のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

バカだねぇ 雨に洗濯 晴れ散歩

2016年09月25日 07時16分32秒 | うたごえ

東京には空が無い ホントの空を見たい 太陽が欲しい

9月になって もう月末なのに 太陽が出た日は2日間だけと言う

雨ばかり・・雨・・・雨・・・歌の文句ではないけれど そんな日が続く

 

洗濯ものが溜まってしまった もともと無精ものだから 晴れて居たって洗濯しない

洗濯機がいっぱいになるか 着るものが無くなってきたら仕方がないからする

時には カビて居たりする そんなときは捨てるしかない

 

明日がある 掃除洗濯 後回し

 

ベランダに干しても乾かない いつまでたっても乾かない

部屋に戻して あちこちにぶら下げる なんとなく湿っぽい

これでは私の人生と同じではないか 15 16 17と私の人生暗かった~?

 

バカだねぇ 雨に洗濯 晴れ散歩

珍しく 洗濯したら やはり雨

 

買い物に行くのも億劫である

せめて優雅に珈琲でも飲もうか 

湯を沸かして さて フィルター・・・あれ? フィルターが切れていた

 

仕方ないから インスタントみそ汁を飲む 美味しくない これは食事の時飲むものだ

さて珈琲 湯は沸かしたが 濾紙が無い

こうなると 無性にコーヒーが飲みたくなる

 

お彼岸だなぁ 父母や姉の写真に飾る花が萎れている

スーパーへ行った 入り口に彼岸用花がいっぱいコーナーに売られていた

パン 惣菜 歯磨き 髭剃りなど買って帰った あっ 花を忘れた 罰当たりメ・・・

 

花買いに スーパー行くが 買い忘れ

 

たまには 麻婆豆腐を作って食べるか 豆腐もあるし 肉もある ピーマンもある

良し いっぱい出来た もっとも料理ダメ人間 クックドゥ これが私の味方だ

さて美味しそう 後はレトルトごはんをチンするだけ・・・ご飯が無い ・・麻婆豆腐だけ食べた

 

ご飯無い マーボだけだな わが夕餉

 

それでも忘れちゃいけない メモを作って 買い物に出た

家に帰って あれやこれや棚や下などを整理したら ダブりがあるではないか

誰だ 下に隠しておいた奴は・・家には誰も居ない・・今はもう秋 誰も居ない海 のメロディ~

 

店のレジ カード見せたら 期限切れ

系列店のカード ポイントの期限切れでは無くて カード自体だ

残っていたポイントは 少ないだろうけれど ボツ! なんでやねん

 

おっ安い 買い込み過ぎて やがてボツ

冷蔵庫に入れたものも そのままにしておいたものも 葉が痛んだりする

惣菜でも 庫内に入れておいても 時には糸を引いていて捨てる

 

寝る前に 見るものじゃない サスペンス

テレビのドラマや映画 ドキュメント 旅番組 歌の数々録画して 時間があったら見る

寝る前に 重厚なサスペンス見たら 頭が興奮して寝つけず

 

探し物 誰かに聞けぬ 独り者

さっきあった物 どこへ置いたんだろう 半径2メートルが いつも範囲内だ

それでも出てこない 連れ合いでもいたなら きっと聞く おいっ あれ どこへやった?

 

あ~あ みんな雨のせいだ

決してボケたのではない

頭の中も カビて来たのかなぁ

 

口直しに 先日散歩して撮った花たち

 

 

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旅想う しばし眼を閉じ 風の盆

2016年09月24日 06時32分25秒 | 旅行

盆踊りと言えば 阿波踊り よさこい踊り のように賑やかなものが普通である

また形を変えて 青森のねぶた 秋田の竿灯があるが 日本の盆踊りと言えばこれらが主流である

ところが越中八尾の 『風の盆』 だけは 幽玄の世界に引き込まれるような踊りと流しが特色だ

 

すすり泣くような胡弓の音色に乗せて 哀切感さえ漂う

1985年 高橋治が ≪風の盆恋歌≫を発表すると 一躍 全国的に有名になった

小さな町の静かな盆踊りが 脚光を浴び 全国から観光客が押し寄せるようになった

 

 

私もクラブツーリズムの添乗員になって 何度かお客様をご案内したが この混雑が大変である

近くまでバスで行こうなら 大変な渋滞に巻き込まれる

街の中心部まで誘導していくのも 大混雑であり お客様も必死で着いて来る

 

 

日本の道百選にも選ばれた石畳が風情がある

ここに流しの踊りが来るが 狭い道路の端で 多くの方の頭越しに見る 伸びあがったりするが見にくい

ツアーの大半は近くの宿は取れないから 宿は富山や金沢のホテルまで戻る

 

