自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

朝めしをパチリ

2024年10月14日 | なかま道志ベース
なんとなくパチリしています。

スマホの機能で魚眼してパチリです。

今年収穫した宝石コーンとホウズキのオブジェです。何カ所かに置いてみました。

毎年、作ってはパチリしていますが、まぁ~こんなもんでしょう。

次に、粗食な朝食です。

厚揚げ

脂の乗ったサバ

ジャガイモのチーズ焼き

なめこの入った味噌汁

これが我が家の朝食です。普通に美味しいですね。

季節外れの大きいミョウガをいただきました。やはり今年は全て?が変でしたね。

最後のやっこ豆腐になるかも知れません。だいぶ寒くなってきまし。

早起きの私はコーヒーを2杯分淹れて、皿を洗っています。

 

Hiro


やっと道志に入ることが出来ました

2024年10月13日 | なかま道志ベース

実は、昨日1カ月ぶりに道志に入っています・・・。

年金暮らしなのに、何故か忙しくて道志村(山の家)に行っていません。

いつも、道志の湧き水をポリタンに入れて、我が家のミネラルウォーターにしています。

その水も少なくなってきました。

縁あって道志への通い生活をして10数年が経ちます。自宅から高速道を使って、1時間半くらいの場所ですが、交通の便も良くなく(バス平日のみ朝夕2本*通勤通学用)コンビニももちろんのことスーパーなどはありません。

このように、時には雲海もあり自然の美しさに見とれます。

したがって、東京に近くても秘境と言われる所以なのでしょう。

寒くなると、特に薪ストーブの煙が似合う場所です。

これが最後の大作かと思いますが、ウッドデッキです。

残材を燃やしています。こんなことができるのも道志ならではです。

見えるものは、すべて自分一人で作りました。

自慢のウッドデッキです。イスも丸太を加工して(削って)作りました。

木工が趣味なので、思えばいろいろなモノを作りましたね。もちろん失敗も多かったですよ。

ほとんどが、一人作業です。

畑もジャガイモや宝石コーン、葉物などを育てています。

先日も朽ち果ててきた焚火台を作り直しました。

ベンチも手作りです。

シカの角を4本いただきましたので、こんなモノを作ってみました。

奈良などシカと違って、畑荒しと山ビル(吸血虫)も連れてくる厄介者です。

気持ちの良い朝は、デッキでコーヒーを飲みながらブログを打っています。

取れたて野菜を、外の洗い場で下処理もします。これも湧き水使用です。

道志川の支流で田代沢です。流れの音が聞こえる場所に住んでいます。

女房が来ると、こうして庭の草花を生けてくれます。

きっと、だいぶ陽が暮れるのも早くなったのでしょう。

行きてぇ~な 道志に!

やはり、道志は良いですねぇ~!

 

Hiro


超能力者 手塚治虫氏

2024年10月12日 | なかま道志ベース
 手塚治虫の『鉄腕アトム』「赤いネコ」は1953年(昭和28年)に発表されたエコロジーをテーマにした先駆的作品です。

昭和28年と言うことは、実に71年前に書かれた作品が現実のものになっています。

先ずは「鉄腕アトム・赤いネコの巻」です

「赤いネコ」では、最初と最後に国木田独歩の『武蔵野』が効果的に使われている作品です。

 国木田独歩は明治時代の作家で(1871~1908)、『武蔵野』は1898年(明治31年)に発表されました。発表当時の武蔵野の季節の移り変わりを描写した作品です。文庫本で25ページほどの小品ですが、それでは実際にこれと全く同じ部分が国木田独歩の『武蔵野』にあるかというと実はないかと思います。

私は国木田独歩が書いた作品の近くに住んでいます。

書物(マンガ)によると、実際には次のようでです。

このマンガ・・・

「2000年の東京に立ってまず外人はめんくらう・・・・・」

「21世紀と20世紀の古さがごちゃ混ぜになった 大都会だ・・・・」

「武蔵野を歩く人は 道をえらんではいけない」

「これは国木田独歩という人が書いた「武蔵野」という小説じゃよ」

「ただその道をあてもあく 歩くことで満足できる」

「その道は きみをおみょうなとおころへみちびく」

「もし人に道をたずねたら・・・」

「その人は大声で教えてくれるだろう おこってはならない ・・・」

「その道は谷のほうへおりていく」(おそらく井の頭公園あたり

「頭の上で鳥が鳴いていたら 君は幸福である」

「あーあ・・・・ 世の中も変ったのもじゃわい」

「わしの子どもの頃はまだ 東京にも緑の雑木林があったのだが」

「いまでは山の手のほうにわずかに残っているだけで そこもやがてビル街になろうとしとる」

「わしゃ だから 山の手のほうへ 散歩するのが大好きでな・・・」

「ちょっと おたずねしますが 十三丁目十三番地って どのへんですか?」

「右へまがって三百メートル 行ったとこさ」

「これで朝から四人目だっ」

「みんなおなじ番地を聞くねぇ」

「あのう十三・・・」

「丁目の十三番地なら ここ右だい」

「きみっ・・・」

「またきたな・・・ 十三番地なら右だよっ」

「メンコなんかであまり遊ぶなよ」

「ウヒャ!先生」

これが昭和28年初出されたマンガですが、当時描いていた世界がまさに現実になっています。

*この漫画本は買い求めています。

当時から今の時代を予測していたのです。

携帯電話、空飛ぶ車、世の中の情報が瞬時にわかる器具(パソコン)。

いま、誰が50年先、いや20年先を読むような超能力者はいるのでしょうか?

