俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

強欲資本主義

2016-06-30 09:52:52 | Weblog
 食度癌を患って以来、飲食がままならない。悪化すれば固形物が食べられなくなり、やや持ち直しても少量しか食べられない。こんな状態だから少しでも栄養価の高い物を食べなければ栄養障害を招く。癌と闘うための体力を維持できなくなる。癌細胞は情け容赦無く栄養分を奪う。癌に負けないための栄養補給が不可欠だ。癌に兵糧攻めは効かない。兵糧攻めは自滅を招く。特に大切なのは蛋白質とカロリーだろう。摂取量が限られていれば常に質が問われる。嗜好品は栄養価が低いから極力避ける。かつては欠かせなかったビールやコーヒーは飲まない。
 「癌に餌を与えるな」と主張して絶食を説く人がいる。しかし少し考えれば分かることだが総量が減れば使える量も減る。仮に栄養の90%が癌に奪われていても残りの10%をゼロにしてしまえば共倒れになる。実際、癌患者の多くが栄養障害に陥っている。
 こんなことを考えていると社会の風潮に憤りを感じる。なぜ逆のことが信じられているのだろうか。栄養価の低さが「ヘルシー」と呼ばれているがこれは全く逆で「不健康」を意味する筈だ。
 減量に目が眩んだ妻の料理は最悪だろう。殆んど栄養の無いコンニャクや最も栄養価の低い野菜のきゅうりを常食させられる。栄養価が高くしかも美味しい肉や卵は滅多に食べられない。なぜこんな倒錯した栄養常識が定着しているのだろうか。
 こんなデタラメな栄養常識を定着させた主犯は強欲資本主義者ではないだろうか。強欲資本主義にとっては今尚「消費は美徳」だ。多く消費させればさせるほど企業の儲けが増える。耐久消費財を2台・3台と持たせ、消耗品は湯水のように浪費させる。食べ物を豚のように1日中食わせることによって企業の儲けが増える。
 ここで問題が生じる。耐久消費財を複数持たせても消耗品を浪費させてもその弊害は露呈しにくいが、一日中食わせれば豚のように太って健康被害が現れる。強欲資本主義が不健康を招いてはそれが反社会的なものであることが明らかになってしまう。
 強欲資本主義は狡猾だ。ここで価値転換を行う。本当に悪いのは四六時中食べ続けることなのに、悪いのは栄養価の高い食品だと決め付ける。見事な開き直りだ。栄養価の低い食品であれば一日中食べ続けても肥満を招かないからこれこそヘルシーな食品であるという嘘を社会に定着させた。
 強欲資本主義が狙うのは消費の拡大だ。そのためであれば多少の嘘も許されると考える。だから大量に食べても太らない栄養価の低い食品が「ヘルシー」と評価される。太らない「ヘルシーな食品」を高額で大量に売り捌けば二重三重に儲かる。可哀想な消化器は栄養価の低い食品を消化するために長時間扱き使われそれが原因となって障害を起こす。これが医薬品重要を喚起するから強欲資本主義にとっては良いことずくめになる。本当にヘルシーな食品とは栄養価が高くしかも消化吸収され易い、消化器にとって負担の少ない食物だろう。

