お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

チョコレート・ラヴァー―ふたりはこっそり変装中!

2007年07月23日 | 本・雑誌・漫画
チョコレート・ラヴァー―ふたりはこっそり変装中! (ミッシング・パーソンズ)
M.E. ラブ,M.E. Rabb,西田 佳子
理論社

このアイテムの詳細を見る

内容(「BOOK」データベースより)
パパが死んだ。ママは行方不明。あたしたちは、大切なものがいっぱいの家をあとにするしかなかった―。バッチリ変装し、ニセの名前を使ってころがりこんだ小さな町で見つけた仕事は。

内容(「MARC」データベースより)
パパが死んだ。ママは行方不明。あたしたちは、大切なものがいっぱいの家をあとにするしかなかった-。転がり込んだ小さな町で、探偵になっちゃったサムとソフィー。今度の事件はケーキが目撃者? ガールズ・ミステリ第2弾。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ラブ,M.E.
ティーン向け小説の新人として、今もっとも注目される作家。ニューヨークはマンハッタン生まれ。これまで「セブンティーン」などの雑誌に短編やエッセイを多く発表してきた。現在は、夫とネコとともにブルックリンに暮らす



子供達に読み聞かせるのに、ちょうどいいストーリー。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

回転寿司「激安ネタ」のカラクリ

2007年07月23日 | 本・雑誌・漫画
回転寿司「激安ネタ」のカラクリ
吾妻 博勝
宝島社

このアイテムの詳細を見る

出版社 / 著者からの内容紹介
日本人の食文化にすっかり溶け込んだ回転ずし。大人から子供まで、多くの日本人に愛されています。しかし、安い物にはワケがあります。安さのヒミツは、決して企業努力によって成り立っているのではありません。この本では、激安店の厨房の舞台裏から、市場が見向きもしない“キズモノ”(死にマグロや養殖物の底物、浮き物、奇形魚)流通の暗部、煮アナゴなど外国産加工品の薬品漬けの問題、そしてブラックバスやナイルパーチなどの外来種を用いた偽装魚、インチキ代用魚の実態まで、、激安魚介類のヒミツに真正面から迫る本邦初のホンカク本です。

著者について
『週刊文春』の元事件記者。著書に『食マフィアの棲む国 毒菜』(徳間書店)、『新宿歌舞伎町 マフィアの棲む街』(文春文庫)など多数の著作がある。今回の著作では、長年にわたる魚の飼育、釣りでの経験を生かし、いまだにタブーの多い魚介類流通について徹底取材を敢行した。



「回転寿司」があそこまで安いのは何か「ウラ」があると思っていた。「寿司」になってしまえば、その魚の種類まで、素人は特定できない。政府はこの事を知っているのだろうか?アメリカ産のウナギに有毒物質が入っている可能性があるとして、輸入禁止になり、アメリカのウナギ養殖業者は大変らしいが、それまではそんなウナギが「回転寿司」に出ていたのだろう。怖い怖い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みんなで考えよう 世界を見る目が変わる50の事実

2007年07月23日 | 旅・外国
みんなで考えよう 世界を見る目が変わる50の事実
ジェシカ ウィリアムズ,朝倉 めぐみ,酒井 泰介
草思社

このアイテムの詳細を見る

出版社/著者からの内容紹介
「アメリカ人の3分の1がエイリアンを信じている」「ボツワナ人の平均寿命は34歳」など、
明るい話題から深刻な問題まで、50の切り口でいまの世界とこれからの世界をわかりやすく解説。
考えるヒントも付いて、子どもたちが世界に目を向けるよいきっかけに!


親子で読んで、「世界」を知るきっかけにはいい本かも・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブランドってあると思う。

2007年07月23日 | エッセイ・日記・意見
資生堂ブランド
川島蓉子
アスペクト

このアイテムの詳細を見る

内容紹介
2005年にスタートした新ブランド戦略の成功により、資生堂は大躍進を遂げた。発売直後にシャンプー市場でトップシェアを獲得した「ツバキ」、激戦区のメーキャップ市場を席巻した「マキアージュ」をはじめ、各商品カテゴリーにおける一等賞ブランドを多数輩出したメガブランド戦略。

