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本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

ミサコの被爆ピアノ

2007年07月30日 | 本・雑誌・漫画
ミサコの被爆ピアノ
松谷 みよ子
講談社

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内容(「MARC」データベースより)
1945年8月6日、爆心地より1.8キロの地点で、1台のアップライトピアノが被爆した。あの日から62年、ピアノは今も音を響かせている-。長年にわたり戦争を見つめてきた作家が書き下ろした、平和を願う物語。

わたしのいもうと
松谷 みよ子,味戸 ケイコ
偕成社

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内容(「BOOK」データベースより)
妹をいじめた同級生たちは、そんなことなど忘れて中学生になり、高校生になっていきました。



大切なことを忘れない為にも、松谷みよ子さんの本はとても貴重だ。すんなり、心に入って来る。
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塩見孝也

2007年07月30日 | エッセイ・日記・意見
塩見 孝也(しおみ たかや、1941年5月22日- )は、新左翼活動家。元赤軍派議長、最高指導者。広島県尾道市出身。自称「真民族派」「左翼民族派」


経歴
1962年、京大文学部入学、在学中から「ブント」の活動家となり、京都府学連書記長、社学同書記長を経て1969年、ブント内の対立によりいわゆる関西ブントを中心に「共産主義者同盟赤軍派」を結成、議長に就任した。メンバーは京大、同志社大、立命館大を中心に400人で、軍事委員長は大阪市大の田宮高麿だった。「これまでの闘争方針では70年闘争を闘いきれない。受動的な階級闘争論では展望が開けず、能動的な攻撃型の階級闘争こそが必要である」と前段階武装蜂起を掲げた。同年秋、大阪、東京で交番・パトカーなどを襲撃した大阪戦争、東京戦争等を指揮するが、11月に「大菩薩峠事件」で主要幹部を含む53人が逮捕され大きな打撃を受けた。このため「一国内の闘争には限界がある。労働者国家(キューバ)を根拠地とし、そこで軍事訓練を行った革命軍を各地に送って、武装蜂起を図り「世界共産主義革命」を実現すべき」という「国際根拠地理論」を提唱した。

1970年、「フェニックス作戦」と名づけたハイジャックを計画。下見を重ね具体的な計画を作成。実行部隊のメンバーを決定し同年3月後半の実施を決定したが、寸前の3月15日警察に逮捕された。塩見の逮捕を知った実行部隊は、善後策を協議し既定方針どおりハイジャックを決行。3月31日、田宮高麿をリーダーとする9名が、羽田空港で日本航空機・よど号をハイジャックし北朝鮮に亡命した(よど号ハイジャック事件)。

塩見は爆発物取締法、同事件の共謀共同正犯として破防法などで起訴。1980年、懲役18年の判決が出され、1982年刑が確定。府中刑務所に収監され、結局19年9ヶ月の獄中生活を送り、1989年12月出所。現在、ぱとり・自主日本の会を主宰。定期的に都内で集会を開くなどの活動を行っている。出所後は何度も渡朝し田宮(1995年死亡)らと再会。また近年、民族主義を唱え一水会らと共に「国の日集会」(毎年9月2日開催)を開いたり、実行犯が日本人拉致に関与しているかのような発言を行い、物議を醸している。

だが先に挙げた民族主義に関しては彼なりの過去の内ゲバに対する反省点と愛郷心から来ており同じ革命を目指す者同士なら左右問う事無く解決すべきであるという理念が伺える。

ちなみに塩見自身は、新宿騒擾事件については刑事責任を問われうる範囲内であるも、ハイジャックについては無罪であるとの主張を、現在においても唱えている。



この人の番組出演交渉に行った時、20年間、獄中にいたにも関わらず、「アジテーション」の口調で長時間喋られたのにはビックリした。20年という年月も、この人を変えなかったんだなぁ~と変に感心してしまった。
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作家の小田実さんが死去 国際的な反戦運動に尽力

2007年07月30日 | テレビ番組
 反戦、反核など国際的な市民運動に取り組んだ作家で、「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」元代表の小田実(おだ・まこと)さんが30日午前2時5分、胃がんのため東京都内の病院で死去した。75歳だった。自宅は公表していない。


小田実さん
 1932年大阪市生まれ。45年の敗戦前日の8月14日に大阪大空襲を体験、そこで目の当たりにして後に「難死」と呼んだ「無意味な死」への怒りが言論活動や市民運動の源泉となった。

 東京大文学部卒業後の58年、フルブライト留学生として米国ハーバード大学へ。このときの体験とそれに続く欧州・アジア巡りをつづった1日1ドルの貧乏旅行記「何でも見てやろう」(61年)がベストセラーに。飾り気のない文体と世界の人々と同じ高さの目線で向き合う姿勢が共感を呼んだ。

 65年、ベトナム戦争に反対して哲学者の鶴見俊輔さん、作家の開高健さんらとベ平連を結成。米ワシントン・ポスト紙に日本語で「殺すな」と大書した反戦広告を掲載するなど、運動の支柱となった。

 ベ平連解散後も、執筆の傍ら政治問題と正面から向き合い、市民の側から発言を続けた。76年には北朝鮮を訪問して当時の金日成主席と会見。87年の東京都知事選では当時の社会党から立候補を打診され、断った。

 95年の阪神大震災は自宅で被災。公的支援の貧弱さを身をもって体験、被災者支援法成立に尽力した。04年6月、作家大江健三郎さんや評論家加藤周一さんらと、憲法を守る「九条の会」の呼びかけ人となった。

 小説では庶民の生活に根ざした素材と言葉で、心のひだへ分け入った。「HIROSHIMA」で88年、第三世界最高の文学賞とされるロータス賞を受賞。97年に川端康成文学賞を受けた「『アボジ』を踏む」は演劇にもなった。

 07年春に末期がんがわかり、親しい知人に手紙で病状を明らかにしていた。著書「中流の復興」では、武器を売らぬ平和経済で繁栄したことが日本の誇りであり、その基盤となった中流層の復権を訴えた。
(朝日新聞紙面より)

何でも見てやろう (講談社文庫 お 3-5)
小田 実
講談社

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出版社/著者からの内容紹介
若さと知性と勇気にみちた体当り世界紀行。留学生時代の著者が、笑顔とバイタリティーで欧米・アジア22ヶ国を貧乏旅行して、先進国の病根から後進国の凄惨な貧困まで、ハラにこたえた現実を、見たまま感じたままに書いたベスト&ロングセラーの快著。

この本を読んで感動し、後に番組に出演して貰った。「全共闘」を語る番組で、作家の野坂昭如さん、脚本家の佐々木守さん、元・赤軍派議長の塩見孝也さん、歌手の高田渡さんと激しい議論を展開された。収録番組だったので、結局二本に分けて放送した思い出がある。僕も勉強になった。高田渡さんも既に鬼籍に入られ、小田さんの訃報を聞き、悲しさがこみ上げてくる。ご冥福をお祈りします。
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