病の顛末

2016-06-29 09:57:05 | Weblog
 私の食道癌の病歴は以下のとおり推移した。
 ①2月初めに吐血した。年末に3度嘔吐していたがその内自然治癒するだろうと甘くみて放置していたが吐血は流石に怖い。近所の医院で胃カメラによる検査を受けたところ食道に複数の腫瘍が見つかった。
 ②その後、腫瘍が拡大して胃への入り口を塞いだために固形物が食べられなくなり液体食に頼る生活が始まった。
 ③更に検査したところ、転移は無いが肺と動脈に対する浸潤が進んでいるために手術や放射線治療を行えばそれらと食道を隔てる壁に穴が開く恐れがあると指摘された。
 ④癌の縮小を狙って2度入院して抗癌剤による治療を受けたが効果は無く副作用だけが残った。
 ⑤万に1つの可能性に賭けて放射線治療を受けた。癌細胞が小さくなったために少量の飲食が可能になったが肺と食道を隔てる細胞が破壊されたらしく肺炎の症状が現れたために放射線治療は無期限中断となった。
 ⑥肺炎の治療のために入院したが高熱はたった2日で治まったために4日間で入院を打ち切った。
 ⑦自宅療養を始めたが時折嘔吐をするようになった。
 ⑧一昨日(27日)、胃カメラを飲んで検査をしたところ内科医は翌日に放射線科を受診するよう命じた。私はてっきり放射線治療が再開されるのだと思ったが、全く意外なことに、翌日、放射線科医は放射線治療の拒絶とステントの装着を提案した。
 ⑨肺炎が治まったことも嘔吐が再発したことも、一旦小さくなっていた癌細胞が再び大きくなったことが原因と診断された。最早治療は不可能だからステントを装着することによって食道を拡張することが唯一可能な医療だと言われた。
 ステントによる癌細胞の押さえ込みは治療ではない。飲食を継続するための延命策だ。チェルノブイリ原発が手付かずのままコンクリートで覆われているのと同じように、治療を諦めて癌細胞を覆ってしまうことによりQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を確保することだけが目的だ。これでは引導を渡されたようなものだ。ステントで押さえ込んでも癌細胞は増殖を続けるからいずれ近い将来に癌の悪化によって死ぬ。
 私としては抗癌剤と放射線によってそれなりの抵抗を続けたつもりだが最早これまでだろう。感情的には食道と肺の間に開いた穴を塞いでいるのが正常細胞ではなく癌細胞であるという根拠を示せとゴネたいところだが、食道の癌細胞が再拡大をしているという現実を見れば、癌細胞と考えるのが妥当だろう。それに、再拡大しつつある癌細胞を破壊しようとすれば、仮にそれが正常細胞であれ癌細胞であれ、放射線による破壊を免れ得ない。どちらであろうとも同じことだ。
 あとどれだけ生きられるか分からないが、ステントの装着以外に延命策さえ無いようだ。これが現代医学の限界なら無いものねだりをしても仕方がない。思惑とは違って、退職後の自由時間は随分短いものになってしまったようだ。

他山の石

2016-06-28 09:42:44 | Weblog
 イギリスの住民投票でEUからの離脱が決まって世界中が大混乱に陥っているがこのことは大切な教訓を世界に発信した。充分考慮せずに投票をすればとんでもない結果を招き得るということだ。
 居酒屋やパブで好き勝手なことを言っても構わない。むしろ奇抜な意見こそ喜ばれる。しかしそれと同レベルの行動を公的に行えば取り返しの付かないことを招き得る。イギリスによる歴史的愚行を世界中の人々が目撃した。このことによって受け狙いの過激な主張が淘汰されることになるだろう。
 政治的無責任が世界の風潮になりつつあったがそれがいかに危険なことであるかを全世界が知った。政治的駆け引きのための過激な暴論を実現させてはならないことを思い知らされた。政治とは空理空論を弄ぶ場ではなく痛みを伴う現実であることが知らされた。この期に及んでも非現実的な理想を掲げる多くの政治家に多くの国民が愛想を尽かすことになるだろう。
 トランプ氏の人気は地に落ちた。世界的ブームだった極右政党の支持率も軒並み低下した。イギリスの失敗によって世界中から戯言が駆逐されたら、イギリスが素晴らしい模範を示してくれたということになるだろう。これがあと数か月早く起こっていれば共和党はトランプ氏のような泡沫候補を選んでいなかっただろう。
 妄想癖のある人は現実を突き付けられて初めて目が覚める。それまでは妄想に妄想を重ねてユートピアを思い描く。あり得ないからこそユートピアは美しいのであってユートピアを実現可能などと考えるべきではない。
 フリーターは自分の都合だけを考えて理想の企業を想像する。働きたいだけ働いて欲しいだけの報酬を得られる社会だ。これが現実になればサボリたいだけサボっても働きに見合わない報酬を得られるというかつての公務員天国のようになるだろう。楽しい筈の犬カフェや猫カフェは不衛生で伝染病塗れの汚い犬猫の巣窟になる。
 私の大好きな言葉だが「理想は現実的でなければならない。」非現実的な願望を理想と呼んではならない。それは狂人の妄想に過ぎない。トイレにも行かない理想の美女は死体であってやがて腐臭を放ち始める。
 夢想家が思い描く理想社会が実現すればそれはきっと地獄絵図になるだろう。そんなことを今回のイギリスの失敗が教えてくれた。絵に描いた餅がどんなに美味しそうに見えても食べてはならない。それは紙と絵具の味しかしない。「食べなければ良かった」と後悔することになる。
 私は物語が嫌いだ。物語は都合の良い偶然に依存する。もし偶然が起こらなければそれまでの経緯から結果は予想できるし、偶然が働けば何とでも好き勝手な大団円へと導かれる。
 
