俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

似た顔

2013-04-30 10:04:25 | Weblog
 ミス・コリアの候補者20人がみんな同じ顔でまるでクローンのようだ、という話がネット上で話題になっている。確かにそっくりなので私も笑ってしまった。
 これは指摘のとおり整形手術が一因だろうが、審査員の責任が一番重大だ。顔立ちの好みが偏っているために同じような顔の人ばかりが選ばれたのだろう。落選した人の中にはもっと個性のある人が大勢いただろう。
 朝鮮民族の単一性も災いしたのだろう。単一民族であれば何らかの血縁性もあって似た顔になる可能性が高まる。
 かつて日本人も単一民族と考えられた時代があったが、今では明確に縄文系と弥生系に区別されている。そのうちの弥生系は朝鮮系の特徴を持っているが、縄文系は曲者だ。縄文系そのものが雑種だからだ。
 日本人は、日本人らしい顔があると信じているが、外国人の骨相学者が見ると、日本人には数十の民族の特徴が並存しており、骨相学者にとっての宝庫だそうだ。これは約2万年前の、日本列島がまだ大陸と地続きだった頃に、南からも北からも人が集まり、お互いに排斥するのではなく協調して文化を築いたからだろう。
 中国の内陸には日本人とそっくりと言われる少数民族が住んでいるし、私の知人がタイへ旅行をしたら現地の人から「貴方の先祖は絶対にタイ人だ」と言われたほどタイ人にそっくりな人もいる。
 大体、日本人は朝鮮人も中国人も見分けられない。これは彼らの民族的特徴を日常的に日本人の中で見ているからだろう。
 ところで朝鮮人の二重瞼の率は20%ほどらしい。ミス・コリアの候補者はほぼ全員が二重瞼のように見えるが、これが審査員の好みによるものか整形手術によるものかはよく分からない。多分両方だろう。

死因

2013-04-30 09:31:47 | Weblog
 癌で死ぬ人が増え続けている。年齢補正をすれば癌による死亡率は下がっているそうだが、日本人が高齢化すればするほど癌による死亡者のシェアは高まる。癌は老人病あるいは老化現象の1つとしても捉えられている。
 こう考えると発癌性という言葉に疑問が生じる。ある食品の発癌性が疑われる時、それは逆に長寿を促しているからこそ癌発生率を高めているとも考えられるからだ。つまり感染症などに強い健康な人は長寿になりその結果として癌で死亡する可能性が高まる。癌を「老衰」と置き換えたらこんな文章になる。「○○の摂取量の多い人ほど老衰で亡くなる可能性が高い」この文章の意味は、○○の摂取量が多ければ天寿を全うできる可能性が高まる、という意味になり、○○に有害性があるということにはならない。
 近藤誠医師が「医者に殺されない47の心得」の中で国立がん研究センターによる発表として、コンブやワカメを「摂りすぎると甲状腺がん発生の原因となる可能性がある」と書いているが、これもその1例ではないだろうか。
 幸か不幸か、人は1度しか死ねない。たとえエビデンスに基づいたデータであっても、死因にばかり目を奪われていれば長寿の原因が死亡の原因とされかねない。死因だけではなく健康長寿の原因にも注目する必要がある。
 ジクロロプロパンやアスベストなどのように若い人にも癌を発症させる物質は明らかに発癌性があると言える。その一方で老人性の癌の原因とされているものの一部は濡れ衣で、実は長寿に役立っているのではないだろうか。相関性と因果性を混同すればこんな間違いを犯しかねない。

循環

2013-04-28 09:44:47 | Weblog
 論理学では循環論は間違いとされている。例えば「痩せた女性は美しい」という命題なら、「痩せた女性はスタイルが良い」「スタイルが良ければ美しい」「美しいのは痩せているからだ」という程度の話にしかならない。全く論理として成立しない。
 ところが意味のある循環論もある。所謂デフレスパイラルがその一例だ。国内だけで考えれば、商品が売れない→商品価格の低下→企業業績が悪化→給料が減る・雇用が減る→購買力が低下→商品が売れない、といった具合で延々と悪化へと循環する。この場合、どれが原因でどれが結果なのか定かでない。
 アベノミクスの場合、商品価格の低下に注目した。そして価格低下の原因として通貨量の不足に狙いを定めた。つまり物の価格は需要と供給のバランスによって決まり、金銭の供給量を増やせば物価は上がるということだ。
 実際の経済は国内だけでは完結しないので先ほどとは違ったモデルになる。円の供給増によって通貨のバランスが崩れる。ここでも需要と供給の関係が働き円安・外貨高になる。そして円安は2つの異なった影響を及ぼす。
 1つは輸出産業の業績の好転だ。円安で価格競争力が高まった企業は国内生産を増やすから雇用が拡大して将来的には賃金の上昇も見込めるだろう。また輸出企業の株価の上昇は消費の拡大にも繋がる。
 もう1つは輸入品価格の上昇だ。このことには良い効果も悪い効果もある。良い効果は安い外国製品に奪われていたシェアを国産品が取り戻すということだ。海外旅行から国内旅行への変更もこの一例と言えよう。悪い効果はエネルギーなどの高騰だ。これは漁業・農業を含めた全産業を高コスト化する。当然これは物価の上昇を招く。
 ここまでは因果関係で説明できる。しかしこの後はどうなるか分からない。アベノミクスが成功するかどうかは、これらが雇用の拡大や賃上げへと循環するかどうかに掛かっている。それが実現しなければ不況下での物価上昇という最悪のスタグフレーションを招く。

