俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

基地

2010-03-30 16:33:52 | Weblog
 社内クーデターで経営陣が刷新された企業があったとする。この企業が取引先に対して「経営者が変わったのだから取引条件を見直してくれ」と言ったら合意してくれるだろうか。自社にとって有利な条件なら合意するだろうがそうでなければ拒絶する。勝手なことを言うな、というところだろう。勝手に御祝儀を期待しても相手が応えてくれるとは限らない。それどころか、旧経営陣と良い関係にあった企業なら旧勢力に義理立てをして新経営陣を疎んじるかも知れない。
 こんな馬鹿なことを鳩山内閣はやって大混乱に陥っている。一旦決まった合意を反故にして、代替案も出さずにまるで駄々っ子のように好き勝手なことを主張している。アメリカが応じる筈が無い。
 そもそもなぜ普天間基地の移設が合意されたのかという歴史的経緯を忘れている。少女暴行という痛ましい事件があり、米国側の疚しさに付け込んで無理やり合意させたものだ。
 多分5月にはアメリカは「ノー」と答えるだろう。これを「イエス」に変えるためには売国的な交換条件を出すしか無い。輸入の拡大や輸出の抑制、米国国債の大量購入や為替操作など。BSE絡みの牛肉の輸入規制も当然撤廃させられるだろう。
 幾ら何でもここまで馬鹿とは思われない。結局、普天間存続か辺野古沖かの二者択一しか無くなってしまう。
 騒いだ挙句の元の木阿弥あるいはそれ以下。そもそも何のために騒いだのだろう。こんな馬鹿に日本の未来を託したらとんでもないことになってしまう。

市長

2010-03-30 16:19:46 | Weblog
 私は政治家に関しては悪口ばかり書いているが一人だけ応援している。河村たかし名古屋市長だ。市会議員の半減、議員報酬の半減、市民税の10%削減、どれも是非実現して欲しいと思っている。
 残念なことに関西に住んでいると氏の活躍振りはさっぱり伝わらない。朝日新聞の氏についての記事は今年に入ってから2回しか見ていない。NHKのニュースで見ることのほうがずっと多い。名古屋という大都市で画期的な改革をしようとしているのになぜこんな小さな扱いなのか理解できない。
 一方、竹原阿久根市長の報道はたっぷりとある。今年だけでも10回ぐらいは見たように思う。社会面のトップ記事にまでなった。幾らトラブル続きとは言え鹿児島県の1市長を執拗に追い続けるのは異様だ。
 市の規模、市議会と対立する問題の重要性、どちらを採っても河村氏の記事のほうが全国報道に値すると思うのだがなぜ朝日新聞は竹原市長に固執するのだろうか。もしかしたら竹原市長が、朝日新聞が大嫌いな自衛官出身だからだろうか?
 名古屋市の人と阿久根市の人が関西に来たら、前者は市長の政策が余りにも知られていないことに、後者は信じられないほど悪名高いことに、ともに驚くだろう。

思考の補助線

2010-03-30 16:07:38 | Weblog
 初等幾何学というジャンルがある。数式ではなく合同とか平行とかいった概念を使って解く幾何学だ。残念ながら日本では余り重視されていないが私は大好きだ。補助線を一本入れるだけでそれまで全く手掛かりも無かった問題が解ける快感はパズルと同じ面白さがある。
 思考においても補助線のような役割を果たすものがある。その概念を理解すればそれまでの暗闇に突然光が射し込む。
 ソクラテスにおける無知の知、カントによる理性の僭越、ニーチェによる神の死、マルクスによる搾取、フロイトによる無意識。日本では梅原猛氏による怨霊、岸田秀氏による「本能が壊れた猿」などがそれだ。それまでは常識(偏見)に縛られて不明確だったことがたった一本の補助線で一挙に解決へと向かう。
 私はプロの思想家ではない。ただの市井のサラリーマンに過ぎない。それでもこれまでの数多の天才が気付かなかった小さな補助線を見つけ出して新しい哲学への道を拓きたいと願っている。

