「音の奥に潜んでいる音を聴く」 鬼城の言葉
そんなある日、碁会所で俳句をやっていると言う人と話す機会に恵まれた。すぐに意気投合し、なんとそ
の人に句会に招かれたのである。何回か出席するうちに句会での楽しさを知り、また難しさも知った。
もう少し俳句の勉強せねばと思い、図書館で眼にしたのが高浜虚子著の『進むべき俳句の道』であった。
なんとそこで村上鬼城について述べているページがあるではないか。私はすぐさまそのページを読み進んだ。
虚子は暖かい眼差しで鬼城を見詰め、彼の才能を紹介している。
要約すると、
「高崎に俳句会が催されて鳴雪翁と私とが臨席した時、鬼城君のあることを知った」とし、「その時の課
題句選で天を取ったのが計らずも鬼城君の句だった。二句出だったが二句共にやや群を抜いていた。」
と記し、さらに「この地方に俳人鬼城君のあることを諸君はわすれてはいかぬ」とまで言って絶賛している。
その夜の会食で虚子は鬼城が耳のよく聞こえないこと、望んだ職に就けずに代書人をしているが子沢山で
生活は楽でないこと等の話に聞き、深く鬼城に同情している。虚子の優しさが窺える一面であった。
私もこの本で改めて鬼城の境遇に思いを深くしたことも事実であった。さらに「治聾酒の」や「冬蜂の」
の句が出た必然性を感じたりした。次の句もなんとも切ない思いになる。
春寒やぶつかり歩く盲犬 鬼城
ところで「冬蜂の」の句が世に知られるには、大須賀乙字の存在は軽視できない。大正四年、乙字は鬼城
に手紙を書いて「冬蜂の」の句を賞賛しつつ、自分の句について鬼城の批評を請うている。さらに鬼城俳句
に傾倒した乙字は大正六年『鬼城句集』の刊行に尽力している。これにより特異な境涯俳句作家として村上
鬼城の名が世にでたのである。
鬼城は晩年、門人たちに次のような言葉を言ったそうである。
「音の奥に潜んでいる音を聴いてくるのが詩人なんだ」
と。なんと重みのある言葉だろう。
これからは私も、自然の奥に潜んでいる真の自然を感じられるよう心掛けて、日常を過ごさねばならない。
幸いにして現在の私は俳句三昧の日々を送っている。鬼城の俳句に巡り会ったことに感謝し、これからも句作に精進したいと思う。
最後に、これは参りましたという鬼城の句を紹介して筆を置くことにしたい。生き様でなく死に様を考え
続けた上州の偉大な俳人としての業績を称えながら。
死を思へば死も面白し寒夜の灯
(平成二十一年・ある句会報)より
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