俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

平均

2015-11-30 10:36:53 | Weblog
 27日の総務省の発表に拠ると10月の完全失業率は前月より0.3%低い3.1%で、1995年の7月以来、20年3か月ぶりの低水準だった。その一方で収入は前年同月よりも0.9%減少したとのことだ。
 マスコミはこのことを捕えて賃金が上昇していないと報じるが、失業率が下がって平均賃金が下がるのは当たり前だろう。年金生活者である私がシルバー人材センターでほんの少しだけ働けば失業率も平均賃金も下がる。特別な人でない限り、失業者が就職していきなり高賃金を得ることはあり得ない。従って失業率が下がれば必然的に平均賃金も下がる。ワークシェアリングをしても同じことだ。平均値は実態を正しく表す指標ではない。
 同じ27日に農林水産省が発表した「2015年農林業センサス」に拠ると、現在の農家の平均年齢は66.3歳で20年前より7歳以上上昇して高齢化が深刻とのことだ。農家と一括りにすれば誤解を招く。兼業農家や退職後農家が含まれるからだ。
 兼業農家とは本業を持ちながら農業も営む人だ。親から譲り受けた農地があり本業の傍ら農業にも取り組んでいる。収入の大半は本業に依存しており、実態としては大規模な家庭農園を持つ賃金労働者だ。こんな人が定年退職をすると退職後農家になる。本業の収入が無くなる一方で、自営である農業に定年は無いから兼業だった農業が本業になる。退職後農家の農業収入は決して多くないが、かつての勤労者としての年金があるから、道楽や小遣い稼ぎとして気楽に農業を営んでいる。困ったことにこんな人まで統計上「専業農家」に分類されるから専業農家の年齢が高く農業収入は低く算出される。
 農業人口は戦後一貫して減り続けているがその一方で2001年以降の農業生産額は8.4兆円前後で安定している。今年もその程度と推定すれば、農業従事者一人当たりの生産額は401万円となる。20年前の1995年の生産額は10.4兆円で従事者数は335万人だったから一人当たりは310万円だ。20年間で一人当たりの生産額は19.7%も増えたことになる。
 退職後農家や兼業農家まで含めて平均値を求めるから訳の分からぬ数値になる。実際に日本の農業を支えているのは、退職後農家を除いた真の専業農家だ。TPP対策として農家ではなく農業を守ろうとするなら真の専業農家に対する支援に特化すべきだ。
 日本の農業の生産額は世界で5位だ。決して衰退産業ではない。省益と補助金のために統計数値を悪用して日本の農業を過小評価させようとする農水省の悪意あるプロパガンダに欺かれてはならない。
 