繰り返しになりますが、いま手塚治虫氏が存命ならこれからのエコロジーを含めて、50年先とは言いませんがせめて20年先の地球環境や日本がどうなっているのかお聞きしたいものです。

あっ!懐かしい~。僕らのアイドル「小鳩くるみさん」です。

さらに・・・
ただこの路をぶらぶら歩いて思いつき次第に右し左すれば随所にわれらを満足さするものがある。
あるいはその路が君を妙なところに導く。これは林の奥の古い墓地で苔むす墓が四つ五つ並んでその前に少しばかりの空地があって、その横の方に女郎花(おみなえし)など咲いていることもあろう。頭の上の梢で小鳥が鳴いていたら君の幸福である。

もし萱原の方へ下りてゆくと、今まで見えた広い景色がことごとく隠れてしまって、小さな谷の底に出るだろう。

もし君、何かの必要で道を尋ねたく思わば、畑の真ん中にいる農夫にききたまえ。農夫が四十以上の人であったら、大声をあげて尋ねて見たまえ、驚いてこちらを向き、大声で教えてくれるだろう。もし少女であったら近づいて小声でききたまえ。

もし若者であったら、帽を取って慇懃(いんぎん)に問いたまえ。鷹揚(おうよう)に教えてくれるだろう。怒ってはならない。これが東京近在の若者の癖であるから。

*慇懃(いんぎん)は:まごころがこもって、礼儀正しいこと。慇懃無礼:見せかけだけの行動

*鷹揚(おうよう)とは:「おっとり」は、こせこせしていないで、のんびりとしているさまを表わします。

改めて、手塚治虫の凄さがわかりました。

二人の大物画伯:山下 清さんと手塚治虫さん

*すべての画像等はネットより拝借しております。

 

Hiro


もう試合は諦めた!

2024年10月11日 | なかま道志ベース

もう25年以上も女房とダンスをしていますが、レッスンを受けても上手く踊れません。

*簡単にビデオからパチリしていますので、画質の良く無さはごめんなさい!

年齢とともに下手になって行くような気がします。

先ずは体形が崩れてきました。すべて地球の引力に負けています

コロナ禍前の山梨県小瀬で行われた大会では、優勝経験もあります。

初めてダンス教室に行った時の画像です。

(〇佐々木と言うスタジオでした。現存しているかどうか分かりません)

この頃が一番ダンス教室が多かったかと思います。

当時は同じどの試合会場も一つのランクでも100組以上出場していました。

そのランクがいくつもありましたので、極端に言えば1000組ぐらいが出場していたのでしょう。

出番が来るまでの時間もかかり、待っているだけでも疲れた記憶があります。

いろいろなランクで優勝したこともあります。

それでも勝ち負けも楽しい?ものでした。(過去形)

しかし、今となると理由を付けては、ダンスには向いていないのかレッスン中も気持ちが入っていません。先生は敏感に察知しているかと思います。

実にもったいないレッスン料です。考えてみれば、年齢のせいにしてはダメですが、もうすぐで喜寿ですからね。

引力に関係なく、無重力になれるのはダイビングだったかも知れません。

さらに気分的に無重力になるのは、この時なのでしょう。

今後、どうやってダンスと付き合うかです。

昨日も、市のスポーツフェスティバルの中で、ダンススポーツ大会も開催されました。

市長さんやスポーツ連盟の会長さんも来られて、ご挨拶されましたがすぐに次の会場に移動されました。耳が遠いので、何を話されたのか分かりません。

レベルに応じて、熱戦が続いています。

授賞式です。次々と発表されます。

ジャッジからの講評です。これも聞えません!このような場に参加するのは、物理的にもう無理なのかな?

音響係も依頼されましたが、お断りして他の役に回してもらいました。

音響係になられた方は、私も経験がありますが、ランクに応じた曲を探し踊る時間でフェードアウトしたり、大変な作業で丸二日間にわたって試合用音楽を作成していたようです。また、プログラムの変更もあって作り直したとか・・・。ご苦労さまです!

美味しいお弁当(まい泉)でした。誰がこのお弁当を選んだのかなぁ~。センスが伺えます。

立っているだけですが、結構疲れましたね。

途中、スーパーの寄って直ぐに食べられるものを買い求めました。

とは言っても、焼きそばを作ってくれました。他にもありましたが、パチリするのを忘れました。

私の大好きな白菜のサラダです。簡単で本当に美味しいですよ!

晩酌の間にウトウトが1時間以上あったようです。何時に寝室に行ったのかよく覚えていません。

なんか結論の無い、内容になってしまいました。

今日は道志に入ります。

 

Hiro


山梨県やはた芋が美味し

2024年10月10日 | なかま道志ベース

やはりこの時期は里芋が美味しいですね。

蒸かして、皮を剥いて塩をかけるだけでも美味しいと思います。

山梨県の竜王町(甲斐市)ですが、「やはたいも」は釜無川の度重なる氾濫による堆積した肥沃な砂質土壌により、白くてきめ細かく、粘りが強く、独特の風味があり、地元では「ほうとう」にも欠かせない食材と言われています。

希少ですが、いつも女の実家らか送ってもらっています。

イカと煮込むのも美味しいですねぇ~!

