俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

糖質制限

2014-04-30 10:13:28 | Weblog
 26日付けの朝日新聞の土曜版で「成功したダイエット法」という記事があった。詳細をコメント欄に掲載しているが①ウォーキング②食事・体重の記録③炭水化物の制限④糖質・甘い物の制限⑤1食の量を増やす(以下略)となっている。⑤は不可解な手法だが「食物繊維の多い食物を多くとり入れたため、おなかがすっきりした」という内容から考えて「野菜摂取量を増やす」という意味だろうか?
 私は痩せることが良いことだとは考えない。BMI18.5~25と言われる標準体重は西洋人向けの基準であり、足の短い日本人はもっと太目のほうが良かろう。実際の話、国際的には「過体重」なのになぜか日本では「肥満1度」と表現されるBMI25を少し越えたぐらいの人が最も長寿だというデータは沢山ある。むしろ若い女性の痩せ過ぎこそ心配だ。最貧国民並みの栄養しか摂っていない人が少なくないようだ。
 細い・太いは個人の趣味の問題であり私のような老人がとやかく言うことではなかろうが、優先すべきなのは健康だろう。不健康に痩せるのも太るのも良くない。
 流石に「成功したダイエット法」と言うだけあってどれも理に適っている。間違ったダイエット法は健康を害したりして失敗するものだ。中でも特に注目したいのは3位と4位に分かれて集計された糖質制限だ。この両者を合わせればトップに近い。
 糖質(炭水化物)は必須ではない。必須脂肪酸や必須アミノ酸とは違って全く摂取しなくても構わないし、逆に100%避けようとしても大半の食品には天然の糖質が含まれているので自動的に摂取される。糖質はカロリー源にしかならないのだから、食事で痩せるためには糖質制限がベストの選択だろう。
 しかし7位にランクされた「脂質の制限」は良くない。高カロリーとして敬遠され勝ちの脂質だが、栄養面では勿論のこと、食を楽しむという意味でも好ましくない。特に肉の旨みは正に脂質の旨みだ。レストランの偽装表示騒動の時に注目されたインジェクション加工肉は赤身の肉に良質の脂肪を注入して作られる。注入しない赤身の肉と比べて格段に美味しくなる。脂質の旨みを食事から遠ざけることは生きる楽しみの減少にさえなるだろう。

繰り返し

2014-04-30 09:38:11 | Weblog
 人には、繰り返して同じ情報を得るとそれが好きになるという奇妙な性質がある。一番分かり易い実例は音楽だろう。何度も聞いていると好きになることが多い。大して優れた楽曲でなくても繰り返し放送されるとその曲が好きな人が増えてメガヒット曲になる。何年か経ってからその曲がなぜヒットしたのか分からない大ヒット曲があるのはこんな事情からだろう。
 知らない人の顔写真を沢山見せてそれぞれの好感度を採点させる心理実験がある。美男・美女が高得点になるのは当然のことだが、高得点にする裏技がある。同じ人の写真を何度も見せればその人の評価はどんどん上がる。前に見たと気付かないまま何となく好感度が高まる。
 実はもっと凄い特徴がある。嫌いなことでさえ繰り返せば好きになる。厳しいトレーニングなど誰でも嫌いだ。ところがそれを続けているとそれ無しでは物足りなくなる。仕事も同じだ。働き始めた頃は朝起きが辛い。ところがそのうち苦痛でなくなり、休みの日になると時間を持て余すようになる。家事や勉強も同じような事情で好きになるのだろう。
 繰り返しが快感に変わるのは脳が繰り返しを好むからだろう。新しいことをインプットするなら脳は新しいシナプス結合を作らねばならない。怠慢な脳にとってそれは不愉快なことだ。だから既存の回路を再利用できる繰り返しを脳が好むのだろう。
 こんな脳の特性は様々に利用される。つまらないCMであろうとも何度も繰り返せば好きなCMに変わる。明らかに怪しい情報でも繰り返せば真実に化ける。昔、ダイオキシンが猛毒と騒がれて家庭用焼却炉も焚き火も禁止された。もし本当に危険であれば山火事の度にダイオキシン中毒で死ぬ人がいる筈だが、焼き鳥屋を含めて誰一人ダイオキシン中毒にはならなかった。
 選挙カーが政策を言わずに候補者名ばかり連呼するのも同じ理由だ。何度も名前を聞かせて立派な人だと錯覚させることが狙いだ。政策など二の次だ。有権者の脳に刷り込んだ者が勝つ。馬鹿馬鹿しいと思える選挙手法だが心理学的には正しい。

