俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

人身売買

2015-03-30 10:13:25 | Weblog
 安倍首相がワシントンポストのインタビューで慰安婦が「人身売買の犠牲になり、筆舌に尽くし難い痛みと苦しみを経験したことを思うと心が痛む」と語ったそうだ。安倍首相のブレインは賢い。私はこの論法には気付かなかっただけに敬意を表する。
 「従軍慰安婦の強制連行」が嘘であったことはその発信元であった朝日新聞が認めている。しかしこれだけでは朝日新聞を信じて抗議をしていた人や自称従軍慰安婦にとっては梯子を外された状態だ。本来であれば朝日新聞社が社運を懸けて取り組むべきことなのだが何もしていない。欠陥品を売っておきながらリコールに応じない企業は朝日新聞だけだろう。無責任極まりない。
 安倍首相が人身売買の問題を提起することによって痛み分けの道が開けた。人身売買があったのであれば売ったほうも買ったほうも悪い。だから「従軍慰安婦」本人の責任ではないという方向で議論が進められる。
 事実として、慰安婦は売春婦だった。しかし今更こんなことを声高に叫んでも解決には繋がらない。日韓の溝が深まるだけだ。落とし所を作る必要がある。そのための第三の悪として人身売買の関係者に注目すれば良い。
 売る側には事情がある。日本国内にも多くの事例がある。売る側にとっては口減らしであり、売られる側も飢餓から解放されるというメリットがある。貧しさに付け込んで人を売買することは現代の倫理観からすれば許されないことだが、当時としてはやむを得ないことだった。
 人身売買の問題に「摩り替える」ことは妙案だと思う。これであれば日本も韓国も納得できる。韓国側が偏狭なナショナリズムに溺れることなくすんなりと受け入れてくれれば双方の面子が保てる。トラブルの解決のために必要なことは事実の解明によって白黒を着けることではなく、落とし所を作ることだ。

核兵器

2015-03-30 09:44:14 | Weblog
 ロシアのプーチン大統領はウクライナの政変の際「核兵器使用の準備を指示していた」ということを明らかにした。これは西側諸国に対する恫喝であり本気ではないだろうが、ロシアよりも遥かに危険な集団がある。IS(Islamic state)だ。彼らは狂信者集団でありオウム真理教よりも危険なテロリストだ。イランにあると言われている核兵器を彼らが奪った場合どんなことが起こり得るか?オウムが地下鉄サリン事件を起こしたように無差別テロに核兵器が使われる恐れがある。
 勿論、核兵器は厳重に管理されているから簡単に奪われることは無かろう。しかし内通者がいれば不可能ではない。
 1945年の広島・長崎以来、70年間核兵器は使われていない。要するに使えない兵器だ。こんな物を今更持っていることにどんな意味があるのだろうか。
 BC兵器という言葉がある。Bは細菌(Biologic)でCは化学(Chemical)だ。核(Nuclear)と合わせてNBC兵器と呼ぶこともある。私は核をAtomicとしてABC兵器と呼んでいる。実はISは既にC兵器を使っているらしい。1月にイラク北部のクルド人部隊に対して塩素ガス兵器使ったと言われている。既にC兵器を使った彼らにタブーは無い。入手すればAB兵器も躊躇無く使うだろう。
 彼らは国際法など無視して捕虜の虐殺や人身売買などを繰り返す無法集団だ。そんな連中が核兵器を手に入れたら恐ろしいことになる。核兵器の破壊力は桁外れに大きい。目的地から遠く離れた場所で爆発させても充分な殺傷力を持つ。事前にそれを見つけることは難しい。
 核兵器が戦争の抑止力になっているという考え方もある。確かに少しはそんな効果もあるだろう。しかしそんなメリットと比べて、テロリストが保有した場合のデメリットは遥かに大きい。無法集団が核兵器を奪取する可能性がある以上、一刻も早く廃絶すべきではないだろうか。綺麗ごととしての核兵器廃絶ではなく現実的問題としての対応が必要だろう。変な言い方になるが、こんなピンチこそ、核兵器廃絶のための絶好のチャンスだろう。

