俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

漫画

2010-08-31 15:11:48 | Weblog
 日本が世界に誇り得るサブカルチャーである漫画が、出版不況の影響もありピンチを迎えているようだ。
 漫画雑誌の代表は、平成7年に635万部を発行して多分雑誌の世界史上最多発行部数を記録した少年ジャンプだろう。その少年ジャンプがこの頃少し変だ。
 ジャンプはその後徐々に発行部数を減らし一時は少年マガジンに抜かれた。マガジンもその後部数を減らしたために今ではジャンプがトップに戻っている。しかし発行部数はピーク時と比べれば大幅に減らしている。
 月間ジャンプという雑誌があった。コンスタントに100万部程を発行していたのに「スクエア」に衣替えして40万部程までに激減した。
 月間ジャンプの失敗に懲りず、ジャンプ編集部は月刊誌と増刊号をこの夏に相次いで見直そうとしている。それなりに発行部数のある月間ヤングジャンプ、ビジネスジャンプ魂、スーパージャンプOhの3誌がこの夏で廃刊になり秋以降にリニューアルされるという。集英社は何を焦っているのだろう。悪化させるリニューアルは改革ではない。ただの改悪だ。
 また後発誌でありながらそれなりにファンを掴んでいた新潮社の週間コミックバンチは8月末で廃刊となり、来年1月から月刊誌として再スタートする。
 ところで漫画家の平均寿命は何と57歳だそうだ。漫画家は個人事業なので労働条件を改善することは困難だが、世界に誇るサブカルチャーが作家の命と才能を削って成立しているようでは困ったものだ。

多数者

2010-08-31 14:57:45 | Weblog
 正規分布曲線を見れば明らかなとおり、中位の者が一番多い。従って多数決をすれば凡庸な意見が必ず可決される。多数決を是とする民主主義とは凡庸な者に権力を与えるシステムだ。
 凡庸な意見のどこが悪いのか。①空気に流される②未来を見ない③責任を取らない、からだ。
 ①空気に流される
 時代ごとに空気がある。日清戦争と日露戦争に勝って好戦的になったのは軍人や政治家だけではなく、大衆だ。日中戦争や日米戦争は決して軍国主義者だけが暴走したのではなく、庶民と大衆に迎合するマスコミが煽ったものだ。庶民こそ戦争反対者を「非国民」と罵った張本人だ。
 ②未来を見ない
 凡庸な者にとって重要なのは現在だけだ。過去の景気や未来の景気などどうでも良い。必要なのは今の好況だ。今の好況のためなら未来などどうでも良い。予算が足りなければ国債を増やすという愚行でさえ許される。
 ③責任を取らない
 合議制で運営するとどんどん極端化すると言われている。良い時には行け行けどんどんで、悪い時には極端に消極的になる。失敗しても「みんなで決めたこと」だから誰も責任は問われない。だから益々無責任になる。
 多数決が危険であることを知っているからどんな組織にもリーダーが据えられる。

抗鬱剤

2010-08-31 14:41:40 | Weblog
 最近、精神医療ではある薬の使用が増えているそうだ。その名をSSRIという。この薬は当初、抗鬱剤として使われていたがその後、他の精神病にも効果があることが分かり精神医療における万能薬となりつつあるそうだ。
 私は薬は毒であり対症療法は最悪の治療法と考えているのでこの流行には大いに危惧を抱く。現在では危険薬物とされている阿片、モルヒネ、ヘロインなどはかつては万能薬とされた。これらの薬物は苦痛を軽減する。ヘロインは結核患者の咳をも鎮めたそうだが、治療効果は全く無く、徒に薬物依存症患者を作ってしまった。
 鬱病は何らかのショックがきっかけになることが多い。ショックで精神エネルギーが衰弱した人に短期的に薬物を投与することは有効だろう。これはカンフル剤のようなものだ。しかしそれを継続的に使用すれば危険だ。アルコール漬け療法以下のものだろう。
 鬱病を治療するためには原因を治療することが必要だ。不愉快な事実を受け入れて自己を変革することが本道だろう。事実を事実として認めないことには前へ進めない。
 多くの生活習慣病の治療も同じ間違いを犯しているように思える。薬で検査数値を下げても治療にはならない。毒物でもある薬の投与をやめて、スポーツと食事療法だけに頼ったほうがずっと効果があるのではないだろうか。

