テレビドラマ「ケンちゃん」シリーズのパパ役で知られ、ボランティア活動にも熱心に取り組んでいた俳優の牟田悌三(むた・ていぞう)さんが8日午後11時33分、東京都世田谷区の病院で死去した。80歳だった。東京都出身。自宅は東京都世田谷区深沢8の13の32。葬儀の日取り、喪主は未定。
北海道大在学中から俳優活動を始め、温かみのある脇役としてテレビや映画、舞台で幅広く活躍。その傍ら、子供の悩みを聞く電話相談「チャイルドライン」の開設に尽力し、全国に広げた。中央教育審議会専門委員も務めた。
8日夜、自宅で倒れているのを家族が見つけたといい、死因は不明。昨年8月放送のNHKドラマ「帽子」が、俳優として最後の出演作となった。(了)
(時事通信より引用)
すし屋のケンちゃん
宮脇 健(みやわき けん、本名・宮脇 康之(みやわき やすゆき)、1961年6月13日 - )は東京都出身の俳優。子役時代は「ケンちゃん」としてお茶の間の人気者だった。 旧芸名は、本名の宮脇康之。
経歴
1964年 、山田洋次監督の映画『運がよけりゃ』で芸能界デビュー。
1966年 、テレビドラマ『チャコねえちゃん』(四方晴美主演)に出演。以後1976年の『フルーツケンちゃん』までケンちゃんシリーズに出演。しかし、テレビでの活躍とは裏腹に家庭の崩壊、兄の自殺未遂、そして保証人になったことによる多額の借金と苦難に満ちた人生を送った。
1980年 、テレビドラマで共演した三原順子との交際が芸能誌に報じられる。
1982年、子役からの脱却を目的ににっかつロマンポルノ『マル本噂のストリッパー』に出演。その後は、結城哲也に弟子入りしてチャンバラトリオの付き人を務めたり(その際、吉本新喜劇にもチョイ役で出演)、沖縄ローカルのタレント活動をするなどしたが、芸能の仕事が途絶える状態となる。
1990年、豊川誕らと共にロックバンド『豊川誕とケンちゃんバンド』を結成した。
1996年に結婚。
1997年、子役時代の家庭崩壊などの内情を綴った『名子役の虚構 ケンちゃんの真実』を出版し話題となる。この頃はガス検針の仕事をしながら、「あの人は今」といった企画の常連となり、芸能界復帰への意欲を語る。
2000年、芸名を宮脇健に改名。
2004年1月、自叙伝『ケンちゃんの101回信じてよかった』(講談社)を発表。2007年現在は2001年から始めた還元水生成器ビジネスで成功を収め、講演活動で全国をまわる傍ら、芸能活動も行っている。
出演作品
テレビドラマ
『チャコねえちゃん』(1967年4月6日~1968年3月28日放送)
『チャコとケンちゃん』(1968年4月4日~1969年3月27日放送・全52話)
ケンちゃんシリーズ
『ジャンケンケンちゃん』(1969年4月3日~1970年2月26日放送)
『ケンちゃんトコちゃん』(1970年3月5日~1971年3月4日放送)
『すし屋のケンちゃん』(1971年3月11日~1972年3月2日放送・全52話)
『ケーキ屋ケンちゃん』(1972年3月9日~1973年3月1日放送・全52話)
『まんまる四角』(京マチ子主演 1973年1.5~6.29 全26回)
『おもちゃ屋ケンちゃん』(1973年3月8日~1974年2月28日放送)
『ケンにいちゃん』(1974年3月7日~1975年2月27日放送・全52話)
『おそば屋ケンちゃん』(1975年3月6日~1976年2月26日放送・全52話)
『フルーツケンちゃん』(1976年3月4日~1977年2月24日放送・全52話)
『刑事犬カール』(1977年9月12日~1978年6月5日放送)(以上東京放送)
『ナッキーはつむじ風』(1978年10月11日~1980年3月12日放送、東京放送)
『翔んだカップル』(1980年10月3日~1981年4月10日放送、フジテレビ)
『ときめき十字星』(1980年10月6日~1981年3月3日放送、東京12チャンネル)
『愛LOVEナッキー』(1980年3月19日~1980年10月29日放送、東京放送)
『GOGO! チアガール』(1980年11月5日~1981年10月21日放送、東京放送)
映画
『チャコとケンちゃん』(1969年3月18日公開、東映)
『おもちゃ屋ケンちゃん よそではいい子』(1973年8月1日公開、東映)
『お嫁にゆきます』(1978年7月22日公開、東宝)
『大恐竜時代』(アニメ) (1979年10月7日公開、日本テレビ)
『(本)噂のストリッパー』(1982年9月15日公開、日活)
『銀玉マサやん』(1992年12月12日公開、竜企画)
オリジナルビデオ
『銀玉マサやん 琉球パチンコ決戦』(1993年9月17日発売、ポニーキャニオン)
『Zero WOMAN 危ない遊戯(ゲーム)』(1998年5月1日発売、マグザム)
『闇の天使 DREAM ANGEL』(2001年発売)
テレビ番組
『ビバ!フィッシング』(司会、東京12チャンネル)
『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(出場者、日本テレビ)