逃亡者

2015-11-30 09:50:14 | Weblog
 27日にオウム真理教の元信者の菊地直子被告に対する逆転無罪判決が下された。批判的な意見が少なくないが妥当な判決だと思う。オウム真理教の信者の大半は麻原彰晃(松本智津夫)という狂人に人生を狂わされた気の毒な被害者だ。IS(イスラミックステート)のようなテロを目的とした組織とは根本的に違う。
 それにも拘わらずマスコミの報じ方は昨年3月の袴田事件とは全然違っていた。死刑判決が確定していた袴田死刑囚の再審と釈放が決まった時、マスコミは好意的に報じた。しかし菊地被告の無罪判決には疑問を挟んだ報道が少なくなかった。
 一審の裁判員裁判の判決は明らかに誤っていた。薬品を運んだことを根拠にして殺人未遂幇助とされたが、これはオウム憎しという感情が露呈したものだろう。夫が台所にあった包丁を使って殺人事件を起こした時に妻に殺人幇助の罪を着せるような判決だ。
 有罪と主張する人のもう1つの論拠は17年も逃げていたことだ。犯罪者という自覚が無ければ名乗り出た筈だ、と言う。これもこじつけだ。冤罪と分かっているからこそ逃げることもある。
 昔大ヒットしたテレビドラマがある。「逃亡者」という作品だ。これは妻殺しの濡れ衣を着せられた医師が逃亡を続ける話だ。無実の人間の逃亡という設定にリアリティがあったからこそ共感を呼んだ。
 もっと身近な例がある。痴漢の冤罪だ。身に覚えが無いことであれば堂々と潔白を主張すれば良いと言う人もいるがこの冤罪は少なくない。犯罪があったことなら証明できるが無かったことを証明することは実質的に不可能だからだ。しかも痴漢に関しては刑法の大原則である「疑わしきは罰せず」が適用されていない。お勧めできることではないが、痴漢の冤罪から逃れる最も有効な方法は、逃げることらしい。菊地非告も加担しなかったことを証明することは困難であり疑わしいだけで罰せられると考えたからこそ逃亡を続けざるを得なかったのではないだろうか。
 オウム憎しの感情は理解できる。しかし被害者でもある一般信者に対する憎悪は誤りだ。菊地被告の無罪判決に不満を持つ人の大半が、彼女が何をしたかさえ把握していない。オウムの関係者だから悪人だという論法は余りにも乱暴だ。偏見以外の何物でもない。オウムの犯罪者と一般信者は、ISとその支配地の住民ほどに異なると思う。
 オウムの実行犯も決して極悪人ではなかろう。狂人の言葉を信じた気の毒な人だと思う。ニュルンベルク裁判の連合国の裁判官はナチスの戦争犯罪人が揃いも揃って余りにもまともな小市民であることに驚愕したと言われている。言われたことを忠実にこなす小役人のような人ばかりで到底大虐殺の首謀者とは思えない平凡な人々だったらしい。オウムの犯罪者もナチスと似たタイプではないだろうか。勿論、オウムの犯罪者もナチスの戦争犯罪人も罰せられるべきだ。しかしその罪が一般信者や一般党員にまで及ぶとは考えられない。オウムの元信者に対する憎悪は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」以上に不合理な感情だ。オウムの元信者の多くは加害者ではなく被害者だ。

帝国の慰安婦

2015-11-28 10:37:51 | Weblog
 「帝国の慰安婦」の著者、朴裕河・世宗大学教授が18日に韓国で起訴された。元慰安婦に対する名誉棄損の罪に問われている。
 しばらく前にこの本を入手していたがずっと「積ん読」の状態だった。朝日新聞が捏造を認めた今となっては慰安婦問題など過去の話であり、他に読みたい本が沢山あったからだ。しかしこの起訴をきっかけにして読んでみた。
 読んで驚いたことは、慰安婦の多様性だ。政治問題化して以降、白黒を付けようとする本ばかりでどの本も偏っているが、この本は政治問題化する遥か前の1973年に出版された千田夏光氏の「従軍慰安婦‘声なき声‘8万人の告発」をベースにして、韓国では出版されているが未だ邦訳されていない膨大な著書に基づいて書かれている。恥ずかしながらこの本で「従軍慰安婦」の名付け親を知った。私はずっと朝日新聞による造語だと思っていた。
 考えてみれば当然のことなのだが、かつての慰安婦だけではなく現代の風俗嬢も非常に多様だ。まず風俗嬢の範囲が広い。ホステスからソープ嬢まで無限のバリエーションがある。フードルと呼ばれる人であればアイドルと大差が無い。テレビに出ていないローカル・アイドルのようなものだ。先月末にブログが閉鎖された「Tバックの女王」飯島愛さんはホステスからAV女優を経てタレントになった。現代の風俗嬢を一括りにできないように戦時中の慰安婦も一括りにはできない。無垢の少女という位置付けも売春婦という位置付けも偏っている。
 風俗嬢をどう捕えるかについて大きな隔たりがある。男の性欲に奉仕する賤しい職業と考える人もいれば容姿と巧妙な話術を活かす知的職業と考える人もいる。私には縁の無い世界だが銀座の一流ホステスの知的レベルはかなり高いらしい。たとえ風俗嬢を「性奴隷」と位置付けることが可能であっても、彼女達の大半がこの呼称に激怒するだろう。
 現代の風俗嬢の位置付けでさえ難しいのだから戦時中の慰安婦をどう評価するかは難し過ぎる。様々な慰安所があり様々な慰安婦と兵士がいた。それぞれの主義主張を持つ人が多様な証言から取捨選択をして好き勝手なことを主張しているのが現状だ。先に結論があってそれを裏付けるための証言を拾い集めている。そんな本が多い中でこの「帝国の慰安婦」は数少ない良書でありこんな優れた研究を弾圧すべきではない。裁判所まで言論弾圧に加担するようであればOINK(Only in Korea)という悪評を補強することになって韓国のためにならない。日本でも26日に学者などのグループが抗議声明を発表した。メンバーはなぜか左寄りの人ばかりで、韓国のある新聞では「良心的日本人を代表する」人々と紹介されていた。大江健三郎氏、上野千鶴子氏、村山富市元首相などが名を連ねているがこの本は決して左寄りの本ではなくごく真っ当な研究書だ。異論を許容しなければ文明社会ではない。
 