 

分離・独立

2016-06-27 14:47:48 | Weblog
 アメリカの南北戦争の原語はThe Civil Warだ。civilは「国内の」という意味であり同時にcivilizationの語源でもある。だからThe Civil Warは単に南部と北部の対立ではなく南部11州の「アメリカ連合国」による独立戦争だった。この内戦を舞台にした「風と共に去りぬ(`Gone With the Wind')」は南部の白人の貴族文化が消え去ったことをテーマとしておりそれがタイトルにもなっている。
 現代であれば内戦という手段ではなく議論を通じて民主的に解決すべきであり最終的には住民投票で決着されるべきだろう。しかしそれは可能だろうか?多分南部11州では圧倒的多数で独立が可決されると予想されるから「合衆国」側は住民投票の実施を絶対に認めないだろう。民主的に決めることも武力に訴えることもできないのであればどうすることもできずに現状が維持されることになる。全体最適のために部分最適が葬られることは今も昔も変わらぬ多数者による横暴だ。
 分離・独立の賛否を問う住民投票の要求が表面化するのは、何らかの事情から独立の気運が高まっている地域に限られる。スコットランドは例外だが、住民投票が実施されれば殆んどにおいて独立派が勝つだろう。だから分離・独立が問われる住民投票が実現することは殆んど無い。今回イギリスで実施されたのはキャメロン首相の思い上がりと読み間違いという大失敗に基づいており、今後、分離・独立を求める住民投票が実施されることは、イギリスが大失敗をしたことが教訓となって、一層難しくなってしまった。
 今回の結果を受けてスコットランドでは「連合王国」からの離脱とEUへの単独での加盟が求められている。イギリスでは政治的に大混乱に陥ることが予想されているだけに、これが近い将来実施され得る唯一の住民投票なのではないだろうか。
 様々な歴史的背景があって分離・独立を求める地域は少なくない。スペインのカタルーニャ地方、ロシアのチェチェン共和国、トルコ等に広く居住するクルド人、カナダのケベック州、フィリピンのミンダナオ島など多数あるが、最大の火種は中国にある。ウィグル、チベット、内モンゴルだけではなく香港の問題も拡大しつつある。狭い香港だが英国による統治に慣れ親しんだ住民の権利意識は高く、単に火種では収まらずに中国全土を破壊する巨大な爆発物にさえなりかねない。
 中国は政治や経済や領土などで多くの国際問題を抱えているが内政としての分離・独立問題も喫緊の課題だ。こんな中国が民主化すれば忽ち空中分解しかねないだけにこれらの課題を乗り切るために一層強権化せざるを得ないだろう。全く危ない国だ。何もかもが綱渡りの状態の中国が崩壊しないのは奇跡としか思えない。中国が抱える諸問題と比べれば世界中のどの問題も些細とさえ思える。中国は現代社会の危機の縮図であり国際的大災害の震源地かつ最大の被災地となりかねない。

