俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

権利意識

2012-04-27 15:23:55 | Weblog
 権利意識の強い人がいる。快適な生活をする権利があると考えるから電力不足になっても節電しようとはせずエアコンをフル稼働させる。節電に協力する義務があるとは考えない。義務を負うのは他者であって自分ではない。勿論、電力料金の値上げも認めない。値上げされたら経済的自由が損なわれるからだ。
 こんな人に限って原発の再稼働にも強硬に反対する。電力が必要なら妥協すべきだと思うのだがそうではない。安心感が脅かされることを決して許さない。安心感は大切な権利でありそれを脅かすものは何であろうとも許さない。当然、東北地方の瓦礫を受け入れるなどとんでもない話だ。放射線量が0.01マイクロシーベルト増えることでさえ健康に対する重大な侵害だと考える。
 些かカリカチュア風に描いたが、こんな人が実際にいる。そして更に困ったことにはそれを支持する仲間までいる。権利意識が異様に肥大しているとも言えるが、ただの利己主義者と考えて差し支え無かろう。権利主義を装っているが実際には自分の利益しか考えていない。ただの我儘だ。
 過渡期においては原発の危険性を一部容認した快適な生活か原発を否定した些か不便な生活かのどちらかを選ばざるを得ない。それ以外の選択肢はあり得ない。

地熱発電

2012-04-27 15:09:20 | Weblog
 持続可能エネルギーの中で最も有望なのは地熱発電だと私は考えている。日本の活火山の数はインドネシアとアメリカに次いで3番目であり、地表面積の僅か0.1%に過ぎない日本列島には世界の火山の13%以上が集まっている。日本列島は火山島と言えよう。危険な火山だがエネルギーとして利用できれば貴重な資源となる。
 但し以前から2つの問題点が指摘されていた。温泉の枯渇と地盤沈下だ。実際にニュージーランドやイタリアでは温泉が涸れ、アメリカや中国などでは地下水利用による地盤沈下が起こっている。日本の地熱発電ではこれらを避けるために熱だけを利用して、水は地下に戻している。こうすることで問題を回避できると思われていた。
 ところが思わぬ事態が発生した。アメリカではシェールガスの採掘が原因と思われる地震が頻発しているそうだ。26日付けの朝日新聞朝刊によると「採掘で出てくる大量の廃水を深井戸から高圧で地下に戻しているため、これが地震を誘発している」らしく「地下に戻された水が、断層の隙間に入り込んで滑りやすくなり、地震が起きやすくなったと考えられる」とのことだ。地熱発電でも同じことが起こり得る。
 地震の危険性から逃れるための脱原発策が地震の原因となるようでは話にならない。エネルギー政策とは一筋縄では行かないものだとつくづく思う。

チンパンジー

2012-04-27 14:51:33 | Weblog
 ゴリラのハーレム制は割とよく知られている。体が大きくて力も強いオスが多数のメスを囲い込む。こうすることによってゴリラという種は大きく強くなるという方向に進化した。これは進化論の種族内淘汰を説明するためには便利な実例だ。
 チンパンジーは乱婚制だ。発情期を迎えたメスは多数のオスと交尾する。そのために誰が父親なのか全く分らなくなる。人類はこの乱婚制を軽蔑する。西洋文明圏が支持する一夫一妻制とは余りにも懸け離れているからだ。しかし人類に最も近い動物が採用しているこのシステムはもっと評価されて然るべきだろう。
 どこが素晴らしいのか?子供が群の子として育てられるからだ。母親は特定できるが、父親が誰かは分らない。誰の子か分からなければ父無し子とされるのが人間社会だが、チンパンジーの社会では群の子として育てられる。母親と一度でも交尾したオスは勿論のこと、全く交尾できなかったオスまでもが父親として子供の面倒を見る。
 日本ではシングルマザーの生活は苦しい。大半が生活保護が必要なレベルの収入しか得られない。大阪の風俗嬢が2人の子供を餓死させて有罪判決を受けたが、チンパンジーの社会ではこんなことは起こらない。総てのオスが子供の面倒を見るからだ。子ども手当や児童手当などとは全然レベルが違う究極の児童福祉社会と言えよう。妻が夫の所有物でないように子供は親の所有物ではない。子育ての仕組みに関しては人類の社会はチンパンジーの社会よりも劣っている。