臨時列車がこの日は多く出る 踊りが終わると既に夜中の12時頃 八尾の駅まで案内して乗車する

他の祭りでもそうであるが 宿泊ホテルはかなり遠距離 深夜の帰着 午前2時や3時になる例が多い

弘前のねぷた 桜の季節 岩手の安比周辺のリゾートが宿泊地となるのが普通で現地泊は稀のことだ

 

 

風の盆に似たような盆踊りが 秋田にある

西馬音内(にしもない)盆踊り は 深編笠をかぶり 彦佐頭巾で顔を隠す

衣装は端切れを縫い合わす 特徴あるもので ここも静かな踊りだ

 

 

やはり新しいものを開拓する旅行業者によって 小さな町は大混雑となって行った

街から1キロ以上離れた臨時駐車場は 50台以上のバスがずらりと並ぶ

八尾よりさらに狭い路地で 流しの踊りが出るが 見るのは人垣の間からで かなり苦労する

 

 

戻って 風の盆は もっと静かに 本来の姿で見たいと言う観光客との要望に旅行社が応える

地元の全面協力によって 風の盆の規模で 同じように見られる様にしたのが 『月見のおわら』 だ

クラブツーリズムの宣伝になってしまうがここが主催 元添乗員としても むしろ こちらを勧めたい

 

 

今日と明日 越中八尾で 風の盆と同じ 月見のおわら お盆の時より少し落ち着いて見られる

勿論 街を挙げての全面協力だから 本番と変わらない

旅行雑誌を見ていたら 何度も行った風の盆の風景が目に浮かんで懐かしい

 

 

越中八尾は 曳山の祭りと風の盆を除いて 普段は観光客の姿は殆ど無い静かな町である

山間部の神通川の支流 井田川沿いに 高さ20m位の石垣を築いて その上に町が出来ている

下から見ると 城郭都市の感さえある 旧市街は木造家屋 町屋風の建物が風情がある

 

 

 

私は一度 その静かな町を一度歩いた

ここに あの大混雑する 哀切の風の盆があるなんて思えない

わずかに石畳が 列をなして静かに踊る足元を思い出す 風だけが胡弓の音に似てヒューと鳴った

 

 

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本を読む 母と子供の 夢未来

2016年09月23日 06時00分00秒 | うたごえ

私の父母の育ったところは 信州の桜で有名な高遠である

母方は 徳川家にも縁がある松平の血統であると 昔 親戚の家系図で示された

戦後は落ちぶれて 更に山奥へ私の小学校時代は 極貧の生活だった

 

高遠には 童謡唱歌の父と言われる 伊沢修二の銅像がある

明治の黎明期に子供たちへ 学校で歌える歌を作る この気概が現在の唱歌にも伝えられている

この高遠から天竜川を南下した伊那谷に喬木村がある ここで生まれた方が 椋鳩十(むくはとじゅう)である

 

 

子どもの歌の父が 伊那谷の北に生まれ 子どもの童話なと゛の作家が 同じ伊那谷の南に生まれた

私の父母の生まれたころと同じである 今年で没後30年近くになるから これも同じである

大学は東京の法政大学 卒業後 縁があって姉の嫁ぎ先の鹿児島県・加治木の高女の教師となった

 

 

童話作家 自然作家として多くの作品を残しており 「大造じいさんとガン」は 現在でも国語教科書に載る

教師の傍ら小説を書いたり していたが 戦後は少年倶楽部の編集長にも懇願され 数多くの作品を残した

また 鹿児島の県立図書館長にもなったが 戦後すぐには図書を揃えるには財政難である

 

そんな中で 県内各地に図書館を作ろうと 各地を回り公民館などが図書館になって行った

ここでも蔵書は少なく 県立が各地を支援する 鹿児島方式が成功を生し 日本各地の模範ともなった

農業促進等にも力を入れ 北の宮沢賢二 南の椋鳩十とも称されるほどである

 

 

昨日の 鹿児島FM銀河 てんがらもんラジオのゲストは その椋先生を慕う方たちで作った松風会事務局長である

お名前が 畠野洋子(ひろこ)さん 大学で椋鳩十の論文を書くほどの敬愛者だった

記念の行事があるが 児童文学賞で受賞した作品が 『ゆずの葉ゆれて』 映画になって今年夏 公開された

 

 

私も今月観に行ったが 喜入と言う地区で 美しい自然とそこに暮らす人々の素朴な愛が描かれていた

母と子の20分間読書運動も 椋鳩十先生の提唱したもので これは全国にも広がって行った

忙しい母を子どもの心へ取り戻す 培われた情愛は きっと大人になって 良い未来を創造してくれるだろう

 

 

畠野洋子さんは てんがらもんラジオ3度目の出演と聞く

因みに私は2年前の てんがらもんラジオ 奇しくも8月放送の録画を事前に見た

その畠野さんが出演であり 当時の放送も楽しからずやであった

 

