映画俳優池部良志村 三代子,弓桁 あやワイズ出版このアイテムの詳細を見る |
池部 良(いけべ りょう、公称1918年2月11日-)は俳優、随筆家。芸術家の岡本太郎は従兄弟、安倍晋三元首相は遠縁にあたる。
人物・来歴
風刺・風俗漫画家として一世を風靡した池部鈞の息子として、東京市大森区に生まれ、立教大学英文科に入るも、映画監督になるのを夢見て、在学中の1940年に東宝撮影所のシナリオ研究所に研究生として入る。1941年、大学卒業と同時にシナリオ研究所を卒業し、東宝に入社する。監督希望だったが、助監督の空きがなかったところ、島津保次郎監督に請われて、『闘魚』に脇役で出演する。それが好評となり、知的でスマートな若手俳優のホープとして目されたが、1942年の『緑の大地』のクランク・アップの翌日に召集され、中国山東省に派遣される。大学卒ということで士官試験を薦められるが、任期が長くなる(当時、兵隊のままだと任期は2年の予定とされていた)ため断る。しかし上官に無理やり受けさせられ白紙で答案を提出したにも関わらず、下士官候補生にされ、きびしい訓練を受け少尉となる。1944年に南方戦線に移動される。途中、輸送船が撃沈され、命からがらハルマヘラ島に上陸し九死に一生を得る。その後は衛生中隊を任され終戦まで戦い、終戦時の階級は中尉だった。
1946年6月まで抑留され、南方から苦労して日本に帰る。俳優を続けるかどうか決めかねていたが、東宝に熱心に請われ俳優に戻る。長身(174cm)と美貌を生かして、次々と主演作をヒットさせる。特に1949年の石坂洋次郎原作の『青い山脈』は、戦後の自由な雰囲気を象徴する映画として大ヒットし、彼のさわやかな演技もそれにふさわしいものだった。その後も、青春スターの第一人者として活躍を続けた。その後は1950年に新東宝の『暁の脱走』、1952年に松竹の『現代人』と他社の作品にも出演。特に『現代人』では池部がそれまでの二枚目スターから演技派俳優として最初に認められるようになった作品であった。
『坊っちゃん』(1953年、岡田茉莉子共演、丸山誠治監督)、『雪国』(1957年、岸惠子共演、豊田四郎監督、『暗夜行路』(1959年、山本富士子共演、豊田四郎監督)などの多くの文芸作品で翳のある青年を好演し、文芸路線や都会派映画に欠かせない二枚目スターとして君臨した。
1955年9月、池部プロダクションを設立。自ら映画を企画し、ストーリーを書くようになる。
1960年代に入ると、徐々に脇役に転じたが、1964年に主演した松竹『乾いた花』でのヤクザ役が評判となる。
1965年、映画俳優(石原裕次郎、里見浩太郎、山城新伍ら)が暴力団のために拳銃を密輸していた事が明るみに出た。警察庁は芸能興行関係者に暴力団との腐れ縁を絶てと強い調子で警告。同年2月22日、映画俳優協会代表理事であった池部は映画俳優と暴力団との完全絶縁を表明した。
同年、『乾いた花』を観た東映プロデューサー俊藤浩滋よりヤクザ映画の出演を頼まれるが、映画俳優協会代表理事であることからそれを断る。しかし俊藤の再三の丁重な申し出に「ポスターに名前や写真を出すときは小さくすること、刺青は入れないこと、毎回死ぬこと」を条件に引き受ける。準主演した『昭和残侠伝シリーズ』(高倉健主演、佐伯清監督他、1965~1972)は大ヒットし、味のある演技で新境地を開いた。
1990年代に入ると、俳優活動を控えるようになり、文筆業が中心となる。1991年、『そよ風ときにはつむじ風』で「日本文芸大賞」を受賞する。
2007年、『映画俳優 池部良』が出版される。2007年2月、東京池袋の新文芸座のトークショーにて、その本の編集者から「青い山脈の時に31歳でしたが…」と池部が質問され、実は1916年生まれで当時33歳なのに『青い山脈』の18歳の高校生の役を渋々受けたことや原節子先輩からガリガリに痩せていたため「豆モヤシ」という迷惑なあだ名をつけられたり、原節子の尻をデカイと本人の目の前で口を滑らせたために 張り手を食らいそうになったりといったエピソードを話している。
出演作品
映画
闘魚(1941年)
四つの恋の物語(1947年)
青い山脈(1949年)
暁の脱走(1950年)
石中先生行状記(1950年)