願望

2015-11-28 09:44:30 | Weblog
 「理想は現実的でなければならない」と私は確信している。しかしこの考え方は余り理解されない。詭弁かパラドクスであるかのように誤解され勝ちだ。多くの人は、理想を現実の反対語と考える。しかし「現実」の反対語は「理想」ではなく「願望」あるいは「妄想」ではないだろうか。
 非現実的な願望は幾らでもある。天国、不老不死、神通力、永遠の愛、無税福祉社会、公正無私な政治家、エデンの園、ユートピア、これらは理想たり得ない。ただの願望であり妄想だ。こんな妄想を理想として掲げることは理想に対する冒涜だ。単なる願望が理想という名を騙っている。
 妄想は目指すべき理想の邪魔をする。例えば、天国という嘘が現世での努力を怠らせる。不老不死の仙薬を求めた始皇帝は水銀を飲んで却って命を縮めた。騎士道精神に憧れたアロンソ・キハーナは狂人ドン・キホーテになった。医療を超える霊力を求めた愚かな人が祈祷術などのオカルトの罠にはまる。現実離れした願望が求めるのは現実とは懸け離れたものだ。理想は現実を踏まえたものであって妄想や願望の対極に位置する。
 平和のためにどうするべきか。小学生ならこう答えるだろう「世界中の人みんなが仲良くなれば良い。」隣人との諍いが絶えない人がどうやって文化の異なる未知の他人と仲良くできるのだろうか。
 犯罪の無い社会はどうすれば実現できるだろうか。夢想家はこう言う「犯罪は貧困から生まれる。貧困の無い平等な社会を作らねばならない。」こんな空理空論など要らない。
 理想を掲げずに願望に頼ることは責任放棄だ。「悪人にはあの世で神罰が下る」と言って現状を放置すれば問題は解決されない。現実的な理想であればそれを実現するために努力する必要が生じる。その責任から逃れるために非現実的な願望を掲げて現実的な理想を蔑視していればその結果として現状が放置される。これは免罪符のような悪しき宗教的妄想だろう。
 「武士は食わねど高楊枝」は理想にはならない。人は食べなければ生きられない。霞を食べて生きる人などいない。現実的な問題を解決せねばならない。
 達成不可能な「理想社会」を説く人を私は信用しない。彼らは高みの見物を決め込んでいる。できもしない「理想」を掲げて努力を放棄する。理想とはそんなものではなかろう。まず現在可能な理想を実現するために邁進してそれが達成されたら更なる改善を目指す。現実的な目標こそ理想であるべきだ。最終的な高い理想を達成するためには中間的な理想を設けて少しずつ改善し続ける必要がある。

