ここまで読み進めてくると、小説の多層的な構造が見えてくる。
表層には、切々と語られるケマルの悲恋物語があり、映画にすれば、こういったテーマだけでも大作が作れるだろう。
だが、小説の時代が七〇年代半ばからの十年間に設定されている、その社会的、政治的な意味合いが熱いマグマのようにその下に隠されている。
というのも、一九二四年、この物語の主人公と同じケマルという名前を持つ国父アタテュルクが世俗主義(政教分離主義)によるトルコ共和国を建国して以来、推し進められてきた西洋化・近代化に対して、イスラム復活派の巻き返しがあり、世俗主義との対立が表面化したのが、この時期といえるからだ。
ケマルの語りの中で何度か遠回しに触れられているように、イスタンブルの街では、左翼の労働者・学生とイスラム民族主義者の銃撃戦が頻繁に見られ、一九八〇年九月には、左翼の政治テロを抑えると同時にイスラム復活派の勢力を押さえようと、軍部によるクーデターまで起こった。
まさに政治の季節だったのである。
この小説で語られる住民の生活レベルでも、年の瀬の習慣として、宝くじの抽選やパーティや高級ホテルが飾る巨大なクリスマス・ツリーなどに象徴されるヨーロッパ・キリスト教文化の浸透にイスラムの民族主義者が苛立ち、ホテルに爆弾が仕掛けられ、それは「賭け事や酒にまみれた放蕩な新年に対する保守派の怒り」と、述べられている。
また、女性だけに「純潔」を求めるイスラム世界の性道徳に関しても変容が見られる。
「西欧化し、富裕な家庭に生まれ育ち、ヨーロッパを志向する上流階級の女性たちが、一人、また一人とこの“純潔”という禁忌を踏み越えて、結婚前に恋人と関係を持つようになったのはあのころからだろう」
さらに、恋愛小説の表土の下には社会学的な地層も見られる。
世俗的な変容を遂げるイスラム世界の中で、首都イスタンブルこそ、この小説の隠れた主人公ではないか、と思えるほどに丁寧に詳述されるのが、住民の貧富の格差を反映した都市区域図だから。
巻頭に付された市街地図に暗示されるように、これはすぐれた都市小説なのだ。
(つづく)
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