俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ながら

2012-09-25 15:36:09 | Weblog
 時間を増やすことはできない。1年は365日であり1日は24時間だ。人にできることは時間を有効に活用することだけだ。そのためには無駄な時間を減らすことと共に「ながら」を積極的に取り入れることが有効だろう。
 私が実際にやっていることは、電車の中では本を読む、飲食時にはニュースを見る、掃除をする時には音楽を聞く、などだ。高校生の時には、数学の応用問題を解く時には必ず英語のラジオ講座を聞いていたが効果があったかどうかは分からない。
 睡眠時間を減らすことは有効とは思えない。覚醒時間が増えても脳が充分に働かなければ起きていても意味が無い。むしろぐっすり眠って快い目覚めをしたほうが良かろう。時間は量だけではなく質も考慮する必要がある。

帰郷

2012-09-25 15:21:59 | Weblog
 明日、大阪を去る。大阪で野垂れ死にするつもりでいただけに複雑な思いだ。残念ながら希望に満ちた旅立ちではなく負け戦に向かうような心境だ。故郷の伊勢には84歳の母が一人で住んでいる。親を看取るために帰るようなものだ。遺産は要らない。自分自身が遺すと思える遺産が1億円ほどあるのだからこれ以上増えても仕方が無い。母には孫を相続人にするよう勧めるつもりだ。私の役割は中継ぎだ。父母の築いた資産を孫に渡すための捨石だ。
 マリッジ・ブルーという言葉がある。結婚直前の女性が罹ることが多い軽い鬱状態だ。それまでの生活を大幅に変えねばならないことは辛い。都会生活に慣れた身には田舎暮らしは不便だ。人間は保守的な動物だ。生活スタイルを変えることは不快なことだ。つい先日まで毎日2~3㎞泳いでいたのにここ数日は300~500mしか泳げなくなってしまった。大好きな夏が終わり、同時に生活環境も変わるというダブルパンチで気力が萎えてしまった。
 大学以来、付き合いが続いている友人が3人いる。同等の知的レベルの人には大学以外では殆んど出会えなかっただけにこれっきりにはしたくないが再会することは少なかろう。世捨て人になったような気分だ。

悪人

2012-09-21 15:17:31 | Weblog
 悪人と呼ばれる人の多くは「劣人」と呼ばれるべきだろう。日本の囚人の平均知能指数は70ほどだと言われている。知能指数が低いから罪の意識が薄いのか、良い職に就けないので貧しさから犯罪に手を出すのか、事情は様々だろう。
 気を付けたいのは知能の低さと犯罪傾向は因果関係ではなく相関関係であることだ。知能の低さが必然的に犯罪に結び付く訳ではない。周囲の影響を受け易いのだから犯罪へと導かれるような悪い環境から保護する必要があるとも言えよう。
 この知能指数70の集団は人類にとって例外的存在だ。人類の大半の知能指数は100前後だ。こんな例外を根拠にして人間性について語るのは誤りだ。多くの犯罪はこんな例外者によって犯される。多くの人は善良だ。日本人の大半は、事故に会うことはあっても、犯罪の被害者にも加害者にもならずに一生を終えるだろう。

楽しい水泳

2012-09-21 15:07:58 | Weblog
 水泳は本来、楽しいものだ。涼しいし、重力から解放されるし、魚や水着の女の子が見放題だ。ところが楽しくない泳法がある。クロールだ。クロールでは水上や正面が殆んど見えないだけではなく、体を左右に捻るから水中もロクに見えない。これでは覆いを被せられた馬車馬のようなものだ。
 クロールの長所は早く泳げることだけであり最も楽しくない泳法だ。見る楽しみが失われる。私はプールではクロールで泳ぐことが多いが、珊瑚礁の海では殆んどクロールを使わない。平泳ぎかバタ足を使う。クロールを使うのは浅瀬から沖に向かう時ぐらいだ。
 楽しい水泳の王道は平泳ぎだ。呼吸もピッチも自由自在だ。顔を水没させずに泳ぐことさえ可能だ。マラソンや100m走よりもハイキングのほうが楽しいように水泳を楽しむなら平泳ぎが一番だ。

向上心

2012-09-21 14:57:14 | Weblog
 動物には自己保存欲がある。つまり「死にたくない」という本能だ。これがショーペンハウエルが言う「盲目的な生への意志」の正体だろう。
 ニーチェは「生きている者は生きることを意志しない」としてこれを否定し「力への意志」を説いた。私はこれを向上心に近いものと理解している。ただ単に生きるだけではなく、より優れた者、つまりより賢い者・より強い者になろうとすることが生きる意味だ。
 但し向上しようとする者にとっては大問題がある。それは老化だ。頭脳と肉体が衰えることは止められない。三島由紀夫氏は何かの本に「私は老化を認めない」と書いていた。それを読んだ時「無茶を言う人だ」と思ったが、その後、自衛隊に乱入して自決した。こうやって三島氏は自らの老化から免れた。
 老化することを私は認めざるを得ない。向上を志す者にとっては辛いことだが、少しでも長く現状を維持できるように最大限の努力をすることが老いつつある者にとっての「向上」だろう。