生兵法

2010-08-27 15:13:20 | Weblog
 鳩山前首相がアメリカからloopyと馬鹿にされ始めたのはtrust meと言ったからではないかとふと思った。
 trustは英和辞典では「信用する、信頼する」とされている。信頼とは「信じて頼ること」だ。つまり上位者が下位者に対して使う言葉ではないのだろうか。英文学者が全く指摘していないので、もしかしたら間違っているかも知れないが、アメリカ人のオバマ大統領が鳩山前首相の思いとは全然違ったニュアンスで捕らえた可能性は充分にある。
 翻訳はプロの通訳でもしばしば失敗する。「不沈空母」や「ウサギ小屋」などは明らかに誤訳だったが気付かれないままに定着してしまった。
 日本人が下手な英語で恥をかくのは当たり前のことだが、英米間でさえ誤解が起こることがある。
 「転石は苔むさず」と訳されている`A rollong stone gathers no moss'はイギリスでは「フラフラするな」という意味だがアメリカでは「絶えず変革せよ」の意味で使われている。
 「君が代は(中略)苔のむすまで」という歌詞の国歌を持つ日本人はイギリス人と同様、苔を肯定的に捕らえる。しかし歴史と伝統を欠くアメリカ人にとって苔とは黴や垢のような汚れでしかない。そのため同じ英語文化圏にありながら諺が全く逆の意味になってしまった。
 英語力を誇りたい人は通訳に頼ろうとしないがこれは実は危険なことだ。言葉は生き物であってニュアンスは常に変化する。日本語でも「ヤバイ」とか「フツー」などのニュアンスは5年前とは大きく変わっている。現地にいない限りこの変化には気付かない。



適応者

2010-08-27 15:00:59 | Weblog
 社会適応者とは実は歪んだ人間でしかないのかも知れない。
 例えば北朝鮮に住んでいて飢えと寒さに苦しみ、家族が続々病死していても「将軍様のお陰で幸福な人生だ」と感じる人は北朝鮮社会への過剰適応者であり気の毒な人としか言いようが無い。
 もし家畜に意識があれば「我々は幸せだ。重労働から解放され、肉食獣や伝染病に脅えることも無く、毎日旨い物をたらふく食べている」と思っているかも知れない。しかし彼らを待っているのは場だ。
 「社畜」であることに生きがいを感じる人は少なくない。しかし社畜は奴隷以下だ。
 イソップが生きた時代のアテネには3万人の市民と40万人の奴隷がいたと言われている。この圧倒的多数を占める奴隷の仕事とは、単に肉体労働だけではなく、公務員や教師や事業経営者までいたそうだ。
 要するに有償の仕事とは総て奴隷の仕事だった。当時の市民は、現代の欧米の資本家の如く、奴隷から搾取し奴隷を売買し、本人はソクラテスのように毎日ぶらぶらと遊んでいた。
 社会適応者とは奴隷の身分に安住する者に過ぎない。

加工貿易

2010-08-27 14:44:48 | Weblog
 資源の乏しい日本の得意技は加工貿易だ。原料を輸入してそれを加工した製品を輸出して外貨を稼いでいる。
 日本では鉄鉱石もレアメタルも殆ど産出されない。これらを輸入して、技術力を生かして付加価値を付けた自動車や家電などを輸出している。
 日清食品の安東百福氏が発明したインスタントラーメンの場合、日本オリジナルの大発明なのだから、得意の加工貿易によって大いに外貨を稼げる筈なのだが、そうではない。世界で年間900億食の大市場がありながら日本の生産量は僅か50億食でしかない。なぜか?
 小麦を輸入するためには250%の関税を負担するか、農水省の食料貿易課経由で購入するかしか無い。タテマエ上は小麦農家の保護だが、実態は農水省の利権維持だ。
 8月24日付けの「デフレ(2)」でも触れたが、日本の小麦の価格は世界一高いから小麦の加工貿易は不可能だ。日本でインスタントラーメンを作れば高過ぎて現地の食品と競争できない。そのために国外で生産せざるを得ない。
 いっそのこと自給率10%で品質も悪い小麦など生産禁止にすべきだと思う。国産の小麦さえ無ければ農家を保護する必要も無くなり関税を下げられる。関税さえ下がれば加工貿易が可能になり、国内に工場ができて雇用も生まれ外貨も獲得できる。勿論、国内で消費する小麦も小麦加工品も大幅に値下がりする。
 農水省とは省益のために国民を犠牲にする国賊ではないだろうか。

百貨店

2010-08-24 15:28:24 | Weblog
 私は百貨店共通券の愛好者だが、百貨店のヘビーユーザーという訳ではない。私が百貨店で買うのは書籍と第3のビールと煙草だけだ。
 百貨店は時代に取り残された業態だ。駅に近いという至便性以外に何の魅力も無い。
 スーパーマーケットが現れるまで、百貨店は定価で、一般の小売店は定価+αの価格で販売していた。つまり百貨店は相対的に周囲よりも安く販売していた。当時の三越のスローガンは何と「良い品を安く」だった。その後ダイエーが「良い品をどんどん安く」をスローガンにしたから三越のスローガンは消えた。
 セルフサービスを導入して低価格での販売を可能にしたスーパーも当初は怪しげな業態だった。「スーと現れてパーと消える」と陰口を叩かれた。つまり所詮は「安かろう悪かろう」の業態に過ぎなかった。
 今のスーパーの商品は決して粗悪品ではない。イトーヨーカ堂のウナギのような失敗も時にはあるが、百貨店と同じまたは同等の商品を百貨店より安く売っている。
 そのスーパーでさえ苦戦しているのだから百貨店は絶望的だ。わざわざ割高な百貨店で買おうとする物好きな人が減るのは当たり前のことだ。
 書籍なら日本中同じ価格だ。株主優待券に商品券を組み合わせれば、書店で図書カードを使って買うよりも安く買える。
 ターミナルで喉が渇いたら百貨店の酒売り場へ行く。商品券を使えば駅構内の売店やコンビニよりも割安になるからだ。
 煙草も定価販売品だ。安く買った商品券を使えば実質的に値引き販売になる。
 私にとって百貨店とは定価でしか売られていない商品を安く買う場所でしかない。

