俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

口蹄疫

2010-06-29 14:37:08 | Weblog
 口蹄疫は非常に感染力の強い伝染病だ。だから感染した家畜は早急に処分せねばならない。そこまでは分かる。しかし埋めねばならないのだろうか。埋めるためには土地を確保して巨大な穴を掘らねばならない。そんなことに時間を掛けているから感染が拡大したのではないだろうか。
 ところで口蹄疫はどの程度危険な病気なのだろうか。鳥インフルエンザや狂牛病(BSE)とは違って、人間には感染せず、食べても無害だと言われている。
 中国では口蹄疫に罹った牛や豚は食べてしまうという噂だ。台湾では口蹄疫のワクチンを接種した豚の肉が普通に流通しているそうだ。ワクチンを接種した牛や豚を総て埋めてしまう日本よりも合理的だと思える。
 繰り返すが、口蹄疫は鳥インフルエンザと違って人間には感染しない。それにも関わらず鳥インフルエンザと同じように対応している。しかし牛は鶏よりも遥かに体が大きいので巨大な穴が必要だ。そのために対応に時間が掛かり感染が拡大したと思われる。
 本当に人間に無害なら、食べてしまえば良かろう。なら仕組みは既にできているので埋めるよりも遥かに早く対応できる。勿論、口蹄疫感染牛(豚)と表示して大幅に値引きする必要があるが埋めてしまうよりはマシではないだろうか。

ハコモノ

2010-06-29 14:20:18 | Weblog
 ハコモノはお役人による無駄遣いの象徴だ。施設を作るために多額の税金を使い、運営で赤字を垂れ流す。それでも彼らは雇用を生んだと開き直る。
 特に不可解なのは商業施設を作っても赤字にしてしまうことだ。WTCやATCは赤字だし、大阪駅前第1~第4ビルは殆ど儲かっているとは思えない。なぜこんな一等地にこんな使い勝手の悪いビルを建てたのか不思議でならない。民間企業に任せていたら10倍は活性化されていただろう。
 お役人によるビジネスは落語の酒商人の話のようなものだ。甲が共同経営者の乙に1文払って酒を飲む。次に乙が甲に1文払って酒を飲む。今度は甲が乙に1文払って・・・。こんなやり方で酒樽は空になり1文だけが残る。お役人同士で利益の分配をして資産を食い潰してしまう。こんな資産の食い潰しと比べたら、最も無駄な筈の穴を掘っては埋める作業に人件費を使ったほうがまだマシだ。
 結局お役人には収益事業はできないということだ。どうすれば利益を生み出せるのかという視点を欠いたお役人による商業ビル開発は、明治時代の士族の商法と同レベルでしかない。こんな連中にハコモノを作らせてはならない。お役人にも可能な収益事業は公営ギャンブルだけだ。
 お役人は民間企業による地域開発を政策面で支援すべきだ。余計なことさえしなければ民間企業が投資も雇用も税収も生んでくれる。お役人には未来永劫ハコモノを作って欲しくない。ハコモノは民間に任せて家賃による安定収入を図って欲しいものだ。

弱者と悪人と善人

2010-06-29 14:01:05 | Weblog
 消費税は逆累進性があるから消費税増税は弱者いじめだと言われている。
 だからと言って所得税を増税すればどうなるだろうか。所得税は実はデタラメな税制だ。「クロヨン(9・6・4)」とか「トーゴーサン(10・5・3)」とか言われているが実態はもっと酷い。納税を申告しなければ無税になるし、白色申告など脱税し放題だと言っても差し支えない。
 もう時効なので書けることだが私の父は自営業者で青色申告をしていた。物価修正をすれば私の10倍くらいは稼いでいたと思うのだが、サラリーマンである私の半分ぐらいしか納税していなかった。
 無茶苦茶な制度である所得税を増税することはサラリーマン増税にしかならない。つまり自営業者、農林水産業者、政治家といったもともとまともに納税していない脱税グループにとっては痛くも痒くもない。サラリーマンの負担を増やすだけでは不公平の拡大にしかならない。
 税制を改革するならかつての物品税を贅沢税として復活させるべきだろう。金持ちしか買わない宝飾品や毛皮などの贅沢品に多少課税しても問題はなかろう。
 消費税(付加価値税)という制度が考案されたのも正直者だけに負担を強いる所得税の不公平性を少しでも緩和しようとしたからだ。消費税の増税の狙いは所得税を納めない悪人の負担を増やすことであり、そのために弱者の負担が多少増えようともやむを得ないことだ。5%の増税は年収(≒消費額)1,000万円の人にとっては50万円の負担増となり、一方年収300万円の人にとっては15万円の負担増にしかならない。悪人に負担をさせるためには弱者の負担が多少増えることを黙認せざるを得ない。そうしないとサラリーマン(善人)の負担ばかりが増える。

