俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

細菌

2009-10-27 16:15:28 | Weblog
 細菌は「悪党」ばかりではない。例えば大腸菌は消化活動を助けている。菌にとっては寄生体(人間)が健康で充分な栄養を補給してくれるほうが好ましい生存環境だ。増してや寄生体を殺してしまうような毒素を出すことなど自殺行為でしかない。
 Oー157のせいで大腸菌総てが悪いように誤解され勝ちだが、忌避されるべき物は「病原性大腸菌」であり、それは不自然に変異した淘汰されるべき菌だ。
 世の中には確かに「悪人」もいる。しかし悪人がいるからという理由で人類の絶滅を考えるならそれは狂人の妄想であろう。細菌退治もそれと同じようなものだ。
 多くの菌は動物や植物と共生している。乳酸菌やビフィズス菌のように「善玉」としか捉えられていない菌もある。大体、菌が存在しなければアルコールや醤油や味噌やチーズなどの発酵食品は作れない。
 消毒や抗生物質の乱用は悪い菌と同時に良い菌まで殲滅してしまう。非常時ならともかく、日常的に消毒や抗生物質を使うことは菌と人間との共生関係を破壊して人間を病弱化させかねない愚行だ。

駐輪場

2009-10-27 16:00:59 | Weblog
 大きな駅のそばには多くの不法駐輪自転車が放置されている。通行人にとっては迷惑な代物だが「駐輪禁止」と叫ぶだけでは問題は解決しない。「受益者負担」を原則にして解決を図る必要がある。
 通勤・通学者が自転車を使うことによって利益を得るのは誰だろうか。短絡的には「駅」と考えられ易い。自転車のおかげで駅の利用者が増えるという理屈だ。
 しかし駅(鉄道)側から考えるとそうならない。鉄道会社の多くはバスやタクシーの会社も経営しており、自転車の利便性を高めることは関連会社の収入を減らすことに繋がる。鉄道会社としては自転車からバスへの切り替えを促したいというのが本音だろう。従って鉄道会社は絶対に自転車を便利にはしたくない。それは利敵行為だ。
 そうなると受益者は利用者・メーカー・自転車販売店ということになるが、これらに駐輪場を負担させることは困難だろう。例えば新たに自転車税を設けてそれを財源にして駐輪場を運営することなどは簡単ではない。そんな有りもしないものに期待する訳には行かない。
 結局、自治体が負担するのが最も妥当だろう。財源については放置自転車の売却益を充てるなり、自転車税を新たに作るなり「あとで」検討すれば良い。いずれにせよ現在の不法状態を解消することが優先課題であり、責任を駅に押し付けて不法状態を放置するのは行政の怠慢でしかない。

アイムソーリー法

2009-10-27 15:44:22 | Weblog
 小学校の「道徳」の時間に「イギリスの紳士は積極的に謝る。足を踏まれたほうの人が謝ることさえあるくらいだ。これは社会をギスギスしたものにしないための知恵の現われだ。」と教わった。
 その後どこかで「アメリカ人は基本的には謝らない。訴訟社会のアメリカでは謝ったら非を認めたことになり裁判で不利になるからだ。」と教わった。
 同じアングロ・サクソン中心の国でも歴史が違えば国民性も変わるものだと思ったものだ。
 その後、実際にアメリカ人と会って、彼らは自己主張は強いが陽気で礼儀正しいと感じた。路上などで体が接触した場合彼らは自然に`sorry'と頻繁に口にする。平気で通り過ぎようとする日本人のほうが余程礼儀知らずだと思った。
 このギャップの原因は1986年にマサチューセッツ州で生まれた「アイムソーリー法」によって生じたようだ。この法律の主旨は「事故の時点での謝罪は裁判において不利な証拠にはならない」ということらしい。現在では同様の法律が全米の35の州で制定されているそうだ。
 社会に潤いを与えるこんな法律なら大歓迎だ。日本でも市民を支配するためや党利党略のための法律ではなく、こんな市民目線の法律の制定が望まれる。残念ながら日本には「市民のための法律」は余り見当たらない。敢えて挙げるなら「ストーカー規制法」がその数少ない例外だろう。