100万円

2010-03-26 15:46:31 | Weblog
 もし100万円貰うなら人はどう反応するだろう。年収300万円の人なら大喜びする。しかし年収1億円の人なら「今夜の飲み代にでも使おうか」と思うだろう。
 金を配布するなら貧しい人を優先すべきだ。金持ちにはした金を渡しても喜ばれないが貧しい人なら喜ぶ。定額給付金という史上稀に見る愚策に対する反省から学ぶべきだろう。
 徴収する場合はどうだろう。貧しい人から100万円を取ろうとすれば必死で抵抗するし借金でもしなければとても払えない。金持ちなら嫌がりはするが諦めて支払うだろう。実際、税金は金持ちから多く徴収する累進性になっている。支給するなら貧しい人に、徴収するなら金銭的に余裕のある金持ちから、これが鉄則だろう。
 子供手当てを無差別に配るのは税金の無駄遣いでしかない。貧しい独身労働者から徴収した金を、子供がいるからというだけの理由で金持ちに支給するのは気違い沙汰としか思えない。税の痛みを知らない人の発想だ。
 支給基準の設定が難しいのなら、一旦給付して、高額所得者からは同額を税として徴収すれば済むことだ。大して手間は掛からない。
 勿論、初めから支払わないほうがずっと合理的だ。基準が難しいと言うのは仕事をしたがらない公務員のお得意の詭弁であり責任逃れであろう。

北朝鮮と韓国

2010-03-26 15:34:54 | Weblog
 韓国はタテマエ上「祖国の統一」を主張せざるを得ない。しかしホンネはどうだろうか。もし北朝鮮が崩壊して、技術も技能も常識も欠いた人々が大量に雪崩れ込んだら韓国は大混乱に陥るだろう。
 かつてベルリンの壁が崩壊した時、世界は喝采したが、同胞を受け入れる側になった西ドイツはワークシェアリングの拡大などで対応せざるを得なかった。その結果ドイツとしてのGDPは拡大したが一人当たりのGDPは大幅に減った。旧西ドイツ人は統一前よりも貧しくなった。
 韓国はGDPでは世界で15位のアジアの優等生だ。一方、北朝鮮はアジア最貧国の1つだ。この2国が統合した時の混乱はドイツの比ではなかろう。
 北の同胞の解放は南の悲願ではあろうが、治安の悪化や貧困化は望むことではなかろう。従って仮に北朝鮮が崩壊してもいきなり国境を開放することはせず、時間を掛けて徐々に同化することを図らざるを得ないのではないだろうか。

全体最適

2010-03-26 15:21:26 | Weblog
 殆んどの人は地球の人口は多過ぎると思っている。多過ぎるから食料と水やエネルギーの問題が解決できない。
 地球にとっては人口減が望ましいと思いながら、国内では人口を増やそうとするのは馬鹿げた話だ。日本人1人は途上国の10人分くらいの食料やエネルギーを使っているのだから、先進国こそ率先して人口減に取り組むべきだろう。世界が、人口が少なくて豊かな国と人口が多くて貧しい国に二分化されれば、途上国における人口爆発も少しは抑制されるだろう。
 全体最適という理念はいつもないがしろにされてローカリズムが勝つ。総論賛成・各論反対どころか総論無視という状態が続いている。国内では省益や党益ばかりが優先されて国益(国民益)は軽視される。
 私は決して全体主義者ではない。どちらかと言えば個人主義者だ。但し常に全体を見渡そうとする個人主義者だ。全体を見ない個人主義も個人を見ない全体主義も誤った考えだ。木を見て森を見ないのも森を見て木を見ないのも誤りだ。
 全体と部分が対立するなら部分を優先することもやむを得ない。しかし全体を見ずに部分にばかり注目するのは知的レベルの低下か幼児化としか思えない。

2010-03-23 15:52:49 | Weblog
 金持ちから金を奪って貧しい人に分け与えるだけなら、義賊でない普通の泥棒にでもできることだ。無駄な公共事業は窃盗団のようなものだ。こんな下らないことをやって高額の報酬を得ているのなら政治家も官僚も要らない。
 「公」の役割は消防署の例を考えると分かり易い。消防というシステムを考案したのはフランクリン、あの雷が電気であることを証明したアメリカ人だ。
 火事が起こったら多くの人が迷惑を蒙る。火元の近くの人は避難して家財道具を持ち出すので精一杯で、消火活動に取り組むことは不可能だ。その結果延焼が避けられない。
 近所の人が消火をするのではなく、あらかじめ資金を募って専門の組織を作っておけば大勢の人が低コストで火災を免れることができる。こういう合理性に基づいて消防署というシステムは世界中に広がった。
 警察も同様だ。各家庭が警備員を雇うことと比べたら自治体で一括してそんな組織を作ったほうがずっと低コストだし安全性も高い。
 本来の「公」は合理的で経済的なシステムだ。ところが肥大するとどんどん駄目になる。放っておくと「公」は勝手に肥大して、自己増殖のために国民から搾取するシステムに化けてしまう。