賭博

2010-06-25 16:37:00 | Weblog
 角界が野球賭博で揺れている。暴力団の資金源になるのだからこれに手を出すのは悪いことだ。
 しかし根本的問題が置き去りにされている。賭博という行為が果たして悪いことなのかどうかということだ。もし悪いことなら国や自治体がほぼ独占的に利権を握っている公営ギャンブルを即刻やめるべきだ。
 ギャンブルは儲かる。参加者ではなく胴元が必ず儲かる仕組みになっている。これを国や自治体がほぼ独占していることが大きな問題だ。宝くじもトトも競馬も競輪も国と自治体が利権を握っている。競艇だけはどういう訳か笹川ファミリーが絡んでいるようだが公営というタテマエだ。パチンコでさえ警察の利権になっている。
 こんな儲かるビジネスを「公」が独占しようとするから暴力団が参入する。禁じられた儲かるビジネスに裏社会が積極的に参入するということは、禁酒法時代のアメリカでマフィヤが勢力を拡大したように、歴史的に証明された事実だ。
 ギャンブルは民間に開放されるべきだろう。自由競争になれば配当率も上がり、まともな企業が参入してサービスも良くなる。それに暴力団の財源にもならなくなる。
 もし賭博そのものが悪いことなら国と自治体は即刻撤退すべきであり、悪いことでないのなら独占せずに民間に開放すべきだろう。儲かる事業だからと独占しようとすることが諸悪の根源だ。もしかしたら無駄の多い今の仕組みよりも、賭博で利益をあげる企業から税として徴収したほうが、国や自治体としても儲かるようになるかも知れない。

信仰と布教

2010-06-25 16:24:29 | Weblog
 日本での戦国時代から江戸時代に至るまでヨーロッパのキリスト教会は宣教師を世界中に派遣していた。
 地球が球体だから宣教師はアジアや南米にまで派遣できる訳だが、彼らは地球が丸いということが聖書の記述と矛盾しているとは感じなかったのだろうか。
 あれほど地動説を異端として弾圧したキリスト教が、地球が丸いということをなぜ承認できたのだろうか。地動説はあくまで仮説なので否定が可能であるのに対して、地球が球体であることは既に現実として認めざるを得なかったということだろうか。
 宣教師はどんな思いで布教に赴いたのだろうか。聖書とは違った現実に基づいて渡航することは、自ら聖書を否定することに加担することになるとは考えなかったのだろうか。
 宣教師が自ら地動説や進化論を日本人に教えていたことは記録にも残されている。どんな思いでこんな邪説を異教徒の地で教えていたのだろうか。
 案外、宣教師はキリスト教の嘘に気付いていたのかも知れない。嘘であろうと今更宣教師という職を捨てる訳には行かない。それは失業という現実的な問題だったのかも知れない。それにしても嘘のために故郷を去り辺境の地に赴かねばならないとは恐ろしいことだ。

有益な嘘

2010-06-25 16:12:08 | Weblog
 事実を知らせることが社会に害を為すことがある。しかしその有害性は一時的なものであり、長期的には有益なものとなるだろう。地動説や進化論は西洋人を一時的には混乱させた。しかしそれを受け入れることで文明は進歩した。
 有益な嘘もある。しかしその有益性は一時的なものでしか無い。宗教による魂の救済は嬉しい嘘だ。しかし所詮は嘘だから真の救済にはならない。
 嘘が小さな嘘に留まるなら目くじらを立てる必要は無いかも知れない。しかし嘘は他の嘘を必要とする。嘘は嘘によってしか立証され得ないからだ。小さな嘘を正当化するためには大量の嘘が必要になる。そしてやがて巨大な嘘の体系となる。宗教や形而上学がその典型だ。
 巨大な嘘を嘘と思わずに生涯を奉げた人は少なくなかろう。仮に途中で、嘘かも知れない、と疑っても引き返すことは容易ではない。最早、嘘の中で生きることしか選択肢は無くなっているかも知れない。
 宗教団体で地位を得てしまった人は嘘に嘘を積み重ねる以外には生き様が無い。教義を疑うことは教団に対する裏切り行為になってしまうからだ。

