写真:明治神宮球場に咲いている「なんじゃもんじゃ」の花(雪が木の葉に積もったよう)
いま、東京六大学野球の春のリーグ戦が花盛りだ。ちょうど先週の第3節が一つの山だった。4強がぶつかる明治と慶応、早稲田と法政という好カードが組まれていた。
それぞれ勝ち点1の4強がここで勝つことは優勝に向けて、ギアをセコンドからトップに入れて優勝街道を突っ走ることを意味した。
結局、法政が早稲田を2勝1分で破り、明治は慶応に連勝して、両者には頂上がちらっと見えてきた。
あとで試合結果を数字や言葉で要約してしまうと分からないが、本当は、野球も、人生と同じように紙一重だ。展開次第でどう転ぶか分からない。そこがスポーツニュースでは分からない。
法政は第2節立教との第1回戦で、エース加賀美が9回裏2アウト2ストライクから、立教の代打大林に逆転サヨナラホームランを喫して、3対2で敗れている。そんなのあるかっ! という感じのドラマである。
そして、この第3節でも、早稲田は法政との第3回戦の3回裏に1点を先行し、さらに2アウト1、2塁のチャンスがあった。運よく4番の主砲原に打順がまわってきたが、加賀美の140キロ後半の速球に2ストライク1ボールと追い込まれ、あえなくサードゴロでチャンスを逃した。その直後の4回表、法政は同点とした上に、1アウト満塁のチャンスにめぐまれた。3番左打者の亀谷は早稲田のエース斉藤祐からセンターオーバーの3塁打を放って3点をもぎ取った。そこが勝負の分かれ目だった。
そして、明治も慶応との第2回戦では、7回まで1対0の劣勢だった。1点リードの慶応は6回裏、それまでヒット2本に抑えられていた難波投手に襲いかかり、ヒットを連ねて0アウトランナー2塁、3塁の追加点のチャンス。崖っぷちに追い込まれた難波は、しかし、そこで踏ん張った。6番打者の伊藤に一塁線に強打されたが、明治のファースト謝敷が巧くさばいてアウトにすると、その後、簡単に5球で後続2打者を打ち取った。
その直後の7回表、明治は0アウトで上本が死球で出ると、バントで走者を二塁に送り、リリーフで出てきた慶応のエース中林から、1番荒木郁がライトオーバーのタイムリー3塁打を放ち同点とした。しかも、2番遠山が1ストライク2ボールでスクイズを一発で決めた。中林投手がサウスポーだということもあり、俊足荒木のスタートもよかった。あっという間にたたみかけるように逆転劇を演じたのである。
ハイチのポルトプランスで手に入れたクレオールのことわざ集には、こういう格言が載っている。
Chans pa vini de fwa.(シャン・パ・ヴィニ・デ・フア)
日本語に訳せば、「チャンスは二度ない」とか「チャンスは絶対につかめ」となるだろうか。
昔、浅草の露店で買ったぼくの指輪には、ラテン語で「Carpe Diem(カルぺ・ディエム)」と刻まれている。売っていたユダヤ系のアメリカ人女性にその意味は何かと訊いたら英語に訳してくれた。「Seize the Day」(この日をつかめ)だと。
「Carpe Diem」というフレーズは、ホラーティウスの『詩集』(第1巻第11歌)に出てくるらしい。
神々がどんな死を僕や君にお与えになるのか、そんなことを訊ねるな/それを知ることは、神の道に背くことだから/(中略)僕たちがこんなおしゃべりをしている間にも、意地悪な「時」は足早に逃げていってしまうのだから/ 今日一日をつかむことだ/明日が来るなんて、ちっともあてにはできないのだから
ぼくのような老人には明日はない。しかし、明日を夢見るのは、若者の特権。でも、「明日はない」と感じて「いま」を生きている若者は、小さなチャンスを見逃さずに、大きな幸せをつかむことができる。
6大学野球を見ていてそんなことを考えた。