自立

2012-09-18 16:07:19 | Weblog
 働ける人に対しては金ではなく仕事が与えられるべきだ。高齢者であれ障害者であれ、働けるなら仕事に就くことを最優先とすべきだ。金銭の支給は最後の手段だ。
 震災や洪水などの非常時に水などを支援することは正しい。しかし慢性的に水不足の人々に対しては井戸掘りや浄水化の技術を提供することが望ましい。自立できるように導くことが真の支援だ。
 高齢者も障害者も施しなどを求めない。自立したいと考えている。国がすべきことは自立のための支援であって自立の妨害は許されない。
 高齢者も障害者も乞食ではない。金銭を施しとして受け取ることなど望んでいない。自分の労働に相応しい報酬を得ることによって社会人として自立したいと考えている。金銭の施しは彼らの尊厳性を否定することになる。

老化(2)

2012-09-18 15:55:14 | Weblog
 今年、新しいチャレンジを試みた。夏の間、毎日3㎞ずつ泳ぐということだ。20代・30代でもできなかったことを60代で挑戦する気になったのは、今年の1月から毎日2㎞ずつ泳いでいたからだ。青空の元なら気力も高まるので難しくないと思った。実際、約1ヶ月間、毎日3㎞以上を泳ぎ続けた。ところが気力が萎えて来た。だんだん「何のために泳ぐのか」と思うようになり、2㎞前後で上がることが多い。
 水泳のようなストイックなスポーツにはモチベーションが必要だ。記録が上がるとか体調が良くなるといったご褒美が無ければ努力は虚しい。ダルビッシュ有投手でも快投乱麻の時なら気分良く投げられるが、メッタ打ちされればマウンドを降りたいと思うだろう。
 記録が向上しない、あるいは努力しているのに低下すれば虚しくなる。老化と戦うとはこんな辛い戦いだ。努力しても仕方が無いと思えば努力する気が失せる。努力によって老化を遅れさせていると信じなければやっていられない。

愛国無罪

2012-09-18 15:43:56 | Weblog
 奇妙な言葉だ。愛国心に基づく行為なら罪に問わないという意味だと思うが危険思想だろう。サミュエル・ジョンソンの「英語辞典」では愛国心は「卑怯者の最後の拠り所」と定義されており、日本では戦後かなり長期に亘って「愛国心」という言葉は忌み嫌われた。愛国心という言葉を利用して国民が多大な犠牲を強いられたからだ。
 国益の拡大を是とするのが愛国心なら、侵略も植民地支配も外国人従軍慰安婦も是とされる。他国・他国民を犠牲にすれば国益は最大になる。愛国を煽ることは利己主義(egoism)にも等しい利国主義(egosism)へと繋がる。
 デモが暴動に転じることは珍しくない。欧米でも起こることだ。しかし中国とは違って暴動は犯罪と位置付けられている。正当な政治活動であるデモと略奪や放火とは全く別物だ。暴徒は愛国者ではなく唯の犯罪者集団だ。愛国無罪などと言って国民の憂さ晴らしやガス抜きに利用しているようでは中国に未来は無い。

性欲障害

2012-09-14 15:29:18 | Weblog
 「性欲障害」とはどんな人だろうか。私は3種類を考える。①色情狂②異常性欲者③性欲の乏しい人。要するに過剰・異常・不足だ。
 現代の風潮では③の性欲の乏しい人を障害者と考え勝ちだが、実は「障害」からは最も遠いように思える。本人が困ってさえいなければ周囲に迷惑を掛けることも少ない。
 女の色情狂は余り迷惑ではない。相手が応じない限りその欲求は満たされないからだ。しかし男の色情狂は困る。好い女を見るとヤリたくて堪らなくなる。マイク・タイソンというボクシングの世界ヘビー級チャンピオンがいた。彼はチャンピオン在位中に婦女暴行を繰り返して人生を棒に振った。痴漢や盗撮で捕まる人も性欲障害と言えよう。彼らは自分の性欲を抑えられない。
 異常性欲はロリコンやスカトロやサド・マゾや同性愛などだ。これらは他者に迷惑を掛けない限り、趣味の問題だろう。
 結局、性欲障害と言えるのは男の色情狂だけだ。他は障害ではなく好き嫌いの話であり他者がどうこう言うべきことではない。