そして、多くの有名百貨店で売り上げ一位をキープする最高級化粧品「クレ・ド・ポー ボーテ」に代表される重点ブランド戦略。 新ブランド戦略の成功要因は、いったい何なのか?経営陣とブランドマネージャーたちへの取材を通じてわかった「企業ブランドの高め方」と「太く・強いブランドの作り方」。

著者について
【著者紹介】川島蓉子(かわしま ようこ)1961年 新潟市生まれ。早稲田大学商学部卒業、文化服装学院マーチャンダイジング科修了。1984年 伊藤忠ファッションシステム株式会社入社。ファッションの視点から消費者・市場の動向を分析し、アパレル、化粧品、流通、家電、自動車、インテリアなどの会員企業と異業種ネットワークを組み、売り場・消費開発などのプロジェクトを手がける。Gマーク審査委員、札幌市デザインコンペティション審査委員。

主な著書に『ビームス戦略』(PHP研究所)、『伊勢丹な人々』(日本経済新聞社)、『ブランドのデザイン』(弘文堂)『TOKYOファッションビル』(日本経済新聞社)など。また、『MJ』、『読売新聞』、『ブレーン』などに定期的に寄稿。

伊勢丹な人々
川島 蓉子
日本経済新聞社

このアイテムの詳細を見る

商品の説明
伊勢丹な人々
百貨店業界に逆風が吹き荒れ、そごうの破綻や西武百貨店の低迷のニュースが駆け巡る中、飄々と地盤を固めていった老舗デパートがある。2003年度の百貨店店舗別売上高ランキングで、東京・新宿の伊勢丹が三越本店に次ぐ2位に浮上。西武百貨店池袋店を抜いた。本書は伊藤忠ファッションシステムで消費動向の調査研究を行う著者が、伊勢丹の強みを“人”という視点から解読しようと試みたもの。
伊勢丹の革新的な戦略を語るうえで欠かせない男がいる。1990年代同店のバイヤーとして活動し、福助の社長として改革に腕を振るってきた藤巻幸夫氏だ。安定した高級ブランドテナントの誘致が主流の時代にあって、無名デザイナーたちの商品群で売り場を埋め尽くした「解放区」や、今日のメンズファッションの隆盛をいち早く見越した「メンズ館」などの仕掛け人として業界に一石を投じてきた。著者は伊勢丹の強みを、そうした「濃い人間たちの強い思いの結集」だと見る。同店の社員には「55%攻撃論」という共通語が存在していると言う。新規のアイデアに50%の自信があれば上司に相談し、55%だと確信したら自分の判断で動けというのだ。成功事例とともに、多くの企業に当てはまるであろう勝利の法則を探り出す。



そのブランドをどうして作ったか知りたい。例えば、同じ商品を誰かにギフトで贈るにしても、大阪では「阪急百貨店」か「島屋」を選ぶだろう。「近鉄百貨店」の包装紙で届くのとは、中身が同じでも気分が違うからである。

前から思っていたんだけれど、「SEIKO」は日本を体表する時計メーカーである。「CITIZEN」が第2位。でも、僕は昔から「SEIKO」。「シチズン」と「ズ」が濁るところが嫌なのだ。何故だか。「CASIO」なんかもOKなんだけど。

トヨタ自動車の社名に「C」から始まるものが多いのに気付いている人がどれ位いるだろう。「CROWN」「CORONA」「CALLOLA」「CAMLI」・・・トヨタでは「C」の付く言葉を押さえているとも聞いた。これもブランド戦略なのだろうか・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

となりのクレーマー―「苦情を言う人」との交渉術

2007年07月23日 | 本・雑誌・漫画
となりのクレーマー―「苦情を言う人」との交渉術 (中公新書ラクレ 244)
関根 眞一
中央公論新社

このアイテムの詳細を見る

出版社/著者からの内容紹介
苦情処理のプロが、1300件以上を対応した体験とそこから得た知見から、相手心理の奥底まで読んで対応する術を一挙に伝授する。イチャモン、無理難題、「誠意を見せろ!」、「ふざけるな!」、詐欺師、ヤクザ…次々登場するクレーマーとのバトルの実例が余りにリアルだ。こわい、異常だ、はらはらする……でもかなり面白い「人間ドラマ」の数々。「苦情社会」の到来で、どこにでもいる、誰もがなりうるコマッタ人への対処法を一冊にした話題作。