初期対応

2014-04-29 09:35:35 | Weblog
 昨日(28日)、セウォル号の事故直後の映像が公開された。この映像を見て違和感を覚えたのは私だけではなかろう。45°傾いた船の甲板に海洋警察隊が乗船しているが一向に乗客を探す素振りは見られない。一刻を争う非常時という緊張感も全く感じられない。これから正に大惨事が起ころうとしているのに、まるで事故終結後の現場検証のような雰囲気だ。もしかしたら全員救出というデマを信じていたのかも知れないが、余りにものんびりしている。この後、更に傾いて沈没するまでに数時間あった筈だが、彼らはその間どこで何をしていたのだろうか。公開されたのは警察隊にとって比較的都合の良い部分だけだろう。
 この映像を見ながら昨年6月の辛坊治郎氏のヨット事故を思い出した。彼らは陸からかなり離れた場所で事故に会ったが救助された。当時、海はかなり荒れていたが自衛隊機は果敢に着水して救助したそうだ。設備・技術・人材の総てで世界トップクラスの日本だからこそ可能だった快挙だろう。辛坊氏が「本当に素晴らしい国に生まれたと思った」と語ったのは実感だろう。
 この2つの事故を比べると両者の差は歴然としている。片や沿岸で片や外海、片や普通の気象で片や荒海、何もしない海洋警察と危険を冒しても救助に励む自衛隊。この差は一体何なのだろうか。どちらも公務員ではあるがその自覚は雲泥の差だ。成熟した社会の公務員は国民に奉仕する公僕であり、未開社会ではお役人様だ。日本でも田舎の公務員の一部は今尚、お役人様だが、消防隊も含めて保安組織の意識は高い。
 セウォル号は運が悪かった。韓国の沿岸ではなく日本の近海で事故に会っていれば、日本の海上保安庁と自衛隊および民間人が全力を尽くして大半の異国人を救助していたのではないだろうか。私も辛坊氏と同様、この国に生まれ育って良かったと改めて思う。

