奈良散策 第584弾
9月24日に大和郡山市西部にある矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)に行きました。去年、ほぼ同時期に行ったので、これで2回目です。今回は田んぼに咲くヒガンバナを見に行ったのですが、同時に撮った植物の名前調べが終わっていないので、まず、神社の写真を先に出すことにします。
神社の横に数台止めることのできる駐車場があります。そこに車を置いて、神社に入るとこの場所に出てきます。
ちょっと道側に戻って鳥居を撮りました。昨年はなかったのですが、今年は長いしめ縄が張られていました。(追記2022/09/30:「しめ縄」ではなく、災厄が入らないようにする「勧請縄(かんじょうなわ)」のようです。一方、「しめ縄」は神聖な領域と現世の境界を表す縄のようです)
大きなプロペラがついた門があります。ここは昭和の初めに内務省から天空を司る神(航空祖神)はこの神社であると考証されたので、空への信仰の中心になったそうです。それで、満州事変で使われた陸軍91式戦闘機Ⅰ型から取り外されたプロペラが奉納されたとのことです。
境内には二の矢塚があります。この神社の御祭神は饒速日命(にぎはやひのみこと)と御炊屋姫命(みかしきやひめのみこと)の二座です。言い伝えによると、饒速日命は天照大神の命により、弟神の邇邇芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨の前に、中津国平定のために「天乃羽羽矢」と「天璽十種神寶」を授かり、天磐船(あまのいわふね)で天空を駆け巡ったとのことです。そのとき、三本の矢を放ったのがこの地で、二の矢の落ちたところ(境内)に32従神と豪族物部氏を率いて天降り、土地の豪族登美長髄彦(とみのながすねひこ)の妹、御炊屋姫命を娶ったということです。この神社は平安時代に作られた延喜式神明帳の大和国添下郡筆頭の大社として載っています。
大正時代に奉納された馬の像です。二の矢の模様がついています。
そして、本殿の前にある拝殿です。
石灯籠にも「
ここから三の矢塚まで歩いて行ったのですが、途中で見た植物の名前調べが終わっていないので、次回に回します。ヒガンバナはまさに真っ盛りという感じでした。
そして、田んぼの真ん中にある三の矢塚につきました。前にもそう思ったのですが、どうしてこの場所を三の矢が落ちた場所だと思ったのか、どうしてそれが物部王朝邪馬台国につながるのか、さっぱり分かりません。まぁ、伝説と言うのはこんなものかもしれませんが。