女房も田舎育ちですので、おばあちゃんから引き継がれた、まさに田舎の味(おふくろの味)なのでしょう。思い出します。田舎のほうとうにもよく入っていました。

昨夜は牛肉と里芋のコラボです。あぁ~美味いなぁと思う一瞬です。

もう一品でました。秋を感じる食です。

昼間はこんなオブジェ(飾り物)を作って?いました。(ただ置いただけです)

ホウズキ・宝石コーン・ふうせんカズラなどでです。

明日は道志に入ろうかと思っています。

 

Hiro


壁紙の補修

2024年10月09日 | なかま道志ベース
女房から壁紙が剥がれてきたので、直してくれない?と依頼されました。

たしかに、膨らんで剥がれています。

ネットで接着剤や道具を合わせて2000円くらいで買い求めました。

先ずは、剥がれている場所を更に大きく剥がしました。

そこに専用の接着剤をヘラを使って平均的に塗ります。

片面の張り直しが出来ました。もう片方を同じく剥がし接着剤で張り直します。

素人ですのでこんなモノでしょう。約30分の作業でした。

場所は母屋のトイレでした。これも職人に頼めば簡単でも半日の日当は支払うのでしょう。

このくらいは「お茶のさいさい」です。

今はあまり使われなくなった言葉「お茶のこさいさい」の意味は:

「お茶を飲むとき食べるお菓子ぐらい簡単なもの、ちょっとしたことだよ、あ、ほいほい!」という意味なのです。

 

Hiro


年取るとこうなる

2024年10月08日 | なかま道志ベース
世代ならではの経験や習慣に基づいたものが話の内容です

年配者とはいくつから(何歳から)いうのでしょうか?人によっても異なるかと思います。

ちょっと前までは、自分は60歳過ぎても(前期高齢者年配者とは思いませんでした。

しかし、最近になってやはり後期高齢者ってよく言ったもので、もう後期なんですね。

スミマセン!嫌な画像からご紹介いたします。

先日、たまたまバイクで通りかかった交差点ですが、高齢者の乗る自転車と乗用車の事故発生直後でした。"お父さん!話できる?痛いところある?"と声をかけました。

頷いています!"救急車は呼ばないでくれ!"と言っています。家族に自転車は乗るな!と言われて怒られるからと・・・。

高齢者になると振り向く角度も狭くなり、気配や注意力も低下してくるのでしょう。

"歩ける?歩道に座った方がいいよ"乗用車の運転手さんには救急車も呼んだ方いいと話しました。年配のお父さんは足が震えています。抱き起して様子を見て離れました。

救急車とすれ違いました・・・。

年配者のあるあるを書こうと思ったのですが、これも年配者の一例としての特徴です。

先ずは年配者の特徴です。

年配者(高齢者)の特徴は、個人差が大きいものの、一般的な傾向や特徴として以下のものが見られることがあります。

ここからは、スマホ画像アプリで撮りました。こんなアプリがあるなんて初めて知りました。

ただ、ご紹介だけであまり使いたくないアプリです。昔のフィルム時代に水中写真を最大36枚撮った時代を思い出します。

  身体的な特徴

1.体力の低下: 筋力や持久力が衰え、疲れやすくなる傾向があります。特に関節や筋肉の動き      が鈍くなることがあります。

*歩く速度も遅くなったり、歩幅も小さくなりました。。

2.感覚の変化: 視力や聴力が低下することが一般的です。また、触覚や味覚、嗅覚などの感  覚も鈍くなることがありあります。

*老眼であり耳も遠くなりました。

3.慢性的な疾患の増加: 高血圧、糖尿病、関節炎などの慢性疾患を抱える可能性が高まりがあります。

*医者からいただく薬も増えました。そして、診察券もです。

4.骨密度の減少: 骨が脆くなり、骨折しやすくなることがあります(骨粗鬆症)。

*検査の結果、骨粗鬆症は問題ないのですが、小さな段差でつまづいたり転びそうになります。

 年配者が転ぶと、回復が遅く家に閉じこもりがちになりボケやすくなると聞きました。

いろいろなアプリでパチリしました。

心理的・認知的な特徴

5.記憶力や認知機能の低下: 特に短期記憶や情報処理のスピードが遅くなることがあるが、長期記憶や過去の経験に関する記憶は比較的保持されやすいとありました。

*昨夜と今日は食事した?と聞くともちろん美味しかったよと返ってきます。じゃぁ~何を食べたのと聞くと、答えられない時があります。(これは認知症前で、誰で直近の記憶は忘れます)10年以上前くらいから昔の話はよく覚えています。子どもの頃までのことまでもです。遊んだ話しや失敗談もです。

鉛筆画ですかね?こんなアプリもありました。

6.感情の安定性: 人生経験が豊富なため、ストレスに対して冷静に対処することが多い反面、不安や孤独感を抱えることもあります。

*そうですね!特に男性は仲間が多くても、ほとんどが仕事関係でした。当時の仲間とも会いたいという気になりません。頑固になって気が合わなくなるからでしょう。

カスハラと言う言葉もありますが、過去の経験がどうしても文句に変ってしまうようです。

飲むと人が変ると言いますが、例えば普段は穏やかな夫であっても酔うと仕事時代の命令口調で高飛車になり、女房に迷惑をかけています。翌日はそんなこと言ったと忘れているのです。

