夏目漱石は多くの新語を作ったがその1つとして「高等遊民」という言葉がある。これは充分な教養と能力を持ちながら敢えて何ら社会に対して働き掛けず悠々自適の生活を送る人だ。私は子供の頃からこれに憧れていた。教養人の理想の生き方だと思っていた。
退職して、私も晴れて高等遊民に仲間入りできたのだが、ずっと高等遊民を貫いている友人のことが気掛かりだ。彼は大学を卒業後、一時期はフリーターをしていたが、遺産を相続してからは働かずに、毎日、図書館とテレビに時間を費やしている。新聞・雑誌情報が豊富なので書籍情報に偏り勝ちな私とは相互補完関係にあり、長期に亘って実りあるコミュニケーション活動を続けていた。ところが最近になって急激に反論を許さないようになり始めた。反論を非難や否定と同一視するようになってしまった。喧嘩をしてもつまらないので聞き役に徹しているが、かつてのような自由な議論を楽しめなくなって寂しい。
なぜ最も自由な立場の筈の高等遊民が偏狭になるのだろうか。自分の世界に籠るからだろう。高等遊民はニートと似たところがある。ネット中毒のニートと同じような精神構造にもなりかねない。私としては彼を反面教師にして身を正したい。謙虚さを失えば高等遊民ではなく偏屈な頑固爺になってしまう恐れがある。
退職して、私も晴れて高等遊民に仲間入りできたのだが、ずっと高等遊民を貫いている友人のことが気掛かりだ。彼は大学を卒業後、一時期はフリーターをしていたが、遺産を相続してからは働かずに、毎日、図書館とテレビに時間を費やしている。新聞・雑誌情報が豊富なので書籍情報に偏り勝ちな私とは相互補完関係にあり、長期に亘って実りあるコミュニケーション活動を続けていた。ところが最近になって急激に反論を許さないようになり始めた。反論を非難や否定と同一視するようになってしまった。喧嘩をしてもつまらないので聞き役に徹しているが、かつてのような自由な議論を楽しめなくなって寂しい。
なぜ最も自由な立場の筈の高等遊民が偏狭になるのだろうか。自分の世界に籠るからだろう。高等遊民はニートと似たところがある。ネット中毒のニートと同じような精神構造にもなりかねない。私としては彼を反面教師にして身を正したい。謙虚さを失えば高等遊民ではなく偏屈な頑固爺になってしまう恐れがある。