「家畜人ヤプー」沼正三 1984角川書店
(1956~奇譚クラブ)
この作品だけを読んだなら、趣味的な凝ったSFかと思うだろう。
洗練されたジョークだと思うかもしれない。
確かにそれもあったろう。
しかし、「ある夢想家の手帳から」を先に読んでしまっていると、そこにマゾヒストの夢を目撃することになる。それはノーマルな人間には吐き気を誘う物だ。
それにも拘らずこの作品が残ることになったのは、そこに【人間】がいるからだろう。世の中の志向(思考・指向・嗜好)がどんどん清潔になっていく中、本当の人間の正体は変るはずもなく、そこに生まれる齟齬は拡大の一途を辿る。我々の現実の中から【人間】が消えていくにしたがって、この作品中の存在はよりリアルに真実になっていくのだろう。
なんてね。
納得したくない部分も多いので、現代風に誰か抽出しなおしてくれないだろうかとも思った。しかし、それはおそらく凡庸な文字の羅列になるか、エロを拡大させただけの低俗な物になるしかないような気もする。
この作品からなにかを読み取ろうとするならば、未来を展望する方法と、そのための人間観察・人間考察の方法ということだろう。
読んでいて途中から『本当にこれはマゾ側からの理想なのだろうか』と思えるようになり、そう考え始めるとサド側からマゾを見下した創作としても見ることが出来るかも。
どちらにしろおそらく、創作目的の一つであろう【壮大なジョーク】として捉えるべきだろう。
( ゜д゜)ハッ!
もしかして、「ある夢想家の手帳から」も実は・・・そのための仕掛けに過ぎないのでは?
28章と29章の間にあとがきがあり、31章まで。
なにやら、49章完結らしい。
まあ、機会があれば読もう。
解説がちっとも解説になってないような気がする。
どちらかというと考察だ。長いだけで邪魔臭い。