歳を取ると、付き合う範囲も面倒になり、逆に孤独感に陥っているのです。女房意外に話し相手がいない方多くいます。

7.新しい技術への適応: 新しいテクノロジーや変化に対して戸惑うことが多いですが、興味や意欲を持つ人も多いのです。

*私も新しいものが好きで、ネットを見ては欲しいなぁ~となります。何でも興味を持つのですが、やはりアナログ人間なのでしょう。いつも息子にインストールなどの方法などを聞いています。

社会的・行動的な特徴

8.生活リズムの変化: 夜早く寝て、朝早く起きるなど、規則正しい生活リズムになる傾向があります。私も9時過ぎには眠りに時間になりますので、9時過ぎまでの飲み会やダンス練習は苦になりました。

9.家族やコミュニティとの結びつき: 家族や友人との関係を重視することが多く、コミュニティ活動やボランティアに積極的な人もいますが、その真逆もあるのです。

*私は仕事で多くの付き合いもありましたが、今では皆無に近い状態です。これではダメだとあることを始めました。結果どうなるかが楽しみです。

地域のボランティアも考えました。社会経験の長い方は(特に幹部職)、ボランティアと言っても指導者(船頭)になってしまい、本当に必要な(舟漕ぎ)が出来ないようです。常に自分中心になる人が多いと言われました。

10.孤立しやすい: 退職や配偶者の死去などにより、孤立感を抱えることがある。社会との繋がりを求める傾向が見られます。

*まだつれ合いもいますので孤独感はありませんが、マザコンではありませんが母が他界するとなんとなく淋しさが残ります。

中には、片っ端から長電話をする方もいるようです。それも同じ話を一日に何度もけるようです。

こんな画像もアプリで作れますが、やはり人工的ですね。

感情面の変化

11.穏やかさや我慢強さ: 多くの年配者は、若年期に比べて感情の安定が見られ、他者に対しても寛容になることもあようです。その真逆もあるようです。カスハラや昔の自分はこうだったと、いろいろな場面でクレーム(カスハラ)する場面もあったかと思います。

*しかし、場面としては間違ったことは言っていないかと思います。人が時間とともに丸く   なったのか、言ってしょうがないと思えたのでしょう。あきらめの境地と時代の変化と感じました。

12.過去への回顧: 自分の人生や経験について語ることが増え、若い世代に教訓を伝えようとする傾向があります。これは経験からでいたし方無いのでしょう。

*いわゆる、昔はこうだったなどの教え魔になる方もいるようです。

13.物忘れをするけど、昔のことはよく覚えている:最近の出来事や名前は忘れがちなのに、昔の思い出や歴史的な出来事はしっかり覚えていることが多いのです。

*いやぁ~ 特にありますね。子どもの頃や昔話は得意ですが、3代前の総理はと聞かれても分かりません。円安と円高は一応はりかいしていますが、こんがかる場面もしばしです。円高は輸出は損をする。円安は輸入には良いと・・・。

14.ついつい昔の値段と比較する:「昔はこれが○○円だったのに…」と、今の物価と昔の安かった時代を比べる発言をすることがあります。

*だって、紙芝居を追いかけていた時代は、ラーメンが一杯30円でしたよ。テレビを見ても物価高の話しばかりで、2割値があがったとか嫌になってしまいます。年金も上げてくれと言いたくなります。

15.テレビのボリュームが大きめ:聴力が少し低下してきたため、テレビの音量が他の人からすると少し大きいと感じることがある。

*スミマセン!我が家でも極力回避しているようにしていますが、補聴器を付けないと無音の世界になります。年配者の特徴です。ご理解をいただきたいモノです。

16.健康の話題が増える:体調や病気、健康法などについての話題が増えて、健康に関するアドバイスをよくしてくれることが多くなりまりました。

*結構、健康に詳しい方もいるもんです。診察券だけが多くなりました。

17.昔の歌謡曲が好きでついつい口ずさむ:昔のヒット曲を自然に歌い始めたり、懐かしい歌謡曲を聴くのが好きなことがよくあります。いわゆるカラオケは苦手で、数年に一度行くか行かないかです。もう4年以上は行っていません。

アレクサで好きな音楽(曲)を聞いています。

18.「若い頃は…」と昔話を始める:自分が若い頃のことや、その時代の大変さ逆に楽しかったことなどを語りたがることが多くなります。

19.自分の健康法や生活習慣に自信がある:「これをやれば健康でいられる」「昔からこうやっているんだ」といった、自分の経験に基づいた健康法や生活習慣を強調することがよくあります。

20.こんな筈じゃない:何か失敗してもこんな筈じゃないと思ってしまいます。

こういった「あるある」は、年齢を重ねることで自然と出て来る習慣や考え方ですね。それが懐かしさやユーモアに繋がることが多いかも知れません。

*******

最後に、長い内容になりました。また、重複している内容もあります。これが高齢者(年配者)の特徴だと思います。ほとんどが、私の反省記録です。

 

Hiro


緑が多いのも困る?

2024年10月07日 | なかま道志ベース

道志の話しではありません。緑が少ない都会?では贅沢な話でしょう・

我が家の話しです。3日間庭師が入って選定作業を行っています。一日に5人です。5人n×3日×日当と諸経費=???ですかね。(考えるのもやめました!)

