お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「雪だるま」が買える郵便局がある!!!!!

2007年12月28日 | エッセイ・日記・意見
詳しくはこちら。いろいろ種類があるから→http://www.kitaiti.com/yumegift/participant/yukidaruma-kai/sub3.html
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ZARD Request Best-beautiful memory

2007年12月28日 | 歌・CD
ZARD Request Best-beautiful memory-
ZARD
株式会社ビーグラム

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ファンの投票によって選ばれた30曲が入ったアルバムが発売される事になった。ファン投票1位の曲は意外にも・・・
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「年明けに入籍」 オダギリジョー、香椎由宇 記者会見一問一答

2007年12月27日 | エッセイ・日記・意見
 俳優のオダギリジョーさん(31)と女優の香椎由宇(かしい・ゆう)さん(20)が27日、結婚することを明らかにして、記者会見を開いた。

(会見場は東京・恵比寿のウェスティンホテル東京。オダギリさんは黒っぽいスーツに白いシャツ、黒ネクタイ。香椎さんは白いブラウスにグレーのパンツルック。2人は、約100人の報道陣の前で、立ったままあいさつした)

 オダギリ「えー、このたび、オダギリジョーと香椎由宇が結婚することになりまして、年の瀬の忙しい時期に私ごとで集まっていただいて、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです。えーと、ぼくも香椎の方もこういう場に慣れていませんし、面白いこともいえないし、ほんとに不慣れなもので…。答えにつまったり、とてもいい笑顔がだせるような2人ではないのですが、お手柔らかにお願いします」

一問一答に

 --映画で共演されて、交際2年以上になりますが、結婚はいつごろ決めたんですか

 オダギリ「つきあった当初から、結婚を前提にしたいという気持ちはあったんで、いつから明確に結婚を決めたというのはないです。結婚してください、といったタイミングはとくにないですが、海外の仕事が増えて日本にいることが少なくなるので、彼女も心配でしょうし、安心させたいという気持ちもあったのかもしれない」

 --プロポーズはいつごろですか

 オダギリ「プロポーズはとくに…。結婚してくれという言葉はなかったと思うんですけど…、まあ、ホントは今の時期、海外にいる予定だったんですが、海外にいく前にご両親に自己紹介をすませていきたいと思ったので、彼女のお父さまにごあいさつをさせていただきたいと」

 --そうなんですか(香椎さんに)

 香椎「親がすごい厳しいので、その親に会ってくれる覚悟ができたのかなということで」

 --それはいつごろ?

 オダギリ「先月とか、この1、2カ月のことで…」

 --入籍はいつになりますか?

 オダギリ「2人のスケジュールのタイミングを考えて、年が明けていい日に。ぼくが日本にいる時期がわからないので、そこが未定なんです」

--お会いになったとき、お父さんの反応はどうでしたか

 オダギリ「ご理解していただいたと思う」

 --プロポーズだとおわかりになった

 オダギリ「と思います」

 --何回会ったんですか

 オダギリ「2回です」

 --お嬢さんをくださいと

 オダギリ「そういうことです」

 --香椎さん、そのときは

 香椎「すごいうれしかった」

 -そのときオダギリさんはどんなようすでしたか

(2人で顔を見合わせる)

 香椎「すごい緊張してました。ふだんあまりしゃべらない父もよくしゃべってました。父もうれしかったんだと思う。最初のころは正直、そんなこと(結婚)は考えてくれてないんじゃないかと思ってました。私は普段テレビをあまりみないので、オダギリさんのこともよく知らなかったんです」

 --オダギリさんはお父さんにどういうあいさつを

 香椎「はっきり覚えていないんですね。私も緊張してました。はじめて彼を家につれていったので」

 --いつごろから結婚しようという気持ちに

 香椎「いつごろかははっきりわからないけど、気づいたら」

 --結婚相手は彼女しかないと思ったポイントは

 オダギリ「そうですね。これはほんとにまあ、普通の考えとはズレたことかもしれませんけど、初めて共演したときから若い女優さんなのに、まわりに媚びることなく、かっこいい子だなと。そういう姿勢が尊敬できると。あまりそういうのは感じたことがなかった」

--年齢差を感じるか

 オダギリ「ぼくは今31なんですが、彼女はしっかりしてるし、十分大人なので年の差を感じたことはありません」

 --どんなおつきあいをしてたんですか。中身は

 オダギリ「中身って…。普通にご飯食べたり、そういうことじゃないですか」

 --特別不自由なことは

 オダギリ「いやあ、まあそれはねえ」

(と芸能リポーターに笑いかけるオダギリに、報道陣からも苦笑いが)

 オダギリ「こういうの(会見など)は一番苦手なので」

 --女優としてかっこいいと思った人を妻にしようと思ったのはなぜ

 オダギリ「妻にしようというよりも、この子と一緒にいられればな、という気持ちでした」

 --香椎さんは

 香椎「ほんとに常に味方でいてくれて、話をちゃんと聞いて理解してくれる」

 --例をあげてください

 香椎「親の話ばかりですが、うちは親がほんとに厳しくて、門限までに帰らなければいけないというのも、ちゃんと守ってくれました」

 --門限は何時

 香椎「10時です」

 --オダギリさん、ものたりないでしょう

(リポーターの下世話なニュアンスに一同爆笑。オダギリも苦笑しつつ)