優劣

2016-06-26 10:57:50 | Weblog
 最近、視力が低下した。読書が難しかった時期は寝転がってテレビや漫画を見、症状が軽減してからは4か月間のブランクを埋めようと猛烈に読書をしているせいだ。読解力は回復したが未だ体力の回復は不充分なため相変わらず寝転がって読書をしているから目に悪いのだろう。新聞を読むために眼鏡が欠かせなくなってしまった。
 ここで奇妙なことに気付く。我々は子供の頃から「悪い姿勢で本を読むと近視になる」と教えられた。ではなぜ私は近視ではなく老眼になったのだろうか。悪い姿勢で目を酷使すれば視力の劣化を招くということだろう。近視にせよ老眼にせよ原因は目の水晶体の調節機能の低下だ。それが招くのは子供であれば近視であり老人であれば老眼だ。原因が同じであってもその結果として現れる劣化は全く違ったものであり得る。
 そう考えれば同じような事件が原因になって人が凶暴化しようと抑鬱化しようと不思議ではない。事件が原因となって精神が異常化するということだ。異常化には予め方向性が備わっている訳ではないから、個々の事情に基づいて異なった劣化が現れ得る。
 個人ごとの違いはあくまで個体差に過ぎず優劣ではないという考え方がある。例えば背の高さはスポーツでは優性として扱われ勝ちだが人間としての優劣差ではない。これを優性と見なすことは人を目的のための副次物に貶める。人はスポーツの副次物ではないからこれを優劣と評価することは不合理だ。
 個人を時系列的に見た場合、優劣はあり得る。視力の例のように劣化があり得る。同じ個人であれば優劣があり得るのに他人との比較では優劣は無いとする考え方はいかにも奇妙で不自然だ。
 背の高低差や肌が白いか黒いかを優劣と見なすためには何らかの評価基準が必要だ。スポーツで長身者が優者とされるのは長身者が有利になるようなルールがあるからに過ぎない。競馬の騎手であれば小柄な人のほうが優者とされるだろう。日本人は色の白さを評価するが黒人であれば黒い肌こそ美しいと考えるだろう。背の高低や肌の色に対して優劣の評価をするためには何らかの基準が必要でありそれは相対的なものだ。
 その一方で眼鏡の要不要は絶対的な差異だ。どんな状況であろうとも補助器具など不必要な目のほうが優れている。同じように知性の有無も優劣たり得る。できるかできないかの違いは何らかの評価基準に基づく相対性ではなく絶対的な差異だろう。
 常識的であり過ぎれば非常識に陥り易い。それは常識そのものが矛盾しているからだ。常識を極めれば常識の自己超克が起こり得る。例えば生命の尊重という思想は自己の生命の否定に繋がり得る。生命体を犠牲にせねば生きられない自分の存在を許せなくなるからだ。無条件の生命尊重という理念こそ間違いだ。この理念に根拠は無い。根拠の無い理念を公理のように扱うから問題が生じる。生命は条件付きで尊重されるべきだ。もし凶悪犯罪者が人質を連れて立て籠もった場合、両者の生命の価値は対等ではなく人質の生命が優先されるべきだろう。生命に貴賤は無いという綺麗ごとに基づいて凶悪犯を守ろうとすることは悪平等に過ぎない。優劣の差は確実にありその差は正当に評価されるべきだろう。

連帯

2016-06-25 09:56:45 | Weblog
 最近の欧米のことはよく分からない。アメリカでトランプ氏が共和党の大統領候補に選ばれたことに驚いていたら、今度はイギリスがEUから離脱すると言う。どちらにも共通するのは自国の利益最優先だ。国際親善などは余り考慮されていない。
 幻想かも知れないが私は諸国家の共存共栄を理想とする。お互いが違いを認め合った上で役割分担をすれば1+1=3ということも起こり得ると信じている。ウィン・ウィン関係での貿易であれば双方が豊かになれる。野蛮人はお互いの相違点を否定し合って離反するが文明人はお互いの長所を認め合って連帯するものだと思っている。
 合唱がそのイメージだ。それぞれが違った旋律を歌うことによって素晴らしいハーモニーが生まれる。人々が協力することによって一人では不可能な深みのある音楽へと高まる。大勢で歌っても斉唱にしかならない日本人とは違って、合唱の得意な西洋人は相異なる個性が交わることによって個を超越した存在になり得るということを知っていると思っていた。欧米人が個性を尊重するのは個性を発現することによって高度な調和を目指しているからだと思っていた。しかしこれは私の買い被りだったようだ。
 歴史を冷静に概観すれば欧米人は調和を求めない。弱肉強食と略奪こそ彼らの歴史だ。マヤ・アズテカ文明やインカ文明を滅ぼし、ネイティブアメリカン(インディアン)からは土地を騙し取るのが彼らのやり口だ。アジア・アフリカを植民地にして搾取の限りを尽くして愚民化政策を採るのが常套手段なのだからどこにも共存共栄の思想は無い。白人にとっての有色人種とは犬畜生にも等しい劣等種に過ぎない。人間扱いさえしないのだから平気で約束を反故にする。
 むしろ大日本帝国の政策こそ共存共栄を目指したものだったように思える。敗戦国の日本は欧米により偽りの歴史を押し付けられているが、日本が台湾や朝鮮で採った政策は植民地化とは懸け離れたものだった。インフラを整備し教育制度を整え悪習を廃止させたことは欧米のどの国も行わなかった開化政策だったのではないだろうか。少なくとも数十年は負担にしかならないような稚拙な植民地経営などあり得ない。日本は本気で、白人による世界支配を克服して大東亜共栄圏を構築しようとしていたのではないだろうか。
 神という嘘によって繋がっている欧米人の連帯は贋物だ。架空の神を媒介にしているから異教徒に対しては勿論のことキリスト教徒が相手であっても常に寝首を掻こうと企んでいる。
 神を持たない日本人の根本にあるのは先天的に備わっている群居本能だ。お互いを同類と認めるからこそ相手を尊重する。他者との繋がりは思いやりと労り、つまり「優しさ」に基づく。神のような人工物を介せず自然な感情に基づくからこそ偽りでない連帯が生まれ得る。日本の企業の古き良き家族的経営はその典型だ。西洋的な強欲資本主義とは全く異質のものだった。
 私は西洋に対する幻想から目覚めた。今後はより日本的な理想を追究したい。西洋かぶれの強欲日本人には期待できないが、多くの日本人には連帯へと至るための潜在能力が備わっている。
 

