kindle本出版講座の話などが入ったため、ミニマリストの方は中断していましたが、
また再開したいと思っています。
なぜ、ここにきて、私が突然ミニマリストだのkindleだのと言い出したのか、
ということについて書いておこうかと。
70代半ばにさしかかり、周囲を見渡してみると、いろんなシニアがいるのですね。
まだ現役でバリバリ仕事をしている人もいれば、「もう歳だから」を連発する人もいます。
先日、ETSUKOさんがお茶会の席でこんな質問をされました。
「あなたはどんな人ですか?」
それに対して「消極的」とか「人前で話すのが苦手」とか言うと、それは他人の目を通して判断した自分ではないですか、と。
この世は幻想なので、どんな自分も創り上げることができる。
アスペルガーだから片付けが苦手、というのは言い訳。別の自分を選ぶことだってできるのだから。
そう断言しておられました。
まあ、それに対しての賛否はともかく、
私たちはいろんな自分になれる素地を持っている、というのはその通りだと思います。
いろんな才能があるのに気づいていない。
先日、本棚の整理をしていたら、奥の方からこんな本が出てきました。
「人は誰でも講師になれる」(中谷彰宏著 日本経済新聞社)
買った記憶はあるけど読んでなかった。どれどれ、ちょっとだけ読んでみようと思ったのですが、これが面白くてね。
まず冒頭に出てくるお話。
吉田松陰が投獄されて雑居房にいた時、同じ房にいた全ての人を先生にした、という話です。
植木職人からは植木の仕方を、バクチ打ちからはバクチのコツを・・と皆に教えさせたというのです。
自分では当たり前と思っていたことが、世間からすると当たり前ではない。なので、誰でも講師になれる、というわけ。
へえ、と思いました。
ETSUKOさんの話とはちょっと違うかもしれないけど、
自分では当たり前だと思い、何の価値もないと思っていたことが、案外世間の役に立つのかもしれない。そして、人に教えるということを通して自分もまた学ぶことができるのだと。
昔、小さな塾の講師をしていたことがあります。
小中学生に国語と英語を教えるのですが、社会科の教員免許は持っていたけど国語や英語は持っていない。
そこで、私は教えるために猛勉強をしました。
そもそも高校卒業以来、国語の文法も英文法も全く勉強してこなかった。
五段活用って何だっけ? から始めて、小中学生に教えるために猛勉強した。
これって、すごくいい経験になり、その後、英会話を始めた時や日本語教師の資格を取った時に大いに役立ちました。
人に教えようと思うと、生半可な知識では教えられない。しっかり身に着けないといけない。なので、自分でもしっかり学べるというわけ。
吉田松陰方式は、どんな場面でも役に立つと思います。
長い人生の中で培ってきた「当たり前」が他の人の役にたつかもしれない、そう思うと、がぜん元気になりませんか?
たとえば主婦なら、料理にかけては誰にも負けないわとか、お掃除なら任せといてとか、子どものあやし方なら得意よとか。いろいろあると思います。
「もう歳だから」なんて言ってないで、この際、人生の棚卸をして、自分の得意を見つける、というのはどうでしょうか?
ミニマリストになろうとして、家の中を片付け始めたら、何だか知らないけど、別の自分が見えてきた、という感じかな。
片付けというのは棚卸。棚の奥にしまいこんであった埃だらけのモノが意外な役にたつことを発見したりもするのですね。
何もかも捨てて、一から始めようというのは、この歳になるとちょっと違うかも・・と思い始めています。
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