「豆腐小僧双六道中ふりだし」京極夏彦 2003講談社
妖怪というのは概念であり、その主体は感得する人間であります。
主人公がバカなので、バカな読者もなんとかついていけますな。
邪魅に染まって凶悪になった巨大豆腐小僧なんてのも見てみたい気もしますが、
まあ、この小僧はそういう存在ではござません。(妖怪の完成型)
もみじ豆腐のイラストから、「さらい屋五葉」なんかを連想するわけですが、
あああ、そうなるとマサあたりが豆腐小僧と被るわけですか。ああ、ぴったり。
まあ、なんとも、屁理屈で騙されているようでありながら、
みょうに納得させられてしまいます。
でも、いないんですよね。
いないのに、いるのでございます。
こうして私たちの中に強烈な印象を残してしまいますと、
豆腐なんて日常的に目にしますものがキーワードとなりますので、
近くにバカそうな子供でもいようものなら当然、連想しますでしょう。
そうすると、私たちが食事をしている横に、いるのでしょうね。
理屈と作品の出来上がりの構造が面白いですね。
豆腐小僧が消えなかった理由を、
タイムトラベル的に捉える事もできれば、
それ自体が書き換えられた過去だとも取れたりする。
はーっ!満足。大好き。
「死神は死ぬから出る。死神が殺すんじゃないの」ってことで、死を前にした人間が自分で出しているわけなのですか。それなら、私はエロいお姉さん死神をお願いしたい。(ゲームや神話には登場しているのですか、ああ「BLEACH」にはいっぱい出てるんでしたね。見てませんけど)
痴漢冤罪をまとめて読んだので、妖怪と痴漢(冤罪)の発生要件と認識の仕方は良く似ていることに気付いた。
もしかしたら将来、価値観の違う社会になった時、痴漢は妖怪のひとつという扱いになっているかもしれない。
妖怪多様性・・・生物多様性とかぶせて考えます。人間のやる事なんて~ららら~