責任回避

2016-06-24 10:52:51 | Weblog
 嘘のような話だが、かつては「晴時々曇、所により一時俄雨」という天気予報があった。こんな情報は殆んど役に立たない。こんな天気予報に基づいて傘を持参すべきかどうか判断できない。その後、降水確率が報じられるようになってからこんな玉虫色の天気予報は無くなった。
 今でも少なくない学者が「その可能性はゼロではない」と発言する。誤るまいと考えるからこんな発言をするのだろう。明日首都圏で直下型地震が起こる可能性も北朝鮮が核兵器を使う可能性もゼロではない。間違えまいとすれば「ゼロではない」と発言する。しかしこんな情報の価値はゼロに等しい。役に立たない。
 可能性を白黒に仕分けることはできない。必ずグレーの領域がある。可能性1~99%がグレーに含まれる。これでは殆んどがグレーとして評価される。確率○○%と表記して初めて情報として役に立つ。
 しかし日本人には悪い癖があって確率を正直に発表しない。読売新聞の調査に拠ると、気象庁の発表する降水確率は1.6倍高いらしい。つまり気象庁が80%と発表すれば50%、50%と発表すれば30%しか実際には降らなかったそうだ。これは過失ではなく意図的に履かせた下駄だろう。本音よりも多少高めの確率を伝えることによって非難を避けようとしているのだろう。
 降水ありと予報して降らなかった場合と比べて降水無しとの予報が外れた場合のほうが利用者は怒る。だから予め高めの予報をして予防線を張っているのだと思う。こんな事情があるから私は公表された降水確率を信じずに6掛けにした上で判断している。もし気象庁が本音で発表していればこんな補正など不必要だ。
 時間帯別での予報にも同様の傾向が見られる。降り始めは予報よりも遅く降り終わりは予報よりも早いことが多い。これも利用者からのクレームを避けるためにわざと長い目の降水時間を公表しているのではないだろうか。
 これは天気予報に限ったことではない。癌と診断して癌でなかった場合「良かった」で済まされるが、癌でないと診断して実は癌であれば訴訟沙汰にもなりかねない。こんな目に遭わないために医師はグレーの患者には癌と伝える。こんな傾向があるから癌でない人に対する無駄で有害な癌治療が絶えない。
 降水確率に下駄を履かせるぐらいなら許容されるが癌かそうでないかであれば笑い話では済まされない。だから日本での癌の基準は世界一甘い。海外であれば良性腫瘍と判定される腫瘍が日本では悉く悪性腫瘍と判定されている。もっと客観的かつ科学的な基準に基づいて判定されるべきだろう。
 ビジネスでは京セラの創業者の稲森元会長の「悲観的に計画して楽観的に実行せよ」という言葉が重視されている。計画段階において最悪を想定することは必要だが最悪を想定するだけでは何1つ実行できなくなる。それを戒めるために「楽観的に実行せよ」がセットにされたのだろう。これは実践することを重視した優れたバランス感覚の賜物だろう。ペシミズムもオプティミズミも偏った考え方であり正確な予想が最も望ましい。責任回避のためにタテマエとホンネを使い分けることは慎むべきだろう。