現在のようにリスナーさんのコメントは 前週の焼酎論議が楽しく紹介されていた

この放送局のあるあたり ぎんがロードと呼ばれ西伊敷の町おこしで 24番線 と言う銘柄の焼酎を売り出した

この焼酎 今はどうなっているかネットで調べたが出てこない 幻の焼酎となってしまったのだろうか(笑)

 

この時も ひげ爺さん ワイコマさん ひまわりさん カエルさん など耳慣れた名前が出てくる

もう永い てんがらもんファン リスナーでもあろう それだけ楽しませてくれる内容もあるのだ

私も 最近仲間に入れて貰い 今回も 恥ずかしながらブログが後半に読まれていた

 

てんがらもんラジオ 録画 約2時間 クリックして聴いてください

http://www.ustream.tv/recorded/91546826

 

 

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過去と今 鹿児島結ぶ 歌の縁

2016年09月22日 01時19分42秒 | うたごえ

不思議な巡り合わせを感じる時がある

歌が私を誘うのか 私に引き会わせるのか 縁があるのだろうと思う

昨日も下町のうたごえ 台風の影響もなく 106名の賑わいを見せていた

 

相変わらず リクエストの曲にこたえて伴奏するが 私のトークはいつも笑わせたりほろりとさせる

それが楽しいと 皆さんいつも笑う そして歌う その歌声の若いこと 文句なしと私が褒める

歌っている方たちはいつも元気 だから声は20歳は若い そんな中心でピアノが弾けるなんて幸せなことだ

 

 

鹿児島のFM銀河 てんがらもんラジオの話は 最近皆さんに聴かせる

なんと言っても パーソナリテティの方たちは シニアの女性たちですよ

生き生きと番組を仕切っているし あたたかさがある 皆さん100名以上は女性 共感でうなづく

 

そして 中心に居るcihidoriさんの話もした 直接会ったことは無いが これには不思議な縁がある

初恋物語を書いたが その青春時代 歌声喫茶は若者たちのメッカのように好まれていた

カラオケも無い時代である アコーディオンの伴奏に合わせて みんなで一つの歌を大合唱する

 

淡い恋の歌 抒情歌などを歌えは゛ 胸はキュンとしたものだ

山へ行く時も帰る時も 新宿の ともしびと言う 歌声喫茶にたびたび行った

確か50円くらいで 小さな歌本を買い 5冊くらいいつも持参して 歌い楽しんだ

 

 

時を経て 私も そんな場を作って 往時の歌声喫茶を実現したいと 60歳くらいから始めた

自分の童謡唱歌うたう会や それを聴いた墨田の新しい講座にうたごえを依頼されて10年ほど講師となった

仕事では 大手旅行社の添乗員となり 水を得た魚のように全国を回り 自ら提案したツアーも実施した

 

おりしも ツアーの企画で歌声バスがあり 会社から添乗を依頼された

既に自分でも独自のうたごえツアーを催行していたので この人が最適と推薦されたのだ

この時は 司会進行 アコーディオンは かつて私が通っていた 新宿ともしびの店の方である

 

不思議なものだ 若い時 夢中で通っていた ともしび の方と一緒にバスで歌声を楽しむ

更には そのころには考えもしなかった うたごえのピアノ伴奏を私が出来るようになり自身でも開催する

独学で覚えたピアノであるが 今では多くの方が楽しみ 心地良い時間を共有できているのである

 

 

私と ともしび これだけでも縁があると感銘していたのに 更に不思議が重なる

てんがらもんラジオの cihidoriさん 実は新宿へ通っていたころ うたごえ運動の中心に居たと言う

もちろん店も知っているし そこで彼女はアコーディオン伴奏をしたと 最近聞いて感銘を受けた

 

巡り巡って 最近は東京と鹿児島 パーソナリティとリスナーにはなった

そして 歌声と言う共通の活動の場があるなんて 人生の縁 捨てたもんでない

歌が好き 歌の活動をしていたから 添乗員でも普通の添乗の他に 皆さんを楽しませることも出来た

 

 

もう一つ 付け加えるならば 山のけむり と言う歌をご存じだろうか

赤いランプの終列車 もあるが作詞は 大倉 芳郎さんである

うたごえでは無い一般のツアーに彼が客として乗ってきた 私はその時点で知らない方であった

 

ハーモニカをサプライズで皆さんに聴かせて喜ばれていた

大倉さんは友人の方と参加しており その友人が 彼は有名な作詞家だよと教えてくれた

私が歌が好き その因縁が 彼を引き寄せてくれたのだろう

 

