プーチン政権の「闇」をかいま見る――映画『暗殺・リトビネンコ事件』
越川芳明
このドキュメンタリーの最大の功績は、何者かによって暗殺されてしまったリトビネンコの生前の証言内容というより、かれが何かを話すときの生の声や顔の表情を映像に残したことことだろう。
300名以上の死者が出た99年のモスクワでの連続アパート爆破事件は、当初チェチェン人武装勢力によるテロと見なされたが、しかし、実は当時長官であったプーチンのFSB(連邦保安庁、KGBの後身)の仕組んだ「偽装工作」であり、その事件は第二次チェチェン侵攻の口実になっただけでなく、プーチンを大統領に押しあげることになったのだという。
そうした指摘から始まり、この映画の中で次から次へと出てくる驚くべきFSB批判は、ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤの著作を初めとして、いろいろな本でも指摘されていることだ。
それにしても、非常にうまくできた映画である。監督のネクラーソフは、犯罪組織(マフィア)対策、テロ対策担当だった元FSB職員アレクサンドル・リトビネンコと、その庇護者である政商ベレゾフスキーの側に立って、プーチン政権の土台であるFSB批判を繰りひろげる。
冒頭のほうで、監督はこういう。「わたしは英国の捜査当局に今回の暗殺事件で聴取を受けた。あの時は充分話せなかったと今にして感じている。本作が私の証言だ」と。原題には副題が付いていて、「アンドレイ・ネクラーソフの証言」となっている。
「証言」といっても、ドラマにちかい複雑な構成をとっている。とりわけ面白いのは、98年にリトビネンコが命をかけて他の職員と共にFSBの構造的な腐敗を独立系テレビで告発し、逆に刑事上の責任を問われ、逮捕されてしまうシーンだろう。
具体的には、どのように編集され展開されているのだろうか。それは「いわゆる一つの自由」と題された章から始まる。
リトビネンコの元上司グサクの証言とリトビネンコの証言を交互に流す。
そのあとで、監督がリトビネンコから渡されたという問題ビデオの映像(98年4月20日深夜にテレビ局のキャスターをまじえてリトビネンコとグサクともう一人がFSBのやり口をカメラに向かって吐露している。FSB長官を不当解雇で訴えているトレパキシンをワナにはめて逮捕するように指令を受けた、と)をつなぎ、トレパキシンの証言(95年に資金洗浄のマフィアを告訴しようとしたが、上から阻止された)や、リトビネンコの証言(上司のFSB副局長カミシニコフから政商ベレゾフスキー暗殺指令をうけた)をつづける。
さらにベレゾフスキー自身が隠し撮りしたビデオの映像(FSBのリトビネンコの同僚たちが暗殺指令を漏らしにきた)をはさみ、亡命したベレゾフスキーの証言(ロシアに自由精神は育たない)をおき、再び98年のFSB告発ビデオ(何人かの政治リーダーが上司の背後にいるとのグサクの発言)をはさむ。
グサクの証言(ビデオは死後に公開の約束だったが、8カ月後にいきなり放映された)をつづけ、FSBの腐敗を訴える公式会見のテレビ放送(リトビネンコは素顔だが、あとの者はめざし帽で顔を隠す)と、プーチンのテレビ会見の映像(リトビネンコの逮捕)と、ニュース映像(リトビネンコの裁判無罪と再逮捕)を細かくはさみ、リトビネンコの部下の証言(FSB上司からリトビネンコを有罪に追い込むウソの証言を強要されているので困っている)やニュース映像(グサクの逮捕)をつづける・・・。
関係者の証言を何の芸もなくつなぎ合わせるのではなく、かつてのテレビ映像やビデオを小刻みに折り込みながら、巧妙にドラマ化しているのである。
そういう意味で、この映画はFSBというかプーチン政権の悪辣な手口をわれわれに知らしめることに成功しているといえる。反対勢力を追い落とすために、名誉毀損、脅迫、恐喝、説諭、ワナ、暗殺、メディア統制といった、KGBの時代から培ってきた手段を使って恐怖政治をおこなっているとの印象をつよく残す。
監督は、あくまでリトビネンコのFSB内での「反乱」をモラルの問題として捉えたがっているようであるが、しかし、監督によって「証言」されなかったこともある。
たとえば、アパート爆破事件をめぐるドキュメンタリー『疑惑』(2004年)の制作資金を提供したといわれるベレゾフスキーの「アエロフロート」社の海外不正送金問題など、かれの数々の疑惑には触れもしない。だから、この映画を見る限り、ベレゾフスキーは「悪人」にはなっていない。