外来語

2016-06-23 09:53:44 | Weblog
 21日にリオデジャネイロ・オリンピックの公式服が発表された。特に注目されたのは式典用の制服だ。赤いジャケットに白いスラックスという出で立ちは日の丸カラーであり、’64年の東京オリンピックの制服を彷彿させるデザインだ。
 東京オリンピックの開会式の入場行進の時、アナウンサーはこれを「真っ赤なブレザー」と呼んだ。なぜかこれが間違って理解されてジャケットが「ブレザー」と呼ばれるようになった。blazerは「燃えるような赤」を意味するから「青いブレザー」などあり得ないし、「真っ赤なブレザー」の時点で「真っ赤な赤い服」だから「馬から落ちて落馬した」と同じような変な表現だ。しかし洋服店の販売員まで「ブレザー」と呼ぶからすっかり定着してしまった誤用に私も付き合わざるを得なかった。ブレザーという言葉は「ジャケット&スラックス」という言葉が定着するまで誤って使われ続けた。
 なぜか女性はスラックスを「パンツ」と呼びたがる。多分ファッション誌などが「パンツルック」や「パンツファッション」などの言葉を頻繁に使うからだろう。私は折り目のある物をスラックス、無い物をパンツと呼んで区別するが女性は何でも「パンツ」と呼ぶ。「ズボン」という言葉はいつの間にか死語になったようだ。セクハラと非難されそうなので未だ試したことは無いが「パンツスタイル」の女性に「パンツが見えている」と言ったらどんな反応をするか見てみたいと思う。
 「ワイシャツ」にも同じような誤解がある。TシャツはT字型のシャツだがワイシャツはY字型のシャツではない。white shirtsが語源だ。だから「青いワイシャツ」はあり得ない。私は「青いドレスシャツ」や「青いカラーシャツ」あるいは単に「青いシャツ」と呼んでいたが長い間、異端扱いをされていた。
 旅館でアルバイトをしていて客から「バスは何時に出発しますか」と尋ねられて驚いたことがある。これは「バス(bath)・トイレ付」を「トイレ付きバス(bus)」と勘違いしたせいらしい。英語のthは「ス」や「ズ」で表記されるがこれは紛らわしい。「シンクタンク」という言葉を初めて知った時、私はthinkではなくsinkだと思って「沈む器」を想像した。「エアフォース」はfourthかと思ったがforceだった。Vを「ヴ」と表記するようにthに当たる仮名があっても良いと思う。
 昔Genevieve Bujoldという女優がいた。これをどう表記するかには悩まされた。私は極力「ヴ」は使わないので「ジュヌビエーブ・ビュジョルド」と書いたが「ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド」と表記されることが多い。どちらでも良かろうが、グーグル等で検索する時には迷う。vilenceは「ヴァイオレンス」でも「バイオレンス」でも構わないだろうが、これほどDVという言葉が頻繁に使われるようなら「ヴァイオレンス」と表記したほうが便利なように思える。

DH

2016-06-22 09:51:16 | Weblog
 セパ交流戦はパリーグの60勝47敗1分けで終わった。パリーグの勝ち越しは12年で11回となり「人気のセ、実力のパ」が今年も裏付けられたが、戦力差がこれほど広がった主因はDH制にあるだろう。
 ドラフト制度があるから新人選手の力量は均等化されている筈だ。だから戦力の差は育成力の差と見なせる。監督やコーチの力量に差があるとは思えないから制度として異なるDH制が決定因と考えて差し支え無かろう。
 ではなぜDH制によってチーム力が高まるのか。DH制で投手力が高まることは以前から指摘されていた。DH制でなければ好投している投手の打順にチャンスが訪れれば代打が起用されることが多い。これでは投球機会が奪われる。DH制によってこんな不合理が解消されるという理屈だ。しかしこれは投手成績になら影響を及ぼすが、投手力の差に繋がるとは思えない。私はむしろ9番手や10番手の野手が育つことが大きいと考える。
 DH制でない場合、先発メンバーになれる野手は8人だけがDH制であれば9人になる。この枠の拡大が9番手の野手にチャンスを与えることになる。選手にとって出場機会が与えられることの意味は大きい。
 打力はどのようにして評価されるだろうか。打率や出塁率などで評価される。困ったことにこれらは実戦を通じてしか評価できない。つまり出場機会が無ければ評価されないということだ。
 どんな選手なら打率が高くなるだろうか。打率を高める要素は沢山ある。スイングスピード、当てる技術、選球眼、配球に対する読み、走力等々無数にある。これらを総合した打力は練習では把握できず実戦で結果を出して初めて評価される。
 しかし監督やコーチは保守的だ。公式戦での競争の真っ最中だから少しでも良い実績のある選手を優先的に使う。これではそれまでに出場機会が少なかった選手はいつまで経っても控えに甘んじることになる。シーズン前のオープン戦でアピールし損なえばシーズンを棒に振りかねない。
 DH制であれば9人目の野手が出場機会を得る。これは監督やコーチにアピールするチャンスが増えるということだ。非DH制では控えに甘んじていた選手がレギュラーとして活躍できる。10番手の野手の出場機会も増える。
 交流戦を見ていて感じるのはパリーグの下位打線の充実ぶりだ。上位打線はともかく下位打線の選手は明らかにパリーグのほうが良い選手が揃っている。主力選手はセパでそれほど差があるようには思えないが脇役の差は大きい。
 才能があっても発揮するチャンスが与えられなければ埋没してしまう。野球に限らず中堅社員の能力を高めることこそ組織にとって有効だろう。アメリカ的なエリート主義よりも日本的な参加型経営のほうが組織力は高まるだろう。全員に対する機会均等が有効とは思えないが有望と思える人にチャンスを与えれば宝の持ち腐れを防げる。