小さな木や刈込み剪定なら自分でもできますが、やはり松や高木は庭師にお任せしなければなりません。

施工然と施工後ですが、実のならない柿は、かなり刈り込んでもらいました。梅もです。

この柿木は、子どもの頃よく登っては遊んだもんです(90年以上は経っているかと思います)

桜は、昨年刈り込んだのであまり花は咲きませんでした。来年は満開の花が見たいので枝を少し切り落とすくらいです。

正面の柿は甘がきで、徒長しものだけ切ってもらいました。実がたくさんついています。

とは言っても観賞用ですかね。

玄関先の門被りの松です。これは私には剪定は無理ですね。さすがプロです。

猿飛佐助のように、身軽に枝から枝に渡っては剪定しています。

切り落として、駐車場にでもしたいくらいですが、庭師がこれだけの松を切るのはもったいないと言っていました。しばらく様子を見ます。

ぼろ家の玄関もサッパリしました。撮影にでも使っていただければそうぞ!です。

そう、外国の方が来るとほとんどの方がパチリしています。

どこから靴を脱いで上がるか分からないようです。

途中、社長が(4歳年下で職場の仲間でした)挨拶に来られました。

この方は専務で息子さんです。腕のある庭師さんに成長しています。

こんな会社名です。

やはり大事なのは、最初にどうしてほしいとシッカリと伝えることですね。

思い切り詰めてくれとか、この木は伸ばして、この部分はこうしてくれとかです。

仕事は実に丁寧ですね。もう、庭師を入れる家も少なくなったと言っていました。

庭の設計は若い頃自分で行い、空池や灯篭の位置や松の配置や向きも考えました。

いつだったか、テキサス州からの来客もあり、庭で友人の書道家さん(内田蘭亭先生)に揮毫(きごう)書のパフォーマンスをしていただいたこともあります。

こんなことも、懐かしき思い出です。

機会がありましたら、友人や知り合いなどを招いて音楽会も良いかと思っています。

まだ、体力とやる気がありましたらね。

道志でも、若い方々が集まるような場を作りたいと思っています。

 

Hiro

 


石破さんが総理総裁に

2024年10月06日 | なかま道志ベース

聞くところによると、道志村の村長選も大変のようでしたね。

ネットにも、いろいろなことが掲載されていました。特に山梨県は選挙にはいろいろとあるようです。

ご存じのとおり、新総裁に石破茂氏が選ばれました。

総裁や首相と総理の違いについて、お子さんやお孫さん?から質問があった時になんとなく理解はしていますが明確に答えるのは結構難しいですね。これは確か中学の中学社会・公民 で教わったかと思います。

この2つの用語は、きちんと理由があって、使い分けがされています。また、厳密には意味にも異なる点があります。「首相」は、首席宰相(しゅせきさいしょう)の略語で、国の行政機関の長(トップ)を指します。

ニュースでは、文字で表示される時に使われることが多いのです。

対して、「総理」は、内閣総理大臣の略語で、日本の行政機関のトップのことをいいます。ニュースでは、音声として読み上げられるときに、用いられる傾向にあります。

国会でも議長(委員長)が、内閣総理大臣 石破 茂君と呼びます。もちろん質問者も役職名や名を呼びます。これは議事進行(勝手に発言すると混乱するため)と議事録作成のためです。指名されないと発言できません。

そう言えば、いつだったか?総理!総理!総理!と連呼する質問シーンもありましたね。

議事録には発言者名が記載されます。指名されない発言はヤジになります。議事録にはヤジの一部を「○○(ヤジ)と言う者あり」と記載される時もあります。よって、国会での論戦で質問者が「総理!総理!」と発言したこともあります。これは言葉(音声)での表現になります。

結論は、ニュースや文字で表される時は首相議会などの発言(音声)は総理大臣となります。

さて、日本で行政の役割を持っているのは「内閣」です。その中でも、内閣のトップとして国を動かしていくのが、「総理」なのです。「内閣総理大臣」という肩書きは、憲法の66条で定められています。つまり、日本の「首相」は「内閣総理大臣」である、といえます

この方も一度は体調を崩され、二度目は長期政権になりました。国会で内閣総理大臣の指名選挙でこの方が選ばれた画像です。

それでは、日本の「内閣総理大臣」は読む時と文字で表す時で、なぜ肩書きを変えるのでしょうか?これには、内閣のメンバーである「大臣」の別名が関わっています。

例えば、外務大臣を意味する「外務相」と、機関そのもののことである「外務省」は、どちらも「がいむしょう」と読むため、音声のみでは両者の区別ができません。

この方々も総理大臣経験者です。

そこで、書く時は「外務相」や「外相(がいしょう)」読む時は「外務大臣」とすることで、聞き間違いを防いだのです。ここから、内閣総理大臣を文字で表記する場合は「外務相」などと同じく「相」を含む「首相」を使います。対して、音声の場合は「総理」を用います。これは、「総理」という言葉が、「外務大臣」などと同じ「大臣」という言葉が入る「内閣総理大臣」の略語であるためです。

*他にも行政トップを首長(くびちょう)と言いますね。これも言い間違え(聞き間違え)を防ぐためです。市長(しちょう)、首長(しゅうちょう)と聞き間違えを防ぐために、訓読みで(くびちょう)と言います。その他、市立(いちりつ)私立(わたくしりつ)、市道(いちどう)、私道(わたくしどう)などを使い訳しています。