咀嚼

2009-10-20 19:10:43 | Weblog
 人間の頭の重さは体重の約13%だそうだ。こんな重い物を体の一番上に乗っけていれば重くて仕方が無い筈だが、通常は頭の重さを感じない。むち打ち症などになって初めて頭の重さを実感する。
 異常な状態になって初めて正常な感覚を獲得できるとは真に奇妙な話だ。
 税の重さを多くの人は痛感しない。税制改悪の時点で初めて抗議する。現状維持なら受け入れて、現状よりも悪くなるような状況になって初めて税制に不満を持つのは、人間が恒常的なことに対しては負担を感じないからだろう。
 そんな性質だから食事で一口当たり20~30回咀嚼しても疲れない。しかしこれは実に不思議なことだ。指先を小刻みに30回触れ合わせるだけでも結構疲れる。咀嚼は単に顎を早く動かすだけではなくかなりの力も要する。こんな負担の大きな行為を食事ごとにやっていればトータルの運動量は決して少なくない筈だ。
 私は王将の餃子を2口で食べる。1口ごとに30回以上噛むから1人前(6個)食べるためには約400回咀嚼していることになる。
 咀嚼回数の多い人は肥満者が少ないそうだ。その理由としてゆっくり食べることが食べ過ぎを防いでいると言われているが、それ以外にもこんな事情もあるのではないだろうか。咀嚼は本人が感じている以上にエネルギーを使っており、それがダイエット効果に繋がっているのではないだろうか。

二者択一

2009-10-20 18:58:12 | Weblog
 「AかBか」と二者択一を迫るのはズルイやり方だ。
 論理的には①「AもBも」という「止揚」②どちらも選ばない、つまり「AでもBでもなくC」という第三の選択肢や③判断保留という方法が可能だ。
 抽象論では分かりにくいので具体例を挙げよう。昼食をラーメンにするかカレーにするか迷ったとしよう。
 ①による解決はカレーとラーメンの両方を食べるかカレーラーメンを選ぶということだ。
 ②による解決はカレーもラーメンも選ばず全く別のメニューを選ぶということだ。
 ③による解決はとりあえず2店の前まで行って込み具合などを見てから決めるということだ。
 余りにも卑近過ぎる例を出し過ぎたかも知れない。しかし論理は単純で普遍的なものだ。そのことを明確にするためには卑近な例のほうが良かろう。
 二者択一を迫られた場合は、本当にその2つのどちらかしか選べないのかどうかを吟味する必要がある。二者択一というマヤカシの状況を作れば論理的には分かり易くなる。しかし「分かり易い」ということと「正しい」ということは必ずしも一致しない。分かり易さは安直への道でもある。

老化

2009-10-20 18:41:58 | Weblog
 歳をとると老化と総称される様々な障害が現れる。これは機械の部品の磨耗や金属疲労による劣化とは違って細胞の複製ミスによるものだろう。
 コピーした紙を次々とコピーするとだんだん不鮮明になる。そうならないように多くの人はオリジナルを「原紙」として保管して原紙からコピーを取る。こうすることによってコピーにコピーを重ねることによる劣化を防ぐ。
 生物の体には原紙が無い。DNAそのものが再生されるからどんどん最初とは違った細胞になってしまう。これが老化のメカニズムだろう。
 これは伝言ゲームにも似ている。伝わっているうちに少しずつ違ったものになり最後には似ても似つかぬ文章になってしまう。細胞のコピーミスの最たるものは癌細胞だろう。
 ところで遺伝子も親子で受け継がれるものだ。もし単純に遺伝子の再生産を繰り返せばどんどん劣化することになる。これを防ぐ仕組みが有性生殖と適者生存だろう。
 個々の個体は劣化するだけではなく様々な変異を持つ。変異は本来はコピーミスだが望ましい変異を持つ個体が子孫を残すことによって種族としての劣化を防ぎ、進化も促す。本来、欠陥となる筈のコピーミスが選択を通じて進化へと繋がる。
 生物は種族全体としては適者生存によって劣化を防いでいるが、個体には優れた細胞を選択できるような仕組みが無いので劣化(老化)は免れ得ない。これは個体の宿命だろう。

