能力とは先天性×後天性だ。「+」ではなく「×」であるところがミソだ。先天的能力が1/2であれば2倍の努力が必要だし、先天的能力が2倍であれば半分の努力で済む。
学芸であれスポーツであれ専門家は最大限の努力をしている。最大限の努力をして差が生じるのは先天性が異なるからだ。
元アスリートの為末大氏が「その体に生まれるかどうかが99%だ」と発言したのはあくまでトップアスリートのレベルでの話であり、彼らが血の滲むような努力をしても超えられない先天性の壁を指摘したものだ。決して努力が虚しいと否定した暴言ではない。
「努力は必ず報われる」と主張する人は多分、精一杯の努力をしたことの無いお山の大将だろう。努力だけでは届かない高い領域があることを知らないから努力至上主義を主張する。彼らに問いたい「100mを10秒以内で走れるか?」と。
もし私が子供の頃から必死で練習を重ねていてもせいぜい11秒が限界だろう。その程度の先天性しか持ち合わせていないからだ。努力至上主義者は「もっと命懸けで頑張れ」と尻を叩くのだろうか。これこそ残酷なことだ。限度を超えて頑張ってもできないことはできない。当り前の話だ。
町一番の俊足になら努力次第でなれるだろう。他に必死で努力する人が殆んどいないからだ。しかし日本一や世界一にはなれない。先天性を備えた人が同等以上に努力するからだ。努力で達成できるのはせいぜいローカルレベルでのNo.1までだ。
指導者としてなすべきことは、その人に可能な最大限の能力を引き出すことであって、不可能な目標を押し付けることではない。「努力は必ず報われる」という言葉は先天性に恵まれない人にとってはこの上無く残酷な言葉だ。できなければ努力不足として否定されるからだ。無理なことは無理と諦めることこそ必要だ。可能な限り頑張っても世界のレベルに届かなければ先天性の違いと諦めることが正しい判断だ。
学芸であれスポーツであれ専門家は最大限の努力をしている。最大限の努力をして差が生じるのは先天性が異なるからだ。
元アスリートの為末大氏が「その体に生まれるかどうかが99%だ」と発言したのはあくまでトップアスリートのレベルでの話であり、彼らが血の滲むような努力をしても超えられない先天性の壁を指摘したものだ。決して努力が虚しいと否定した暴言ではない。
「努力は必ず報われる」と主張する人は多分、精一杯の努力をしたことの無いお山の大将だろう。努力だけでは届かない高い領域があることを知らないから努力至上主義を主張する。彼らに問いたい「100mを10秒以内で走れるか?」と。
もし私が子供の頃から必死で練習を重ねていてもせいぜい11秒が限界だろう。その程度の先天性しか持ち合わせていないからだ。努力至上主義者は「もっと命懸けで頑張れ」と尻を叩くのだろうか。これこそ残酷なことだ。限度を超えて頑張ってもできないことはできない。当り前の話だ。
町一番の俊足になら努力次第でなれるだろう。他に必死で努力する人が殆んどいないからだ。しかし日本一や世界一にはなれない。先天性を備えた人が同等以上に努力するからだ。努力で達成できるのはせいぜいローカルレベルでのNo.1までだ。
指導者としてなすべきことは、その人に可能な最大限の能力を引き出すことであって、不可能な目標を押し付けることではない。「努力は必ず報われる」という言葉は先天性に恵まれない人にとってはこの上無く残酷な言葉だ。できなければ努力不足として否定されるからだ。無理なことは無理と諦めることこそ必要だ。可能な限り頑張っても世界のレベルに届かなければ先天性の違いと諦めることが正しい判断だ。