僕も「クレーマー」の一人である。「NTTドコモ」や「EPSON」の対応の悪さに何度、切れたか・・・「こちらが人の心を持って説明しているのに、マニュアル通りのたらい回し」・・・切れない方がおかしい。子供が通っている小学校にも切れた事があり、校長先生が是非会いたいと言う(そんな訳ないのに)ので、話をしに行った。5分で、こちらの意図が伝わらない人だと分かり、40分くらいいて、失礼した。後日、校門のところで、その校長と教頭が直立不動で立っているので、声をかけると、「教育委員会の方」が来られるとの事。やはり、こいつらも「上」しか見てない下種な奴らだと確信した。その後、校長が変わる度に、妻とも話をしているのだが、「校長」としての質は下がり続けている。「調布市」のいちばん東、「三鷹市」「世田谷区」に隣接したこの地区に「いい校長先生」は廻ってこないとの事。やはり、市役所に近い小学校の校長が偉いらしい。最悪である。

という様な「クレーマー」に対しての防御策を書いた本である。実用的。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

河合 隼雄さん、逝去。

2007年07月23日 | エッセイ・日記・意見
河合 隼雄(かわい はやお、Hayao KAWAI、1928年6月23日 - 2007年7月19日)は、兵庫県多紀郡篠山町(現・篠山市)出身の男性心理学者、心理療法家。専門は分析心理学、臨床心理学。2000年、文化功労者。平城遷都1300年記念事業特別顧問。第16代文化庁長官。学歴は京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。学位は教育学博士(京都大学)。

来歴・人物
分析心理学(ユング心理学)を日本に紹介した学者として知られて以来、日本におけるユング心理学の第一人者とされる。

1952年、京都大学理学部を卒業後、数学の高校教諭として働く。その学校現場で生徒達の心の問題に直面することとなり、その後、京都大学大学院で心理学を学び、1959年にフルブライト奨学生としてカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)へ留学し、クロッパー教授やシュピーゲルマン(Spiegelman JH)の指導を受けた。クロッパーはユダヤ系で欧州の心理学に精通しており、河合が米国で学位を取るよりも本場のスイスのチューリッヒで心理学を修める方が良いと判断し、留学を勧めた。

その後、1962年から1965年までスイスに渡り、ユング研究所(Jung Institut Zuerich)で日本人として初めてユング派分析家の資格を得る。その際、マイヤー(Meier CA)に師事。帰国後、1972年から1992年まで京都大学教育学部HP・教育学研究科で教鞭を取る。退官後、プリンストン大学客員研究員、国際日本文化研究センター所長を歴任する。

河合は、欧州で修めた心理学が日本では同様に適用できない事に気づき、日本的環境や日本的心性にあった心理療法を工夫して創る事に苦心したという。また、彼の著作には、「日本人という病」、「中空構造日本の病理」とある事からも、日本的な文化に対する批判的かつ創造的な問題意識がうかがえる。

河合は、箱庭療法(Sandplay Therapy, Sandspiel Therapie)を日本へ紹介し、臨床場面で幅広く使用される契機を作った。河合は非言語的な表現が多い日本人に向いていると考えていたという。その後、日本箱庭療法学会の設立に携わる。又、1985年に国際箱庭療法学会が設立され、河合はその後、日本心理臨床学会を設立し、同理事長に就任。日本臨床心理士会会長も務める。

霊長類学者で京大霊長類研所長等を務めた河合雅雄は兄。弟に精神科医で京都大学医学部助教授等を務めた河合逸雄がいる。ユング心理学研究者で京都大学教育学部教授の河合俊雄、法社会学者で桐蔭横浜大学法学部教授の河合幹雄は息子。工学者で京都大学国際融合創造センター非常勤研究員を務めた河合一穂、歯科医で日本歯科麻酔学会理事の河合峰雄は甥。

2002年1月18日より第16代文化庁長官に就任。民間人(非官僚)の起用は今日出海、三浦朱門に続き17年ぶり3人目となった。2年の任期が終了した後も、お得意の駄洒落で盛り上げる講演会をするなど、文化庁の知名度向上に貢献した手腕を買われ、2度に亙って長官留任を要請され、2006年10月31日まで3期4年余在任した。

2002年4月、文部科学省が全国の小・中学校に配布した道徳の副教材『こころのノート』の編集に携わった。この『こころのノート』は事実上の国定教科書的性格を帯び、教育勅語や修身教科の色彩が濃いとして批判されることも多い。そのことと合わせて、河合隼雄の心理主義を批判する心理学者・教育関係者も多い。