孝と公

2015-03-28 10:12:53 | Weblog
 大塚家具のお家騒動は大塚久美子社長の勝利に終わった。この名前を見る度に視力の衰えた私は「大場久美子」と誤読をして、かつてのアイドルを懐かしく思った。
 この内紛を一部のマスコミは、久美子社長を「かぐや姫」と名付けて面白おかしく報じていたが、中国や韓国ではこんな騒動は起こらないだろう。「孝に背く」として子供の側が袋叩きに会うからだ。儒教道徳の社会では孝という原理が最優先される。孝を欠くことは人間として許されないこととされている。
 孝を重視することは良いことだ。しかし孝が「公」よりも優先されれば困ったことになる。中国や韓国で汚職が後を絶たないのは孝重視と無関係ではないようだ。一族の誰かが社会的に高い地位を得た場合、親族はその親に働き掛けて利益を得ようとする。血縁関係の濃厚な社会だから、親からの口利きを粗末には扱えず縁故採用や縁故取引が横行することになる。まるで昔の日本の村落のような縁故社会が今も続いているらしい。
 かつてアメリカ人のプロ野球選手が、子供の病気を理由にして帰ってしまったことがあった。多くの日本人は「日本を舐めている」と憤ったものだが、最近では個人の価値観の違いを認めて余り非難しなくなった。しかし儒教道徳は全く違う。親に何かがあれば何が何でも最優先せねばならない。それが社会としてのルールだ。
 モラルとしての孝は好ましいが孝がルールになれば生き辛くなりそうに思うが、ルールになることによって却って葛藤が少なくなるようだ。これは、アメリカに住む非暴力主義者なら護身のために銃を持つかどうか悩むところだが日本のように最初から禁じられていれば悩む必要が無いのと同じようなことだろう。
 大塚家具の場合、単なる親子喧嘩ではなく経営戦略を巡る争いだ。個人商店ではないのだから親子喧嘩などと問題を矮小化すべきではなかろう。久美子社長は孝よりも公、つまり経営者としての責任を優先した。たとえ親子であろうとも公的立場においては私情を挟むべきではなく、公よりも孝を優先すべきとは思えない。同じ二世経営者による騒動でも韓国のナッツ姫とは違って、日本のかぐや姫は、2割の株を握る大株主である父・勝久会長に圧勝したのだから、株主からの支持を得たと言えるだろう。孝は重要ではあるが公とのバランス感覚が必要だ。それを欠いたらそれこそ公私混同になってしまう。

分散

2015-03-28 09:33:35 | Weblog
 中央集権の計画経済であれば総力を集中することができる。だからその計画が正しければ大成功を収めることができる。しかし計画が誤っていれば大失敗に終わる。人は自らの誤りを認めたがらない。だから成功する可能性が少しでもあればリーダーは当初の計画に固執して傷を広げ勝ちだ。その間、批判する者は粛清される。ソ連や中国は懲りもせずに大失敗を繰り返した。
 航空機の乗客はその命運をパイロットに預ける。パイロットが狂っていれば悲惨な事故の犠牲者になる。これは24日に墜落したドイツのジャーマンウィングス社の航空機事故だけの話ではない。日本でも昭和57年に羽田空港沖で、後に「逆噴射」という言葉が流行語にもなった日航機事故があった。当時は機長の「心身症」が原因とされたが統合失調症だったようだ。
 昨年韓国で起こった客船セウォル号の遭難事故では、船長に命じられたとおり客室に残った高校生の多くが水死した。
 正しいリーダーに従えば安全だが狂ったリーダーに率いられた人は酷い目に会う。少数者による独裁は常にそんな危険を孕む。ソメイヨシノのように一斉に開花すれば一斉に散るという覚悟が必要だろう。均質化すれば効率的ではあるが失敗した時のダメージは大きい。
 かつてのソニーは次々に新商品を開発した。中にはベータマックスのような失敗例もあるが、ヒット商品が幾つかあればそれに頼って成長することができた。
 私は好立地の弁当店は傘を併売すべきだと考える。雨が降れば弁当の売上は激減する。これでは折角の好立地が無駄になる。そんな時に傘を売れば少しは稼げる。
 生物の進化に方向性は無い。あくまで環境に適応した種が栄える。今後、世界が温暖化するか寒冷化するかは誰にも分からない。温暖化すれば南方の生物の生活圏が広がり、寒冷化すれば北方の生物が広がる。気候変動と逆の適性を持っていた生物は滅ぶかも知れない。
 進化の法則は適者生存だ。適者とは環境に適応するという意味であり決して強者のことではない。進化論とは弱肉強食を正当化する理論ではない。逆に、進化論ほど多様性を重視する理論は無かろう。多様であればこそ、どんな変化があってもどれかが適応して繁栄するという理論だ。
 卓越した経済政策で大恐慌を克服したナチスにドイツ国民は総てを託した。全権委任を得たナチスは暴走して第三帝国を滅ぼした。一極集中は危険であり、権力は分散される必要がある。
 

