花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ 久女
大正八年の作。久女の初期を代表する秀句ゆえ、評論や観賞文も多い。概して、「花衣」の語感からくる華やかさ艶やかさを強調し、また「まつわる紐」や「紐いろいろ」からくる女性ならではの観察眼を称え、果てはエロティシズムさえ論じられている。
しかし、この句には理解できない世界がある。いくら豪華で艶やかな「花衣」といっても、そんなに紐が多くあるのだろうか、という素朴な疑問である。
「まつわる」は紐が体に纏わるのか。脱ぎ散らした衣や羽織、襦袢などの紐と紐が重なる様子を「まつわる」と表現したのか。「いろいろ」から、複数の紐であることは間違いなかろうが、すっきりしない。
この想像上の情景、また「脱ぐ」という語感から女の艶やかさを感じ、男性はほとんど空想に近い艶冶なエロチックな世界を頭に想いうかべるのだろう。
虚子もまた、「ホトトギス」大正八年八月号の『俳談会』でこの句をとりあげ、推賞した。少し長いが紹介したい。
「この句は説明するまでもなく花見衣を女がぬぐ時の状態で、花見衣を脱ぐ場合に腰をしめて居る紐が二本も三本も沢山しまっている為に、その紐がぬぐ衣にまつわりついて手軽く着物をぬぐ事が出来ない。其の紐の形も色も決して一様でなくて紅紫いろいろの色をした紐が衣を一枚一枚とぬいで行くに従ってまつはりつく、それがうるさいやうな心持もするのである。うるさいといふよりもその光景が濃艶な心持で、花を見る華やかな心持と一致してまつはりつく色々の紐を興がり喜ぶのである。(中略)こういふ事実は女でなければ経験しがたいものでもあるし、観察しがたい所のものでもある。即ち此句の如きは女の句として男子の模倣を許さぬ特別の地位に立つてゐるものとして認める次第である」
また、「花衣ぬぐやまつわる・・・わが愛の杉田久女」の著作者である作家の田辺聖子は、
艶冶な句である。習作の域を完全に脱して、久女らしい濃い色彩感と照りがあらわれている。久女は美しいもの、触感の快いものが好きで、―この紐も、緊めよい材質の、色美しいものであろう。絹の端ぎれ、モスリン、紅絹、それら色とりどりの紐が足もとにたおやかに落ち重なる。すでに久女はナルシシズムに酔いはじめている。これは女の自己愛の句である。
と述べている。
ナルシストとは言わないまでも、久女の練りあげた、あくまでも創造上の美人画の世界のような気がする。他方、この句は『実際には、花見にゆかず、嫁入り時に実家から持ってきた衣装を広げて、思い出にふけったり、無聊を託ったのときのことを句にしたのだ。父母の元になに不自由なく育った頃に比し、今の生活は決して満足というわけでない。行く末を思うと、ついつい虚脱感・倦怠感が畳の上に投げだされた』と解釈する人もいる。
確かに、久女には自分でも分からない(少なくともこの時点での自覚はない)病魔が育ち始めていたようだ。自己嫌悪と自己顕示欲の悪魔が二つとも巣喰っているのだ。後の〈われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙華〉にあるように、久女には肉体にいや精神に「纏いつくもの」、「とりつくもの」が潜在的にあったのだろう。
この句は様々な解釈のできる幅を持っているし、そしてこれこそ、久女の句作りの真骨頂といえる。後年の不遇な境遇までの間、久女の俳句の「花衣」は「脱ぎ捨てられる」ことなく、ますます華やかに、俳句界に絢爛と輝いてゆくことになる。
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