2006年8月17日午前、奈良県奈良市内の私邸で脳梗塞の発作を起こして倒れ、奈良県天理市内の病院に搬送され緊急手術を受けたものの、容態が回復せず、2006年11月1日に文化庁長官職を休職、2007年1月17日付で任期切れにて退任していた。

2007年7月19日14時27分、脳梗塞のため、奈良県天理市内の病院で死去。享年79。

大変な冗談好きとしても知られ、日本ウソツキクラブ会長を自称していた。


心理療法への貢献(箱庭療法)
河合は、スイスのドラ・カルフが幼児や精神障害(疾患)の患者へのセラピーとして用いた箱庭療法(Sandplay Therapy, Sandspiel Therapie)日本へ紹介し、臨床場面で幅広く使用される契機を作った。河合は非言語的な表現が多い日本人に向いていると考えていたという。その後、日本箱庭療法学会の設立に携わる。又、1985年に国際箱庭療法学会が設立され、河合はその創設メンバーであった。

精神科医で風景構成法を考案した中井久夫(神戸大学名誉教授)は、東京で河合の箱庭に関する発表を聞き、箱庭に枠が使用されている点に注目した。そして、患者が箱庭の「枠」がある為に、箱庭による自己表現が可能であり、治療効果がある事に気づき、自身の風景構成法の「枠付け法」に応用した中井や山中康裕などの医療系の精神科医が、箱庭療法を病院に導入した為、箱庭が教育現場だけでなく、病院臨床でも使用される契機となる。


学歴
1952年 - 京都大学理学部数学科卒業。
1965年 - スイスのユング研究所にて資格取得。
1967年 - 同大学院修了。教育学博士号取得。




河合 隼雄さんの「語り口」が好きだった。ものを自由に発想かするのは、「東大」より「京大」の方が上手いかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「深夜特急」の頃から沢木耕太郎が好きだ。

2007年07月23日 | 本・雑誌・漫画
オリンピアナチスの森で (集英社文庫 さ 29-7)
沢木 耕太郎
集英社

このアイテムの詳細を見る

内容(「MARC」データベースより)
1936年夏、ヒトラーの威信をかけて開催されたベルリンオリンピック。その「民族の祭典」の真実の姿とは。記録映画「オリンピア」の監督レニ・リーフェンシュタールをはじめ、日本人選手等の証言から探求する。

世界は「使われなかった人生」であふれてる
沢木 耕太郎
幻冬舎

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp
「使われなかった人生」とは何だろう。それは、いまここにある自分の人生でなく、もう1つの可能性として「ありえたかもしれない人生」にほぼ等しい。しかし、それら2つの言葉の間には微妙な違いがある。「ありえたかもしれない人生」には手の届かない夢といった意味合いがあるが、「使われなかった人生」には具体的で実現可能な人生という意味が込められていると、著者は言う。ほんのちょっとした決断や選択で、手に入れられなかった人生。
著者は、歳をとるにしたがって、いつの間にかそんな「使われなかった人生」を映画の中に探し求めるようになったという。ここに収められた30編の映画時評と映画にまつわるエッセイ2編では、いわゆる強くて格好いいヒーローやヒロインが主人公の映画は取り上げられていない。

スクリーンを見つめる著者の目に留まるのは、目の前にいる少年の才能にかつての自分を投影した中年女性であり(「出発するための裏切り」)、異国の町で自らを覆っていた殻を破った女性であり(「天使が砂漠に舞い降りた」「父に焦がれて」)、かつて恋心を抱いた女性と再会した初老の男(「飛び立つ鳩を見送って」)であったりする。彼らにとって、「使われなかった人生」は未来と同じ重みを持っている。著者は、そんな彼らを静かに見つめている。ときに冷静すぎるほどの抑制された筆致をもって。(文月 達)

深夜特急〈1〉香港・マカオ
沢木 耕太郎
新潮社

このアイテムの詳細を見る

内容(「BOOK」データベースより)
インドのデリーからイギリスのロンドンまで、乗合いバスで行く―。ある日そう思い立った26歳の〈私〉は、仕事をすべて投げ出して旅に出た。途中立ち寄った香港では、街の熱気に酔い痴れて、思わぬ長居をしてしまう。マカオでは、「大小」というサイコロ博奕に魅せられ、あわや…。1年以上にわたるユーラシア放浪が、今始まった。いざ、遠路2万キロ彼方のロンドンへ。


「こだわり」が好きなのかもしれない。それと「人に対する、愛を持った目」。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風14号の名前【マンニィ】ってどんな意味???

