越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

映画評『ファーストフード・ネーション』

2007年12月06日 | 小説
ファストフードは、なぜ安いのか? 
リチャード・リンクレイター監督『ファーストフード・ネイション』
越川芳明

 この映画は、食肉偽装という日本にとってもタイムリーなトピックを扱っている。我が国で偽装といえば、建築の耐震偽装から始まり、食品分野に広がりいまやとどまるところを知らないが、アメリカでも、高く売れる有機牛乳などで偽装が見つかっている。

 この映画は、南カリフォルニアに本社のあるハンバーガー会社のマーティング部長ドン・アンダーソンを主人公に据えている。かれは自社の牛肉パテに大腸菌が混入しているという外部情報の真偽をさぐるよう命じられて、牛肉パテを卸しているコロラドの牛肉加工業者の工場を訪れる。

 冒頭の二つの対照的なショットが興味深い。ひとつは、アメリカのどこででも見うけられるファストフード店での食事のシーン。カウンターでバーガーとドリンクとポテトの三点セットが載せられたトレイを受け取り、家族の席まで運ぶと、妻が満面の笑みをたたえて待っている。この運んだ人物に顔がないのが象徴的だ。マクドナルドをはじめとするファストフード業界は、冷凍加工品を使う調理システムの合理化に伴い、急成長したといわれるが、オートメーション化(ロボット化)したのは客の態度も同じだ。

 もうひとつのシーンは、国境地帯の南、「貧しい」メキシコの町から始まる。俗にコヨーテと呼ばれる「案内人」に二千ドルを渡して、違法の国境越えを試みる一群のメキシコの若者たち。中にラウルとシルビアという若い夫婦、シルビアの妹ココがいる。昼夜をかけて道のない砂漠地帯を歩いていくので、はぐれたら危険だ。かれらの旅の目的は「北」への移住ではなく、「北」への出稼ぎであり、現にロベルトという男の場合、越境は三度目だという。

 エリック・シュローサーのノンフィクション『ファストフードが世界を食いつくす』(草思社、2001年)を原作にしているにもかかわらず、この映画はドキュメンタリーではなく、ドラマである。フランチャイズ制のバーガーショップの名前も、ミッキーズと虚構の店名を使っている。

 ドキュメンタリーならば、肥満や糖尿病など、ファストフードのもたらす人体への弊害をついた傑作がある。『スーパーサイズ・ミー』(20004年)という作品だ。モーガン・スパーロックという監督が自ら実験台になり、マクドナルドで朝昼晩と三食、三十日間食事をとりつづけるとどうなるかを問うた文字通り体当たりのドキュメンタリー。こちらは特定の店に焦点を当て、アメリカ人の肥満と健康の問題に論点を絞っている。

 それに対して、『ファーストフード・ネイション』は、食の問題を出発点にして、いかにファストフード業界のやりかた(安い商品を生み出す均一化、効率化、大量生産)がアメリカ社会を食いつくしたかを描く。その影響はいまや農業、労働、福祉、環境、医療、教育などあらゆる分野に及んでおり、特定の一社を吊るしあげるだけでは、手に負えないほど社会にあまねく浸透している。

 リンクレイターがこの作品をドラマに仕立てたのは、資本主義社会において、ともすれば企業が陥りがちな「利益至上主義」に観客の想像力を向けるためではなかったか。「利益追求」は企業の一大目標であっても、手段をえらばず「利益至上主義」に走れば、人間不在に陥る。

 この映画が違法移民にもスポットを当て、精肉工場の労働者として登場させたのには訳がある。メキシコからやってきた違法移民は、劣悪な労働環境に直面させられることになる。工場は「経済効率」を理由にかれらを安く使っておきながら、違法であることを理由に怪我をしてもほったらかしだ。若い女性は、工場で上司のセクハラの対象になる。

 また、高校生をはじめ若者たちも犠牲者だ。ファストフード店の労働力として格安で長時間使われるだけでなく、応対までマニュアル化されて管理される。ファストフードの店も工場も、インフラが整い非常に清潔そうに見えるが、裏にまわるとその本質が見える。エリック・シュローサーは、いまやレストランは工場と化しているという。

「生産量を第一義とするファストフード業界のやりかたは、何百万というアメリカ人の働きかたを変え、大規模な調理場を小さな工場に、食べ慣れた食品を大量生産の商品に変えた」(97頁)

 いまアメリカでは、「豊かさ」とは、いかに安いものが大量にあるかということを意味しているのであり、品質とか安全とか人権といった価値観は脇に押しやられている。ファストフード業界だけでなく、労働問題が取りざたされるウォルマート、ターゲット、Kマートといった巨大スーパーの存在と人気がそれを証明している。

 わたしたちは「安さ」にとびつき、「安さ」に疑問を抱かない。だが、食品に関する限り、それが自分たちの健康だけでなく、社会のありかたまで変えてしまいかねないので、この映画はそうした「安さ」のからくりに観客の想像力を向けさせるのだ。

 メキシコからアメリカの「豊かな」生活に憧れてやってきて、初めて立派なレストランで食事をしたあと、満足げなラウルにシルビアがふと漏らした言葉が印象的だ。「でも、あのチキン、冷凍だったわ」

(初出『すばる』2008年1月号、316ー17頁)
『ファーストフード・ネーション』の公開は2008年2月、ユーロスペースほか。