勇み足

2014-04-28 10:13:57 | Weblog
 朝日新聞の要職を務めて昨年退社した若宮啓文氏が「新聞記者」という本を書いた。当然あの従軍慰安婦問題に触れない訳には行かない。どう書くのかと興味津々で読んだが「確認のとれぬまま記事にするような勇み足もあった」と一応非を認めた上で「国としての思い切った打開策が必要ではないかと思っている。」と結んだ。唖然とした。なぜこんな第三者的なスタンスで他人事のように書けるのだろうか。従軍慰安婦が国際問題になったのはその「確認のとれぬまま記事に」したことが原因だ。もっとはっきり言えば、後に捏造と証明された記事を掲載しその後も詭弁を弄して頑として訂正に応じなかったからこじれてしまっている。個人の著書で非を認めるのではなく朝日新聞として非を認めないことには一歩も前進できない。今でも強制連行はあったと信じている日本人は少なくない。橋下市長のように「強制連行は無かった」と言おうものなら徹底的に個人攻撃をして実質的に言論弾圧を行っているのが朝日新聞ではないだろうか。強制連行があったという間違った前提に立たない限り「国としての思い切った打開策」など不可能にしてしまったのが外でもない朝日新聞だ。真の打開策は1つだけだ、事実を両国が共有する以外に無い。それを「嘘を共有して日韓友好を優先すべし」と主張しているのが朝日新聞だ。
 確かに歴史は難しい。様々な解釈が成り立ち得る。しかし「あった・無かった」は解釈が介入する問題ではない。単に事実の有無が問われているだけだ。そして証明責任を負うのは「あった」と主張する側であって「無かった」と主張する側ではない。例えば「白いカラスはいない」と主張する側に証明責任は無く「白いカラスがいる」と主張する側に証明責任がある。これを「白いカラスは未だ見つかっていないが存在の可能性は否定できない」などといつまでも詭弁に縋り付いているべきではない。そんな証拠は戦後70年掛けても見つかっていない。
 韓国を訪れたオバマ大統領が慰安婦問題について25日に「酷い人権侵害だ」と発言したことを朝日新聞は大喜びしているようだ。しかし英文を見ると案の定sex slaveryと表現されていた。sex slaveは韓国が反日プロパガンダ用に作った術語だ。この言葉を使う限り人権侵害と見なされるのは当然のことだ。誰も奴隷制度を容認できないからだ。こんなプロパガンダを放置した外務省の責任は重大だ。オバマ大統領のこの日の発言をそのまま借りるが「過去は誠実かつ公正に評価されねばならない」。

客観

2014-04-28 09:35:21 | Weblog
 酒に酔うと判断力が低下する。だから周囲の人には酔っ払いだと分かる。ところが本人は判断力が低下していることに気付かない。判断力が低下していることを判断できないからだ。酔っているほうが上手に運転できると思っている迷惑な人がいる。これも判断力が低下しているからだ。反射神経も運動能力も低下しているのにそのことを判断できないからだ。
 抗鬱剤の効果もよく似たものではないだろうか。本人は服用前よりも抑鬱的ではなく気分が良くなったように感じていても、周囲の人には一層悪化しているようにしか見えないことが少なくないそうだ。こんな時、薬は有効なのか有害なのか、何とも判別し難い。薬とは大半が対症療法に過ぎないが、脳に作用する薬はとりあえず有効なのか有害なのかさえ分からない。癌の末期患者に投与されるモルヒネのように苦痛を誤魔化しているだけなのかも知れない。
 昔から狂人は自分ではなく周囲が狂っていると考えるものだと言われている。芥川龍之介の「河童」の作中作の「あほうのことば」はこんな文章で始まる。「あほうはいつもかれ以外のものをあほうであると信じている。」
 仮に脳の働きだけを早める薬があれば自分の体が思うように動かないと感じて苛立つだろう。逆に脳の働きを遅くする薬があれば体が早く動くようになったと感じるだろうか?多分、感じないだろう。周囲が自分の体以上の早さで動くからだ。しばらくすれば周囲の動きが早くなったのではなく自分の脳の働きが遅くなったということに気付くだろう。
 客観世界があれば主観世界の異常に気付ける。しかし脳内で起こることは本人にしか分からない。酒や抗鬱剤で脳の機能が低下しても本人が低下ではなく向上していると錯覚しても全く不思議なことではない。脳に直接作用する薬は全く恐ろしいものだと思う。
 周囲が見えなければ同様のことが国家レベルでも起こり得る。北朝鮮の誇大妄想や韓国や中国の異常な歴史観やナチス・ドイツなど沢山の実例がある。これが狂ったものかどうかは国内にいては分からない。外国に出れば少しは分かる。外国に出ても分からなければもっと重篤であり危険な状態だ。