統計

2015-03-26 10:26:01 | Weblog
 「消費税が5%から8%に上った結果、収入の少ない世帯の方が税負担の度合いが重くなる逆進性がいっそう強まった」という記事が24日の朝日新聞に掲載された。なお19日に発表された日本生活協同組合連合会(日本生協連)によるこの調査結果について、今日(26日)現在、朝日以外の読売・毎日・産経・日経の4紙は報じていない。
 朝日新聞の記事によると「収入が400万円未満の世帯の収入に占める消費税負担率は5.44%で、1000万円以上の世帯の負担率2.94%の1.85倍となった(一部編集)」とのことだ。
 誰でも疑問に思うだろうが、収入額で消費税負担額を割ってどんな意味があるのだろうか。消費税は所得税などとは違って支出に掛かる税金だ。これを収入で割ることは、税額を身長で割って「小柄な人ほど負担が大きい」と言うのと同じくらい無意味なことではないだろうか。私のような年金生活者であれば収入よりも支出のほうが多い人も少なくない。年金で足りない分は貯金を取り崩して使っているからだ。現役世代で収入の多い人なら貯金に回す人が多くなるから支出率が下がる。支出率が低ければ収入に対する消費税負担率が低いのは当たり前のことだ。但し貯金に回すことによって消費税負担額は却って増える。現在は8%の税率だが取り崩す時点では多分10%以上に上っているからだ。
 こんな疑問を持ちながら日本生協連が発表した元資料に当たってみれば案の定だった。元資料では支出に占める消費税負担率も提示されており、こちらは収入による格差は無かった。年収600~700万円台の負担がやや低くなっていたが、これはこの層の世帯主年齢が51.1歳と最も若く、非課税である教育費のシェアが高いことが原因と思われる。
 朝日新聞が消費増税の犠牲者のように報じている年収400万円未満の層のプロフィールを見れば、世帯主年齢65.9歳、収入3,051千円、支出3,065千円だった。この層だけが収入よりも支出のほうが多かった。最も高齢層であることから多分、現役を退いた年金生活者が少なからず含まれているのだろう。収入よりも支出のほうが多ければ、収入に対する消費税負担率が高くなるのは当然のことだ。
 朝日新聞の悪い癖が出ている。消費税に逆進性があることは事実だがデータを歪めてまで誇張する必要はあるまい。日本生協連の調査は至極真っ当なもので事実を伝えている。これを摘み食いして世論操作に使うところが朝日新聞の致命的欠陥であり、「従軍慰安婦の強制連行」という大失態のあとも一向にその体質が改善されていないことがよく分かる。報道機関の仕事は事実を極力正確に伝えることであり誇張して世論を煽ることではない。
 