2007年07月23日 | エッセイ・日記・意見
【マンニィ】ってなんの名前なのか・・・ちょっとだけ調べてみました。

Man-yi 【マンニィ】海峡の名前 だそうで、
今回は名付け親が香港だそうです。 2007年 台風14号

こんなのもありました。2006年に発生した台風14号の名前は
Yagi ヤギ やぎ座のヤギから命名
日本が名付け親だそうで。。。
ヤギ台風ねぇーーなんか笑えるけど・・・。

アジア14カ国の地域と国が命名するようですよ。


詳しくは→http://ysuburin.exblog.jp/5789226/

http://gero2.blogspot.com/2007/07/blog-post_17.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「高田がん」という候補者が必ず選挙に出て、落選していた昔。

2007年07月23日 | エッセイ・日記・意見
高田 がん(高田 巌・たかだ・がん、1930年5月23日- )は日本の政治運動家。政治団体「反共全国遊説隊」隊長、もと中学代用教員、参議院比例代表研究家。右翼主義者。


概要
幼くして父を亡くした事もあり、学生時代から自立心は強く、また生来の気性の激しさもあり、やんちゃであった。
弱冠17歳にして、敗戦直後の中学校代用教員となり、その後も人生・法律相談や、日雇労働まで多彩な職に就き、敗戦直後の動乱の国家を見つめる。
昭和38年4月の統一地方選挙の目玉の一つであった東京都知事選挙に、「誇り高き選挙屋」で名高い肥後亨グループ公認で立候補したのを皮切りに、選挙闘争を展開。
肥後亨の病死後は、政治団体「反共全国遊説隊」を結成。隊長として、日本全国の知事選や大阪市長選や参院地方選挙に次々と出馬。
当初は右翼・民族派・天皇主義的政見が際立ったが、「泡沫候補の高田がん」という名前が全国に浸透した1970年代以降は、歯切れのよい言葉を並べた選挙公報と、マシンガンのような独特のダミ声の立会い演説で注目されるようになる。本人も、新聞の候補者紹介の中で「演説は赤尾敏より上だ」と断言していたほどである。
ちょうどこの頃は、NHKなどの政見放送がラジオからTVに切り替わった時期で、政治家たちは、自らに向けられるカメラに緊張し、歯切れの悪い放送も目立ったが、高田がんはテンポ良く、トチる事もなく一発でTV政見放送収録に望んだ。
また、子煩悩でも知られ、高田がんの立会演説会会場には、彼の子供達がズラリ一列に並ぶ事もあった。


もう77歳になられたんだ。懐かしい記憶・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本のトイレ

2007年07月23日 | エッセイ・日記・意見
日本の便所は大きく分けて3つに分類される。そのうち最も古くからあるものはしゃがんで用を足すもので、和式(わしき)と呼ばれる。第二次世界大戦後には西ヨーロッパから座って用を足す便器(洋式(ようしき)と呼ばれている)や男性用小便器が輸入され、一般的になった。

また、これらの便器には、それぞれ水が流れるタイプと流れないタイプがあり、大便器に関しては水が流れるものは水洗式便所、流れないものは汲み取り式便所(ボットン便所)と呼ばれる。

歴史

日本の古い便所日本人が便所を使い始めた正確な時期は不明であるが、古くから便所と見られる構造が遺跡によって見ることができる。考古学で糞石調査がおこなわれ、各時代人の食性調査が判明してきている。

弥生時代の遺跡には下水道のような構造が見られることから遅くともこの辺りには便所を造り使われ始めていたとされる。

平安貴族は樋箱というおまるを使用していた。また 平安時代の草紙などには野外で糞便する光景が描かれているように庶民には便所というものがなかった。後に穴を掘って作る汲み取り式便所は建設が簡単であり、長い間主流であった。また排泄物を目視して健康状態を確認することが難しいことから、皇族や高い地位にある身分の高い武士の用いる便所は引き出し式になっており、下で健康を管理する者が確認できるようになっていた。

