暗い話は沢山ありますが、救いのない話は好きではありません。
現実の世界には、一欠片も救いようの無い話がゴロゴロしてるからだと思います。
メチャクチャ暗い話でも、ドロドロの話でも、最後に一筋の光明があるとホッとする。
死んでしまってホントは希望が残るわけではなくても。
ロミジュリでは、長い両家の争いに和解をもたらし、天国で結ばれるシーンがある。
凍てついた明日は、もがき苦しみ悩んでいたことの意味と、
その先に見える光が、ボニーとクライドには見えていた。
カラマーゾフの兄弟では、人の世の愚かしさの中で、自らの原罪を認め、許し合う二人がいた。
心中恋の大和路は、ダメダメな忠兵衛に共感できなくて、救いようのない話だと思っていたけれど、
主役の二人は、間違った選択でも自分たちが犯し、二人でいることを自ら選んでの結果としての死だった。
近松・恋の道行きの嘉平次は綱渡りはしているけど、
自分でなんとかしようと頑張ってるだけ忠兵衛よりマシかな、と思ってた。
長作に騙されなければ、死なずにすんだはずだし。
でも、実は救いようがないのは、こっちかも
自分で選んだというよりは、騙されて、追いつめられての結果だし。
そして、かもめ。
舞台は綺麗で明るいけれど、実はすごく暗い話ですよね。救われずに迷いつづけている人がいっぱい
(迷い無く、自分の思い通りに生きてる人もいますが
)
特にまこっちゃんのコスチャ。若さ故の繊細さと尖鋭的な感性は、
手がけた舞台が失敗し、さらに失恋して自殺へ向かう。というのは、まだわかるのですが
2度目の自殺がよくわからない
自殺未遂から2年後、悩み苦しんだのち、小説家として認められるまでになったのに、
自分の作品が早くもパターン化し、マンネリに陥っているのではないかという猜疑心に囚われている。
母の愛人であるトリゴーリンのようになりたくない、と思ってるのかな。
俗物と蔑みながら、彼の名声には羨望を感じていて、母やニーナを奪ったことにたいして憎んでもいる。
伯父の具合が悪いため、母やその愛人といった人達が屋敷に集まったところへ、
家出をして女優になったニーナがそっと訪ねて来て、コスチャとつかの間、言葉を交わして去っていく。
彼女は女優として成功できず、恋にも破れて帰る所もなく、ボロボロであるにもかかわらず
自分自身の行くべき道が見えていて、あきらめていないし後悔もしていない。
ただの箱入り娘で、生活力もなさそうだったのに、強いなぁ彼女
確実に人間として成長しているよね。
でも振り返ってコスチャは、小説家として認められはじめているのにもかかわらず、
実はたいして成長していないのかも。いまだにニーナに未練があって、できれば寄りを戻したいと思っている。
一体ニーナに何を求めていたんだろう?
ニーナは確実に変わったのに、自分は2年たっても何も変わっていない。
行くべき方向も何も見えていない。このままでは作家として行き詰まることは目に見えている。
だから死を選んだのかな…
余韻のある舞台は大好きです
そういう意味では好きかも
でもこれ、TAKARAZUKAなんだろうか…。
誰?と言われれば、コスチャが主役だとは思うけど、1幕は台詞も出番も少なくてビックリ
どちらかというと群像劇、で誰が主役ってわけではない気がする。
せめてフィナーレを付けてくれたらよかったのに。
原作に忠実にやろうとすると、時間的に無理だったのか。
でもどんな公演でもフィナーレがあるのがTAKARAZUKAだし。
例外はあるけど、あくまでも例外だと思うし、それが普通になってほしくない、たとえ小劇場公演でも。
だからこそTAKARAZUKAでやる意味がある、と私は思うんだけどな