんな人類にとって社会主義や共産主義は合理的なシステムの筈だがこのシステムは破綻し続けた。なぜか?
 人類は社会的動物であると「同時に」個的動物だからだ。美味しいという感覚は共有できないし「好き」という感情も共有できない。
 個人にとって社会が総てではない。「個人的な」ことも「公益」に負けず劣らず重要だ。社会のために個人を犠牲にすることも個人のために社会を犠牲にすることもどちらも好ましいことではない。社会も個人(自分)も同時に幸せになることが最善の選択肢だ。
 この二面性を無視して社会秩序を維持するために個人の自由を否定することは人類の本性に背く。
 6対4の性質を10対0と見なして理論を構築すれば矛盾を招くのは当然のことだ。利己主義も社会主義も人類に対する偏った見方を最高善に据える誤った思想だ。

核兵器

2009-08-10 19:31:46 | Weblog
 アメリカ人の61%が日米戦争における原爆投下を正当なものと考えているそうだ。
 これはとんでもないことだ。日本のマスコミはもっと騒ぐべきだ。戦争において核兵器を使っても構わないとアメリカ人は考えているということだ。過去の核兵器が正当なら現在及び未来の核兵器も正当ということだ。
 多分アメリカ人はヨーロッパにおいては核兵器を使うことを躊躇うだろう。しかしイエローモンキーの棲む日本や朝鮮、あるいは邪教を信じるイランなどの中東諸国に対する使用なら約60%のアメリカ人が賛成するかも知れない。

漬物

2009-08-10 19:15:50 | Weblog
 漬物は2種類の進化を遂げたと思われる。
 漬物の当初のコンセプトは腐敗し易い野菜を長期間保存すると共に、生より美味しくするということだったと思われる。しかしその後、道は2つに分かれた。
 一方は濃い味付けへと向かった。梅干や沢庵などに代表されるようにそれだけでおかずになる食物へと進化した。つまり粗末な食卓のメインディッシュだ(これを「味の濃い漬物」と呼ぶ)。
 もう一方は美味しさの追求と脇役への道を辿った。京漬物が代表例と言えるだろう。煮物や焼き物と一緒に出されても全体のバランスを崩さない箸休め的な存在になった(これを「香の物」と呼ぶ)。
 現代の典型的な和朝食はご飯に味噌汁と豆腐、海苔、生卵、納豆、漬物という組み合わせだろう(何だか吉野家の朝定食のようだ)。しかし殆どのファーストフード店の朝定食は「香の物」ではなく「味の濃い漬物」を使ってバランスを崩してしまっている。丼飯を2・3杯食べなければ漬物だけが残ってしまう。
 大豆の旨みを中心としたメニュー(味噌も醤油も大豆製品)に味の濃い漬物は合わない。朝定食に合うのは香の物だろう。
 浅漬けに醤油をかけるような味覚音痴が増えたことからこんな変な朝定食になってしまったのだろう。

善意

2009-08-10 18:59:27 | Weblog
 「なぜ正直者は得をするのか」という本が先月末に出て興味を持って読んだがつまらない本だった。「利己主義は結局損をする」ということが主旨なのだが損得をベースに考える限り善意は解明できない。損得を基準にした土俵に乗ってしまえば損得のレベルを超えて考えることはできない。
 善意は損得の秤に掛かるものではなく個人から溢れ出るものだろう。善良な人は損得などを基準にして行動しない。
 健康な人は体力の消耗を厭わない。子供がじっとしていることを嫌うように健康な人は動くことに喜びを感じる。一方、病人と病弱者は動きたがらない。動けば体力を消費するから損だと考える。
 知恵は苦しんで搾り出すものではなく、楽しく溢れ出るものだろう。賢い人は知恵を出すことを惜しまない。
 芸術家は損得などを基準にせず自らの創造意欲に基づいて創作する。
 最も個人的な行動である筈の性行為においてさえ、人は自分が直接感じる快楽以上にパートナーを悦ばせることに快楽を見出す。
 困っている人がいれば助けようとするのは自然な感情だ。誰かが川に落ちたりホームから線路に落ちたら誰でも助けようとする。これは損得勘定に基づく打算的行動ではなく自然な行為だ。
 他人を喜ばせることは気持ちよい。それはその後の損得ではなく社会的動物である人間の本能的行為と言えるだろう。

医師の不養生

2009-08-04 16:55:19 | Weblog
 医師の平均寿命は一般人より10年短いと言われている。手元に正確な資料が無くて申し訳ないが、東京都の医師の平均寿命は68歳だそうだ。この情報が正しければ確かに医師の寿命は10年短い。
 これは不養生によるものだろうか。ある意味では不養生とも言えるが、これは医師本人の意思によるものではなく、医師という職業に強いられた職業的な不養生によるものだろう。
 まずストレスが大きい。命を預かるのだから常にプレッシャーに曝される。
 生活が不規則になる。夜間診療などによって自由な睡眠を妨げられる。
 何よりも大きな原因は、病人と接せねばならないということだろう。病院には様々な患者が集まる。つまり様々なウィルスに日々曝されることになる。危険なウィルスによる感染が予想される時、一般人は人ゴミから逃れる。一方、医師は危機の最前線へと駆り出される。診療とは消火と同様、命懸けの行為だ。
 医師はこんなに命懸けで働いているのになぜ責任逃ればかりを考えるマスコミに叩かれねばならないのか理解できない。