その後 団体貸切ツアーの添乗員で乗務した

その団体をまとめていた方がなんと その大倉芳郎さんの娘さんであった なんと言う偶然だろう

私ね お父様を乗せましたよと言ったら 驚いていた

 

なお 団体はコーラスである 指導者がこれまた 中田順子さんであった

オペラ歌手であるが 早春賦の中田章さんの姪っ子さんである

中田章さんの子は 夏の思い出 雪の降る町を の中田喜直さんだ

 

なんと歌に関係のある方たちが 私のツアーにめぐり合わせるのだろう

大倉芳郎さんが亡くなって コーラス団体は 山のけむり の歌碑を訪ねてその前で歌った

私のキーボード伴奏である バスの車中もキーボードで皆さんを歌わせた

 

中田順子さんや そうそうたるメンバーの中で 私はキーボードを弾く

彼女に私は言った 下手な伴奏ですみません 歌いづらいでしょう?

彼女曰く 揺れるバス車中でキーボードを弾くことが出来る人は あなたしか居ませんよと笑った

 

 

今日も鹿児島のてんがらもんラジオを聴く 以前より鹿児島がすごく身近に感じられる

鹿児島各地方の観光案内 ロケ地めぐり パワースポットなど 各種チラシやパンフも取りそろえた

容易には行けないが 歌の縁で これからもきっと私は鹿児島に惹きつけられるだろう

 

昨日のリクエスト

あかとんぼ 埴生の宿 夕陽の丘 あざみの歌 白い花の咲くころ くちなしの花

憧れのハワイ航路 思い出の渚 学生時代 希望のささやき 高原の旅愁 高校三年生

故郷の空 静かな湖畔 千の風になって たんぽぽ 緑の地平線 南国土佐を後にして

 

庭の千草 坊がつる賛歌 岬めぐり 村祭り やしのみ 山小屋のともしび 

月がとっても青いから 山のけむり りんごのひとりごと 月見草の花

赤いハンカチ 何日君再来 まりと殿様 花は咲く 

 

私の喜寿の祝いに 以前の童謡唱歌うたう会の女性から 手作りの作品を頂いた

きめこみパッチワーク 題して きめこみ・招福赤富士(八角額)

 

てんがらもんラジオ 生放送で聴けます 毎週木曜日 午前10時から12時まで

全国の放送局も網羅されています 九州 FM銀河をクリックして下さい

http://csra.fm/stationlist/#kyushuokinawa

 

 

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初恋の 香る日比谷に 走馬燈

2016年09月21日 06時45分30秒 | うたごえ

あれは19歳の初夏 生まれて初めて女性と歩いた

日比谷公園 この頃の公園内の夕方 道すがらある公園内のベンチはカップルでいっぱいだ

中には抱擁したりしている 私の動悸は激しく なるべく視界に入らないよう俯いて歩く

 

 

音楽会に誘われて この奥にある日比谷公会堂に向かう

それまで何度かこの公会堂にグループで来たことはある

初めてのコンサートは 三大交響曲 運命 新世界 未完成 17歳の時 兄から貰ったチケット

 

 

それからは 日比谷の映画街のロードショーをたびたび観に行く

ウイーン少年合唱団の映画「野ばら」 トニーザイラーの「白銀は招く」など

クラシック喫茶がこの近くにあった 「らんぶる」「ショパン」「タクト」1.2時間は過ごせる

 

 

そのうち ハイキングなども良く行った

大菩薩峠付近 雲取山頂上近く お花畑が一面に咲いており 爽やかな楽園である

秋には 妙義の白雲山 信州の蓼科高原あたり 素晴らしい紅葉と落ち葉を敷き詰めた道

 

 

スキー板も買った 当時 単板から合板に変わる 留め具は固定のカンダーハ 転んでも外れない

石打 湯沢 草津 夜行列車で日帰り圏内である

時には 新宿の歌声喫茶『ともしび』で歌を歌ってから 夜行の列に並ぶ

 

 

やがて また夏が来て 秋になる

日比谷公園内には どこからか 金木犀の香りが漂う

手も握ったこともない こんなに多く あちこちに行ったり笑ったけれど・・・・

 

 

小さな諍いがあった 私は心とはうらはらに 大げさに怒り 別れの時を待った

彼女は友人が交際していて 勤務地が地方になるとき紹介された

どうしても罪悪感が私の意識から抜け切れない いつも心の片隅にある

 

 

しばらくして再会を願われたが 耐えて 会うことを嫌った 絶対会わない

それから1年後くらい 人づてに その友人と結婚したことを聴いた

それで良いのだ チャイコフスキーのバイオリン協奏曲 最後の音楽会で聴いた曲である

 

 

そんなことも あったっけなぁ おぼろげな私の走馬燈(笑)

今だから話せる 他愛ない初恋の話!

 

 

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