2013-04-28 09:39:36 | Weblog
 2011年の「今年の漢字」に選ばれたのは「絆」だったが、この言葉はネガティブな意味も併せ持つ。語源は「動物を繋ぎ止めるための綱」であり、切りたくても切れない縁を意味する。人が独立した個人であろうとする時、絆はラーフラ(障碍、束縛)となる。束縛からの解放は同時に絆の喪失でもある。
 現代人は、切れない筈の絆を無理やり切って、切れる縁に変えてしまった。そのために親子においての育児放棄や養老放棄、組織においての労働者の使い捨てといったことが起こっている。
 奇妙な理屈だが、奴隷のほうが自由人よりも厚遇されるということがあり得る。労働者が「社畜」つまり会社の家畜であった時期のほうが今よりも大切にされていた。奴隷や家畜なら所有物つまり財産だからだ。財産だからこそ保全が図られ終身雇用という制度も成り立っていた。現在の労働者は人財でも人材でもなくただの経費だ。
 自動車を考えればこの違いが明白になる。個人が所有する車は大切にされる。傷を付けないように細心の注意が払われ、長く使えるように充分なメインテナンスも施される。レンタカーに対する処遇は全然違う。返却時にバレたりしなければ多少の傷を付けようとも気にしない。所詮はその場限りの利用対象でしかない。
 マルチン・ブーバーの言葉を借りればIch-Du(我ー汝)という全人格的な相互依存関係が失われてIch-Es(我ーそれ)という対物的関係になったということだ。絆という濃密な関係を捨てて縁という淡白な関係を選んだのだから人と人は相互利用の関係となる。
 無縁社会という言葉は間違いだろう。現代人が失ったのは縁ではなくて絆だ。これは自由を得るためには避けられない代償だ。自由と絆は両立し得ない。 

サイコロステーキ

2013-04-26 10:11:12 | Weblog
 私はステーキが大好きだ。現役時代はしょっちゅうステーキハウスに立ち寄っていたし、海外旅行先で一番よく食べたのもステーキだ。ペナン島に行った時はホテルの傍にあった屋台のステーキ店に毎日通った。
 フィリピンでは失敗したことがある。ビーフステーキを注文したら牛肉の煮込み料理が出されて仰天して文句を言った。しかしこれは私が悪い。フィリピンではこれがビーフステーキと呼ばれていることをあとで知った。「アメリカンステーキ」と注文すべきだった。
 現役を退くと少し気兼ねをするようになった。年金生活者が100g1,000円のステーキを食べることに疚しさを感じる。こんな状況で有難いのがサイコロステーキだ。近所のスーパーのちらしの日替わり目玉品で100g148円のサイコロステーキを見つけた時は本当に嬉しかった。
 サイコロステーキは決して質の悪い牛肉ではない。整形したステーキ肉からはみ出した欠片だ。1片ずつが違う部位なので、時々特に旨い肉にも出会うというギャンブル的な楽しみもある。安くて旨い物が好きな元大阪人の好みにピッタリだ。
 ある日、日替わり目玉品のサイコロステーキを買った。献立は同居する母に任せて買い物は私が引き受けているので、毎日「今日こそステーキ」と楽しみにしていた。ところが数日後に思い掛けない形で、変わり果てた姿に対面することになった。鍋料理の具として使われてしまった。その時の私のショックは恋人の生首を見せ付けられた男のようなものだった。怒りを抑えて食べたが、哀れ我が愛しのステーキ肉はすっかり「出汁の素」として使命を終えた抜け殻となっていた。母と同居を始めてから半年になるが初めて「美味しくない」と愚痴をこぼした。
 母にとっては、私がよく買う100g128円のクズ肉と同じ位置付けだった。たった20円しか違わない。しかし私のショックは大きく胃痛と吐き気が1週間ほど続いた。怒れば健康を損なうということを改めて痛感した。

