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映画評 マリナ・エル・ゴルバチ監督『世界が引き裂かれる時』

2023年09月07日 | 映画
戦場と化したウクライナの国境の村   
マリナ・エル・ゴルバチ監督『世界が引き裂かれる時』
越川芳明

二〇一四年、ロシアとの国境に近いウクライナのドンバス地方(ドネツク州グラボべ村)が舞台だ。
紛争さえなければ、牛の放牧にふさわしい広大でのどかな田園地帯だが、戦争前夜の張りつめた雰囲気があたりを包んでいる。

初めての出産を間近にひかえた中年女性イルカが主人公だ。

冒頭、真っ暗な中で、姿の見えない夫婦の会話が流れる。
「私の夢が知ってる? すべてが終わったら、穴に大きな窓をはめる」
「ヨーロッパの家みたいに?」

イルカの言う「すべて」とは、次のような事態を踏まえてのことだ。
二〇一四年二月に激化した首都キーウでの反政府デモで、親ロシア派の政権が崩壊。
その後、二月二十四日からロシア軍がクリミアに侵攻し、ロシア領への「編入」を宣言。さらにドンバス地方の二州(ドネツク州とルハンシク州)で親ロシア派勢力が行政庁を占拠し、
四月にウクライナからの「独立」を宣言。

こうしたロシア軍の介入と、親ロシア派勢力による強引なやり口に対して、ウクライナ軍はドンバス地方で、親ロシア派武装勢力と本格的な戦闘を開始。

そして、この映画で扱われる七月十七日が訪れる。

親ロシア派武装勢力によるふたつの「誤爆」が題材として描かれている。

ひとつめは、夜明け前にイルカの家に砲弾が飛んできて、壁の一つが吹き飛ばされる。
夫婦ふたりともこれが親ロシア派勢力による「誤爆」だと気づいている。
というのも、夫トリクは、どちらかと言えば親ロシア派(というか、
穏健な体制順応派といったほうがいいのかもしれない)で、
幼馴染みのサーシャ(親ロシア派勢力に加担している)から、撃ち間違いだった、
いずれ修理をするから、と謝罪される。

そのとき、さりげなく二人は児童施設で一緒に育った仲である、と示唆されることから、
彼らがウクライナ社会の底辺に追いやられた労働者階級の人間だと推測される。

キーウのような都会で、西洋的な価値観に染まったインテリ(たとえば、イルカの弟)に対する反発があるようだ。

イルカも「あいつら(サーシャたち)の大砲は曲がっているの?」と、夫に不満を述べる。
イルカにとっては、破壊された家の壁もさることながら、
砲弾によってベビーカーが壊されてしまったことが当面解決しなければならない問題だ。

もうひとつの誤爆とは、この日の夕方四時ごろに村の上空で起こった、マレーシア航空17便の撃墜事故である。
乗客二百八十三名と乗務員十五名が死亡し、こちらはマスメディアにも取りあげられ、
乗客が最も多かったオランダ主導の調査団は、ロシア製の地対空ミサイルによるものだと結論づけた。

一方、ロシア側はそれを「陰謀論」だとして受け入れなかった。 

ウクライナ・ロシア両陣営に加えて、
マスメディアや調査団もGoogleEarthや DegitalGlobeなど人工衛星を利用した画像を証拠に、
原因を究明しようとしたため、最新のデジタル科学捜査の様相を帯びた。

だが、画像編集ソフトによる証拠物件の改ざんなどもあり、すんなりとはいかなかった。

本作では、ロングショットで捉えた風景の中を、
ロシア製と思われる移動式地対空ミサイルが通る映像が二度流れるので、
この事件は親ロシア派勢力の引き起こしたものと示唆しているのは明らかだろう。

そのことを裏づけるかのように、
イルカが自家製のトマトソースの瓶詰めを母屋から離れた地下室に運びいれたときに爆破音がして恐怖にとらわれるシーンがあり、
この爆破音はマレーシア航空機の墜落と結びつくにちがいない。

その直後に、親ロシア派勢力の兵士たちが無惨な死体
(乗客のものかもしれないし、航空機の残骸に当たって亡くなった親ロシア派の兵士のものかもしれない)
を回収しにくるシーンがつづく。

通常、戦争映画は、敵対する軍隊同士の戦闘を描くが、
本作は、一般市民の日常生活に及ぶ戦争を描く。

本来は、戦場であってはならない場所が戦場と化し、兵士ではない市民が犠牲になる。
そのことを強調するかのように、イルカの日常が淡々と描かれる。

納屋に飼っている乳牛の乳搾り、台所でのトマトソース作りと瓶詰め作業、
外の水道でペットボトルに水を詰める作業。
そして、砲撃で汚れた壁紙を雑巾できれいに拭こうとする彼女が、
苦しそうな仕草を見せるのは、ただ単に突き出たお腹のせいばかりではなさそうだ……。

この戦争を残忍なものにしているのは、ロシア側が雇っている傭兵隊の存在である。
これまでの歴史上の戦争でも正規兵の補助となる傭兵は存在したが、ロシアの傭兵は特殊である。

プーチン大統領と親しいとされるエフゲニー・プリゴジンが創設したロシアの民間軍事会社「ワグネル・グループ」は、
これまでもシリア、リビアなどの内戦に参加しているが、ドンバス地方へも傭兵を派遣している。

ロシア政府と連携して、多くの囚人や受刑者を徴用し、前線に送り込む。
彼らは正規軍と行動をともにせず、一般市民に略奪や乱暴狼藉を働くのもいとわない。

事件のあった次の日の夜明け前に、ロシアの傭兵隊がイルカの家にやってきて、
破水したばかりのイルカに銃を突きつけて、朝食を作れ、と命令する。

一方、夫のトリクはキーウの大学で学ぶイルカの弟(ウクライナ民族主義者)を殺すように銃を渡される。
そのとき傭兵隊の隊長は「戦争は敵が全員死ぬまで終わらない」と、うそぶく。

まるで生まれ育った土地から逃げたくても逃げられない一般市民の命を犠牲にしても、
俺たちは戦争をつづけるのだ!と言いたいかのように。

このときの構図は、ウクライナの親ロシア派市民と反ロシア派市民あいだに、
「ワグネル」というロシアの戦争のプロが介入した奇妙で複雑な形である。

ロシアの軍事・安全保障を専門とする小泉悠氏は、
本作で扱われた二〇一四年のドンバスでの紛争を「第一次ロシア・ウクライナ戦争」と呼び、
それが二〇二二年二月に始まったロシアによる侵攻(「第二次ロシア・ウクライナ戦争」)
に先立つ火種だったと捉えている(『ウクライナ戦争』ちくま新書)。

「すべてが終わったら……」という、イルカの願いは、いまでもまだ実現していない。


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