アメリカ人

2016-06-21 10:50:33 | Weblog
 200年余り国を閉ざしていた日本はアメリカの恫喝外交に屈して開国を強いられた。しかし開国後の日本はアメリカよりもドイツやイギリスを先進国として模範にしたように思える。それはアメリカという国の異常性を感じ取ったからではないだろうか。戦後どっぷりとアメリカ文明に浸った現代日本人でさえアメリカ的価値観に違和感を覚えるが、西洋人に対する免疫が無かった当時の日本人には耐え難い相手だったのではないだろうか。
 アメリカは世界的に稀な人工国家だ。こんな奇妙な国は他にはイスラエルしか無かろう。どの国でもその土地と共に歴史を育んでいるのに、アメリカはネイティブアメリカン(インディアン)から土地を騙し取ることによって建国された。これこそアメリカの「原罪」だろう。国の成り立ちが簒奪だという恥ずかしい歴史なのだからこれを誤魔化すためにはダブルスタンダードを採用せざるを得なかった。耐え難い事実を糊塗するために妄想にも等しい理想主義を掲げざるを得なかった。母国である英国の経験主義と対立するアメリカ的理想主義は現実を否定することと現実に対する激しい憎悪に基づいている。
 アメリカに言論の自由は無い。法的には自由とされているが超法規的に多数のタブーや掟が存在して、発言だけではなく思考することさえ禁じられている。差別は厳禁されているが差別意識は国民に根深く浸透している。トランプ氏の過激な発言が歓迎されたのはそれがWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の本音に近いからだ。
 アフガニスタン移民2世のムスリム(イスラム教徒)が殺傷力の高い銃を使って同性愛者が多く集まる施設でテロを行うという犯罪はまるでアメリカが抱える矛盾の縮図のような事件だ。だからこそこの事件がアメリカ人に与えた衝撃は大きい。
 人工国家であるアメリカは現実離れした理想によって塗り固められている。アメリカが軍事的・経済的に世界で唯一の超大国だから他国はこんな妄想を黙認しているに過ぎない。
 アメリカ軍は性欲処理施設の設置を認めない。女性の人権は守られなければならないから「従軍慰安婦」という制度は「性奴隷」制度として激しく糾弾される。これは韓国人によるプロパガンダが成功したからではない。アメリカ人の非現実主義と合致したからこそ性奴隷制度が憎悪の対象にされた。しかしどれだけ綺麗ごとを並べようとも兵士の性欲は現実として存在する。この解決不可能な矛盾を解消するためには現実を無視するしか無い。しかし空虚な理想主義が招いたのは性欲対象者を「現地調達」するというとんでもない現実だ。タテマエ論を守るためにこんな醜い現実は無視された。
 アメリカは現実を無視して理想論を貫こうとするから現場では多くの悲劇が生まれる。兵士の性欲に限らず、アメリカの政策は現実を無視した理想論と野蛮な現実論に二極化する。だから当初は親米的だった中南米諸国の多くが米国の二枚舌外交に呆れて反米的になってしまった。
 日本では非現実に依存する理想論は一部の人々の妄想に過ぎないがアメリカでは国民全体が妄想に依存して空虚な理想論を恥ずかしげもなく掲げている。