江戸時代においては、農村部で大小便(し尿)を農作物を栽培する際の肥料としても使うようになり、高価で取引されるようになった。そこで江戸、京都、大阪など人口集積地の共同住宅である長屋などでは、共同便所が作られ収集し商売するものがあらわれた。

農村部では、居住空間である母屋とは別に、独立して便所が建てられる(母屋には便所はないので、一度外へ出ないと便所に行けない)形態が戦後まで行われていた。 また、琉球王国(沖縄県)など琉球諸島においては中国と同じ方式の便所の穴の下でシマブタを飼い、餌として直接供給する構造も存在した。

農業へのし尿の利用は、日本を占領した連合国軍のアメリカ軍兵士により持ち込まれたサラダ等野菜の生食の習慣のため、回虫など寄生虫感染防止という衛生上の理由が生じた事や化学肥料など他の肥料の普及などから利用価値が低下し高度経済成長期には取引は行われなくなった。そのため、汲み取ったし尿は周辺の海域に投棄されることが多かったが、国際条約によってし尿の海洋投棄が禁止されることになり、下水道の整備や浄化槽の設置に対する補助金制度の拡充などの施策が進められている。

下水道に関しては、最古の下水が弥生時代より建造されており、これらは便所の排水の役割を果たしていたものと考えられている。安土桃山時代には豊臣秀吉によって太閤下水と呼ばれる設備が大阪城付近に造られ、現在でも使用されている。1884年に江戸(現在の東京都)の神田ではレンガや陶器を使用した設備が造られたが、1923年の関東大震災で壊滅的な被害を受けた。その後全国で下水道の整備が進められるようになり、2000年の地点では日本の人口の約60パーセントに普及している。まだ普及していない地域においては浄化槽の設置に補助金を出しているところもある。


トイレットペーパー

奈良時代に使われていた木の棒現在では排便後には一般的にトイレットペーパーと呼ばれる紙が使われているが、古くは直接手で拭いていたか植物の葉や海草などを使用しており、奈良時代に入ってから細い木の棒が使われるようになった。その後江戸時代までに「ちり紙」と呼ばれる紙が使用されるようになった。現在、日本の便所では個室にホルダーがついており、そこにロール状のものが備えつけてある場合が最も多い。


呼称
日本においては古くは「はばかり」や「雪隠」「厠(かわや)」「手水(ちょうず)」などと呼ばれていたが、昭和以降は「お手洗い」「化粧室」と言い替えたり、外国語(あるいは和製英語)を使い「トイレ」「W.C」「ラバトリー」などと表記したりするようになった。また今日では公衆便所において男女を示すピクトグラムのみで表したりすることが多い。

今日でも様々な形で呼ばれているが、そのなかでも「トイレ」と呼ばれる場面が最も多く、広い場面で使用することができる。トイレという単語は英語のトイレット (toilet) の略であり、「化粧室」といった意味合いを持っている。現在日本語で使用される「化粧室」といった呼称もここからきてるとされる。


便器の種類

和式水洗便所
和式
和式の便器は日本に古くからある。特に陶器で作られるようになったことからスリッパのような形をしていて、先端の丸みを帯びた突起部分は「金隠し」と呼ばれる。足を便器の左右にそれぞれ平行に置き、便座がないためそのまましゃがんだ姿勢で用を足す。古いものは穴の開いた汲み取り式のものが一般的であり、定期的にバキュームカーに汲み取ってもらう必要があったが、水洗式のものが開発されてから汲み取り式のものは激減した。

汲み取り式の場合、汚物が真下の便槽に筒抜けになっており、汚物の臭いで便所が臭くなるため、便器の穴に蓋をしたり排気口を作ってファンによって屋外へ送風するなどの対策が取られる場合がある。また古くから怪談話にも用いられ、便器の穴から手が出てきたり穴の中に人がいたりといった話などがよく知られる。

便器は床面に直接設置されるのが普通であるが、駅などでは30cm程度の高さの台の上に設置する場合もある。後者は男性が立ったままで小用を足しやすくすることを意図している。

洋式と比べた場合の和式の利点としては、清掃が容易、設置費用が安い、便が1次的に溜まる槽を浅く作ってあるので排便時に水が跳ねにくい、1回ごとの洗浄水の必要量が少ない、便座への接触がないため清潔な印象を与える(ただし洋式の該当箇所も参照)といった点がある。しゃがみこむ姿勢は骨盤底筋群の発達を促し、特に高齢女性にとっては尿漏れを予防できる、背筋を直立させる姿勢のため直腸からの便の排出がしやすい、痔瘻・痔核(いわゆる「ぢ」)にも優しい、とする意見もある。一般論として、しゃがみこむ姿勢は膝の運動になるともいえる。