「首相」「総理」「総裁」。この三つの言葉を対比した場合の違いを区別するポイントは以下の通りです。

【首相】首席宰相の略。行政権の長を指す。日本の「首相」だけでなく海外の「首相」にも使える言葉。英語で「prime minister」。

【総理】内閣総理大臣の略。内閣総理大臣は、日本の「首相」の法律上の正規名称で日本独自の呼称のため海外の「首相」には使えません。

【総裁】首相や総理という言葉と一緒にニュースに登場することがある「総裁」は、自民党の責任者を意味し「首相」や「総理」とは立場が異なります。

ところで「行政権」とは、国が持っている3つの権力の一つで、法律に基づいて実際に国を運営する機能のことです。他に、国のルールを決める「立法権」と立法と司法が憲法や法律通りに動いているかをチェックする「司法権」があります。

一応、一般常識ですが忘れたり、分からいものです。

何かのご参考になれば幸いです。

 

Hiro


ヒガンバナが咲くのが遅かった

2024年10月05日 | なかま道志ベース

最近、年金生活者ですが何故か?忙しい日々を送っています。

今日の東京地方は小雨ですが、道志も同じくなのでしょう。

例年に比べて、ヒガンバナの咲く時期が少し遅いかと思います。

また、他の草花も時期外れで咲いているモノがまだあります。

あまりご紹介しても図鑑のようになってしまいますので・・・。

ついでに・・・。スマホの画像編集アプリでパチリしました。

便利と言うのか?アプリが内蔵されていて、魚眼だとか万華鏡などでパチリできます。

私はあまり、ここまで画像処理するのは好きではありません。

なんたっけ?ど忘れしています。いつもですがね。芙蓉だったかな?

百日草は種から育てましたが、本当に100日は咲いているんじゃないかなぁ~?

千日紅です。これも同じく種からです。

千日は咲いてはいないと思いますが、強い花です!

もう峠を越えたかと思う朝顔です。

ふうせんカズラもまだ元気です。

オキナワカラスウリですが、いつもは白色が赤くなるのですが、今年はその調候もありません。

琉球朝顔で、多年草ですが凄い成長力があります。

緑のカーテンです。

今年(この夏)育ったのは、この琉球朝顔やヘチマのような?あぁ~名前が出てこない。

これらは元気でした。その分、私はこの暑さにやられました!来年も暑いのでしょうね。

来年からはプランターでの草花を育てることは止めにしました。

そろそろ夏の終わりを感じます。

今日の道志は薪ストーブを使うくらいの気温なのでしょうね。

 

Hiro


復帰前の沖縄を再度訪ねて(58年経って)

2024年10月04日 | なかま道志ベース
以前も(昨年の夏に)ご紹介した内容です。

最近は何故か50年という節目を感じるのです。働いて50年で退職とか、今度は結婚して50年を記念して沖縄旅行にも行ってきました。18歳の時(復帰前)の沖縄です。

やはり、これから何年、どのように過ごすかなどを考えてしまうからなのでしょう

また、最初の画像はここからスタートします。昭和47年に就職し、48年に結婚でした。

男の子二人に恵まれ、家庭のことは女房任せの時代でした。

仕事が残ったと言いながら、毎晩のように仲間と酒を飲んで帰宅です。

サラリーマンは気楽な稼業ではありませんでした。(スーダラ節のようには行きません)

昭和43年にパスポート(身分証明証)を取得し、沖縄に船で2日間かけて行きました。

では、なぜ今回沖縄にいくことを選んだのかです。

一番は会社の沖縄支店の友人が、キンキンに冷えたORIONビールとポンドステーキを食べさせたいと誘いがあったからです。(一緒に中国の青島と上海にも行きました。中国では冷えたビールは飲まないようです。ぬるいビールは喉に染みることなく何の味も感じません)

18歳の時に船で2日間かけて、パスポート(身分証明書)取得して、バイトで3万6千円稼ぎ現金を100ドル(1$が360円の時代です)にしての沖縄だったのです。当時は佐藤栄作総理だったのです。そう車も右側通行だった沖縄です。すべて米軍仕様になっています。

当時(18歳)の時に訪れた地です。ひめゆりの塔などを見ると、戦争の惨さを感じます。

米軍が逃げのがれた洞窟に火炎放射器が火を噴いたり、手榴弾が投げ込まれたり、祖国のために岬から飛びこんだ方も多くいます。

当時 期せずして、学生運動が活発化していました。安保反対!と・・・。

甲子園の野球で沖縄代表は砂を集め袋に入れましたが、沖縄近くの海に投棄した時代です。

外国扱いですので、砂などの持ち込みは出来なかったのです。

実に58年前に単身で晴海ふ頭から2日間の船旅で沖縄泊港に着岸しました。エメラルドブルーの泊港は、今でも鮮明に覚えています。

また、その時は台風が去ったあとでしたので、那覇丸は木の葉のように揺れて大半の方が船酔いでした。

今では信じられないような、大型客船が横づけしています。

今回は羽田から約3時間の飛行機の旅です。

定刻に飛び立ちました。フライトの3時間て中途半端な時間ですね。私は飛行機は慣れていますが、女房はそんな機会は何度もありませんでしたので、眼下の海をを見下ろしているだけです。

今の沖縄はインバンドも含み観光ブームで、レンタカーの予約が取れないのです。

沖縄支店の友人が、探しまわって取ってくれました。

こんな時ですので、ぼったくり業者もあるようです。特にアジア系の外人相手では同じくアジア系の白タクが横行していると聞きました。

本土のレンタカーは「わ」ナンバーですが、沖縄ではレンタカーが多く今は「わ」ナンバーが足りなくなり「れ」ナンバーが主流と聞きました。

那覇空港から高速道で1時間半かけて、沖縄市宮里まで向かいます。高速道料金は国の支援があるのか非常に安く感じます。

途中のパーキングエリアで休憩です。

ソフトクリームと初めてソーキそばをいただきました。美味しかったですよ!

