のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
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魂を 揺さぶる歌が 包み込む

2018年03月22日 09時14分16秒 | うたごえ

『赤とんぼ』 山田耕筰さんのメロディが 今でも多くの方に好かれる

貧しい田舎でも 太陽は等しく夕暮れを染める シルエットのように赤とんぼが舞う

心が癒される日本人の郷愁のような歌である

 

実現は不可能でも 高齢になって 喫茶店を経営出来たらなぁと妄想を描いていた

店にはピアノを置いて 誰でも入りやすく雑談が出来 時には お客さんと歌でも歌う

店の名前は 『赤とんぼ』・・・私の妄想・・・うたごえで歌集を作ったが 表紙は 『赤とんぼ』

 

 

立川の近くに 昭和記念公園がある 広大な敷地に季節の花が絶えることなく 緑の芝生もあり都民の憩いの場だ

かつて ここでは砂川闘争が有った 米軍接収の基地返還にあたって 学生たちと機動隊の壮絶な混乱が起こった

ある日の夕方 疲れ果て傷ついた心の中で居る時 学生の誰かが 『赤とんぼ』 を口ずさむと だんだん皆が歌う

 

合唱と言うような元気なものではないが どこか心の癒しを求めている発露のようなものか

機動隊の方も静かに歌う 虚しい争いを心では避けたい 平和を願っていたのだろう

これは どなたかの著書にあったもので忘れられない

 

 

『ビルマの竪琴』 を思い出す方も居るかも知れない

誰からもバカにされる気の弱い二等兵 竪琴だけは大事に離さない いよいよ敵の総攻撃が始まり勝ち目のない戦いだ

砲弾も容赦なく打ち込まれている時 彼はその竪琴を弾いた 『埴生の宿』 スコットランドでは 「ホーム・スイート・ホーム」

 

相手はイギリス軍であった 故郷の曲である 砲撃もしばし止んだ イギリス兵は竪琴に合わせ この曲を歌い出した

闘いは勿論負けた 日本兵が故郷へ戻れる日が来たとき その二等兵は僧侶となり 両軍の亡くなった兵を弔うと言う

寺院の外で 日本へ帰ろうと皆が叫ぶと 返事はなく 竪琴で弾く 埴生の宿 のメロディだけが流れてくる

 

 

なかにし礼さんの特集をテレビで見た

満州牡丹江市で生まれ 私より一つ上 あの終戦直前 ソ連兵が日ソ不可侵条約を破り 満州に侵攻してきた

日本の軍隊は真っ先に放り出して逃げ 取り残された多くの日本人は ソ連兵によって殺戮 暴行 非道の限りを尽くされた

 

当時のことについては 今週と来週 NHKで特集ドラマがあるから 多くは語らないが 負けた日本はあまり触れなかった

なかにし礼さんは 母親と必死に逃げ惑う それは残虐な映像として頭に残り 彼の人生の中に大きく影響している

およそ1年半 満州から中国へ明日のわからない飢えと恐怖と闘いつつ 彷徨ったと言う

 

日本へ帰還が決定して列車に乗るが 家畜同様の扱い 屋根も無い貨車にすし詰めにされた

それでも ようやく日本へ帰ることが出来る もしかしたら偽でどこかへ送られるかもと不信感さえある

そんな列車の中で 誰かが ハーモニカで 『人生の並木道』 を吹いた あの音色は日本人の心にしみるものだ

 

そのメロディに合わせ 少しづつみんなが口ずさむ 生きて行こうよ希望に燃えて~♪

やがて全員が併せて歌う どんな思いが交錯したのだろう

歌は歌いつつも みんな慟哭をしているのである 満州から逃げる中で親や子が命を落とした人も多いのだ

 

 

私は 『赤とんぼ』は好きだが 日本人が21世紀に残したい歌で見ると ダントツでトップの曲がこれだ

添乗員をしているとき バスの車窓から夕陽が見える時 ハーモニカを取り出して 皆さんに一緒に歌いませんかと言う

メロディを流すと 皆さんが一斉に歌い出す 時折 夕陽に眼を遣りながら この瞬間 心は一つになっているようだった

 

 

さあ 今日は 下町のうたごえ 本所地域プラザである

歌の力は素晴らしい 今日もみんなが笑顔になる

 

 

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コメント (18)
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