東京裁判

2013-04-26 09:38:41 | Weblog
 極東国際軍事裁判(東京裁判)は戦勝国が敗戦国を罰するための裁判だ。「勝てば官軍」そのもので「平和に反する罪」や「人道に反する罪」といった後付けのルールで裁くのだから全く不合理極まりない。「平和に反する罪」なら「窮鼠が猫を噛む」ように仕向けたアメリカにこそ罪があり、広島・長崎に対する原爆の投下は人類史上最大級の「人道に反する罪」だ。このことに疑問を持たないアメリカ人の独善性とダブルスタンダードには呆れずにいられない。
 屁理屈はさて置き、日本は敗戦国だから裁かれた。ところがここでアメリカははたと困り果てた。ドイツやイタリアならナチスとファシストを主犯格に据えられるが日本の対米戦争には首謀者がいなかったからだ。会議によって民主的に決められたし国民もそれを熱狂的に支持していた。
 戦後の歴史教育では軍部が暴走したように教えているがこれは大嘘だ。日清・日露戦争の勝利に酔った国民はのぼせ上がって好戦的になっており、今も旭日旗を社旗とする朝日新聞などのマスコミもそれを煽った。ナチスのような首謀者がいないから、アメリカは軍国主義者という虚構をでっち上げざるを得なかった。こうして生け贄にされたのがA級戦犯だ。
 国民はA級戦犯を悪人とは思っていない。対米戦争が悪であるなら自分達も同罪であり国民を代表して処刑されたと思っている。言わば人間の罪を背負って磔にされたイエス・キリストのようなものだ。こんな経緯もあり「死んだら神様」という独特の信仰もあるのでA級戦犯も靖国神社に合祀された。
 しかしこのことは東京裁判に基づく戦後秩序に対する反乱だ。東京裁判を茶番劇として否定したいのなら実力行使をする前に歴史の再評価をするべきだろう。理論を欠いたままでの行動は問題解決には繋がらない。
 「悪い軍国主義者」に総ての罪を押し付けることは非常に賢明な方便だ。そうすればナチスに総ての罪を押し付けるドイツ国民と同様に日本人も無罪放免される。それをできないのが日本人の誠実性だがこのことが誤解を招いていることも事実だ。

無農薬野菜

2013-04-24 15:59:03 | Weblog
 無農薬野菜は危険だ。農薬を使った野菜なら表面に農薬が付着していることがありこれは洗い流せるが、無農薬野菜は表面ではなく内部に農薬様物質が蓄積されておりこれは洗っても取れない。
 野生の植物は総て毒素を持っている。これは草食動物に食べ尽くされないための進化だ。草食動物の側ではその毒素に強い体質を進化によって獲得し、それに対して植物は新しい毒素を身に付ける。この植物と草食動物による戦いは太古から延々と続けられている。野菜は人類が長い年月を掛けて品種改良を続けて毒素を極小化した物だ。毒素が少ないから当然、虫を含めた草食動物によって食い荒らされる。
 野菜にとっての生存戦略は2つだ。食い荒らされることを選ぶか先祖返りをして毒素を持つかだ。
 前者の場合、虫食い野菜となる。昔の野菜は虫食いだらけでしばしば虫そのものまで付いていた。今ではそんな野菜は売られていない。虫食い野菜は廃棄され、農薬によって守られた綺麗な野菜だけが市場に出回る。
 無農薬野菜なら必ず虫食いによってボロボロになる。そうならないのは先祖返りをしてたっぷりと毒素を蓄えた野菜だ。つまり虫でさえ食べないほど毒素の多い物だけが無農薬野菜として市場に流通する。
 自然界は過酷だ。武装しなければ生き延びられない。自ら武装して毒を持つか、武器をアウトソーシングする、つまり農薬に守ってもらうかのどちらかしかない。
 農薬が毒物であることを否定するつもりは無い。毒など無いほうが良い。しかし毒が欠かせないのだから、表面の毒を選ぶか内部の毒を選ぶかの二者択一になる。