女の性欲

2010-06-22 11:36:41 | Weblog
 男は射精すれば果てる。続けてすることは20歳前後の一部の人にしか不可能なことだろう。満腹するのと同じように射精すれば男の性欲は治まってしまう。
 男にとっては女から「もう終わり?」と言われることは非常に辛いことだ。実際に勃たないのだから反論できない。「ご免」と謝るしか無い。
 女は1回の性行為で果てることは無い。続けてすることは誰にでもできることだ。
 もし女の性欲が解放されたら、一人の男では到底責任を果たし切れない。女の性欲を満足させるためには複数の男が入れ替わり立ち替わりで相手を務める必要がある。複数の男と1人の女での性交は集団暴行のように思われ勝ちだが男女の性欲の特性には適っている。
 まるで逆ハーレムのようなものだ。女が殿様の夜伽を待つのとは逆に、男が女王様の寵愛を求めて順番待ちをする訳だから。
 この状況は「何か」を思い起こさせる。売春だ。昔のちょんの間の売春や現代のソープランドやファッションマッサージは男の欲望よりも女の欲望に適ったシステムとさえ思える。
 3Pに誘われたことがある。フィリピンでホステスから「3人でしよう」と誘われて「私のcockは1本しか無い」と断ったが、本音は1回で果てるからだ。
 大学生の時に私よりもラジカルな常識の破壊者である同級生(女性)から「女1人で同時に何人の男をイカせられると思う?性器と口と両手と肘の内側とか脇の下とか・・」と言われて余りにもおぞましい光景を想像して絶句した。
 淫乱な女にとって1人の男では不充分だ。男は1回で果ててしまうからだ。もっと満足するためには別の男が必要になる。これは女にとっては良いことずくめだ。自分の欲望を満たしつつ多くの男から感謝される。これが人類最古の職業と言われる商業売春の起源だろう。

ビッチ

2010-06-22 11:25:04 | Weblog
 ワールドカップのセルビア対ドイツ戦のセルビアの先発メンバーを見て驚いた。イバノビッチなどの、語尾がイッチの選手が11人中10人を占めていたからだ。○○○ビッチだけで6人を占め、例外はコラロフ唯一人だった。
 サノバビッチという名前の選手は流石にいなかった。son of a bitchは非常によく知られた侮蔑語だ。直訳すれば「雌犬の息子」だが意訳すれば「売春婦の息子」であり、更に「お前のお袋は淫売だ」という意味になり、英米人に対しては絶対に言ってはならない禁句だと言われている。
 とは言えセルビア人選手の○○○ビッチは正確にはvici(ヴィッチ)でありbitchではない。しかし日本語ではヴィッチとビッチは必ずしも正確に区別して表記されてはいない。
 かつてJリーグの名古屋グランパスエイトにストイコヴィッチという選手がいた。彼は「ピクシー」と呼ばれることを好んでいたが、実は「ストイコ・ビッチ」と呼ばれることが嫌だったのではないかと思う。

家畜

2010-06-22 11:08:56 | Weblog
 西洋人の肉食に対する考え方は日本人には理解し難い。彼らは、家畜は食べられるために生まれ、野生動物は自由に生きるために生まれたと考える。だから家畜の生殺与奪の権は人間が握っており幾ら食べても構わないが、鯨やマグロなどの野生動物は保護しなければならないと主張する。
 日本人は野生動物は食べても良いが家畜やペットは食べるべきではないと長年考えて来た。野生の猪は「山鯨」と呼ばれて、肉食の習慣が無い間も食べ続けた。魚や鯨などの水産資源を食べるのは当たり前のことだった。
 一方、家畜やペットを食べることなど犬畜生のすることだった。犬や猫や馬などの家畜は食用ではない。鶏だけが唯一の例外で食用に使われる家畜だった。
 西洋人は手塩に掛けた牛や豚を食べる。日本人は手塩に掛ければ掛けるほど情が移って食べられなくなる。
 家畜とペットの境界について日本人はかなり曖昧だ。西洋人が日本の畜産農家を見れば、鶏以外はペットとして飼育されていると思うのではないだろうか。ペットのつもりで飼っていた豚をそうとは知らずに食べた少女は当初は号泣したが、「○○(豚の名)は美味しかった」と言ったそうだ。
 親密なものを食べられないのは自然な感情だろう。多分、多くの畜産農家は自分が育てた牛や豚はできるだけ食べないようにしているのではないだろうか。どうせ食べるのなら情の移らない野生動物を食べたいと考えるほうが自然な感情と思える。

水着

2010-06-18 16:33:33 | Weblog
 水着はビーチやプールでの正装だ。ビーチやプールでスーツを着ていれば居心地の悪さを感じる。しかし街中を水着で歩くのは変態か露出狂だけだろう。
 周囲がみんな水着でいるなら水着は恥ずかしくない。一人だけ水着でいれば恥ずかしい。
 みんなが裸なら裸も恥ずかしくない。一人だけ裸だと恥ずかしい。美術学校のヌードモデルは非常に恥ずかしさを感じる仕事ではないだろうか。
 このように服装の是非はその状況に支配される。多数者の服装が正しい服装だ。同じように思考も状況に支配される。
 社内での会議において社員は社内用語で話す。その多くは社外の人には理解できない特殊な言葉だ。社内用語を使って、それぞれが立場に相応しい言葉遣いで、状況に相応しい意見を述べる。独創性よりも状況性のほうが重要だ。こんな会議で創造的な意見が出る筈が無い。
 まともな議論のためには空気を読まないことが必要だ。空気を読めば各人がそれぞれの役割を演じる仮面劇になってしまう。