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山口誓子の一句鑑賞(2) 高橋透水

2017年12月15日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
  學問のさびしさに堪へ炭をつぐ

 大正十三年作、『凍港』に所収された。句作の背景は東大で法律の勉強をしていた誓子が、本郷の下宿で寒さを凌ぎながら火鉢に炭をつぐ動作を詠んだものだ。
 高等文官試験に合格することは、親代わりに育ててくれた祖父母の恩に報いことだった。しかし無理が祟り、その年の冬には肋膜炎を患って静養しなければならなくなった。結局は行政官や司法官の道は諦め、卒業後は民間の企業に就職した。
 「山口誓子・自選自解句集」で、「法律の勉強には、条文の丸暗記や倫理的な解釈が必要で、気味ない、わびしい勉強だった」「『学問のきびしさ』と違うのかと聞いたひとがあった。学問のきびしいことはいうまでもない。私はその上にわびしさを詠ったのだ」と述べている。また他のところでは、「独り堪え忍ぶことは、私の少年時代からの特技である」と言っている。
 誓子は生来学問好きだった。というより、学問に没頭することは孤独な淋しさを紛らしてくれる一つの方法でもあった。電気技師であった父のことも自死した母親のことも誓子は多く語っていない。しかし父母愛の欠如と母親の悲惨な死に方は少年時代、いやそれからの人生におおきな影響を及ぼした。
 句集『凍港』の跋によれば、「母岑子も祖父脇田氷山もいづれも芸術殊に日本詩歌の愛好者だった」という。父新助は島津藩の出城、舞鶴城の家老の血筋であり、母は大和郡山藩士脇田嘉一の長女だった。双方とも士族の出である婚姻関係は決して珍しくない。ただ再婚の妻と、半ば婚姻を強要されたことが男として心から妻を愛せなかった原因のようだ。
 放蕩的な父と母の自死、身内とはいえ、外祖父のもとに引き取られた少年誓子は、厳しい環境のなかで学問することで、養育者に報えようとした。しかしそれは外祖父の意向が働らいたもので決して自ら望んだ学問でなかった。それが恐らく「きびしさ」でなく「さびしさ」という表現になったのだろう。


   
  俳誌『鴎座』2017年12月号より転載
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