北朝鮮

2013-04-24 15:29:35 | Weblog
 個人も国も基本的には自らの利益を追求するものだ。個人が利益を放棄することは本人の勝手だが、国家が国益を損なうことは本来あるべからざることだ。個人の利他的行動にしばしば裏があるように、北朝鮮が国益を損なうような行動を続けることにも裏の事情があるのではないだろうか。東アジアの最貧国による軍事的挑発は単に内政の維持だけが目的ではなく何らかの国際的戦略の一環と見るべきだろう。
 北朝鮮の暴走によって存在感を高めている国がある、他でもない中国だ。中国は北朝鮮を押さえ込める唯一の国として国際社会で期待されている。
 北朝鮮は経済も軍事も中国に依存している。中国が支援をやめればすぐにでも崩壊してしまいそうな状況だ。そんな状況下でなぜ北朝鮮が中国の意向に背いて行動できるのだろうか。いや逆だ。これは中国の意向に沿った行動なのだろう。推理小説でも現実でも犯行によって利益を得る者が一番怪しい。
 北朝鮮が好戦的なポーズを取れば日米韓の3カ国は恐れ慄く。たとえ北朝鮮そのものが大して怖くなくてもバックに中国が控えていることを思えば迂闊な手出しはできない。
 そんな中で韓国が中国に急接近している。頼りにならないアメリカに見切りを付けて、中国との関係強化によって北朝鮮の脅威を減らそうとしている。これこそ中国の狙いではないだろうか。負担にしかならない北朝鮮とは違って韓国には経済力も技術力もある。北朝鮮の脅威を演出して韓国を属国化することが中国の狙いであり北朝鮮は中国の国益を拡大するための操り人形に過ぎないと考えることは余りにも穿った見方だろうか。

可能性

2013-04-23 11:07:25 | Weblog
 テレビを見ていたら学者が「可能性が高くなったと考えられる」と発言していた。新聞を読んでいたら「可能性は否定できない」と書かれていた。これらの言葉に意味はあるのだろうか。
 例えば三宅島で地震が起こったら東京直下型地震の「可能性が高くなったと考えられる」し、明日東京に隕石が落ちることだって「可能性は否定できない。」どうも可能性という言葉が安易に・無責任に使われ過ぎているようだ。
 かつて天気予報で「晴れ時々曇、所により雨」という予報があり、こんな余りにも文学的で無内容で曖昧な表現は否定されて現在の降水確率予報になった。同じように、こんな無責任な放言を追放すべきではないだろうか。これらは無用な危機感を煽るだけだ。前者なら「何%から何%に高まったか」、後者なら「何%の可能性なのか」と突っ込むべきだろう。科学者は評論家ではない。科学的知識に基づいて適切な指針を示すべきだ。責任逃れを最優先する学者など学会から追放すべきだろう。ガリレオ・ガリレイに倣うべきだ。
 人は小さな可能性を過大評価する傾向がある。宝くじが当たることやBSEに感染することや明日大地震に遭遇することなどの可能性は殆んど皆無だ。こんな微小な可能性を騒ぎ立てることは迷惑だ。もっと大切なことは幾らでもある。科学を装った無責任な放言をして危機を煽ることを放任すべきではない。

世間の意思

2013-04-23 11:04:59 | Weblog
 東日本大震災の際、関東のスーパーで真っ先に売り切れたのはトイレットペーパーだったそうだ。所謂知識人はこの行動を馬鹿にするが彼らこそ阿呆だ。消費者は正しい反応をした。なぜなら売り切れる商品を正しく予測したからだ。
 必要性を考えれば水、食品、乾電池、防寒具などを急いで買うべきだろうが、別の考え方もある。売り切れそうな商品を買い溜めるということだ。必要な物と売り切れる物とは異なる。売り切れるのは多くの人が「急いで買わなければ買えなくなる」と思う商品だ。訳の分からないままトイレットペーパーを買い漁った人が大半だろうが、品薄になることを予測して買い溜めをした人もいるだろう。
 美人コンテストの審査員は最も美しいと思う女性を選んではいけないと言われている。大衆が納得する女性を選ぶことが求められているらしい。つまり自分の意見ではなく大衆の意見を予想して世界中から支持される審査結果を出さねばならない。こうすることによってコンテストの権威が保たれる。
 ある百貨店の食品バイヤーからこんな話を聞いた。「旨い商品を選んだら失敗する。売れる商品を選ばねばならない。」
 不特定多数が参加する政治や経済においても正しい策は必ずしも最善策ではない。世間が納得する策こそ最善策だ。
 日銀の黒田総裁による超金融緩和策によって円安・株高が実現しつつある。これは市場を味方にしたから成功したのだろう。海外も含めた市場参加者から歓迎される対策を表明したからこそ思惑どおりに市場が動いた。
 この逆が白川前総裁だ。「為替レートはかくあるべし」という勝手な理屈で市場に介入したから市場参加者の協力は全く得られず大失敗を繰り返した。多分「世界は日銀に平伏す」と思い上がっていたのだろう。市場が思いどおりに反応しないからその後はデフレ対策まで放棄してしまった。当時の財務大臣も含めて全く駄目な権力者だった。
 従順な日本国民の多くは権力に従うが外国人にとっては日銀の権力などに何の権威も無い。このことを「お山の大将」は理解していなかったのだろう。市場の意向を読んで世界の市場参加者に協力をさせなければ市場を動かすことはできない。独り善がりでは成功できない。