那覇市はやはり米軍の街のように思えます。

宿(貸し別荘マンション)は、友人の紹介で驚くほど安く(タダ同然で)お借りしました。

宮里にあるガーデンヒルズの上階です。5部屋くらいあるマンションです。

夕日がきれいに望めます。

その日、友人が基地全体が見渡せる場所に案内いただきました。

友人も職場(支店)までは、この基地のために遠まわりして行くと言っていました。

私18歳の時に行った鉄条網の中は変わりませんが、周辺は大きく変化していました。

夕刻には、マンションのオーナーが地元しか食べられない料理を用意していただきました。

部屋も特別に安く貸していただき、夕食までごちそうになるとは思っていませんでした。

朝日がきれいな見晴らしの良い場所です。私は耳が遠いので騒音は聞こえませんでしたが、女房は逆で下を走る車の音がだいぶ気になったようです。マンションの高層階に住むと外の音がよく聞こえるようですね。

友人はいろいろと調べてくれて、観光コースなどをラインで教えてくれます。

3時間ほど南に行った「美ら海水族館」(ちゅらうみ)」向かいました。

関取にも沖縄県出身の「美ノ海 義久(ちゅらのうみ よしひさ」がいます。きっとこの場所の出身なのでしょう。

大きな水族館で半日過ごしました。そう隣接するプラネタリュームにも行きましたね。

帰り道には普天間移転反対ののぼり旗反対住民が座りこんでいました。これが沖縄の方の現実的な気持なのでしょう。米軍基地が半分以上が使われている(占領されている)のです。

短い内容にしようと思ったのですが、沖縄に対する思いが強すぎて長くなています。ご勘弁を!

この立ち姿を見ても、18歳当時とは異なり、体形も崩れ白髪になるタイプではないことが分ります。

そう、このORIONビールのTシャツは、友人からペアルックでいただいたものです。

友人が紹介された遺跡(戦争の傷あと)などを周りました。

各施設で受け付けている方も、お若く当時のことはご存じ無いようです。

57年前に訪れたこの地の写真をお見せしました。あぁ~そうなんですか?と・・・。

やはり、そうなんでしょうね。時代は少しずつ流れているのです。

3泊して帰路につきました。待ち時間を利用して有名なハンバーガーを並んでいただきました。

定刻に羽田に着きました。

結婚50年目を記念しての沖縄の旅でしたが、過去を思い出すもがたくさん有ります。

私たちは、戦争(沖縄のあり方)など、観光で伺うにしても歴史なども知る必要があると思いました。

いま、76歳になっても特に自分の周りでは大きなことはありませんでした。

沖縄・米国・ベルリンやその他の諸外国・結婚・子どもの成長・退職・親との別れ・・・。

こうして、ブログを打ちながらこれまでにお世話になった方々や出来事に感謝したいと思っています。

18歳の時の行動と76歳になった今の比較で。個人的な記録になってしまいました。どうかお許しを!

 

Hiro


近づいて来た秋の味

2024年10月03日 | なかま道志ベース

今日は近づいて来た秋の味をご紹介します。

昨日、近所の「おさかな屋さん」でサンマを2本買い求めて来ました。

一本136円と230円のモノがありましたが、230円の方を買い求めました。

段々脂が乗ってきました。これは美味しいサンマの部類なのでしょう。

*結構、脂の乗った冷凍サンマも美味しいですよ!

食事中に宅急便が来ました。配達しいている方が焼き魚のいい匂いがしますね!と言っていました。

そして秋ナス?なのかな、ナスのしん焼きです。

生姜を擦って、これも秋の味です。

鍋には昼から作っていたのでしょう。おでんです。これは健康食だと思います。

息子の好きなクリームシチューもです。

涼しくなると、食材や内容も代わってきました。手間をかけるものと、かけないもの。

そして、値段も安く美味しいものが夕食です。

今年は大谷選どうなあっちゃうのでしょうか?そして、どこまで楽しませてくれるのでしょうか?

昨夜はそんなに疲れていないのに9時間11分も寝ていました。

この寒暖の差について行けません。

道志にも入りたいのですが、何故か?予定がぎっしりと詰まっています。

 

Hiro


50年ぶり「新婚旅行で行った場所」再び

2024年10月02日 | なかま道志ベース

昭和48年(1973年)3月に、縁あって女房と結婚いたしました。

それまでは住んでいる地域や異なる環境(東京と山梨)で暮らしていましたが、もう女房も東京生活の方が長くなりました。

まぁ~、誰しもと同じでそれなりにいろいろとありましたが、やはり祖母や母に可愛がられ信頼された女房です。苦難が無いと言えば嘘になりますが、さほど大きな波は無かったかと思います。(過去形だから言えるのでしょう)

