ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

ふたたび映画「ボブという名の猫」を見ながら・・

2019-10-27 11:53:31 | 映画

 

 最近、本当に自然災害が多いですね。
去年までは西日本が大変だったけれど、今年は東日本が集中的にやられている気がします。
被災された方には心よりお見舞い申し上げます。

TVなどで被災地の様子を見ていると、後片付けが本当に大変そうで、私なんか後片付けしている最中に心臓発作起こして死んじゃうんじゃないか、ま、それもいいかもしれないけど、泥まみれで死ぬのは嫌だなあ・・などと思いながら見ています。

3・11以降、ミニマリストが流行りました。
そもそもこのブログを立ち上げたのも、モノを捨ててミニマルな暮らしをしよう、と決意したからなのですが、よくよく周囲を見まわせば、あの頃と何も変わっていない、いや、確実にモノが増えている。

こりゃ一体どうしたことか・・

でも、考えこんでいる場合じゃない。やはり、ここはもう一度初心に戻り、モノに依存しない生活を心がけようと、改めて思っている次第です。

幸いなことに、我家は賃貸なので、災害に見舞われたら引っ越せばいい、と少し前までは思っていました。
家や土地のある人たちは大変だなあ、失うモノが多くて。しかも、その土地を離れられないとしたら、想像を絶する大変さだろうなあ、私は家も土地も大した家財道具もないし、基本どこでもOKなのでラッキーだなあ・・と思っていたのですが、実はこの年だともう引越し先がないのですね。

どこも受け入れてくれない。70歳を超えた一人暮らしの女性が新居を探すのはほぼ無理に近い、ということにはたと気づいたわけです。

家も土地もない、モノだって大して持っていないのだから安心、とは言っていられない。持っていない者は即ホームレスになるしかないのです。

だからこそ、あの台風の日、多摩川の河川敷にいたホームレスの方々のことがとても気になったのでしょう。明日は我が身と潜在意識の奥底で感じていたせいでしょう。

ああ、たしかにそうなんだろうなあ。

まあ、今のところ家を出ていかざるをえない状況にはなく、しばらく(たぶん死ぬまで)ここで暮らさせていただけるようなので、ありがたいことだと思っています。

私が離婚した時(もう30年も前になりますが)一番大変だったのが家でした。
家にかかる費用(賃貸料)が想像を絶するほど高い。それまでは持ち家があり(ローンを組んで買った分譲団地)、家というものは定期的な収入さえあれば簡単に手に入れることができると思っていたわけですが、離婚してみるとそうはいかない。

仕事はあるけどお金はない、幼い子どもたちを抱えて、途方に暮れたものです。

でも、人生って何とかなるものです。
そういう時期を経てくると、まあ、大抵のことには驚かない。矢でも鉄砲でも持ってこい、とは言わないけど、何とかなると思えてきます。

離婚後最初に引っ越した貸家で私はこう思いました。

ここは日本だ。日本語が通じる。友人もいて助けてくれる。とりあえず仕事はある。
収入は少なくても、DV夫に怯えながら暮らすよりはるかにいい。命の危険はない。大丈夫、何とかなる。

呪文のようにそう唱えていたものです。

若い時にこうした経験をすると、大抵のことには驚かなくなるものですが、それでも自然災害は容赦ない。かくいう私も、これほどの災害が起きたら、大丈夫だと言える自信はありません。

それでも人間は生きていかなくちゃいけない。太陽はまた昇り、明日はやってくる。

ホームレスというキーワードで思い出したのが、以前もここで紹介した映画「ボブという名の猫」です(2019年7月13日の記事参照)。

主人公のジェームスはまだとても若い。若いから多少のことには耐えられる。それでも、冬の最中にホームレスでいるのは命の危険を伴います。

福祉課の女性が何くれとなくジェームスを助けようとし、ジェームスもそれに答えようとしますが、ジャンキーから抜け出すのは難しい。

そこに救いの神のごとく現れたのが猫のボブでした。

ほら、日本のおとぎ話でもあるでしょう。神さまが思いがけない姿で現れて人を試すという、たとえば、

「おそばのくきはなぜあかい」(岩波子どもの本)

おじいさん(の姿で現れた神さま)が冬の最中に川の向こう岸に渡りたいという。麦は断わりましたが、親切な蕎麦はおじいさんをおぶって冷たい川を渡りました。だから、麦は寒い冬の間雪の下で耐えねばならず、蕎麦は暖かい季節に陽を浴びて育つようになった、でも冷たい川を渡ったせいで蕎麦の足(茎)は赤くなったというお話です。

つまり、ジェームスの元に現れたのは、猫の姿をした神さまだったのですね。

このように、神さまはいつなんどき、どんな姿で現れるかしれない。
もしかすると、災害の最中にも、猫の姿で現れてくださるかもしれない・・

だから、何か事が起きたとき、周囲をよくよく見まわして、神さまがどこに潜んで救いの手を差し伸べてくださろうとしているか、見極めようと思っています。

神さまはそこらじゅうにいると私は思っています。だからこそ、何とかなるのですね。
今辛い状況下にある人は、ちょっとまわりを見まわしてみてください。

もしかすると(猫の姿をした)神さまがすぐそばにいるかもしれませんよ。


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