歴史書

2015-11-26 10:18:27 | Weblog
 中国は偉大だとつくづく思う。勿論、現代の中国のことではない。中国史のことだ。司馬遷の「史記」あるいはそれ以前の歴史書である「春秋」などがそのまま残っている。もし始皇帝による焚書坑儒が無ければもっと多くの歴史書が残っていたかも知れない。
 権力者にとって歴史書は忌々しい。不都合な記録が必ず残されているからだ。だから都合の良い歴史書を編纂させようとする。
 日本最古の歴史書の「古事記」と「日本書紀」は天武天皇の命によって作られた。その元資料となった「帝紀」と「旧辞」は残っていない。多分都合の悪い歴史を抹殺するために廃棄されたのだろう。天武天皇は継体天皇と共に、最も素性の怪しい天皇だ。
 明治維新の新政府も歴史を改竄しようとした。勤王の志士を英雄に、新撰組をテロリストと位置付けた。しかし言論の自由があったからこれは成功しなかった。それでも江戸時代を暗黒時代と信じ込ませることには少なからず成功した。
 朝鮮はもっと酷い。最古の歴史書は1145年に完成した「三国史記」だ。この書は多くの歴史書に基づいて書かれたとされているが第一次史料はどれ1つとして現存しない。多分意図的に廃棄されたのだろう。そのために信憑性は乏しく、中国や日本の歴史書と矛盾する箇所が多数ある。歴史に対する不誠実さの現れだろう。
 歴史書を編纂することは大切だがその時にやってはならないことはそれ以前の歴史書を葬ることだ。これは言論統制であり歴史の捏造だ。
 日本と朝鮮の例を見れば中国の歴史書がいかに素晴らしいか分かる。歴史は事実そのものではなく必ず解釈が加わるが記録としての価値は高い。権力者が歴史書をどう評価するかが重大な試金石となる。不当な権力者ほど歴史を捏造する。歴史を直視できない権力者はfactをfictionに変え更にfantasyへと至る。
 中国の歴代王朝が歴史を尊重したのは自らの正当性を確信していたからだろう。それと比べて現代の中国は情けない。歴史を歪めようとする。抗日戦争の主役が国民党政府であったこと、毛沢東には沢山の失政があったこと、そして文化大革命や天安門事件。これらが隠されている。かつての歴史大国が今では世界有数の歴史貧国に堕している。
 歴史を知ることは事実を踏まえることだ。不都合なことも含めて事実を事実と認めることだ。この姿勢は科学と同じだ。事実よりも願望を優先すべきではない。悪人が履歴書に嘘を並べ立てるように悪い権力者が歴史を捏造する。もし間違った歴史が定着していればそれは断固見直されねばならない。基礎工事で手抜きをした建造物が壊れるように、国の根幹たる歴史を捏造した国家は崩壊する。

予防

2015-11-26 09:36:41 | Weblog
 赤信号で止まらされる時、運が悪かったと思う。しかし良いタイミングで青信号になって通過したばかりに交通事故に遭うということもあり得る。その時には「赤信号で止まっていれば」と思うだろう。
 赤信号が招いた幸運に人は気付かない。何も起こらなかったからだ。何も起こらないのが当たり前だから幸運を招いた赤信号に気付かない。
 不運が実は幸運だったと実感できるのは航空機事故の時ぐらいだろう。ダブルブッキング等のために搭乗できなかった人はその不運を嘆く。しかし乗り損ねた航空機が事故を起こせば幸運だったことを知る。これは例外であって、人は不幸が回避されたことには気付かない。不幸が未然に回避されても感謝しない。
 ビジネスにおいて危機察知能力の高い人がいる。こんな人は事故が起こる前に問題を解決する。残念なことにこんな人は余り高く評価されない。むしろ軽いトラブルが起こってから巧妙に解決した人のほうが評価され勝ちだ。
 病を患う人は多くの原因を挙げる。過労、偏食、飲酒、喫煙etc.。しかし健康な人がなぜ健康であるかは分からないことが多い。だから病気は研究の対象にできるが健康は対象外だ。
 こんな不可知性に付け込んだビジネスが2つある。御利益宗教と偽医療だ。御利益宗教を信じれば不幸を回避でき仮に不幸に遭ってもそれを軽減できると言う。死ぬ筈だった事故も半身不随で済む、と言う。全く呆れた理屈だが、これと全く同じ理屈を使うのが偽医療だ。医療とはオカルトと同類だと痛感せずにいられない。インフルエンザワクチンを接種すれば罹りにくくなり仮に罹っても軽症で済むと厚生労働省は公言している。御利益宗教と全く同じ理屈を使って恥ずかしくないのだろうか。
 インフルエンザワクチンの有効性は証明されていない。3・4年後まで調べれば却って有害というデータもある。有害性は確実だが有効性は不確実なワクチンなど要らない。
 現在の予防医療の大半は偽医療だ。予防効果があったかどうか殆んど検証されていない。医師自らが「呼ぼう医療」と陰口を叩いているらしい。癌の早期発見・早期治療も大半が癌ではなく良性腫瘍を切り取るだけの無駄で有害な偽医療だろう。

