「貧困大国アメリカ」を幻視する。
デニス・ジョンソン『ジーザス・サン』(白水社)
越川芳明
11個の短編からなるが、アメリカ社会の底辺で起こっている出来事がドラッグ漬けの「俺」によって、オープンエンディング形式で語られる。
短編集というより、これはシャーウッド・アンダースンの『ワインズバーグ、オハイオ』のような、グロテスクな人間群像を描いた「小説」と呼ぶべきだろうか。
行き場を失った「俺」にとって最後の砦ともいうべき酒場「ヴァイン」は小説の象徴的なトポスだ。
「ヴァインは列車のラウンジカーがなぜか線路から外れて時の沼に入り込んで解体用の鉄球を待ってるみたいな感じの場所だった。そして鉄球は本当に迫ってきていた。都市再開発で、ダウンタウン全体が壊され、捨て去られている最中だったのだ」
そう、80年代後半から全米各地の都市部において盛んに「都市再開発」が行なわれ、地価や家賃が上がって低所得者たちが追いたれられた。そうした強者の論理への批判がこの小説の隠し味になっているが、それと同時に、マスコミによって喧伝される「いつわりの夢」の潰えたあとの無惨な風景が「廃墟」のイメージとして全編を貫いている。
著者はウイリアム・バロウズにも似たドラッグ中毒者の文体の中に社会風刺を取り込む。時に幻覚と現実との境目が見えない風景を描きながら、「貧困大国アメリカ」の実態を幻視する。
ハンター・トンプソンの小説をもとにしたテリー・ギリアムの映画『ラスベガスをやっつけろ』と、レイモンド・カーヴァーの短編をもとにしたロバート・アルトマンの映画『ショート・カッツ』を足して二で割ったようなユニークで印象ふかい小説だ。
ここに描かれているのは、負け犬としての低所得者階級からなるアメリカに他ならない。ドラッグ売買やアルコール中毒、戦争後遺症、性犯罪、銃、病院、デトックス、アルコール中毒者更正の会合、離婚、シングルマザー、酒場通い、失業、バス通勤などがキーワードだ。
とりわけ、真ん中に置かれた「仕事」という作品では、バスの窓から見えるこの街がリアリティの失せた「スロットマシーンの絵柄みたい」に映る。幻覚が現実で、現実が幻覚であるようなアメリカの(心象)風景を捉えた好編だ。
(『エスクァイア日本版』2009年5月号、26頁)
デニス・ジョンソン『ジーザス・サン』(白水社)
越川芳明
11個の短編からなるが、アメリカ社会の底辺で起こっている出来事がドラッグ漬けの「俺」によって、オープンエンディング形式で語られる。
短編集というより、これはシャーウッド・アンダースンの『ワインズバーグ、オハイオ』のような、グロテスクな人間群像を描いた「小説」と呼ぶべきだろうか。
行き場を失った「俺」にとって最後の砦ともいうべき酒場「ヴァイン」は小説の象徴的なトポスだ。
「ヴァインは列車のラウンジカーがなぜか線路から外れて時の沼に入り込んで解体用の鉄球を待ってるみたいな感じの場所だった。そして鉄球は本当に迫ってきていた。都市再開発で、ダウンタウン全体が壊され、捨て去られている最中だったのだ」
そう、80年代後半から全米各地の都市部において盛んに「都市再開発」が行なわれ、地価や家賃が上がって低所得者たちが追いたれられた。そうした強者の論理への批判がこの小説の隠し味になっているが、それと同時に、マスコミによって喧伝される「いつわりの夢」の潰えたあとの無惨な風景が「廃墟」のイメージとして全編を貫いている。
著者はウイリアム・バロウズにも似たドラッグ中毒者の文体の中に社会風刺を取り込む。時に幻覚と現実との境目が見えない風景を描きながら、「貧困大国アメリカ」の実態を幻視する。
ハンター・トンプソンの小説をもとにしたテリー・ギリアムの映画『ラスベガスをやっつけろ』と、レイモンド・カーヴァーの短編をもとにしたロバート・アルトマンの映画『ショート・カッツ』を足して二で割ったようなユニークで印象ふかい小説だ。
ここに描かれているのは、負け犬としての低所得者階級からなるアメリカに他ならない。ドラッグ売買やアルコール中毒、戦争後遺症、性犯罪、銃、病院、デトックス、アルコール中毒者更正の会合、離婚、シングルマザー、酒場通い、失業、バス通勤などがキーワードだ。
とりわけ、真ん中に置かれた「仕事」という作品では、バスの窓から見えるこの街がリアリティの失せた「スロットマシーンの絵柄みたい」に映る。幻覚が現実で、現実が幻覚であるようなアメリカの(心象)風景を捉えた好編だ。
(『エスクァイア日本版』2009年5月号、26頁)
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