出版社/著者からの内容紹介
「たぶんこのときに批評とか言葉とか論理というものは死んでし
まったのかもしれません」(まえがきより)。
同時多発テロで始まった21世紀、脱臼しっぱなしのこの世界で、何が語られて
きたんだろう? 格差、右傾化、ネオリベラリズム、インターネット、オタク、
乙女などなど、ゼロ年代の日本に切り込む論客たちを永江朗が読み解く、新世紀
の言論カタログ。
内容(「MARC」データベースより)
モノ申す人々は何を目指しているんだろう? 格差、右傾化、ネオリベラリズム、インターネット、オタク、乙女などなど、ゼロ年代の日本に切り込む33人の論客たちを読み解く、論壇エンタテインメント読本。
著者について
1958年、北海道生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。フリーラ
イター。西武百貨店系洋書店に約7年間勤務の後、『宝島』および『別冊宝島』
の編集、ライターを経て、93年ごろよりライター業に専念。「哲学からアダル
トビデオまで」を標榜し、幅広い媒体で取材・執筆活動を行なっている。著書に
『批評の事情』『平らな時代』(原書房)、『インタビュー術!』(講談社現
代新書)、『不良のための読書術』(ちくま文庫)、『<不良>のための文章
術』(NHKブックス)、『メディア異人列伝』(晶文社)、『話を聞く技術!』
(新潮社)などがある。
抜粋
二十一世紀最初の十年は小泉政権の十年でもあります。小泉政権は
二〇〇一年の四月に発足し、二〇〇六年の九月まで続きました。その後は安倍政
権になったのだから、小泉政権の十年というのは間違いではないかという人もい
るかもしれませんが、少なくとも現時点の安倍政権はたえず小泉政権の影に脅か
されています。安倍首相は何を言っても、何をやっても、常に小泉前首相と比較
されてしまいます。それだけ小泉純一郎の政治手法が印象的だったのと、彼の
キャラクターが特異だったということでしょう。
小泉首相のやり口は「ワンフレーズ・ポリティクス」と呼ばれました。横
綱が優勝すれば「感動した!」、「改革なくして回復なし」など、コピーのよう
な言葉を発し続けました。短くて印象的な言葉は、聞くと分かったような気持ち
になるけれども、よく考えると何も説明していません。感情には訴えるけれど
も、論理的な説明は皆無です。それを象徴するのが、イラク戦争と大量破壊兵器
の関係について問われたとき。「フセインが見つからないからといって、フセイ
ンがいないということにはならない。ゆえに、大量破壊兵器が見つからないから
といって、大量破壊兵器がないということにはならない」というような詭弁を弄
しました。昔だったら、「国民をばかにするな」と大騒ぎになり、たぶん政権も
ひっくり返っていたところでしょうが、マスメディアも国民もただ呆れるだけ。
怒るよりも苦笑するしかありませんでした。もちろん怒りの声を上げた批評家や
マスメディアはありましたが、国民が大きく動かされることはなかった。たぶん
このときに批評とか言葉とか論理というものは死んでしまったのかもしれませ
ん。なお、その後、イラクに大量破壊兵器がなかったことは明らかになり、それ
だけでなく、大量破壊兵器がないことはアメリカ当局の少なくとも一部は認識し
ていたことも明らかになりつつあります。ようするに自衛隊を派兵した小泉政権
はペテンに掛けられたわけですが、元首相が怒っているという話も聞きません。
二十世紀最後の十年間は失われた十年でしたが、二十一世紀になってもあまり
パッとしません。景気回復だの、いざなぎ超えといわれてもピンときません。
小泉政権の五年間で出てきたもののなかに、「格差社会」があります。よう
するに貧富の差です。最初のうちは、「努力したものが報われるのだから、格差
は当たり前」だの、「格差があるから、人は努力するんだ」という論調が支配
的でしたが、次第に貧困の悲惨さが明らかになると、それでは済まされなくなっ
てきました。企業はリストラの名のもとに、正社員のクビを切って派遣やアルバ
イトに置き換えるようなことばかりやってきたので、貧乏人が増えるのも当たり
前です。犯罪が増えているわけでもないのに、不安は広がり、なんだかギスギス
した世の中になりました。
インターネットの影響力は新世紀に入ってますます大きくなりました。言論の
世界もその波を受けています。ブログの登場によって、職業的批評家に限ら
ず、誰もが簡単に自分の意見を表明できるようになりました。小泉政治とネット
の中の言論の自由化が同時進行したのはとても興味深いことです。そういえ
ば、9・11の一ヶ月後にアップルはiPodを発表しました。そしてわずか五
年半で、iPodは一億台を突破しました。iPodは画期的です。大量の音楽
や音声や映像や画像を持ち運べるだけでなく、聴きかたや観かたを変えました。
「アルバム」という、音楽家やレコード会社が作った単位は、聴く側にとっては
選択肢のひとつでしかありません。シャッフル機能でランダムに聴いてもいい
し、好きな曲を一曲だけ聴いてもいい。iTunesストアで音楽は一曲ずつバ
ラで買えるようになり、放送局のタイムテーブルに従ってではなく、聴きたいと
きに聴けるポッドキャストも広がっています。ITは言論もiPod化しつつあ
るのかもしれません。
というようなことから、新世紀の言論カタログ、あるいはそのインデックス
として、本書を作ってみました。
「批評」って、どんなものでも「主観的」であり、「完全に客観的」にはなりえない。そんな気持ちを持っていたところ、この本と出会いました。








