人は自分に関係のあることに関心を持つ。自分が買った宝くじであればその当選番号は大切な情報であり、自分が住む地域以外の天気予報であれば殆んど関心を持てない。
医師についても同じことが起こり得る。胃腸の弱い人は消化器系に関心を持つだろうし、女性のほうが産婦人科に対する関心が高い。
では精神科医を選ぶのはどんな人だろうか。多分、人間関係で苦労している人が多かろう。自分自身に性格的欠点があるから精神科を選ぶ。ある精神科医は同業者の多くを「社会性や協調性に欠けるところがある」と酷評している。こんな人に精神科医が勤まるのだろうか?
勿論、若い頃に神経症的傾向がありそれを克服した医師なら信頼できる。しかし大半の精神科医はそれを克服しないままで医師になっているようだ。もしハゲ頭の医師が育毛に関する講習会を開いても誰もその言葉を信じない。人格に問題のある精神科医は信用できない。
医学は理系だ。理系の人の欠点は物事を単純化し過ぎることだ。単純な因果関係を好み、複雑で繊細なものを避けようとする。だから最小限の問診で結論を出してしまう。「やる気が起こらない」と言えば鬱病で「物忘れが多い」と言えば認知症だ。マニュアル通りに安易に病名を決めてあとは薬を処方するだけだ。その点、文系出身の臨床心理士のほうが患者の話をしっかり聞いて患者の主観世界を理解しようとする。
医師は一般に気位が高い。若い内から「先生、先生」と持ち上げられているせいだ。増してや相手が精神病患者であれば、愚痴や妄想に付き合ってなどいられないと考える。とりあえず薬を出してそれが効かなければ別の薬に切り替えれば済むことだ。
医学に対する過信もある。医学が有効であるのは感染症や栄養障害のような原因が解明された病気に対する原因療法だけだ。対症療法に治療効果は無い。症状を緩和している間に自然治癒力が働いて自力で快復するだけだ。対症療法薬は自然治癒力の妨害をすることさえある。
精神病の原因は殆んどが分かっていない。だから精神科医は対症療法に頼る。こんな診療だから精神科では医原病患者が増え続けている。軽度の神経症の患者が医師によって精神病者にされてしまう。多分少なからぬ精神科医は抗精神病薬の危険性を理解していない。暴れたり騒いだり徘徊したりする患者を大人しくさせることが治療だと思っている。薬によって鎮静させれば看護や介護をする人にとっては負担の軽減になるだろうが、患者本人は徐々に気力を失って廃人になる。治療という名の元で精神破壊が行われている。
医師についても同じことが起こり得る。胃腸の弱い人は消化器系に関心を持つだろうし、女性のほうが産婦人科に対する関心が高い。
では精神科医を選ぶのはどんな人だろうか。多分、人間関係で苦労している人が多かろう。自分自身に性格的欠点があるから精神科を選ぶ。ある精神科医は同業者の多くを「社会性や協調性に欠けるところがある」と酷評している。こんな人に精神科医が勤まるのだろうか?
勿論、若い頃に神経症的傾向がありそれを克服した医師なら信頼できる。しかし大半の精神科医はそれを克服しないままで医師になっているようだ。もしハゲ頭の医師が育毛に関する講習会を開いても誰もその言葉を信じない。人格に問題のある精神科医は信用できない。
医学は理系だ。理系の人の欠点は物事を単純化し過ぎることだ。単純な因果関係を好み、複雑で繊細なものを避けようとする。だから最小限の問診で結論を出してしまう。「やる気が起こらない」と言えば鬱病で「物忘れが多い」と言えば認知症だ。マニュアル通りに安易に病名を決めてあとは薬を処方するだけだ。その点、文系出身の臨床心理士のほうが患者の話をしっかり聞いて患者の主観世界を理解しようとする。
医師は一般に気位が高い。若い内から「先生、先生」と持ち上げられているせいだ。増してや相手が精神病患者であれば、愚痴や妄想に付き合ってなどいられないと考える。とりあえず薬を出してそれが効かなければ別の薬に切り替えれば済むことだ。
医学に対する過信もある。医学が有効であるのは感染症や栄養障害のような原因が解明された病気に対する原因療法だけだ。対症療法に治療効果は無い。症状を緩和している間に自然治癒力が働いて自力で快復するだけだ。対症療法薬は自然治癒力の妨害をすることさえある。
精神病の原因は殆んどが分かっていない。だから精神科医は対症療法に頼る。こんな診療だから精神科では医原病患者が増え続けている。軽度の神経症の患者が医師によって精神病者にされてしまう。多分少なからぬ精神科医は抗精神病薬の危険性を理解していない。暴れたり騒いだり徘徊したりする患者を大人しくさせることが治療だと思っている。薬によって鎮静させれば看護や介護をする人にとっては負担の軽減になるだろうが、患者本人は徐々に気力を失って廃人になる。治療という名の元で精神破壊が行われている。