いま、東京六大学野球の春のリーグ戦が花盛りだ。ちょうど先週の第3節が一つの山だった。4強がぶつかる明治と慶応、早稲田と法政という好カードが組まれていた。
それぞれ勝ち点1の4強がここで勝つことは優勝に向けて、ギアをセコンドからトップに入れて優勝街道を突っ走ることを意味した。
結局、法政が早稲田を2勝1分で破り、明治は慶応に連勝して、両者には頂上がちらっと見えてきた。
あとで試合結果を数字や言葉で要約してしまうと分からないが、本当は、野球も、人生と同じように紙一重だ。展開次第でどう転ぶか分からない。そこがスポーツニュースでは分からない。
法政は第2節立教との第1回戦で、エース加賀美が9回裏2アウト2ストライクから、立教の代打大林に逆転サヨナラホームランを喫して、3対2で敗れている。そんなのあるかっ! という感じのドラマである。
そして、この第3節でも、早稲田は法政との第3回戦の3回裏に1点を先行し、さらに2アウト1、2塁のチャンスがあった。運よく4番の主砲原に打順がまわってきたが、加賀美の140キロ後半の速球に2ストライク1ボールと追い込まれ、あえなくサードゴロでチャンスを逃した。その直後の4回表、法政は同点とした上に、1アウト満塁のチャンスにめぐまれた。3番左打者の亀谷は早稲田のエース斉藤祐からセンターオーバーの3塁打を放って3点をもぎ取った。そこが勝負の分かれ目だった。
そして、明治も慶応との第2回戦では、7回まで1対0の劣勢だった。1点リードの慶応は6回裏、それまでヒット2本に抑えられていた難波投手に襲いかかり、ヒットを連ねて0アウトランナー2塁、3塁の追加点のチャンス。崖っぷちに追い込まれた難波は、しかし、そこで踏ん張った。6番打者の伊藤に一塁線に強打されたが、明治のファースト謝敷が巧くさばいてアウトにすると、その後、簡単に5球で後続2打者を打ち取った。
その直後の7回表、明治は0アウトで上本が死球で出ると、バントで走者を二塁に送り、リリーフで出てきた慶応のエース中林から、1番荒木郁がライトオーバーのタイムリー3塁打を放ち同点とした。しかも、2番遠山が1ストライク2ボールでスクイズを一発で決めた。中林投手がサウスポーだということもあり、俊足荒木のスタートもよかった。あっという間にたたみかけるように逆転劇を演じたのである。
ハイチのポルトプランスで手に入れたクレオールのことわざ集には、こういう格言が載っている。
Chans pa vini de fwa.(シャン・パ・ヴィニ・デ・フア)
日本語に訳せば、「チャンスは二度ない」とか「チャンスは絶対につかめ」となるだろうか。
昔、浅草の露店で買ったぼくの指輪には、ラテン語で「Carpe Diem(カルぺ・ディエム)」と刻まれている。売っていたユダヤ系のアメリカ人女性にその意味は何かと訊いたら英語に訳してくれた。「Seize the Day」(この日をつかめ)だと。
「Carpe Diem」というフレーズは、ホラーティウスの『詩集』(第1巻第11歌)に出てくるらしい。
神々がどんな死を僕や君にお与えになるのか、そんなことを訊ねるな/それを知ることは、神の道に背くことだから/(中略)僕たちがこんなおしゃべりをしている間にも、意地悪な「時」は足早に逃げていってしまうのだから/ 今日一日をつかむことだ/明日が来るなんて、ちっともあてにはできないのだから
ぼくのような老人には明日はない。しかし、明日を夢見るのは、若者の特権。でも、「明日はない」と感じて「いま」を生きている若者は、小さなチャンスを見逃さずに、大きな幸せをつかむことができる。
6大学野球を見ていてそんなことを考えた。
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