俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

できないこと

2015-09-09 09:39:45 | Weblog
 できないことをできないと認める必要がある。そうしなければできないことをできると主張する大嘘つきに利用されかねない。
 哲学はカントによって理性の限界が明かされた。知覚に依存する理性が、知覚不可能な永遠や無限について幾ら考えても矛盾に陥らざるを得ないことを「二律背反」によって証明した。限界を示すことによって哲学が陳腐化した訳ではない。思弁的な空理空論を排斥することによって真の問題に直面できるようになった。
 医療においては癌や風邪などについて治療できないことを認めるべきだ。本物の癌であれば幾ら早期発見をしてもその時点で既に転移しているそうだ。治療できるのは「がんもどき」だけだと近藤誠医師は力説する。風邪の治療薬は無く、対症療法で対応しているだけだ。
 地震と火山の予知はできない。地震に周期性があると主張する学者は確率論を勉強したほうが良い。確かに千年に一度ぐらいの確率で大地震が起こる地域はある。それでも予知はできない。サイコロのそれぞれの目は6回に1回の割合で現れるが、次に出る目を予測することはできない。無数のデータがあるサイコロの目でさえ予測できないのにデータが不充分な地震が予測できるものだろうか。大体ラグビーのボールがどう跳ねるかさえ予測できない。それよりも遥かに複雑な地震がいつ起こるかなど分かる訳が無い。地震学者と比べれば火山学者は大言壮語を吐かず慎重に語る。これは彼らが正直だからではなく、すぐに検証に晒されるからいい加減な発言が抑制されているからだろう。
 危険性の無い食品もあり得ない。これはアレルギーだけの話ではない。あらゆる食品に有害物が含まれているし、総ての栄養素に毒性が確認されている。水でさえ過剰に摂取すれば水中毒に罹る。
 移動交通手段は必ず命の危険を伴う。危険と思われている航空機は、距離当たりでは最も安全な乗物だ。これを凌ぐのは日本の新幹線だけだ。その新幹線でさえ事故は起こり得る。
 理想社会もあり得ない。そもそもあの不合理で不便な多数決よりマシな意思決定手法が未だ見つけられていない。万人が幸福になることは絶対に不可能だから「最大多数の最大幸福」以上の目標も今のところ無かろう。
 このように、できないことが圧倒的に多い。できないことをしようとしても徒労に終わる。私は進歩を否定したい訳ではない。100%の確実性など求めずに99%の確実性で満足すべきだということだ。時には51%の確実性に賭けざるを得ないこともあろうが、できないことに無駄な労力を費やさなけれな、できることが増える。

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