反面教師

2014-04-26 10:21:06 | Weblog
 セウォル号の事故で韓国政府は実に下手な対応をしたと思う。これは反面教師として歴史に残されるべきだろう。
 船内に閉じ込められたと思われる200人以上の消息不明者は結局一人も救出できなかった。要するに成果ゼロだ。韓国政府がやったことは被害者救助ではなく遺体の回収作業だけだった。乗客が船内で溺れ死ぬのを遠巻きにして見守るだけだった。なぜこんな酷い対応しかできなかったのだろうか。
 致命的なのは初期対応の拙さだ。勝負どころは初日の日没までだっただろう。ここで有効な手を打てていれば多くの人命が救われていただろう。一刻を争う非常時には事態の先取りをせねばならない。ところが政府のやったことは常に後手でありしかも悉く失敗して沈没させてしまった。船から脱出できた人でさえ多数が亡くなった。もし在韓米軍の支援を拒絶せずに受け入れていれば何人か多く救助できていただろう。
 二日目にすべきことはあらゆる手を尽くすことだった。ここで米中日の3ヶ国の支援を受けて最大限の努力をすべきだった。支援を受けてもどれだけ救助できたかは分からない。それでも何もできずに被害を拡大させるよりはマシだ。同じ成果ゼロであっても、全力を尽くした上での失敗と手を拱いての無成果とでは全然意味が違う。国際支援を受けた上での成果ゼロなら遺族も国民もある程度納得できる。韓国政府の対応は論外であり支援拒絶が招くリスクを全く理解していない。
 支援拒絶が容認され得るのは犠牲者ゼロの場合だけだ。一人でも犠牲になれば救助体制に不備があったことになる。今回の場合、全員が犠牲になったのだから完全に失敗だ。殺人にも等しい愚策だ。亡くなった人の多くは指を骨折していたそうだ。多分、拷問にも等しい責め苦にもがき苦しんだ末での溺死だろう。人扱いをされている船長らだけが悪い訳ではなくベストを尽くさなかった政府関係者の責任も重大だ。
 実は日本も阪神大震災の時に恥ずかしい失敗をした。フランスとスイスの救助犬を、検疫を理由に入国禁止にした。当然散々非難され、東日本大震災の時にはこんな愚行を犯さなかった。
 人間は愚かだから失敗するが、失敗から学ぶ知恵なら持ち合わせている。船舶関係者に罪を押し付けるばかりではなく制度や危機対応策などを根本的に見直すべきだろう。この失敗が反面教師として生かされなければ犠牲者は浮かばれない。タイタニックにはドラマがあったがセウォル号にドラマ性は全く無い。災害時での世界最低級の愚かな対応としてのみ歴史的価値を持つ。

農業と農家

2014-04-26 09:37:30 | Weblog
 私は農業を大切な産業と考える。しかし農業を守ることと農家を守ることは全然意味が違う。必要なのは農業を守ることであって農家を守ることではない。これは商業を守ることと商店を守ることが別の話であるのと同じことだ。
 政府は商店を守ることに終始して商業を守ろうとはしなかった。そもそも商業を守るとはどういうことだろうか。商人が大儲けできるようにすることではない。国民が高品質な商品を低価格で自由に購入できるようにすることだ。つまり国民にとって好ましい商業環境を作ることだ。それを邪魔したのが百貨店法であり大規模小売店舗法だろう。
 それと同様に農業を守るとは国民のためになる農業を育てることだろう。補助金漬けにして自立できない農家を増やすことは、長い目で見れば農業を守る政策ではなく農業を滅ぼす政策だろう。国民を犠牲にしなければ成り立たない農業ではなく自立できる強い農業経営者の育成こそ望ましい。今回のTPP交渉を機に麦と豚肉の関税見直しが急務だろう。麦については何度も書いているとおり自給率10%の作物を関税によって保護する必要など全く無い。豚肉については不合理極まりない差額関税制度の撤廃が必要だ。これは国民にとっても畜産農家にとっても有害な制度だ。
 豚肉は基準価格である1㎏当り546.53円以下の物にはその差額分が課税され、更に4.3%の関税が掛けられる。つまり安い豚肉は総て570円/㎏で輸入される。この馬鹿げた制度が多くの不正を招いている。海外のペーパーカンパニーを経由したりバックマージンにしたりして、無数の脱税策が講じられている。あるいはこれは違法ではないが、低質品と高質品をセットにして基準価格に近付けて輸入して、高質品を叩き売っては国内畜産農家を困らせている。こんな世界に類を見ない変な制度はTPPを機に廃止すべきだろう。こんな時でなければ農林水産省による愚策を改めるチャンスは無い。