大事な娘をいただくものですから、田舎の無い(百姓の知らない)東京人でしたが良く田舎(実家)には子どもを連れてよく行きました。

きっと、回数的には女房より行って百姓を手伝ったかと思います。

どう引き算や割り算をしても、残りの人生は折り返し地点(どこだか分かりませんが?)過ぎたのは確かです。

よく言われる、「ともに白髪が生えるまで」とありますが、私は禿げるタイプで「ともに白髪は望めない」のでしょう。

2019年のことです。72歳まで50年間働いた記念旅行として、新婚旅行の行き先であった四国に行くことにしました。

当時の「ふなや」さんのパンフレットです。(ものもちが良い方です)

式を終えて、最初の宿が新宿の京王プラザホテルでした。都の浄水場に跡地を副都心として高層ビル群にしようとした場所でした。一番初めの高層ビルで、周りは何も無かったかと思います。

この旅は2019年5月に実行いたしました。あの時は女房の親父さんからカローラを借りて、東京から四国半周の新婚旅行でのドライブでした。帰りは高知からサンフラワー号が就航して船で晴海ふ頭までです。

京王プラザホテルを出発して途中、京都で二泊目です。

そして、四国に渡るには、神戸から松山まで連絡船を利用しました。

なるべく当時のコースで、同じ宿に泊まりたかったのですが、現存するのは松山の「ふなや」さんでした。こんな宿だったかたはよく覚えていません。日にちの都合もあって、松山に宿泊しました。

なんか見覚えのあるのはこの門構えだけです。その後改築して本館と別館になっていました。

当時のことを思い出そうとしたのですが、庭は見覚えがあります。これが歳月の流れなのでしょう。

伺った時の夕食もこんな感じだったのかな?

どこでも、同じような豪華な食事(料理)が出されます。

風呂に入って、これまでの(50年間働いた)疲れ?と思い出に癒しています。それだけで良いんです。

宿近くには道後温泉があります。

こんな地図も出てきました。(ねずみ年でA型です)

その後は、松山城に向かいました。

最近、大雨で土砂崩れもありましたね。その後どうなったのでしょう。

小学生の「松山城ガイドキッズ」の子どもさんたちが、一生懸命覚えたことを話をしてくれました。これには感動しましたね。こうっやって地元の歴史や郷土愛を養う授業?に感心しました。

後日、学校にありがとうのお手紙を差し上げました。

ここでトラブル?です。

車で城近くの駐車場に止めたのですが、戻る道が分からず探せど駐車場が見つかりません。

これが城を守る戦略だったのでしょう。複雑な角などで方向を間違えるような街づくりになっていたのです。まんまとはまり、方向が分からなくなり遠くまで歩いてしまいました。途中のタクシー会社に聞いたら、全く違う方向に歩いていたのです。タクシーでうろ覚えの駐車場まで案内していただきました。これが城下町の作りだったんですね。

その後、新しく出来た海峡横断橋のしまなみ海道を渡り、途中の島で下りてひと休みし多々羅大橋に辿り着きました。ここで昼食です。

ここはドライブインになっていました。何をいただいて良いのか分かりません。

私はこれだったかな?

普通に美味しかったですね。(どっちをいただいたか忘れました)

美しい瀬戸内播磨湾?です。

そうだ!ここでも一泊したのです。

岡山の美観地区です。よくコマーシャルでワンカットで出ますよね。

ここで買い求めた備前焼のカップは大事に使っています

これですが、持ちやすく大変気に入っています。

夕食はあてもなく宿近くの店に入りました。

蔵を改造したのようなレストランです。

まぁ~想像は付く料理が出されます。

こうなると、会話も特に必要ありません。ただ時間が流れるだけです。

もう、50年も一緒にいると、特に話すこともありませんがとは言っても無言ではありませんよ。気持ちは分かります。

岡山で泊まったホテルです。レンタカーですが、ホテルの駐車場で少しぶつけましたが、知らん顔して返しました。

帰りの飛行機搭乗時間までだいぶありましたので、少しドライブしてみました。

時間が経てばお腹は空くものです。

この小さなサービスエリアでラーメンをいただきました。

名前は忘れましたが、街並みが保存されている小街道宿を訪ねました。

こちららしい雰囲気です。

先に行くとつり橋がありました。

帰り道になりますが、飛行場までは少しありますので、ハンバーガーをいただきました。

これは美味しいバーガーでしたよ!

何が言いたかったかが伝わらなかったと思います。

新婚旅行先だった四国を、働いて50年のお疲れさん記念(この時72歳でした)で行ってみた思い出です。

 

Hiro


うん?これ美味しいね!

2024年10月01日 | なかま道志ベース

うん?これ美味しいね!

昨日、夕食で山芋のオムレツを作ってくれました。

何もかけなくても、程よい塩加減です。

我が家にしては珍しい味でした。どうしたの?と聞いたらこれを使ったと出されました。

どこで買い求めたかは分かりませんが「真鯛のだし塩」でした。

裏面を読むと、「国内産の真鯛を使用することにより、味わい深い和風料理によく合うだし塩に仕上げました。炊き込みご飯、茶碗蒸し、天ぷら塩、お吸い物など様々な料理にお使いただけます」と。

一昨日のひじきにも・・・。

ホッケにも少しふりかけたようです。

朝は次男坊用に作った鍋にご飯を入れておじやです。(これに入っているようです)

いろいろなモノが値上がりし、あるもので(残っているもので)の食事でした。

 

Hiro