ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

新型コロナについて考える(2)

2020-04-05 13:30:13 | 新型コロナ

新型コロナウイルスの猛威はとどまることを知らず、すでに世界では110万人をこえる感染者と6万人を超える死者が出ているようです。

日本は比較的感染者が少ないけど、これって検査してないだけなんじゃないの、と疑問視されてますが、死者数も少ないところを見ると、日本はこれからなのかも。

ともかく、世界はこんなに短期間で変貌してしまうものなのか、と改めて思います。

物事が変わるときって、徐々にじゃなくて一度に何もかも変わるのかもしれません。

今はほとんど聞かなくなったのですが、かつて、カタストロフィー理論というのがもてはやされた時期がありました。

トポロジーという数学の分野の難しい理論で、簡単にいうと破局についての理論です。

物事はうまくいっていると思うと、ある時突然破局を迎える。心理学では男女の恋愛などに例えているようですが、熱愛しているカップルがちょっとしたきっかけで憎しみ合うようになるとか。

そのきっかけを計算する数学の式があるようですが、
・・省きます。

つまり、物事というのは、多少の上下や波はありながらも、全体的に徐々に前進(あるいは後退)していくものだと私たちは考えがちですが、

実は、何らかのきっかけ(トリガー)で劇的に変化するものだ、ということを説明している理論のようです(詳しいことはよくわかりません。誰か教えて下さい)。

世界が一夜にして変貌するという経験を、私は9歳のときにしています。

父の転勤で東京から兵庫県の山奥に引っ越した日のことです。

到着した日は穏やかに晴れて畑や野原や山がきれいだったのですが、一夜明けてみたら、あたり一面銀世界に変わっていたのです。

その時、私は子ども心にこう思いました。

「世界は一夜にして変貌するものなのか」

それはひどくショッキングな出来事であると同時に、世界というのは何て変わったところなのだろう、何という驚異に満ちた場所なのだろう、と思ったのを覚えています。

同じような経験はその後も何度かありました。

たとえば、1995年の阪神淡路大震災。
神戸の高速道路がひっくり返った映像は非常にショッキングでした。

そして、あの東日本大震災。
津波による大きな被害。原子力発電所の事故。

どれも、地震というトリガーを経て、日常が一変した出来事でした。

こうした大事件に限らず、私たちの暮らしの中でも、ちょっとしたきっかけで人生が一変することはよくあります。

物事は平坦に進むわけではない。

平坦に少しずつ進むわけではなく、ある時、いっぺんに何もかも変化する時が来る。

朝起きてみたら、あたり一面銀世界になっていたように。

9歳の時のこの経験は、強烈に私の中に刻み込まれています。

従って、新型コロナウイルスがこれほど短期間で世界を一変させてしまうことは、特に驚くべきことではなく、

ここに至るまでの長い経緯があってこそ、と思うわけです。

一夜にしてあたりが銀世界になるのは、現在の天気予報では特に驚くことではありませんが、子どもだった私には、驚異に満ちた世界のありようとして捉えられたわけです。

新型コロナウイルスによる脅威も、

単に中国武漢から発生したウイルスがたまたま世界に蔓延した、という偶発的な事件ではなく、実は、この世界に住む私たち一人ひとりの行動や無意識の底から、徐々に立ち上がってきた現象なのではないか・・

それが何らかのトリガーを経て、爆発的に広がったのではないか。

そう考えるわけです。

だとするなら、この状況をしっかりと受け止めて、

私たちが今するべきことは何なのかをしっかり考える時にきているのではないか。

何より、

次の世代にどんな世界を残すか、残せるのか、

といったことを・・。(続く)

(トゥ・ビー・コンティニャー)

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