異常者

2015-11-24 10:38:53 | Weblog
 異常者と少数者が混同され勝ちだ。異常者とは狂った者であり、珍しいだけの少数者とは区別される必要がある。正常な少数者を狂った者と扱うべきではないし、狂った人を珍しい人と見なしてその権利を認めるべきではない。
 身長の話が一番分かり易い。今や日本を代表する投手に育った大谷翔平投手は193㎝だ。阪神の藤波晋太郎投手はそれよりも高い198㎝だ。彼らは少数者ではあるが異常者ではない。彼らは長身ではあるが全身のバランスが整っているから正常者だ。ホルモンバランスが崩れた巨人症の場合、成長ホルモンの異常が原因だから全身のバランスも異常であり顔も変形する。大谷投手も藤波投手も巨人症特有の顔ではない。正常性の証しだ。
 標準から外れる人を異常者と考える人は、標準よりも優れた人も劣った人も異常者として排除しようとする。こういう「プロクルステスのベッド」のような歪んだ価値評価がしばしば見られる。
 最近問題になっているのは性的マイノリティ(少数者)だろう。マイノリティを承認せよという意見が強まっているがこれが異常者の許容に繋がることを危惧する。私は同性愛なら否定しない。それは趣味・嗜好の問題であって決して狂った精神ではなかろう。しかし性同一性障害者は大半が狂った人だ。自分の性を受け入れられなくなる何らかの外的要因が働いたために狂わされている。
 完全型アンドロゲン不応症の場合、遺伝子が男性でありながら女性の体を持つ。この場合、自分を女性と信じるのは当然のことであり性同一性障害ではない。遺伝子と生殖能力以外は完全に女性だからだ。身体としては異常だが精神としては正常だ。
 性同一性障害者には女性性あるいは男性性に対する強烈な憎悪がある。これは後天的に植え付けられた異常な情動だからあくまで「障害」であり治療を要する精神病だ。
 今年の犯罪白書に拠れば、5年以内の再犯率は痴漢が最も高く44.7%、次いで盗撮が38.4%とのことだ。彼らは決して少数者ではなく異常者だ。女性の不快感を慮ることができない異常人格者に過ぎない。彼らに少数者としての権利を認める必要など無い。性欲が異常に高いのは少数者だが、女性が蒙る被害を気にしないのは異常者だ。固執する変態性は特殊な嗜好ではなく歪んだ嗜好だ。彼らに必要なのは更生であり、彼らの権利を認める必要性など微塵も無い。
 福生市で顔の皮が剥がされた奇妙な遺体が見つかった。遺体は元女性で性転換手術を受けていた。発見者は養子の男性で女性ホルモンを常用し女装をしていた。婚姻が認められないために親子関係を偽装したものと思われる。元女が夫役で女装する男が妻役という奇妙なカップルだ。未だ真相は明かされていないが多分この養子または第3の異常者による猟奇的な犯行だろう。
 少数者の権利は尊重されるべきだが、異常者の狂った行動まで許容されるべきとは思えない。彼らに必要なのは治療であって権利ではない。