ドライブ

2012-04-24 15:25:18 | Weblog
 ドライブほど有害な趣味は無いだろう。娯楽のために貴重な資源を浪費し、有害な排気ガスをばら撒いて、時には他人に危害を加えることさえある。こんな趣味は毒ガス作りや爆弾作りのようなものであり、犯罪行為にも等しい。
 自動車の有用性を否定する気はない。移動手段としてあるいは運搬のためには欠かせない文明の利器だ。しかし遊び道具として使われればテレビゲームよりも迷惑な機械だ。有用な道具であろうとも遊び道具として使われれば途端に有害物になる。鬱病の治療薬がハッピードラッグとして使われたりライターが子供の火遊びに使われたりすれば本来の有用性を失って危険物になる。
 昨日、またしても京都で悲惨な事故が起こった。無免許の18歳の少年が徹夜のドライブの挙句、居眠り運転をして10人を死傷させた。飲酒と薬物は無かったようだが最悪レベルの事件だ。
 被害者の中には妊娠7か月の女性がいた。胎児と共に亡くなったがこの場合、胎児は被害者にカウントされるのだろうか。出生届が出されていないから法的には人権は無いだろうが、確実に生まれる筈の命が奪われたのだから犠牲者と見なして然るべきだろう。

血液型(3)

2012-04-24 15:09:39 | Weblog
 血液型による性格分類は学問の世界ではタブーとされているようだ。たった4種類しか無い血液型で人を4種類に分類するのは不合理だとも言う。それではなぜ血液型の本が売れるのだろうか。日本人が阿呆だからだろうか。私は、血液型と性格には相関性があると考えている。
 血液型と病気の相関性は医学的に証明されている。A型は大半の感染症に弱い。病原体の多くがA型に擬態しているからだ。A型に擬態した病原体に対してA型の人は免疫がうまく機能しない。免疫体がそれを異物と捉えないから充分な攻撃が行われず病原体が容易に増殖する。
 勿論、総ての病原体がA型に擬態している訳ではない。ペストやコレラはO型に擬態しているらしく、そのためにO型の人が多く発病してパンデミックを招く。
 多くの病原体がA型に擬態しているからA型の人はある性質を持っていなければ感染症に罹り易い。それは「清潔好き」ということだ。不潔なことを嫌わないA型の人がいれば容易に淘汰されてしまうからA型と清潔好きという性質はセットになり易い。逆に最も病原体に強いO型の人は大胆な生き方をしても病原体によって淘汰されにくい。
 血液型そのものが性格を決める訳ではない。血液型には病原体との相性があり、病原体への耐性の違いが基本的な性格を方向付ける。

マナー

2012-04-24 14:53:08 | Weblog
 マナーによる秩序はルールによる秩序よりも心地良い。人間は強制されるのが嫌いな動物だから自主的に規制することによって主体性が保たれるからだ。テレビを見ていて、そろそろ宿題をしようかなと思っていた中学生が「テレビばかり見ていないで勉強しなさい」と言われたら途端にやる気が無くなるようなものだ。
 ルールは外からの強制だ。一方、マナーは内からの規制だ。内からの規制だから守ることが望ましいが守らなくても罰されることはない。ルールは守らなければ罰される。
 マナーによる秩序のほうが快適だから日本人はルールまでマナーのように扱う。典型例が道路交通法で、しばしば「交通ルールを守りましょう」というスローガンが掲げられる。しかしこれは誤りだ。マナーなら「守りましょう」で良いがルールは「守りなさい(そうしないと罰する)」が正しい。歩道の自転車も本来はルールの問題なのにマナーのように扱うから一向に改善されない。
 同じようなことが納税においても起こっている。大半の法人が法人税だけではなく徴収した消費税まで免れて、一部の企業だけが負担を強いられている。こんなことをしているから税収が足りなくなる。
 マナーによる秩序とは行儀の良い人だけに負担を押し付ける不公平な仕組みだ。本来、態度を改めるべき行儀の悪い人こそ咎められっるべきだろう。ルールを守る・守らせる社会はまるで人情味を欠いた社会のように誤解され勝ちだが法治国家こそ近代国家だろう。ルールとマナーは峻別されねばならない。