この映画に刺激を受けて、わたしはリトビネンコ暗殺にまつわる本だけでなく、プーチン政権やKGBにかかわる本やネットサイトを拾い読みしてみた。すると、知らないことだらけであった。
たとえば、前大統領エリツィン一家をはじめ、クレムリンの政治指導者が企業の顧問や社長になり、職権を濫用して暴利をむさぼってきていることなどがイモずる式に出てくる。
先頃、プーチンが次期大統領候補として支持を表明したメドベージェフは第一副首相であり、ロシア国営天然ガス独占企業体ガスプロムの会長である。そのガスプロムは、「カスプロム・メディア」という子会社をもち、かつて人気のあった民放テレビ局「独立テレビ」を乗っ取っている。
ロシアで権力が「金」になることが露呈してきたのは、KGB長官アンドロポフが大統領になった82年以降であるが、その頃から、権力はマフィアと結びつき、エリートと貧者との格差が広がっている。ペレストロイカを先導したゴルバチョフの時代(85年―91年)は、むしろ「マフィアの黄金時代」で、さらに格差が広がった・・・。
いまロシアにおいてプーチンの人気はとどまることを知らない。原油価格や天然ガスの高騰による経済成長もさることながら、すべてのテレビ局を国家の統制下におさめて、国民を誘導しているからだ。
一方ベレゾフスキーは、自身のテレビ局「ロシア公共テレビ(ORT)」を武器にプーチン批判をおこなっていたが、その武器を奪われ、国外に脱出せざるを得なくなった。いまのところ、国外でネクラーソフのような監督に支援することによって抵抗するしかないのだ。
(『暗殺・リトビネンコ事件』公開パンフレットより)
映画『暗殺・リトビネンコ』は、2007年12月22日渋谷ユーロスペースにてロードショー。
参考文献
江頭寛『プーチンの帝国 ロシアは何を狙っているのか』草思社、2004年
ゴールドファーブ、アレックス&マリーナ・リトビネンコ『リトビネンコ暗殺』加賀山卓 朗訳、早川書房、2007年
ブラン、エレーヌ『KGB帝国 ロシア・プーチン政権の闇』森山隆訳、創元社、2006年
ポリトコフスカヤ、アンナ『チェチェン やめられない戦争』三浦みどり訳、NHK出版、2004年
寺谷ひろみ『暗殺国家ロシア リトヴィネンコ毒殺とプーチンの野望』学研新書、2007年
ウェブサイト ウィキペディア「アレクサンドル・リトビネンコ」、「アンナ・ポリトコフスカヤ」
越川芳明
このドキュメンタリーの最大の功績は、何者かによって暗殺されてしまったリトビネンコの生前の証言内容というより、かれが何かを話すときの生の声や顔の表情を映像に残したことことだろう。
300名以上の死者が出た99年のモスクワでの連続アパート爆破事件は、当初チェチェン人武装勢力によるテロと見なされたが、しかし、実は当時長官であったプーチンのFSB(連邦保安庁、KGBの後身)の仕組んだ「偽装工作」であり、その事件は第二次チェチェン侵攻の口実になっただけでなく、プーチンを大統領に押しあげることになったのだという。
そうした指摘から始まり、この映画の中で次から次へと出てくる驚くべきFSB批判は、ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤの著作を初めとして、いろいろな本でも指摘されていることだ。
それにしても、非常にうまくできた映画である。監督のネクラーソフは、犯罪組織(マフィア)対策、テロ対策担当だった元FSB職員アレクサンドル・リトビネンコと、その庇護者である政商ベレゾフスキーの側に立って、プーチン政権の土台であるFSB批判を繰りひろげる。
冒頭のほうで、監督はこういう。「わたしは英国の捜査当局に今回の暗殺事件で聴取を受けた。あの時は充分話せなかったと今にして感じている。本作が私の証言だ」と。原題には副題が付いていて、「アンドレイ・ネクラーソフの証言」となっている。
「証言」といっても、ドラマにちかい複雑な構成をとっている。とりわけ面白いのは、98年にリトビネンコが命をかけて他の職員と共にFSBの構造的な腐敗を独立系テレビで告発し、逆に刑事上の責任を問われ、逮捕されてしまうシーンだろう。
具体的には、どのように編集され展開されているのだろうか。それは「いわゆる一つの自由」と題された章から始まる。
リトビネンコの元上司グサクの証言とリトビネンコの証言を交互に流す。
そのあとで、監督がリトビネンコから渡されたという問題ビデオの映像(98年4月20日深夜にテレビ局のキャスターをまじえてリトビネンコとグサクともう一人がFSBのやり口をカメラに向かって吐露している。FSB長官を不当解雇で訴えているトレパキシンをワナにはめて逮捕するように指令を受けた、と)をつなぎ、トレパキシンの証言(95年に資金洗浄のマフィアを告訴しようとしたが、上から阻止された)や、リトビネンコの証言(上司のFSB副局長カミシニコフから政商ベレゾフスキー暗殺指令をうけた)をつづける。
さらにベレゾフスキー自身が隠し撮りしたビデオの映像(FSBのリトビネンコの同僚たちが暗殺指令を漏らしにきた)をはさみ、亡命したベレゾフスキーの証言(ロシアに自由精神は育たない)をおき、再び98年のFSB告発ビデオ(何人かの政治リーダーが上司の背後にいるとのグサクの発言)をはさむ。
グサクの証言(ビデオは死後に公開の約束だったが、8カ月後にいきなり放映された)をつづけ、FSBの腐敗を訴える公式会見のテレビ放送(リトビネンコは素顔だが、あとの者はめざし帽で顔を隠す)と、プーチンのテレビ会見の映像(リトビネンコの逮捕)と、ニュース映像(リトビネンコの裁判無罪と再逮捕)を細かくはさみ、リトビネンコの部下の証言(FSB上司からリトビネンコを有罪に追い込むウソの証言を強要されているので困っている)やニュース映像(グサクの逮捕)をつづける・・・。
関係者の証言を何の芸もなくつなぎ合わせるのではなく、かつてのテレビ映像やビデオを小刻みに折り込みながら、巧妙にドラマ化しているのである。
そういう意味で、この映画はFSBというかプーチン政権の悪辣な手口をわれわれに知らしめることに成功しているといえる。反対勢力を追い落とすために、名誉毀損、脅迫、恐喝、説諭、ワナ、暗殺、メディア統制といった、KGBの時代から培ってきた手段を使って恐怖政治をおこなっているとの印象をつよく残す。
監督は、あくまでリトビネンコのFSB内での「反乱」をモラルの問題として捉えたがっているようであるが、しかし、監督によって「証言」されなかったこともある。
たとえば、アパート爆破事件をめぐるドキュメンタリー『疑惑』(2004年)の制作資金を提供したといわれるベレゾフスキーの「アエロフロート」社の海外不正送金問題など、かれの数々の疑惑には触れもしない。だから、この映画を見る限り、ベレゾフスキーは「悪人」にはなっていない。
この映画に刺激を受けて、わたしはリトビネンコ暗殺にまつわる本だけでなく、プーチン政権やKGBにかかわる本やネットサイトを拾い読みしてみた。すると、知らないことだらけであった。
たとえば、前大統領エリツィン一家をはじめ、クレムリンの政治指導者が企業の顧問や社長になり、職権を濫用して暴利をむさぼってきていることなどがイモずる式に出てくる。
先頃、プーチンが次期大統領候補として支持を表明したメドベージェフは第一副首相であり、ロシア国営天然ガス独占企業体ガスプロムの会長である。そのガスプロムは、「カスプロム・メディア」という子会社をもち、かつて人気のあった民放テレビ局「独立テレビ」を乗っ取っている。
ロシアで権力が「金」になることが露呈してきたのは、KGB長官アンドロポフが大統領になった82年以降であるが、その頃から、権力はマフィアと結びつき、エリートと貧者との格差が広がっている。ペレストロイカを先導したゴルバチョフの時代(85年―91年)は、むしろ「マフィアの黄金時代」で、さらに格差が広がった・・・。
いまロシアにおいてプーチンの人気はとどまることを知らない。原油価格や天然ガスの高騰による経済成長もさることながら、すべてのテレビ局を国家の統制下におさめて、国民を誘導しているからだ。
一方ベレゾフスキーは、自身のテレビ局「ロシア公共テレビ(ORT)」を武器にプーチン批判をおこなっていたが、その武器を奪われ、国外に脱出せざるを得なくなった。いまのところ、国外でネクラーソフのような監督に支援することによって抵抗するしかないのだ。
(『暗殺・リトビネンコ事件』公開パンフレットより)
映画『暗殺・リトビネンコ』は、2007年12月22日渋谷ユーロスペースにてロードショー。
参考文献
江頭寛『プーチンの帝国 ロシアは何を狙っているのか』草思社、2004年
ゴールドファーブ、アレックス&マリーナ・リトビネンコ『リトビネンコ暗殺』加賀山卓 朗訳、早川書房、2007年
ブラン、エレーヌ『KGB帝国 ロシア・プーチン政権の闇』森山隆訳、創元社、2006年
ポリトコフスカヤ、アンナ『チェチェン やめられない戦争』三浦みどり訳、NHK出版、2004年
寺谷ひろみ『暗殺国家ロシア リトヴィネンコ毒殺とプーチンの野望』学研新書、2007年
ウェブサイト ウィキペディア「アレクサンドル・リトビネンコ」、「アンナ・ポリトコフスカヤ」