 ※コメント欄に朝日新聞の記事を転載していますので参照願います。

野党

2015-03-26 09:34:55 | Weblog
 あのルーピー鳩山氏が総理大臣だった時、普天間基地の移転問題で「最低でも県外」とブチ上げてその後断念したが、なぜこんな後先を考えない無責任な放言をしたのか不思議だった。多分、野党根性が染み付いていたからだろう。
 勿論、鳩山氏はかつて与党であった自民党にも所属していた。しかしその時も好き勝手な発言を繰り返していた。親の七光で選挙で勝てる二世議員に過ぎず党内で影響力を持っていなかった。だから自民党を離党した。
 野党であれば政策を実現する必要は無い。与党の政策を批判していれば責任を全うしたことになる。万年野党である日本共産党の主張など支離滅裂も甚だしい。共産党が常に主張しているのは福祉の充実と減税だ。これは両立しない。勿論、税金の無駄遣いを減らせば減税は可能だ。しかし共産主義の理想は「大きな政府」であり減税とは相容れないものだ。あるいは大企業への増税と賃上げもあり得ない。今回自民党が主導したように減税とセットにしたほうが賃上げの可能性は高まる。
 野党の立場は気楽なものだ。政権を奪うまでの民主党は埋蔵金だけで財政再建ができるかのように主張していたが、いざ政権を取るとそれでは全然足りないと分かり急遽増税策に転じるという醜態を晒した。
 完全な政策はあり得ない。どんな政策であろうと誰かの不利益を招く。野党の立場であれば、全体を無視して不利益を蒙っている人の被害を針小棒大に騒いでいれば済む。
 自・社・さきがけによる村山内閣での社会党は無責任野党の本性を見せた。看板政策だった非武装中立を放棄し、安保も原発も承認した。ここまで恥知らずになれるものだろうか。こんな政党が解体されたのは当然だ。
 無責任野党は要らない。必要なのは責任野党だ。日本が曲がりなりにも国の体裁を保てているのは自民党の反主流派が責任野党の役割を演じたからではないだろうか。
 自民党は元々、自由党と民主党が合併してできた政党であり、かつては派閥が党内政党の役割を果たしていた。弊害ばかりが指摘されたが、党内野党が責任野党の役割を果たしていたことは事実だろう。小選挙区制によって自民党が一枚岩になることは党のためにも国のためにも好ましいこととは思えない。
 自民党も民主党も政党ではなく烏合の衆だが、自民党の党内野党は責任野党であり、民主党の党内野党は社会党の流れを汲む無責任野党という点で大きく異なる。

翻訳

2015-03-24 10:06:04 | Weblog
 「『梅にウグイス』は翻訳できない」という文章に出会った時、さっぱり意味が分からなかった。しかし実際に自分で翻訳しようとしてすぐに納得できた。梅もウグイスも単数か複数か分からないからだ。イメージとしては単数だがそれは独断だ。だからこれは翻訳できない。
 イスラム教はコーランの翻訳を禁じている。コーランを読みたければアラビア語を修得せねばならない。この頑固さのせいでイスラム教はアラブ圏の宗教に留まるのかも知れないが、翻訳が曲解を避けられないことを考えれば充分に納得できる。
 キリスト教も長期間翻訳を許さなかった。中世の聖書はラテン語で書かれていたからラテン語の分かる人しか読めなかった。しかしキリスト教は翻訳を禁じていた訳ではない。旧約聖書は元々ヘブライ語で、新約聖書はギリシャ語で書かれていたのだから、ラテン語の聖書は既に翻訳を経た書物だ。それどころかイエスはアラム語を使っていたらしいからギリシャ語の時点で既に翻訳されている。これをマルチン・ルターがドイツ語訳することによって聖書が広く読まれるようになった。
 私は聖書の一部をラテン語で読んだことがある。その経験から翻訳することの危険性が理解できる。イエスが裏切り者の出現について予言する箇所だった。
 イエスは言った「あなた達の一人が私を裏切ろうとしている。」(中略)ユダが言った「先生、まさか私ではないでしょう。」イエスは言った「いや、あなただ。」
 この最後の一言をラテン語から直訳すれば「あなたは言った」だった。これでは意味が分からない。だから「いや、あなただ」と意訳されている。他にも禅問答のような会話があちこちにあり殆んどが意訳されている。ヘブライ語やギリシャ語で書かれた文章をラテン語に翻訳して、それを更に日本語や英語に翻訳していれば意訳に次ぐ意訳で、最初の文章とは懸け離れたものになりかねない。まるで伝言ゲームのようにとんでもないものに変質し得る。それを防ぐために翻訳を許さずに必ず原典に戻らせることは理に適っている。
 翻訳書を読む時には誤訳の存在を容認せざるを得ない。例えばシンデレラ姫のガラスの靴は実は毛皮の靴だったし、「日本人はウサギ小屋に住んでいる」という文章の「ウサギ小屋」はフランス語で集合住宅を意味するcage à lapinsを逐語訳したことが招いた誤解だった。
 