著書
『名子役の虚構 ケンちゃんの真実』バラス、1997年
『ケンちゃんの101回信じてよかった』講談社、2004年 - ISBN 406212226X
エピソード
こぼれ話
自叙伝で宮脇は次のように述べている。
「ドラマの中では、宮脇康之でいる事は許されなかった。ケンちゃんにならなければならず、必ず半ズボンを穿いていなければならなかった。6年生にもなったら、半ズボンがたまらなく嫌になり、やめさせてくれなければ役を下りるとプロデューサーに申し入れたら、聞き入れてくれたが、その代わりケンちゃん役は下ろされ、たまに登場するだけの中学生のお兄さん役に回された。」
当時、子どもの象徴としていかに大人が小学生に半ズボンを押し付けていたかをよく物語る逸話だが、このエピソードは必ずしも事実と同じものではない。宮脇康之は中学校卒業までケンちゃんを演じていたからである。
後年の自叙伝「ケンちゃんの101回信じてよかった」では、冬に夏の海水浴シーンを演じさせられることなどの苦労が書かれている。
「ケンちゃんの101回信じてよかった」では、自身が大人の俳優となれなかった主因を、高校生のとき俳優になるための勉強を怠り大金を使って遊んでいたためと、自らの責任としている。しかし、一方では1980年代におけるTBSなどの扱いに関する不満(1982年以降、テレビ局に行っても仕事の話をしようともしなかったこと)も正直に述べている。
ケンちゃん役を降板した後3年ほどは大いに仕事があったが、その後は仕事はほとんどなくなった。原因の一つは三原じゅん子との熱愛疑惑とされる(自叙伝「ケンちゃんの101回信じてよかった」より)。しかしこれについては20年後いつみても波瀾万丈の三原じゅん子の回で、三原本人の口から「熱愛報道は宮脇さんの事務所の意向ではなかったか」と踏み込んだ発言があった(この番組はゲスト芸能人の自叙伝的番組であり、個々のスキャンダルにゲスト本人がここまで言及するのは異例である)。
一方で宮脇は、近年この件に関して「真剣に交際していたが、ある日彼女(三原)から沖田浩之を紹介され『私はこの人と付き合うことになった』と一方的に別れを告げられてしまった」「なぜ別れることになったかはいまだに僕も分からない。でも付き合っていたのは事実ですから」といった旨をインタビューで語っている。
俳優としての仕事がなくなってからは、いくつか仕事を転々としている。
四方晴美(チャコちゃん)は元気かなぁ・・・彼女のお母さんは黒澤明監督の『生きる』に出ていた小田切みき。数年前、亡くなられたが。
四方 晴美(よも はるみ、1957年5月19日 - )は、日本の元女優、元子役。東京都大田区田園調布出身。愛称はチャコ。俳優である父・安井昌二、母・小田切みきの娘。二人姉妹の妹で、姉の四方正美も子役出身の俳優であった。
来歴
1962年、映画『僕チン放浪記』にて、主役の少年役でデビュー。1962年、安井昌二、小田切みきと親子で共演したTBSのテレビドラマ『パパの育児手帳』にチャコちゃんとして主演。「チャコちゃんシリーズ」はその後、『チャコちゃん社長』、『チャコちゃんハーイ!』などと5作続く平均24%の視聴率を誇る人気シリーズとなり、さらに「ケンちゃんシリーズ」に引き継がれた。ケンちゃんは宮脇康之(のちに宮脇健)が演じた。
1971年に『金メダルへのターン』、1974年に『高校教師』に出演し、1975年に引退を宣言。母親の経営する小料理屋を手伝っていたが、1979年に一時復帰。80年代に入り再度引退した。引退の理由は、グラビアアイドルとしてプレイボーイに登場したところ、当時交際していた男性に「ファンレターなどがたくさん来て、仕事が忙しくなったらどうするんだ」と問われ、それなら芸能界を辞めると決断したためである。現在はファーストフード店の店長をしている。
主な出演作品
映画
僕チン放浪記(1962年、大槻義一監督)
チャコとケンちゃん(1969年、窪川健造監督)
卒業旅行 Little Adventure(1973年、出目昌伸監督)
テレビドラマ
榎物語(1962年3月、TBS)
パパの育児手帳(1962年10月-1963年5月、TBS)
チャコちゃん社長(1964年7月-10月、TBS)- 主演
チャコちゃんハーイ!(1965年2月-1966年1月、TBS)- 主演
チャコちゃん(1966年2月-1967年3月、TBS)- 主演
チャコねえちゃん(1967年4月-1968年3月、TBS)- 主演
チャコとケンちゃん(1968年4月-1969年3月、TBS)- 主演
渥美清の父ちゃんがゆく(1969年4-6月、フジテレビ)
金メダルへのターン(1971年、フジテレビ)
朝の連続テレビ小説「繭子ひとり」(1971年、NHK)
高校教師(1974年、東京12チャンネル)
ザ・サスペンス「もう一人の乗客」(1982年、TBS)
http://www.geocities.jp/kindanhm/ken.html