母性

2015-11-24 09:44:14 | Weblog
 人間は本能が壊れた動物だ。しかし本能が壊れているからこそ自由であり人間であることができる。もし猿と同じくらい本能が残っていれば猿になる。
 とは言え、本能が全く壊れて白紙(タブラ・ラサ)として生まれる訳ではない。具体性を持たない「可能性」として様々な性質が先天的に備わっている。生存欲、性欲、群居欲など無数の欲求が潜在している。
 人類は男女が別の方向に進化したと私は考える。例えば、男性は競争的で女性は協調的だ。このことが種の繁栄に役立った。競争的であれば種族外あるいは集団外競争において有利であり、協調的であれば種族内あるいは集団内の融和に役立つ。進化論の用語を使えば前者は種族外淘汰、後者が種族内淘汰に対応する。競争力も協調力も必要だが1つの個体が両者を満たすことは難しいから男女に分かれて進化したのだと私は考える。
 しかし人類の本能は壊れている。壊れた本能を文化によって補完しなければ動物以下の獣に堕する。
 哺乳類であるにも拘わらず人類のメスの母性本能は半分以上破壊されている。それでもオスよりは乳児の心を理解できる。それが可能なのは本能が少しだけ残っているからだ。
 愛情や友情は半分破壊された群居本能の残像だろう。元々群居動物であった人類にとって群居は好ましく、群居を快適にするため感情として愛情や友情への欲求があるのだと思う。これが社会秩序の維持のためにも役立つ。
 しかし愛情や友情が本能として備わっている訳ではない。その可能性だけが備わっている。この能力は文化の中で育成されねばならない。同様に母性愛も本能ではない。あくまで可能性として備わっているに過ぎない。これを本能だと思い込んでいるから様々な問題が生じる。
 最近児童虐待の報道が多い。こんなことが起こるのは母性愛を育てないからだ。母性愛を本能だと思い込んでいるから壊れた本能を未熟なままで放置している。これは戦後教育の不備だろう。感情を育てることを怠っているからだ。学校でも家庭でも感情を育てなければそんな大人になり、そんな大人が次世代を更に酷い大人にする。
 無感情な子供を作ることは意外と易しいらしい。テレビ漬けにするだけで良い。子供の反応を無視するテレビとの関係しか無ければ、反応することが無意味であると学習して反応しなくなる。環境を操作するだけで人間が怪物に化けてしまう。
 動物の脳には本能というソフトが予め内蔵されているが人類の脳はソフトを備えない高性能コンピュータのようなものだ。ソフトは育成の過程で初めてインストールされる。人は文化の中で育てなければ動物以下になる。壊れた本能を壊れたままで放置すれば獣になり、育成されて初めて人間になる。ボーボワール氏の有名な言葉をもじれば「人は人として生まれない。人になる」ということだ。

金券ショップ

2015-11-22 10:33:08 | Weblog
 昨年の野々村元県会議員による号泣記者会見で注目された金券ショップを使えば簡単かつ合理的な節約生活が可能だ。生活の質や量を下げる節約では結局「安かろう悪かろう」にしかならない。どうせ使ってしまう金券類による節約が合理的だ。但しこの方法には2つの欠点がある。家計簿が付けにくくなることと、人によっては金使いが荒くなることだ。
 なお、金券ショップの商品は総て「時価」で販売される。回数券のバラ売りである近距離切符以外は店ごと時期ごとに激しく変動する。この記事で例示した価格は梅田地区における安値であり他の地域ではもう少し高いことが多い。
 私が最もよく購入するのは百貨店の共通商品券だ。千円券を985円近辺で買う。たった1.5%と笑う勿れ。商品券の長所はお釣りが出ることだ。もし15円の商品を買えば985円のお釣りが貰えるからその釣り銭で再び千円券が買える。これを繰り返せば15円の商品が幾らでもタダで手に入ることになる。聞くところによると手芸用品の売り場には10円の商品があるらしい。これを千円券で買えばお釣りは何と990円!買う度に5円ずつ儲かる。流石にここまではできず専ら143円の第3のビールを買って立ち飲みをする。実質128円の負担だから1割引き以上になる。定価販売の煙草や書籍も実質的に15円引きで買える。
 梅田に生活圏がある人には阪急友の会の5千円券をお勧めする。4,800円で買えば4%引きだ。阪急と阪神でしか使えないがこれで100円の商品を買えば千円券4枚と現金900円を入手できる。この千円券で再び100円の商品を買えば900円のお釣りが貰える。この手順を繰り返せば商品500円分と現金4,500円が手元に残る。つまり300円の負担で500円分の買い物ができることになる。
 電車の切符もよく買う。市内の移動であれば10円か20円程度浮くだけだが遠距離だと馬鹿にできない。近鉄の株主優待券は1,400円程度で入手できるが、大阪から伊勢までの1,800円区間や名古屋までの2,360円区間でも使える。
 葉書や切手も安く買えるが見逃せないのは印刷済みの年賀葉書だ。郵便局で買えば1枚当り92円だが、デザインは異なるとは言え60円ほどで買える。
 各種飲食券も安く、大阪に住んでいた頃は様々な飲食券を買っていたが、最近は餃子の王将で使える「ぐるなびギフトカード」ばかり買っている。お釣りが出ないのが難点だが500円券を470円、千円券なら940円以下で買う。図書カードは96%以下で買えるし信販会社のギフトカードなど探せば様々な掘り出し物が見つかる。かつては最も換金性の高い金券だったテレホンカードが今では50度数券が200円以下だ。これを使えば公衆電話のほうが固定電話よりも安くなる。
 かつての金券ショップは希少価値のある貨幣や紙幣や切手を扱っていたものだが今では殆んどが格安チケットだ。最近は外貨を扱う店が増え、銀行よりもレートが良いらしく両替をする外国人の姿も見受けられる。