実験

2015-03-24 09:31:27 | Weblog
 お産について一時期「小さく産んで大きく育てる」ことが奨励されていたがどうやらこれは間違いだったようだ。妊婦の健康だけではなく子供の発育なども併せて考慮すれば、昔ながらの大きい新生児のほうが総合的には良かったようだ。
 事業においても「小さく生んで大きく育てる」は余り評価されなくなった。以前であれば事業の多角化は優れた経営戦略とされたものだが、最近では「選択と集中」による本業回帰のほうが評価されているようだ。
 しかしシャープの経営危機をどう見るのだろうか。シャープの経営危機は液晶と太陽光発電と電子部品に特化したことが原因だろう。あるいはソニーのような経営資源の切り売りが成功するとは思えない。将来のための種蒔きが常に必要なのではないだろうか。
 科学の長所は実験の重視だろう。ゴチャゴチャ言っているよりもまずやってみる。上手く行けば成功だし、失敗すれば「こうすれば失敗する」という事実を発見できる。まずやってみることが大切だ。
 この実験という考え方はどうも日本人の国民性には合わないようだ。散々議論を尽くした上で不退転の決意で臨むことが好まれ、とりあえずやってみるという姿勢は無責任と思われ勝ちだ。だから一旦始めたらやめられない。危険と分かっても原発をやめられないし、弊害が多いことが証明されても小選挙区比例代表制を見直そうとはしない。スクラップ・アンド・ビルドやトライ・アンド・エラーという考えに基づいて、良くないものは早く見切るべきだろう。
 新しい試みは大抵失敗するものだ。エジソンの実験は99%が失敗だったと言われている。玉石混淆であれば殆んどが石であり玉は稀だ。しかし玉を得るためには多くの石の中から選別せねばならない。石が大半を占めるからという理由で拒絶していれば玉を得ることはできない。
 残業代ゼロとも呼ばれている「高度プロフェッショナル制度」にせよ救急車の有料化にせよ、全国一律ではなくどこかで実験的に導入して結果を検証すべきだと私は考える。やってみて初めて分かることは少なくないのだから「経済特区」という制度も利用して特定の地域や職場で実験してみるべきではないだろうか。失敗を恐れないのではなく、恐れずに済む程度の失敗に留まるような仕組みを作った上で積極的に実験してみるべきだろう。