悪夢

2014-04-24 10:17:25 | Weblog
 何年生だったか覚えていないが、小学生の時に夢から醒める夢を見たことがある。その夢から醒めた時には、しばらくは夢か現実かと疑いつつ自分を抓って痛みを確認して、多分現実だろうと思ったものだ。確信できなかったのは痛みを感じる夢もあるからだ。
 中国には胡蝶の夢や邯鄲の夢のように夢と現実の等価性を語る寓話が多数ある。荘子が蝶になった夢を見たのか蝶が荘子になった夢を見たのか区別できないといった話だ。
 実際には夢と現実は明確に区別できる。延々と続きを演じさせられるほうが現実の世界だ。夢ならその時限りだが現実は決してリセットできない。これは悪夢ではないか、と思っても目覚められないのが現実世界だ。
 嫌な現実から目を背ける人がいる。嫌なことは無視していればそのうちに過ぎ去ると考える人だ。台風一過というように一過性のものは耐えていれば終わるが、大切なのは耐えられるということだ。予め台風に備えていなければ耐えることはできない。台風に耐え得た人だけが台風後の安泰を喜べる。
 人はいつまでも若くいられる訳ではない。誰もが必ず老いる。その現実を見なければ若いつもりでいられる。しかしいざ何かをしようとすれば否応無く現実に直面させられる。頭も体も思い通りには働かない。そんな現実に直面してから慌てても手遅れだ。台風に備えるように老化に逆らい老化に抵抗する必要がある。
 現実は夢ではない。夢ではないから目覚めることはできない。夢ならリセットできるが現実はリセットできない。嫌な現実であろうとも肯定するしか無い。嫌な現実を肯定するためには現実に対して抵抗する必要がある。台風に耐えるために備えが必要であるように、老化を受け入れるためには鍛錬が欠かせない。現実から目を逸らしても現実は変わらない。一層悪くなるだけだ。事実を認めて初めて対策が可能になる。

ネット情報

2014-04-24 09:48:03 | Weblog
 ネット情報は玉石混淆ではあるが、事実を知るためには非常に便利だ。少なくとも情報統制から逃れることができる。善意であれ悪意であれ多くのマスコミ情報は統制されている。
 昨年8月に三重県で女子中学生が殺された。各種報道では所持していた6,000円が奪われたことばかりが報じられたが、直感的にこのニュースは変だと思った。ネットで調べると遺体が全裸だったらしいと分かった。マスコミは遺族に配慮して事実を報じなかったのだろうが、こんなことをしたからこそ情報が集まらず解決までに半年以上掛かったのだろう。マスコミからの情報を信じれば手掛かりは全く無いということだが、暴行されて全裸だったのなら犯人は100%確実に男だ。翌年3月にようやく犯人が捕まったが、犯行当時高校3年生だったこともあり逮捕後も事件の全容は明かされていない。しかし強制猥褻致死として起訴されたのだから、幾らマスコミが伏せていても何が行われたかは明白だ。マスコミは嘘に嘘を重ねるものだ。デタラメをバラ撒く嘘以外にわざと報じないという嘘のつき方もある。
 ネット情報があるから疑わしい情報をチェックできる。マスコミが隠蔽しようとしてもどこかから漏れるものだ。
 平成8年に堺市で起こった病原性大腸菌O-157による集団食中毒事件もネット社会であれば真相が解明されていたかも知れないと思う。当時、厚生省と菅直人大臣(当時)はカイワレに濡れ衣を着せた。その後、濡れ衣であることが証明されたが、その頃にはマスコミはそんな古びた事件の真相解明などしようとはしなかった。国民はまんまと騙された。カイワレ叩きの真っ最中でもある大学では大手メーカーのハムが真犯人だと噂されていたが、結局これは検証されなかった。
 朝日新聞による従軍慰安婦の強制連行というデッチ上げ記事も、現代であれば袋叩きに会って炎上していたかも知れない。怪しい記事だと思っても庶民には調べる術も無ければ疑惑を表明する場も無かった。嘘も繰り返せば事実に化ける酷い時代だった。当時だから通用した捏造記事が今尚、悪影響を及ぼしている。
 コゲの発癌性やダイオキシンや環境ホルモンといったデタラメによって金儲けをすることは現代では困難になった。昔の週刊誌には新聞・テレビといった巨大マスコミの嘘を暴くという存在意義があったのかも知れない。週刊誌が売れなくなったのは同様に玉石混淆であるネット情報があるからなのかも知れない。