食文化

2015-11-22 09:45:24 | Weblog
 人類はこれまで何を食べていただろうか。3期に分けて考える必要がある。①火を知らない時代②火を使いこなす時代③農耕時代。
 ①火を知らない時代・・・現代人な何を生のままで食べているだろうか。果実、魚、生野菜、母乳、これぐらいしか思い当たらない。これでは不充分だ。原始人類は現代人が生では食べない物も食べていただろう。イヌイット(エスキモー)のように生肉も食べていただろうし、多分昆虫も食べていただろう。イヌイットは内臓も生で食べるが、これは極北の寒冷地だから可能な食事であり、温暖な土地で生の内臓を食べれば細菌に感染する可能性が高い。肉食動物とは違って人類は細菌に弱いから生の内臓は食べられなかっただろう。人類にほぼ共通する内臓に対する嫌悪感はこの時代に培われたのではないだろうか。つまり内臓を食べたがった人は感染症に罹って淘汰されたと考えられる。
 ②火を使いこなす時代・・・人類は加熱して食べる唯一の動物だ。加熱によって一部の栄養素が損なわれるがそれでも加熱を選ばざるを得ないほど細菌に弱いということだ。加熱によって細菌を殺せば食生活は豊かになる。感染症が減り栄養摂取量が増えれば脳の進化が可能になる。現代人の脳の重量は2%に過ぎないがエネルギーの20%を消費するとてつもなく高燃費な臓器だ。大きくなった脳を守る頭蓋骨も重くて負担になる。エネルギーの補給が不充分であればこれらはお荷物にしかならないところだ。脳を持て余さなくなった人類は更に高い文明のレベルに達する。
 ③農耕時代・・・農耕を始めることによって人類の栄養状態は更に改善された。しかし農耕の中心となった米や麦の栄養価は決して高くない。炭水化物に偏っているからだ。これらは栄養価が優れているからではなく再生産される量が多く保存性が高いから広く全世界に伝播したのだろう。
 人類はずっと雑食動物だ。雑食動物でありながら細菌に弱い。肉食動物のように生の内臓を食べれば細菌による感染症に罹る。人類は免疫力が弱いから加熱殺菌を始めその結果更に免疫力が弱くなったと考えられる。
 多分、人類は元々は多くの猿と同じように果実を主食とする動物だったのだろう。加熱せずに食べられる果実こそ人類のソウルフードだ。動物に付着する細菌に弱かった人類が加熱という安全策を選び、このことが淘汰圧を弱めて一層細菌に弱くなった。細菌に弱いということは動物としての大きな弱点だが今後人類が細菌に対して強くなるとは考えられない。抗生物質が効かない多剤耐性菌の増加は人類にとって最大の危機だろう。