暮れから正月にかけて、Netflixでアニメ版「進撃の巨人」シーズン1~5を見ました。
といっても全話通して見たわけではなく、途中かなり飛ばしましたが。
(以下ネタバレあり)
シーズン2の終わりくらいで、巨人て人間だったのね、とわかったので、ネットであらすじを読み、シーズン3はすっ飛ばしてシーズン4-56話「地下室」からシーズン5の最後まで見ました。
なぜ見たかというと、息子が帰ってくるたびに「進撃の巨人見た?」としつこく聞くもので、
じゃあ正月休みに見てみるか、と挑戦したわけです。
で、感想としては、
長すぎる!
世界観は面白いけど、途中、巨人は人間だとわかるあたりから、
ナチスドイツのユダヤ人虐殺からヒントを得てるのね、とネタが割れ、
それって、旧態依然とした第二次大戦以前の世界観だよね、とかなりがっかりしたので、
二番目の感想としては、
古い!
そして何より、
グロい!
それぞれのキャラクターの心理描写が実に細かく描かれていて感動するシーンもあるけど、
見ていて疲れる。
考えてみるに、あれらの巨人が人間である、ということは、
人間そのものが人間にとっての最大の脅威である、という意味であり、
つまりは、自分にとっての最大の脅威は自分である、という風にも解釈できるかと。
巨人化すると無知無能になるのは、
恐れや怒りに我を忘れて自分自身を見失うというメタファーでもあり、
巨人は人間を喰うことで人間に戻ろうとしているんだ、という解説を読むと、
ふむふむなるほど、と思えてはくるんだけどね。
「世界は残酷だ」
という信念こそが、世界を残酷なものにしているのかもしれないよ。
ところで、
巨大生物による脅威、というテーマの映画はこれまでもずいぶん作られてきました。
おそらく最初の巨大生物映画(巨大メカ含む)は「ゴジラ」なんじゃないか・・
と書いてから調べてみたら、「キングコング」は1933年なので、初代「ゴジラ」より古いことが判明。
そうか、ゴジラの前にキングコングがいたのか・・
ともかく、
「ガンダム」にしろ「エヴァンゲリオン」にしろ「風の谷のナウシカ」の巨神兵にしろ、今回の「進撃の巨人」にしろ、
巨大なものに対して、人間は原始的かつ本能的な恐れを抱いているようです。
(生物に限らず、自然災害などの象徴であるかもしれないが)
もしかすると、原始時代に人類は恐竜と共生していたことがあり、その記憶がDNAに刻まれているのかも。
あるいは、宇宙人が人間の祖先を作ったというアヌンナキ伝説によると、その宇宙人は身の丈数メートルという巨人だったそうで、
巨人とは宇宙人のことなのかも・・
と想像は膨らむ。
いずれにせよ、巨人伝説には尽きせぬロマンがあるのですが、
「進撃の巨人」は結局のところ、戦争モノであり、兵士モノであるというところが限界なのかもしれない。
ゴジラもガンダムもエヴァもそうだけど、時代は移り変わっても男の子というのは、
戦争モノが大好きなのだなあ。
宮崎某にしろ、岡田某にしろ、戦争モノを語らせると目を輝かせて戦争ごっこ大好き少年に戻ってしまうからね。
男は殺し、女は産む、という世界はこの先も続いていくのだろうか。
続いてくんだろうね。
それを変革するのは、女しかいないじゃないですか!
さあ、立ち上がれ、女たち!
という物語を今年は探そうっと。
《追記》
最終巻で、始祖ユミルに巨人の力を授けた生物として、光るムカデ(カンブリア紀のハルキゲニアに似た生物)が登場するようです(12月28日の記事参照)。