俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

統一ルール

2016-10-22 09:56:15 | Weblog
 日本のマスコミの対応はワンパターンだ。言論統制をされている訳ではないのに不思議なほど同じような報道をする。まるで自動販売機のように事件ごとに口を揃えて同じような報道をする。大きな原因は「記者クラブ」の存在だ。同じ日時に同じ組織から同じ情報が提供されてそれに基づいて記事が書かれているのだからある程度似た記事になることはやむを得ない。しかしそれ以上に酷似していると私は感じる。
 新聞業界では個々の単語の意味まで統一されている。単語の一致ぶりは科学以上にハイレベルだ。例えば「ヘルシー」や「民主主義」という言葉は本来なら価値観を含めた言葉であって新聞社ごとに微妙に違った意味で使われても不思議ではない。しかしものの見事に同じように歪められた意味で使われている。
 モラルも統一されている。エスカレータ上を歩く人は決して少なくないにも拘わらず、片側に寄って立ち止まることがまるで人類共通の道徳法則であるかのように扱われている。
 事件の原因まで予め決まっているのだから驚きだ。大人の自殺は貧困か過剰労働が原因であり、最近では後者のシェアを増やすように努めているようだ。同じ結果をもたらす原因が同じものであっても決して不自然ではないが余りにも筋書どおりだ。これは警察が同じ原因と判断した上でその情報を記者クラブに提供するから起こってしまうのだろうか?
 何とも有難いことにマスコミは解決策まで提供してくれる。言論界がこれほど一致するのであれば国会で法律を作ったり改めたりする必要など無かろう。マスコミが定めたルールに国民が従えば済むことだ。これなら国会も国会議員も要らない。最近、視覚障害者が駅のホームから転落する事故がしばしば報じられ、新聞もテレビも口を揃えて同じ対策を唯一無二の妙案であるかのように報じ続けている。マスコミによる統一見解なのだからさぞかし素晴らしい案なのかと問えばそうでもない。思わぬところからマスコミによる統一見解に批判的な意見が飛び出した。これはマスコミにとって全く想定外だったために原文のまま報道せざるを得なかったのだろう。
 「ホーム・ドアの設置が各駅に及ぶ事が理想ですが、同時に事故の原因をホーム・ドアの有無のみに帰せず、更に様々な観点から考察し、これ以上悲しい事例の増えぬよう、皆して努力することも大切」(10月20日付け朝日新聞)
 駅のホームでの転落事故について私がマス媒体経由で得た殆んど唯一と思えるまともな意見なのだが、これは何と美智子妃殿下が82歳の誕生日を迎えるに当って公表した文章の一部だ。我々庶民の発言であればこんな言葉の存在など揉み消せるのだが、皇后が誕生日に公表した文章であれば容易に隠す訳には行かない。しかしこれはマスコミがが報じ続けている統一ルールよりもずっと筋の通った正論であるように思える。こんな酷い状況であればマスコミによって情報が支配されている現状よりも、皇后制や天皇制のほうが言論の自由が許容されるのではないかとさえ本気で考えてしまう。偽りの言論の自由の元での民主制よりも真の言論の自由のある王制のほうが私には好ましい。
 

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