死に至る病

2009-10-12 14:15:44 | Weblog
 不眠症は死に至り得る恐ろしい病気だった。
 今年の国内外での衝撃的な死は、国外ではマイケル・ジャクソン、国内では中川元財務・金融相の急死だろう。しかも2人とも死の発端が不眠症だったということには驚かざるを得ない。
 不眠症は甘く見られ勝ちだ。一日や二日眠れなくても大したことではないと見られ易い。本当に寝不足になれば誰でもそのうちに眠れると決めつけられる。
 基本的な欲求を充たしたいのに充たせないということは大きな不満を招く。食べたいのに食べられない、性行為をしたいのにできない、排泄をしたいのに出ない、これらは大きな苦痛だ。
 睡眠の場合、事態はもっと深刻だ。
 肉体の疲労は休養することで回復する。しかし脳だけは眠らない限り働き続けて過労に陥る。過労となった脳は正常に働くことができなくなる。つまり人格の変化や知力の低下、つまり自我の崩壊を招く。
 脳のこの特殊性を身を以って知っている人は睡眠を重視する。重視するからこそ眠れないことに大きな苦痛を感じる。
 眠ろうとして眠れず悶々としている時、疲労した脳はこんな妄想をももたらす。「世界には誰もいない。暗闇の中にお前の意識が浮遊しているだけだ。」こんな妄想のために自殺した人もいるのではないだろうか。
 かつて鬱病は怠け病とも言われた。体には何の異常も無いのに何もしようとしないからだ。近年ようやく日本でも鬱病が病気と認められるようになった。不眠症(睡眠障害)が死に至り得る恐ろしい病気であると認められるのはいつのことだろうか。

天職と転職

2009-10-12 14:05:14 | Weblog
 天職(calling)があると吹聴するのは誰だろうか。多分、転職(就職・離職)斡旋業者だろう。
 転職斡旋業者にとっては同じ人が何度も転職を繰り返してくれる状況が望ましい。それだけビジネスチャンスが拡大するからだ。
 そんな事情から「仕事を通じて自己実現ができる」という幻想を彼らはばら撒く。仕事で自己実現ができないのはそれが天職ではないからだと思い込んだ人は転職を繰り返してどんどん条件の悪い仕事へと落ちて行く。
 仕事が自己実現に繋がるのは特殊な才能と運に恵まれたごく少数の人だけだろう。芸術家や学者やプロスポーツ選手や政治家に誰もがなれる訳ではない。殆どの人はつまらない仕事に耐えねばならない。
 「仕事を通じて自己実現をしよう」というスローガンは転職斡旋業者がばら撒く幻想にすぎない。彼らに騙されて転職を繰り返した人は気の毒だ。まるでタチの悪い詐欺師に騙されたようなものだ。

一元論

2009-10-12 13:50:32 | Weblog
 誰もが金持ちになることを目標にするなら金を儲けた人が偉いということになる。しかしそんな拝金主義者は決して多くなかろう。
 金は無いよりは有るほうが良い。しかし金儲けのために総てを犠牲にすることは馬鹿げている。それも1つの選択肢だろうが私はそんな生き方を選びたくない。生活に困らない程度の金があり自由時間を楽しめるほうが心豊かに生活できるだろう。
 皆が金儲けを目標にすれば、儲かる仕事を奪い合う椅子取りゲームになってしまう。椅子取りに参加しない人や見物する人がいても一向に構わない筈だ。人によって違った目標を掲げたほうが社会もうまく回ることは動物の世界を見ればよく分かる。
 もし総ての動物が同じ植物を餌にしていたらどうなるだろうか。餌の奪い合いが起こるし、その植物が減れば動物は全滅してしまう。実際にはこんな馬鹿なことは起こらない。食物としては様々な物が選択され、棲む場所でさえ陸・空・海水・淡水・地中と様々な世界が選ばれる。だから多様で豊かに動物が共存できる。
 一元論と違って多元論は様々な価値を認める。隠居生活やマイホーム主義や晴耕雨読などの多様な生き方が選択肢となり得る。
 勝ち組・負け組といった分類は一元論的な見方だ。それぞれが自分の独自の目標を持つなら、それだけ多くの人が人生の成功者となり得る。

台風一過

2009-10-06 15:40:47 | Weblog
 「台風一過」という言葉があるように日本では台風はすぐに通り過ぎる。これは日本の上空に偏西風があるためで上陸した台風はすぐに東へと流される。
 このことは日本人の国民性にも大きな影響を及ぼしており、困ったことが起こってもそれに真っ向から立ち向かうのではなく、じっと我慢していればその困難は勝手に立ち去ってくれると考え勝ちだ。
 問題を解決するよりも耐え忍ぶことを生活の知恵とするので「人の噂も75日」とか「石の上にも3年」といった諺が妙に説得力を持つ。
 一方、沖縄や外国では「台風一過」とはならない。沖縄では台風が1週間居座ったことがあるし、今年続けてフィリピンを襲った台風16号と17号はどちらも何日も居座ったために被害が大きくなった。たまたま私はセブ島を旅行中だったが、滞在期間中毎日雨でウンザリした。
 台風ほどの巨大なエネルギーは今の文明ではどうしようも無いが、社会問題に対しては耐え忍ぶよりも対決するべきだろう。