透水の 『俳句ワールド』

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エッセイ 「鬼城との出会い」 (一)    高橋透水

2014年01月23日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
  「上州に鬼城あり」    虚子の言葉
 
 忘れえぬ人、忘れえぬ場所、忘れえぬ言葉があるように忘れえぬ俳句というのもある。もう数十年前のこ
とになるが、ある書店で俳句に関する書籍を読んでいたとき次の一句に出会った。
  冬蜂の死にどころなく歩きけり    村上鬼城 
 あの本屋で立ち読みしたときの衝撃をいまでもはっきり覚えている。それまで教科書などでしか知らない、
芭蕉や一茶また蕪村などの俳諧と違った新鮮さがこの句にあった。人が死に所なく彷徨い歩くと言うならわ
かる。飢えた狼や狐なら景も浮かぶ。なぜ冬蜂なのだ。死にどころを求めて、一体どんな歩き方をしていると
いうのだ。などなど色んなことが頭を巡った。
 なぜあの時書店などに立ち寄ったかというと、文学仲間の一人が山頭火に興味があり、飲み屋などで盛ん
に山頭火のことを語っていた。私は俳句に多少の興味はあったものの、山頭火や放哉についてはあまり知識
がなかった。しかし友人の熱く語る山頭火とは一体どんな人物なのか、少しは知らないと話題についてゆけ
ない。ま、本屋にでも行って立ち読みでもするかと思い、高田馬場の書店に向かった。そこで山頭火に関す
る本を見つけ、俳句を読んだり年表を見たりして時間を費やした。ある程度山頭火の知識を得ることができ
たが、ついでにと思いもう一冊俳句に関する本を手にしページを繰っていると、思わぬところに手が滑った。
 そのとき眼に飛び込んできたのが「冬蜂の・・・」の句であった。ほかに次のような句も眼に入った。
  闘鶏の眼つぶれて飼はれけり
  夏草に這上がりたる捨蚕かな 
  生きかはり死にかはりして打つ田かな 
  治聾酒の酔ふほどもなくさめにけり

 むろん鬼城のこれら句に惹かれて、すぐに俳句に飛びつき俳句を始めたわけでない。あくまでも知識を広
げるために位の意識しかなかった。鬼城が慶応元年に鳥取藩江戸屋敷に生まれて幼児期に高崎に移ったこと、
青年になって耳を急に疾み希望の就職先もなく、止むなく父の職を継いで高崎裁判所の代書人になったこと
などを知った。
 月に一、二回は会う三十半ばの文学仲間に鬼城のことを語ったが、あまり関心を持ってくれなかった。私
が「老成している」の一言で片付けられた。三十半ばの私といえば長年のサラリーマン生活にピリオドを打
ち、念願叶って自営の道を開くことが出来たころであった。
 四十代は小規模ながら自営の仕事に追われる日々になり、昼夜を問わず働いていた。気づいたときはや
たらと白髪が増え、昭和二十二年生れの私も還暦を迎えるまでになったいた。平成十九年三月のことである。
肉体的や精神的なこともあり、いろいろ迷ったが還暦を機会に自営を止め、年金生活を送ることに決めた。
 これでやっと一日中拘束された仕事から開放された。一年くらいは旅行したり仲間をもとめて碁会所に通ったりの日々が続いた。しかし何か満たされない空虚感のようなものが心のどこかにあった。(続く)
【平成二十一年・ある句会報より】


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