一病息災

2015-03-22 10:11:56 | Weblog
 泳いでいて水が軽く感じる時がある。水を掻く腕がいつもよりもスムーズに動いて調子が良いのかと思う。しかしこれは錯覚だ。水が軽く感じる時にタイムを測ってみると普段よりも悪い。腕の動きが遅いか水を掴めずに空回りしているから軽く感じるだけだ。逆に水を重く感じる時のほうが水をしっかり捕まえて早く泳いでいる。
 躁状態の人は何をやっても成功するように感じるそうだ。だから無茶な投資をしたり起業する人までいる。これは本人が良いと思い込んでいるだけなのだから、これらの多くは失敗に終わる。まともな精神状態でなければ正しい判断はできない。
 主観的には好調と思えても実は不調であることは少なくないし、不調と感じている時のほうが却って好調ということもある。無病息災ではなく一病息災が正しいと言う人がいる。軽度な持病に配慮することによって却って健康が維持されるという意味で使われるが、私はむしろ無病と思っていることが大きな誤解なのではないかと思う。実際には不充分な状態でありながらそれを感知できない状況こそ危険だ。判断する主体が狂っていれば間違った判断をする。狂人には自分が狂っているということが分からない。
 ある調査によると、結婚後半年以内に喧嘩をしなかった夫婦はその後、離婚する確率が高いそうだ。雨降って地固まるという訳ではなく、表面上平穏であることと実際に円満であることとは必ずしも一致しないということだろう。
 「良い子」も実は良くないことのようだ。通常、男の子には反抗期がある。たまにそれが全く現れずスクスクと素直に育ち親が安心していると突然おかしくなることがある。私の同級生にも一人いた。何の問題も無く高校を卒業してから普通に就職したが突然退職した。その後、トラブルメーカーとして周囲から煙たがれつつ急死した。後で人伝に知ったことだが、結婚した頃から急に生活が乱れたらしい。子供の内に麻疹に罹らずに大人になってから罹ると重篤化すると言われているが、反抗期を経なかった男性が遅れて不適応を起こすことは少なくない。反抗期は成長のために必要なプロセスであり、それを欠くことは必ずしも好ましいことではない。

打落水狗

2015-03-22 09:35:58 | Weblog
 最近、白鵬関に対するバッシングが目立つ。つい先日まで「平成の大横綱」と手放しで称賛していたのに、審判批判をきっかけにしてまるで堰を切ったかのように非難を浴びせ続けている。かつての朝青龍関へのバッシングを彷彿させる状況だ。
 マスコミの悪い癖だと思う。称賛があれば称賛を煽り非難があれば非難を煽る。少年による凶悪犯罪があればまるで少年法が凶悪犯罪を助長しているかのように書き立てる。世論を煽ることに夢中になるから問題の本質が忘れられる。
 マスコミは大衆に迎合する。戦前・戦中であれば好戦気分に迎合して煽り立て、戦後には厭戦気分に迎合した。迎合するために嘘まで利用したのが朝日新聞であり、その嘘が日本だけではなく世界にまで拡散した。朝日新聞はほぼ一貫して反権力のポーズを採っているが、正当な批判よりはむしろ反体制グループに迎合して嘘と詭弁を繰り返していた。誤報を認めるまでの言動は明らかに常軌を逸していた。
 心理学用語にハロー効果という言葉がある。ある人に優れた一面があると他の面でも優れているかのように錯覚することを言う。その一方で、悪い面があれば徹頭徹尾悪いかのように思い込む。まるで子供のように善・悪や敵・味方と単純化して仕分けしようとする。大衆はハロー効果による錯覚に陥り易いのだからそれをマスコミが是正すべきなのだが、日本のマスコミはそれをせず逆に便乗して煽り立てる。だから日本の世論は大ブレし易い。
 格差問題にせよ温暖化にせよ、あるいはかつてのダイオキシンや環境ホルモン問題にせよ、かなり疑わしい話が横行していても世論がそちらに傾いていればマスコミはそれを煽り立てる。民主党の圧勝も惨敗もマスコミが煽って作り出したものだ。
 マスコミの姿勢は常に「打落水狗(水に落ちた犬は打て)」だ。強きを助け弱きを挫くことを正義と信じているのだから全くタチが悪い。多数者が喜ぶことしか報じない太鼓持ちのような姿勢でありポピュリズムそのものだ。世論が偏っている時にこそそれを是正すべきであり、世論に乗じて水に落ちた犬を打つのではなく一考を促すべきなのではないだろうか。