風邪

2012-04-20 15:12:56 | Weblog
 久し振りに風邪をひいた。2年振りか3年振りだろう。1週間近くの間、体と脳の働きが低下していた。
 今回の風邪には次のように対処した。①薬は飲まない②睡眠時間を増やす③食事量を増やす④運動量を減らす。風邪が治った時点で体重が減っていることに少なからず驚いた。増えて当然と思っていたからだ。動かず食べて寝る、これは間違いなく体重を増やす要因なのに逆の結果となった。なぜ?
 摂取に注目するなら、消化吸収力が落ちたのだろう。食べる量を増やしても吸収できなければ体重は増えない。消費に注目すれば、通常の生体維持活動以外に病からの回復に少なからずエネルギーが使われたのだろう。
 薬品を使ったダイエット法も同じような仕組みと思われる。有害物で体に負荷を掛けて同時に消化吸収力を衰えさせれば、意識的な努力は必要無いから、無理せずに痩せられたと思い込む。しかし実は内臓に無理をさせている。内臓に対する負荷が大きいほどダイエット効果も大きい。これは毒物ダイエット法とも呼ぶべき危険なやり方だろう。

尖閣諸島

2012-04-20 14:58:08 | Weblog
 石原知事は東京都が尖閣諸島を購入することを発表した。国が動かないから都が動いたということだろう。これを中国に対する挑発と取る人もいるがこれは必要なことだ。なぜなら尖閣諸島の帰属はかなり曖昧だからだ。曖昧だからこそ中国が主権を主張する。これは決して戯言ではない。
 戦前までは確実に日本の領土だった。しかし昭和20年に日本が受諾した「ポツダム宣言」では「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに吾等(註:連合軍)の決定する諸小島に局限」とされ、その後の26年の「サンフランシスコ平和条約」でも47年の沖縄返還でも尖閣諸島については触れられていない。触れていないからどちらとも解釈できる。曖昧なままにしないためには強く主張をせねばならない。
 地続きのヨーロッパと違って海が国境になっている日本では領土意識が乏しい。例えば対馬の少なくない土地が韓国人によって買収され、本土の幾つかの水源地が中国系企業に買収されていることにどれだけの人が危惧の念を抱いているだろうか。水源地を抑えられたら中国系企業から水を買わねばならないということにもなりかねない。
 拠点地を民間人が所有することは危険を伴う。尖閣諸島などは公有することが望ましい。都が言い出したから初めて国も石垣市も重い腰を上げた。石原知事は貴重な一石を投じたと思う。

できること

2012-04-20 14:45:27 | Weblog
 できることのために全力を尽くすべきであり、できないことのために力を無駄遣いすべきではない。できないことは沢山ある。不老不死、天国へ行くこと、錬金術、絶対に壊れない施設を作ることetc.etc.。これらをできることと信じての努力は徒労に終わる。
 できないことではなく、できることを目指さねばならない。健康であること、正しく生きること、優れた化合物を合成すること、耐震性の高い施設を作ること、これらを達成することなら可能だ。不可能な目標ではなく可能な目標を持つこと、そのためには不可能と可能を識別することが必要だ。高い理想は好ましいが、不可能な理想は無価値であるだけではなく有害でさえある。
 あらゆる施設は小さな地震に耐えられねばならないが、最大級の地震や津波に耐えられる技術は無い。従って原発や超高層ビルのような破壊されたら困るような代物は作るべきではない。総ての施設は壊れることを前提として作られねばならない。自然を超克しようなどと傲慢なことは考えず、柳のように受け流すことや、破壊されたら復興すれば良いというぐらいのいい加減さも必要なことだろう。不可能なことを可能にしようとするから多くの神話が必要になり、いずれはその神話の嘘が暴かれる。

足の数

2012-04-17 15:28:44 | Weblog
 動物の足の数の平均値は6.1本ぐらいだろうか。
 蛇は0本、鳥は2本、犬は4本、蟻は6本、蜘蛛は8本、烏賊は10本、百足は100本として単純平均すれば18.6本だ。この計算は平均値の矛盾を象徴する。極端に大きな数値があれば平均値はそちらに大きくスライドする。一方で、小さな数値はゼロまでしか無い。
 また平均値が正常値でないことも明らかだ。ここで算出した18.6本足の動物など存在しない。百足を除く平均値は5.0本だが、勿論、5本足の動物もいない。平均値は正常値を意味しない。あえて正常値を求めるなら4本と6本であり、0本・2本・8本・10本・100本は特殊値(≠異常値)と言えよう。
 血圧なども同様に考えるべきだろう。血圧は個々および年齢別に正常値が定められるべきであり、薬品を使って無理やり平均値に近づけることは多くの場合、有害だ。
 身長ならもっと明らかだ。平均が良いとは誰も考えないし、脊の高い人も低い人も異常者ではない。ただの個体差だ。ホルモン異状のある人のみが異常者だ。