消毒

2010-08-24 15:13:20 | Weblog
 2008年2月20日付けの「薬のリスク」で「薬は毒だ」と書いたがその時点では消毒薬まで毒だとまでは考えていなかった。傷口を消毒しなければ化膿したり、酷ければ破傷風にもなりかねないと思っていたからだ。
 昨年「傷はぜったい消毒するな」(夏井睦氏、光文社新書)という興味深い本に巡り会ったが、余りにも現在の医療常識とは懸け離れた内容だったので到底鵜呑みにはできなかった。その後、様々な医療関係の本を読み、再度この本を読み直して納得した。消毒薬も毒だ。
 消毒薬は蛋白質を破壊する。つまり悪い菌と同時に、皮膚そのものと皮膚常在菌を破壊してしまう。浸みると感じるのは皮膚が破壊される痛みだ。
 皮膚常在菌とは言わば善玉菌だ。皮膚上で増殖するが宿主には全く害を与えずに悪玉菌を排除する、人間と共生関係にある菌だ。消毒は敵味方を区別せずに無差別に破壊する行為に当たる。メリットとデメリットを比べれば圧倒的にデメリットのほうが多い。まるで東京に現れたたった1匹の虎を退治するために核兵器を使うようなものだ。
 最近ようやく「エヴィデンス(証拠)に基づく医療」が注目されるようになった。これまでは権威に基づく医療だった。自然科学と違って医療では実験は許されない。実験の代わりに厳密な統計に基づいて見直されれば医療はオカルトから科学へと進歩するだろう。

デフレ(2)

2010-08-24 14:54:49 | Weblog
 多分、現時点で日本は世界一物価の高い国だろう。円安が続いていたためにしばらく騒がれていなかったが、円高の今、日本は世界一物価の高い国の座に返り咲いたと思われる。
 これは奇妙なことだ。デフレが続いている国の物価が世界一高いなどということなどあり得ない筈だ。結局、元々の価格が高かったということ(6月15日付け「デフレ」参照)に加えて、高い品と安い品が混在していることが原因だろう。
 安い品の代表格は家電、自動車、時計、カメラなどの工業製品だ。これらは技術力を生かして、高品質の品を安価で量産しているから国際競争力も持っている。
 タイのデパートで家電売り場を見てその高さに驚いた。バーツではなく円で表示しているのかと思うほど高かったからだ。1バーツは大体3円だから日本での価格の3倍だった。
 高い品の代表は一部の農産物だろう。中でも米は国際価格の約10倍で流通している。
 小麦も国際価格の約3倍らしい。そのためにパンやうどんなどの小麦加工品も高くならざるを得ない。折角、世界に誇れる大発明のインスタントラーメンがありながら、国産を輸出することは困難で、現地生産をせざるを得ない。これは国内での雇用機会を損なっている。
 他に豚肉やバターなどにもボッタクリに近い関税や天下り団体による独占輸入の弊害が出ている。米価の高値維持は農業の保護という目的があるだろうが、その他については農水省の利権確保としか思えない酷い仕組みだ。
 ただのパフォーマンスに堕しつつある事業仕分けよりも、農水省の事業見直しをやったほうがずっと国民のためになるだろう。
 なぜマスコミは個々の物価の国際比較をしないのだろうか。
 

洋式トイレの蓋

2010-08-20 15:41:46 | Weblog
 洋式トイレの蓋が無駄であることをかつて私の最初から3番目の記事に書いた。 
 私はサラリーマン時代に事あるごとに蓋の無駄を説いて少なからず馬鹿にされたものだが、この努力は無駄ではなかった。当時蓋有率100%だったその企業の洋式トイレは今では蓋無率100%になった。
 どこの企業でも経費削減に励んでいると思うが、是非検討して欲しい。
 蓋を無くせば経費削減になる。部品が減るから設置費が安くなる。維持・管理費も下がる。蓋の修繕が無くなるし清掃時間も短縮される。
 利用者にとってもメリットがある。排水レバーが押し易くなるし蓋の開け閉めの時間も無くなるので回転率が上がる。つまり待ち時間が短くなる。
 無駄は無駄を生む。つまり無駄な部分があればそれのメインテナンスにも金と時間を使っているのだ。