救助責任

2014-04-23 09:50:24 | Weblog
 地震などで生き埋めが発生した場合、救助は最初の72時間が最も重要だと言われている。72時間を過ぎると生存率が極端に下がるそうだ。海難事故のタイムリミットが何時間なのか知らないが、多分もっと短いだろう。
 韓国ではセウォル号の船長ら15人の操船担当者が、救助活動を怠った上で全員救助されたとして徹底的に糾弾されている。幾らヘソ曲がりの私でも彼らを弁護する気にはなれないが、もっと悪い奴らがいるのではないだろうか。
 危機に直面した当事者の職務怠慢だけではなく、危機に直面していなかった関係者の職務怠慢も同様に問われるべきだろう。次のような状況を想定して欲しい。
 ある家庭で出火があった。速やかに通報したこともあり小規模な火災で鎮火した。ところが消防隊が引き上げた後の深夜に消し損ねていた火種から燃え広がり未曾有の大火災になった。
 こんな場合、最大の問題点はどこにあるだろうか。当初失火した人以上に鎮火し切らなかった消防士の責任が重大だろう。災害において最も重要なのは初期対応だ。
 セウォル号の船長達は加害者であるのと同時に被害者でもある。生命の危機に瀕して気が動転していたことも事実だろう。こんな時は周囲の人がしっかり対応せねばならない。つまり政府や海洋警察や海軍海難救助隊が最善の対応をしたかどうかが問われるべきだろう。
 日本の海上保安庁に支援要請をしなかったのは反日が原因かと思っていたが、何と在韓米軍の支援まで断っていたことが明らかになった。被害がこれほどまでに拡大した最大の原因は政府の認識の甘さと初期対応の不手際だろう。
 朴クネ大統領が指摘するとおり「船長らの行為は殺人にも等しい」悪事だ。しかしもし「海猿」などを擁して世界最高レベルの海難救助能力を持つ日本などに支援要請をしていれば、全員とは言わないが10人か20人ぐらいなら救助できていたのではないだろうか。最後まで生き延びていたであろう数人は政府の不手際のせいで死なされたと言っても過言ではなかろう。この不手際に対する反省は全く見受けられず、只管、船長らを罵り続けている。
 船長達は言わば人身御供だ。船長や運航会社の悪事を政府が次々に暴き立てて、韓国や日本のマスコミは大喜びしてそれを報じているが、これは彼らを極悪人に仕立て上げることによって責任追及を逃れようとする陽動作戦だろう。初期対応が適切でさえあれば少なくともこんな大惨事にはなっていなかっただろう。すぐに責任転嫁をしたがることは韓国人の最も悪しき性癖だと思うが、ここまで悪質になると流石に呆れ果ててしまって私の表現能力の限界を超えてしまう。