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山口青邨の一句鑑賞      高橋透水

2014年01月20日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 みちのくの鮭は醜し吾もみちのく   青邨

 昭和五年作。『雑草園』所載。
 青邨は岩手県盛岡市の出身。そのためか「みちのく」の句が多い。〈みちのくの雪深ければ雪女郎〉〈みちのくの淋代の濱若布寄す〉、また〈みちのくの青きばかりに白き餅〉などである。
 さて〈みちのくの鮭は醜し吾もみちのく〉を鑑賞するには、〈みちのくの乾鮭獣の如く吊り〉を参考にしたほうがよいように思われる。〈獣の如く吊り〉の句は、青邨の自解によれば、「岩手県の太平洋に注ぐ川で鮭がとれ、南部の鼻曲鮭として有名であった。私の子供の頃はどこの家でも一本や二本の塩引鮭を台所に吊ってないところはなかった」とあり、また「この句の乾鮭は塩引鮭である。つくづくその貌をみると、歯をむき出し、鼻の先がひん曲がり、眼がくぼみ、すさまじく、気味が悪く、魚ではなくて獣である」と、記している。
 とすると、掲句も当然「乾鮭」であり、獣のように気味悪く、醜い鮭だったことが想像される。
 しかしながら、なぜ「吾もみちのく」と詠わなければならなかったのだろう。文字通りとれば、作者である青邨もまた(みちのく育ちで醜い存在だ)ということになる。いやいや決して青邨はそんな人物ではない。盛岡中学を卒業後、旧制二高に入学し、なんとそこで野球部のキャプテンを務めた。東京帝国大卒業後は古河鉱業に勤務。後に東京帝大工学部の教授になった人物である。
 青邨の「みちのく」の句に接して総じて感ずるのは、『みちのくへの慈しみの心』の裏返しであり、反骨精神が伝わってくることだ。いわば、逆境的な郷土愛を高らかに詠ったとみてよいだろう。
 もちろん全体的に青邨の作品を理解するには、杉並の自居にあった「雑草園」、そして留学中のドイツ・ベルリンのことも考慮に入れねばならないだろう。更に、青邨は若い頃「ホトトギス山会」に参加して写生文で頭角を現わし、俳句ばかりでなく名随筆家としても広く知られていたことも念頭に入れておかねばならない。

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