和式の欠点として、便が1次的に溜まる槽を浅く作ってあるために悪臭が強いことがある(この悪臭は小用レバーを使って便を早めに2次槽に落とすことである程度は軽減できる)。温水洗浄便座との相性が悪く、洋式との組み合わせに比べて普及していない、ともいわれる。また完全に便器を埋め込んでしまうため、詰まりが発生してその障害が除去できない場合、便器を取り壊して撤去しなければならず、その間便所は使用不可能となり、多額の費用もかかる。

不慣れな外国人旅行者向けのアドバイスとしては次のものがある(Wikipedia英語版より)。

用便中および用便後に立ち上がるときにバランスを崩しやすい。不安がある場合は備え付けの手すり、または右上写真のような配水管(俗称grunt bar、ただし十分な強度がある場合に限る)につかまるといい。
腰から下の衣服をすべて脱げばバランスを維持しやすい。公共トイレでは上着や手荷物を掛けるためのフックが個室内にあることが多く、ズボン等を吊るすのに使える。
女性のストッキングは大腿までの高さのものが推奨される。腰まで覆う、いわゆるパンストは取り回しに不便を伴う。


洋式

温水洗浄便座のリモコン制御盤洋式便器と男性用小便器は20世紀になってから日本に登場し、アメリカ軍(GHQ)の占領していた頃に劇的に日本各地に広まった。1977年には洋式便器の販売が和式便器の販売数を超え、スイスやアメリカにあったビデ付の便器を東陶機器(現・TOTO)が取り入れ、拡張機能を加えた温水洗浄便座として「ウォシュレット」のブランド名で販売して以来さまざまな会社が製造するようになった。

一般家庭においては便所の大半が洋式になっており、近年では温水洗浄便座が増えている。一方、公共施設内の便所や公衆便所などにおいては和式のみ、あるいは和式と洋式を併設している場合が多い。これは、和式便所は清掃が簡単である上、洋式便所では便座に直接肌を密着させなければならず、多人数で共用される便所では不潔感を与えるためである。ただし、洋式便所の便座が現実的な衛生上の問題を引き起こすことはない。

また万一便器内に詰まりが発生して簡単に取れなくなっても給水管と床面に取り付けられているネジをはずすことで便器そのものを取り外せるため、便器を交換するほどの作業になることはまれである。


男性用小便器

JRタワー(札幌市)の男性用展望トイレ男性用小便器は前述のように20世紀に入ってから日本に登場したが、それまでは男性の場合でも大便器を使用して小便を行ったり、屋外で立小便という名称で立ったまま小便が行われていたりしていた。なお、立小便は現在でも行われているが、これは日本に限った話ではなく、ベルギーの小便小僧に見られるように、世界各地で行われていることである。

男性用小便器が設置されている空間は仕切りで区切ってない場合が多く、同じ広さの空間でも設置台数を多くすることができる。この小便器の影響で男性は大便器を使用することがあまりないため、学校などの便所においては大便を行いにくいといった感情も一部である。

また近年においては、用が終わった後に自動的に洗浄水が流れる赤外線センサー付きの便器も高級機として登場している。



さまざまな便所

公衆便所
現在日本では公衆便所は大型小売店(百貨店、スーパーマーケットなど)、公園、公共施設、鉄道駅など様々な場所にあり、数も多いため容易に見つけることができる。日本の公衆便所の密度は国際的に見た場合非常に高く、充実しているといえる。公衆便所は男性用、女性用のふたつの空間が準備されていることが多いが、1990年代よりバリアフリーの観点から高齢者や車椅子の人にも配慮した広い空間の便所が別に造られるようになってきている。

公衆便所は不特定多数の人間が使用するため、様々な問題が発生することがある。公衆便所は汚れるのが非常に早いため、掃除が重要になってくる。このことから、専門の清掃業者を雇って掃除を行っている場合もあり、消耗品などと共に維持に費用が掛かる。また一部の公園などのトイレでは長期間掃除が行われていないために不潔であったり、落書きなどで汚されている場合などもあり公衆便所が存在していても利用し辛い場合もある。また、公衆便所は時に未成年の喫煙の場になったり、個室にカメラなどを設置して盗撮や覗きを行う者もいるほか、強姦が起こることもあるなど犯罪の場になることもある。