子供手当て

2010-03-23 15:40:53 | Weblog
 子供手当てはポピュリズム(人気取り政策)だ。別にそれが悪い訳ではない。どうせ手当てや福祉はポピュリズムなのだから。それをどう評価するかは①それが持続可能かどうか②費用対効果がどうか、ということに尽きる。
 ①については日本が今後どうなるか分からないのでここでは②についてのみ考える。
 子供手当てと年金を比較した場合、子供手当てのほうが明らかに収益性が高い。と言うのは年金は国にとっては出費でしかない。この出費を受益者(老人)に負担させることは不可能なので、より若い世代に負担させざるを得ず、若い世代は不満を持つ。
 一方、子供手当ては回収できるから投資のようなものだ。子供に支給した額以上を将来増税すれば採算が合う。子供の頃に(親が)受け取った手当ての分余計に払えという理屈はそれなりに筋が通っている。しかしこれでは朝三暮四のようなものだ。猿より賢い人なら騙されまい。
 もし弱者支援という視点に立つなら、孤児や重病者がないがしろにされるのは不合理だ。所詮ポピュリズムだから票に繋がらない層に対する支援は必要無いということだろうか。

ヴァーチャル議員

2010-03-23 15:26:40 | Weblog
 参議院比例区に「議員」は必要だろうか。誤解しないで欲しい、私は比例区が不必要だと言いたい訳ではない。比例区の「議席」は必要だが「議員」は必要無いと言いたいのだ。
 株主総会では委任という仕組みが認められている。これは委任された人が株主の権利を代行できるという仕組みだ。百万株分の委任状を持つ人は百万株の株主として発言し権利を行使できる。
 これと同じ仕組みを比例区に導入すれば政治における無駄遣いを大幅に削減できる。
 選挙区で選ばれた人とは違い、比例区では個人が選ばれる訳ではない。党への投票数に基づいて「議席数」が配分されるだけだ。そんな「議席」に「議員」を貼り付けて年間一人当たり4,000万円も支給する必要は全く無い。
 クロスヴォーティングなど滅多に無いのだから、100%党の方針に従うヴァーチャル議員制を採用すれば、比例区の議員96人分の38.4億円が毎年不要になる。
 客寄せパンダや頭数合わせの立候補者など全く必要無くなるから選挙費用も手間も削減できる。各党に「議席数」さえ割り当てればそれで充分だ。参議院での採決時には各党の投票数にこの「議席数」を加えれば良い。こんな簡単にできる改革を阻害するのは議員エゴ以外には無い。

歴史

2010-03-19 15:59:04 | Weblog
 人は自らの意志や行動を自分で決めねばならない。多くの場合その選択は自らの経験に基づいて決められる。選択の基準は「多分これが正しいだろう」という判断に基づく。しかし偏った経験に基づいて選択するからその選択は必然的に偏ったもの・誤ったものとならざるを得ない。我々はもっと歴史から学ばねばならないだろう。
 ドイツの鉄人宰相ビスマルクは「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」と言ったが至言だと思う。
 確率の基本に大数の法則というものがある。ある事柄を繰り返せば、回数を増やすに従って規則性が見出されるという法則だ。例えばサイコロを1回だけ振るなら何が出るか分からない。正に「出鱈目」だ。しかし1万回振ればそこに法則性が現れる。
 経験された事柄はたった1度振ったサイコロのようなものだ。法則性は見られない。偶然性に支配される。しかし歴史は人類による試行錯誤の積み重ねであり法則性が見つかる。例えば借金に借金を重ねた国がどんな末路を辿ることになるかは思弁ではなく歴史に尋ねるべきだ。
 議論では結論が出なくても歴史は証明してくれる。社会主義の欠陥については机上で空論を交えるよりも、ソ連崩壊のプロセスを検証したほうが何百倍も役に立つだろう。