現代人(1952年)
丘は花ざかり(1952年)
さらばラバウル(1954年)
不滅の熱球(1955年)
大番頭小番頭(1955年)
早春(1956年)
乱菊物語(1956年)
脱獄囚(1957年)
雪国(1957年)
重役の椅子(1958年)
美しき哀愁 アンコールワット物語(1958年) - カンボジアロケ作品
東京の休日(1958年)
潜水艦イ-57降伏せず(1959年)
暗夜行路(1959年)
宇宙大戦争(1959年)
ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年)
トイレット部長(1961年)
妖星ゴラス(1962年)
太平洋の翼(1963年)
青島要塞爆撃命令(1963年)
乾いた花(1964年)
昭和残侠伝シリーズ
昭和残侠伝(1965年)
昭和残侠伝 唐獅子牡丹(1966年)
昭和残侠伝 一匹狼(1966年)
昭和残侠伝 血染めの唐獅子(1967年)
昭和残侠伝 唐獅子仁義(1969年)
昭和残侠伝 人斬り唐獅子(1969年)
昭和残侠伝 死んで貰います(1970年)
昭和残侠伝 吼えろ唐獅子(1971年)
昭和残侠伝 破れ傘(1972年)
けものみち(1965年)
男度胸で勝負する(1966年)
人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊(1968年)
激動の昭和史 沖縄決戦(1972年)大田實中将
日陰者(1972年)
あゝ決戦航空隊(1974年)
直撃!地獄拳(1974年)
直撃地獄拳 大逆転(1974年)
君よ憤怒の河を渉れ(1976年)
惑星大戦争(1977年)
多羅尾伴内(1978年)
冬の華(1978年)
海潮音(1980年)
駅 STATION(1981年)
居酒屋兆治(1983年)
小説吉田学校(1983年)
海へ See You(1988年)
青い山脈'88(1988年)
テレビ
風(1967年-1968年 TBS・松竹)水野忠邦役
華麗なる一族(1974年 - 1975年) 三雲祥一役
江戸の旋風(1975年、CX系)
娘の結婚(1976年)
男たちの旅路(1976年 - 1982年)
横溝正史シリーズ・仮面劇場(1978年)
骨肉の森(1981年)
京都マル秘指令 ザ新選組(1984年)
山河燃ゆ(1984年)
私鉄沿線97分署(1984年 - 1986年)
花嫁人形は眠らない(1986年)
独眼竜政宗(1987年) 千利休役
アイラブユーから始めよう(1989年)
火曜サスペンス劇場「薔薇色の罠」(1989年9月)
春を待つ家(1990年)
碧空のタンゴ(2001年)
夏の日の恋(2002年)
朝まで生テレビ(2005年)
池部良さんのエッセイは上手い。
心残りは… (文春文庫)池部 良文藝春秋このアイテムの詳細を見る |
出版社/著者からの内容紹介
今だから話せる、あんなこと、こんなこと……
三船敏郎、山本富士子、山口淑子、黒澤明、木下恵介……邦画黄金期の大スターが触れあった名優、名監督との面白おかしい映画界裏話
内容(「BOOK」データベースより)
黒沢明、木下恵介、小津安二郎、岡本喜八などの名監督の映画に出演し、高峰秀子、山口淑子、山本富士子などの美人女優、三船敏郎、高倉健などの男優と共演、日本映画界の黄金時代を築いてきた著者が、笑いあり、ハプニングありの名作映画の舞台裏と映画人たちの意外な素顔を語る。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
池部 良
1918年東京大森生まれ。映画俳優・エッセイスト。1941年立教大学文学部英文科卒業、と同時に東宝文芸部に入社、島津保次郎に見いだされ、俳優に転向。同年7月「闘魚」で映画デビュー、戦前戦後を通じ二枚目スターとして活躍。代表作に「青い山脈」「暁の脱走」「雪国」「乾いた花」等がある。64年の「乾いた花」のやくざ役で好演。65年から72年まで続いた「昭和残侠伝」シリーズにおける主人公(高倉健)の兄弟分・風間重吉役が当たり役となった。俳優はもとより、名エッセイストとしてもつとに有名。現在も新聞、雑誌にエッセイ、コラムを書き続けている。