ふるさとは 遠くにありて 想うもの そして悲しくうたうもの
室生犀星の詩の一部である
私の故郷は信州 桜で有名な高遠から更に山奥に入る
最近は パワースポットで観光ツアーまで出る分杭峠
ゼロ磁場でかなり前から 知られていたが 同じ村になる長谷村
小学校の1年から5年半ばまで ここに育った
今で言う僻地 電気もガスも水道も無い
夜はランプの生活 朝はガラスのホヤ磨きが日課となる
油は山を越えて はるばる買いに行くが それほど苦にならない
バスは東京へ出る頃 初めて開通し みんなで見に行った
学校へは 山道を下っていく 雪が降ると大変だった
長靴も カンジキも無い 有るのは下駄だけ 下に雪が凍りつく
わらぶきの家は 冬は雪まで中に入ってくる
だいこん飯は おしんが食べたものより貧しく 殆どだいこんの葉
埴生の宿や 故郷の廃家を歌っていると あの姿が浮かぶ
あばら家でも 貧困でも 食料がなく やせ細っても
子供の時代の想い出は 陰りもなく むしろ 懐かしい
両親も亡くなって ふるさとは遠くなった
遠い親戚も居るだろうが 誰が親戚かも分からない
昨年 思い切って車で訪ねてみた
60年前の記憶は 景色まで覚えていなかった
わずかに小学校のあるところは分かり 現存して嬉しかった
住んでいた場所は ぐるぐる廻ったが 記憶に出てこない
ふるさとは 遠くにあって 時々 思い出すのが良いだろう
多分改築されている母校
ここのオルガンで歌ったのだろうか
これで全校生徒が入る小さい学校
新山小学校 100年の記念碑があった
良く廃校にならずに頑張ったと想う
高遠から ふるさとへ向かう道
後年 ツアーの添乗員で一度通った
誰にも言わないが 懐かしく見ていた
両親が生まれ育った美和湖あたり
ここは人造湖 昔は深い谷だったろう
親戚の家が一軒 ここだけは分かった
もう永く行き来がなく 車で通り過ぎた
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