簡易便所
建設現場やイベント会場、山頂といった場所や、災害時の避難所などには電話ボックスほどの四角い小さな簡易の便所が設置されることがある。これは排泄物を溜めるタンクが下に存在していることから、汲み取り式便所とよく似た原理であったりするが、近年では水洗式のものもある。また、「携帯便所」と呼ばれる使い捨ての携帯製品も存在し、非常用として使われる。


便器のシェア
日本の便器はTOTO、INAXの2社による製造(伝統的な焼き物産業)が大半を占め、ジャニス工業、アサヒ衛陶、ネポンなどがこれに続いている。そのなかでも最もシェアが高いのは約50%のシェアを持つ東陶機器であり、約25%を持つINAXがこれに続く。便器は重く嵩張るため、製造コストが安い中国などの発展途上国からの輸送では引き合わず日本市場はほぼ国内メーカーで占められ、将来的にもこの傾向は変わらないとみられている。同様の理由で日本の便器が輸出されることもなく、需要地での海外生産が主なものとなっている。日本の便器メーカーは海外でも積極的に販売を行っており、最も日本のメーカーの便器が販売される国は中国であり、東陶機器だけで毎年100万台以上販売される。

近年では、温水洗浄便座の普及により松下電器、東芝、日立アプライアンス等、家電品メーカーの参入が盛んであるが、焼き物の製造は出来ず「便座」部分への参入に留まっている。逆に便器のトップシェア2社は、エレクトロニクス制御技術では家電品メーカーに水を空けられており温水洗浄便座では苦戦している。

特に温水洗浄便座における世界のシェアは大部分は日本の企業である。日本の家庭での温水洗浄便座は1980年に開発され、1990年頃には家庭の10%ほどにしか普及していなかったが2002年には50%以上に普及した。日本では便所の近くにコンセントがあることから温水洗浄便座の普及が進んだが、アメリカやヨーロッパなどではコンセントが便所に無い場合が多いので今のところあまり普及は進んでいない。



最近、「和式トイレ」が減ったなぁ~という感じない?特に、うちの会社のビルは、外資が入っているので、オフィスのトイレは全て洋式。但し、料理店のあるフロアーのトイレは「洋式」と「和式」があるが、「洋式」が埋まっている事が多い。昔、バスケットボール部にいて、練習後、「和式トイレ」に入り、足を攣りそうになった事があった。それに、なんとなく、自宅で「洋式」になれているので、今は「和式トイレ」には抵抗感がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「超急カーブ」という路面の表示ができた。

2007年07月23日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
“超”急カーブは、苦肉の“超”法規策

2006年5月3日
若者言葉で“チョー”で急カーブの事故防止と話題になった東京都檜原村の道路標示は、「急カーブ」表示に、さらに「超」をつけた事故防止苦肉の策であることが、関係者の話でわかった。

表示地点は3月12日の夕方、16歳少年がセンターラインオーバーで乗用車と正面衝突した死亡事故現場だった。

当初は道路表示そのものがなく、事故後「急カーブ」の文字が表示された。しかし、急カーブでは注意効果が足りないと、現場を管理する警視庁五日市警察が東京都西多摩建設事務所に要請。「超急カーブ」の路面表示が登場した。

表示は17日午前、同村役場近くの交差点から約200メートルの檜原街道(主要地方道33号線)上の急カーブ上下車線と、事故現場手前100メートルの3カ所に、横1メートル、縦3メートルの「超」の白塗料で書かれた。

本来、道路標示は道路標識令によって規定され、その中にない「超急カーブ」という表示は法定外のもの。表示現場は半径30mの急カーブではあるが、同様のカーブは檜原街道周辺には数多く存在する。

「安全のためになればと踏み切ったが、若者言葉でチョーが使われていることなど、ぜんぜん考えていなかった」(同事務所補修課・中山哲課長)。

“超”法規的表示で、予想外の効果を得たいところだ。
《中島みなみ》
こちらのHPより引用→http://response.jp/issue/2006/0503/article81728_1.html


かなり、議論にはなったらしいが、効果がでるといいなぁ~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする