フィデル・カストロのコラム集『カストロは語る』(青土社)を翻訳刊行しました。同書に収録できなかったコラムを何回かに分けて、ここに収録します。世界を自分たちの思いのままにコントロールする集団(ビルダーバーグ倶楽部)をめぐる「陰謀説」を展開する著書の引用からなりますが、SF小説を読んだように、世界の見方が変わること請け合いです。 それでは
世界政府(その1)
二日前、すなわち[2010年]8月15日のこのコラムで、私はキューバ人ジャーナリストで、国営放送の『円卓(メサ・レドンダ)』という番組のホストをしているランディ・アロンソの書いた記事について触れながら、彼が「世界政府」と言い表すものに関してバルセロナのドルチェ・ホテルで開かれた会議について書いた。
コラムを引用すると
「彼のように正直な作家たちが一様にそのような奇妙な会議から漏れてくるニュースをフォローしている。彼らよりずっと情報通で、この出来事を何年も追いかけている者がいる」
私は、ダニエル・エスチューリンという作家に触れた。
この著者による1ページ20行からなる合計475ページの著書が私の批評を待っている。
たとえその会議の参加者の誰かが会議への参加を否定したり、その著書の中で述べられた出来事への関与を否定したとしても、素晴らしい本であることは変わらない。
このコラムで引用できる大半は、私はそれを二つに分けるので、長すぎることにはならないはずだが、
『ビルダーバーグ倶楽部』というタイトルの、この見事な著書がどんな感じか示すために私が選んだ数多くのものを含んでいる。
その著書の中で、エスチューリンは大立て者たちをずたずたに切り裂いている。
すなわち、ヘンリー・キッシンジャー[ニクソン政権やフォード政権の大統領補佐官、国務長官]、
ジョージ・オズボーン[英国のキャメロン政権の財務相]、
ゴールドマン・サックス証券の重役たち、
ロバート・ゼーリック[ブッシュ政権の国務次官]、
ドミニーク・シュトラウス=カーン[国際通貨基金の理事長]、
パスカル・ラミー[世界貿易機関事務局長]、
ジャン・クロード・トリチェット[欧州中央銀行総裁]、
アナ・パトリシア・ボティン[スペイン、バネスト銀行会長]、
コカコーラのCEOたち、
フランス・テレコム、
テレフォニカ・デ・エスパーニャ、
スエス[パリに本社をおき、水道事業や電力事業、ガス事業を手がける]、シーメンズ[ミュンヘンに本社を置く多国籍企業]、
シェル[米国のエネルギー関連事業]、
BP([国のエネルギー関連企業]、その他の似たような政済界の大物。
エスチューリンは、その起源から説明を始める。
ドナルド・ポーの『ロックの悪魔的ルーツ』で語られたように、前例のない二つの日曜日をまたにか
けたエド・サリバン・ショーでは、7500万人のアメリカ人が、ビートルズが顔を振り、体を揺らす仕草
を見た。すぐにそれは未来の何百ものロックグループが真似するところとなった。
アメリカの大衆にビートルズを『気に入らせる』ように仕掛けたのは、ウォルター・リップマン[政治ジャーナリスト]という男だった。
音楽史上最も真似をされ最も演奏されたビートルズは、アメリカの大衆の前に、あたかも発見されるように、差し出されたのである。
『テオ・アドルノの登場』というのは、最初に出てくる小見出しの一つだ。
ロックンロールの社会理論を考案した責任は、ドイツの社会学者であり音楽学者で作曲家であるテオドール・アドルノにある。
フランクフルト社会研究所の指導的哲学者であるアドルノは、1939年にプリンストン大学ラジオ放送研究プロジェクトを指揮するために合衆国に派遣された。
それは、大衆操作を目的にしたタヴィストック研究所とフランクフルト研究所との共同研究だった。
資金はロックフェラー財団[石油王ジョン・ロックフェラーの遺志で1913年に設立]から提供され、創設はデイヴィッド・ロックフェラーの右腕
の一人、ハドリー・カントリル[プリンストン大学心理学教室主任]によるものだった。
事実、ナチスはラジオ放送による集中的な宣伝活動を大衆洗脳の道具として使い、ファシスト国家の欠くべからざる一部に組み込んでいた。
この事実はタヴィストック研究所のテレビ網によって真剣に研究され、みずからの番組で幅広く実験された。
このプロジェクトの目的は、アドルノの『音楽社会学序説』によれば、「大衆の『音楽の』文化を社会的な大衆操作の一形式としてプログラミングすること」だった。
「ラジオの放送網は、一日24時間トップ40の人気曲を繰り返し流すマシーンに変えられた」。
ビートルズが1964年2月にアメリカ合衆国にやってきたとき、市民権運動はピークに達していた。
この国は、ジョン・F・ケネディー大統領の残虐な暗殺による深い国民的なトラウマに陥っていたが、ようやく回復しようとしていた。
(中略)首都の街中では、マーティン・ルーサー・キング牧師に導かれた市民権運動がデモを組織して、50万以上の人々がそれに参加した。
1964年から1966年までに、いわゆる『英国侵略』で、次々と英国のロック歌手やロックグループがアメリカ合衆国に到来し、彼らはことごとく人気者になり、アメリカ文化を包囲した。
(中略)1964年の暮れにかけて、この『英国侵略』が巧みに仕組まれたものであったことが判明する。
このような最近作られたグループや彼らのライフスタイルは、(中略)新しい可視的な「タイプ」[タヴィストック研究所の用語]となった。
ほどなくしてその新しいスタイル(服装、髪型、言葉づかい)は、何百万ものアメリカの若者をのみ込み、一気に新しいカルトになった。
合衆国の若者たちはそれに気づかずにラディカルな内的革命を経験し、(中略)そうした危機に対して間違った対処をした。
すなわち、あらゆるドラッグ――最初はマリファナ、つづいて、人の意識を変える強力なドラッグLSDを用いたのである。
(中略)英国の諜報機関やその手先や、アメリカ合衆国の国家戦略機関がかつて人間の行動を操作する秘密調査に直接関与していたというのは、ロンドンのMI6[英国情報局秘密情報部の旧称]本部やヴァージニア州ラングリーのCIA(中央情報局)本部で事実として受けとめられている。
CIAがMKウルトラ計画[CIAの科学技術本部が極秘裏に実施していた洗脳実験のコードネーム]に着手したとき、アレン・ダレスCIA長官[長官期は1953年~1961年]は、医療会社サンドズ社の調査を開始したばかりの、スイス・ベルンにあったOSS[CIAの前身「戦略事務局」]の局長を勤めていた。
(中略)合衆国とヨーロッパでは、国民の募る不満を抑えるために、自由な雰囲気を感じさせる野外ロックコンサートが用いられた。
ビルダーバーグ=タヴィストック連合が開始した攻撃は、若者世代全体をLSDとマリファナからなる黄色い舗装道路へと導ことになった」
(つづく)
世界政府(その1)
二日前、すなわち[2010年]8月15日のこのコラムで、私はキューバ人ジャーナリストで、国営放送の『円卓(メサ・レドンダ)』という番組のホストをしているランディ・アロンソの書いた記事について触れながら、彼が「世界政府」と言い表すものに関してバルセロナのドルチェ・ホテルで開かれた会議について書いた。
コラムを引用すると
「彼のように正直な作家たちが一様にそのような奇妙な会議から漏れてくるニュースをフォローしている。彼らよりずっと情報通で、この出来事を何年も追いかけている者がいる」
私は、ダニエル・エスチューリンという作家に触れた。
この著者による1ページ20行からなる合計475ページの著書が私の批評を待っている。
たとえその会議の参加者の誰かが会議への参加を否定したり、その著書の中で述べられた出来事への関与を否定したとしても、素晴らしい本であることは変わらない。
このコラムで引用できる大半は、私はそれを二つに分けるので、長すぎることにはならないはずだが、
『ビルダーバーグ倶楽部』というタイトルの、この見事な著書がどんな感じか示すために私が選んだ数多くのものを含んでいる。
その著書の中で、エスチューリンは大立て者たちをずたずたに切り裂いている。
すなわち、ヘンリー・キッシンジャー[ニクソン政権やフォード政権の大統領補佐官、国務長官]、
ジョージ・オズボーン[英国のキャメロン政権の財務相]、
ゴールドマン・サックス証券の重役たち、
ロバート・ゼーリック[ブッシュ政権の国務次官]、
ドミニーク・シュトラウス=カーン[国際通貨基金の理事長]、
パスカル・ラミー[世界貿易機関事務局長]、
ジャン・クロード・トリチェット[欧州中央銀行総裁]、
アナ・パトリシア・ボティン[スペイン、バネスト銀行会長]、
コカコーラのCEOたち、
フランス・テレコム、
テレフォニカ・デ・エスパーニャ、
スエス[パリに本社をおき、水道事業や電力事業、ガス事業を手がける]、シーメンズ[ミュンヘンに本社を置く多国籍企業]、
シェル[米国のエネルギー関連事業]、
BP([国のエネルギー関連企業]、その他の似たような政済界の大物。
エスチューリンは、その起源から説明を始める。
ドナルド・ポーの『ロックの悪魔的ルーツ』で語られたように、前例のない二つの日曜日をまたにか
けたエド・サリバン・ショーでは、7500万人のアメリカ人が、ビートルズが顔を振り、体を揺らす仕草
を見た。すぐにそれは未来の何百ものロックグループが真似するところとなった。
アメリカの大衆にビートルズを『気に入らせる』ように仕掛けたのは、ウォルター・リップマン[政治ジャーナリスト]という男だった。
音楽史上最も真似をされ最も演奏されたビートルズは、アメリカの大衆の前に、あたかも発見されるように、差し出されたのである。
『テオ・アドルノの登場』というのは、最初に出てくる小見出しの一つだ。
ロックンロールの社会理論を考案した責任は、ドイツの社会学者であり音楽学者で作曲家であるテオドール・アドルノにある。
フランクフルト社会研究所の指導的哲学者であるアドルノは、1939年にプリンストン大学ラジオ放送研究プロジェクトを指揮するために合衆国に派遣された。
それは、大衆操作を目的にしたタヴィストック研究所とフランクフルト研究所との共同研究だった。
資金はロックフェラー財団[石油王ジョン・ロックフェラーの遺志で1913年に設立]から提供され、創設はデイヴィッド・ロックフェラーの右腕
の一人、ハドリー・カントリル[プリンストン大学心理学教室主任]によるものだった。
事実、ナチスはラジオ放送による集中的な宣伝活動を大衆洗脳の道具として使い、ファシスト国家の欠くべからざる一部に組み込んでいた。
この事実はタヴィストック研究所のテレビ網によって真剣に研究され、みずからの番組で幅広く実験された。
このプロジェクトの目的は、アドルノの『音楽社会学序説』によれば、「大衆の『音楽の』文化を社会的な大衆操作の一形式としてプログラミングすること」だった。
「ラジオの放送網は、一日24時間トップ40の人気曲を繰り返し流すマシーンに変えられた」。
ビートルズが1964年2月にアメリカ合衆国にやってきたとき、市民権運動はピークに達していた。
この国は、ジョン・F・ケネディー大統領の残虐な暗殺による深い国民的なトラウマに陥っていたが、ようやく回復しようとしていた。
(中略)首都の街中では、マーティン・ルーサー・キング牧師に導かれた市民権運動がデモを組織して、50万以上の人々がそれに参加した。
1964年から1966年までに、いわゆる『英国侵略』で、次々と英国のロック歌手やロックグループがアメリカ合衆国に到来し、彼らはことごとく人気者になり、アメリカ文化を包囲した。
(中略)1964年の暮れにかけて、この『英国侵略』が巧みに仕組まれたものであったことが判明する。
このような最近作られたグループや彼らのライフスタイルは、(中略)新しい可視的な「タイプ」[タヴィストック研究所の用語]となった。
ほどなくしてその新しいスタイル(服装、髪型、言葉づかい)は、何百万ものアメリカの若者をのみ込み、一気に新しいカルトになった。
合衆国の若者たちはそれに気づかずにラディカルな内的革命を経験し、(中略)そうした危機に対して間違った対処をした。
すなわち、あらゆるドラッグ――最初はマリファナ、つづいて、人の意識を変える強力なドラッグLSDを用いたのである。
(中略)英国の諜報機関やその手先や、アメリカ合衆国の国家戦略機関がかつて人間の行動を操作する秘密調査に直接関与していたというのは、ロンドンのMI6[英国情報局秘密情報部の旧称]本部やヴァージニア州ラングリーのCIA(中央情報局)本部で事実として受けとめられている。
CIAがMKウルトラ計画[CIAの科学技術本部が極秘裏に実施していた洗脳実験のコードネーム]に着手したとき、アレン・ダレスCIA長官[長官期は1953年~1961年]は、医療会社サンドズ社の調査を開始したばかりの、スイス・ベルンにあったOSS[CIAの前身「戦略事務局」]の局長を勤めていた。
(中略)合衆国とヨーロッパでは、国民の募る不満を抑えるために、自由な雰囲気を感じさせる野外ロックコンサートが用いられた。
ビルダーバーグ=タヴィストック連合が開始した攻撃は、若者世代全体をLSDとマリファナからなる黄色い舗装道路へと導ことになった」
(つづく)
ありがとうございます!
最後の章で一番取り上げて欲しかったピースボートの方たちとの会談が載せられていて、本当に嬉しかったです。
この記事で取り上げられているエスチューリンさんについてカストロさんはグランマの記事で8月ごろ書いていたのを覚えています。カストロさんがきっかけで僕はビルダーバーグという組織を初めて知ったのですが、これからもカストロさんには世界情勢について語り続けてもらいたいですね。
これからも越川さんの著作に期待しています!