 オダギリ「ものたりないというよりも、失礼のないように、ちゃんとした形を常にとっておきたかった」

 --オダギリさんとしては、ご両親を意識して大事にしてきたということですか

 オダギリ「そうです」

 --どんな家庭を築きたいですか

 オダギリ「うーん、いやもう普通な」

 --オダギリさんの普通ってわかりにくいんですよ(笑)

 オダギリ「平和な」

 香椎「平和な家庭」

--ケンカすることは

 香椎「ケンカはしたことないですね」

 --料理をつくったことは

 香椎「ないです」

 --オダギリさんが作ってあげたことは

 オダギリ「ないです」

 --2人は誕生日(2月16日)がいっしょですね

 オダギリ「(同じ人は)金正日以来だったので、びっくりしました。ほかにいなかったので」

 香椎「私も彼からいわれるまで気づかなかった」

 --しばらく離ればなれの結婚生活ですね

 オダギリ「そうですね」

 --いま一緒に暮らしていないんですか

 香椎「暮らしてないです」

 --寂しくないですか

 香椎「今までもそうだったので、かわらない」

 --奥さんになるという意識は

 香椎「料理はするようにします」

 --香椎さん、仕事は

 香椎「今までとかわらないです」

 --理想の家庭としてお子さんの数や予定は

 オダギリ「まだ考えてないです」

(リポーターがここぞと追及する)

 --例えばお子さんは何人とか

 オダギリ「一人っ子のよさもあるし、兄弟がいればいるで楽しいでしょうし。そのあたりは話し合って。できるかぎり良き父親、良き夫になれるようにがんばっていきたい」

--どういうのがいい夫でいい父か

 オダギリ「父親として彼女のお父さまにお会いしたときに、彼女への思いとか父親としての考え方とか、いろいろと刺激を受けて勉強になった。いま、ぱっと頭にうかぶ父親像は彼女の父親です」

 --具体的に

 オダギリ「(父親というのは)初めてなんです、義理ではあるけど父親。そういう距離感の人は初めて。刺激的だった」

 --突然の会見の理由は

 オダギリ「ぼくがすぐ正月海外に出るので、早くおわらせたほうがいいなと(笑)」

 --指輪は

 オダギリ「用意できていないんです」

 --2人はどう呼びあってる

 オダギリ「ぼくはふつうに彼女の名前を」

 香椎「名前で」

 --実際の感じで呼んでみてくれませんか

 オダギリ・香椎「……」

(2人とも勘弁してほしいという感じで首をふる。事務所側のスタッフが「そろそろお時間ですので最後の質問にしてください」)

 --ファンのみなさんにメッセージを

 オダギリ「えーと、楽しい顔ができればいいんですけど、ほんとに緊張してます。2人ともまだまだ未熟で、円満な家族をつくれるかまだわからないですけど、お互い俳優として結婚から得るものもあるでしょうし、ぼくらはそれを表現することでお返しになるだろうし、そういう姿をみていただければと思います」

 香椎「なかなか本当のことを言えずにすみませんでした。これからもそんなにかわらない2人だと思うので、よろしくお願いします」

(最後に事務所のスタッフが「オダギリからメッセージがあります」とコメント。2人とも立ち上がって)

 オダギリ「急なことでみなさまに迷惑かけてしまったと思うんですが、本当にこういう報告ができて、皆様にお集まりいただいて、ありがとうございます。これから2人で力をあわせてがんばっていきたいと思います。ありがとうございました」
(産経ニュースより引用)


今日夕方4時半頃、部員の女性が突然悲鳴をあげた。「Yahoo!のトップページ」に「オダギリジョー、香椎由宇と結婚」と出たからである。その後、忘年会に行く途中でも、横を歩いていた女性が携帯電話で、そのニュースを見たらしく、悲鳴をあげていた。どうも香椎由宇は小栗旬と付き合っていると女性達は思っていたらしい。オダギリジョーの存在も女性にとって、大きな事なのだろう。

先日、放送された「コナンドラマ」で香椎由宇は素晴らしい演技をしていた。二人に幸あれ!

名探偵コナンドラマスペシャル「工藤新一の復活!黒の組織との対決」【初回限定盤】

ビーヴィジョン

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内容紹介
黒の組織に毒薬を飲まされ、体が小さくなってしまった高校生探偵の工藤新一は、江戸川コナンと名乗って身を隠し、黒の組織の情報を追っていた。彼の正体を知っているのは阿笠博士(田山涼成)と、同級生の灰原哀だけ。実は哀は黒の組織の一員・宮野志保(香椎由宇)で、新一の体を小さくした毒薬の開発者だった。だが姉を殺され、組織から逃げるため自らその薬を飲み、小学生の哀として身を隠していたのだ。彼女は密かに解毒剤の研究を続けていた。鈴木財閥が新しいホテルを完成させ、その披露記念として「ミス・ジャパネスク受賞祝賀パーティー」を行ない、生中継されることになった。友人である鈴木財閥の娘・園子に招かれたコナンと、新一の同級生で、探偵・毛利小五郎(陣内孝則)の娘・蘭、阿笠博士、哀も招待客として出席していた。そんな中、ミス・ジャパネスクの寿かれんに脅迫状が届く。かれんの姉でマネジャーの美々(西尾まり)は不安を募らせる。不安を覚える蘭は、新一の携帯に助けを求めるメッセージを入れる。一方、会場でケーキを食べたコナンと哀の体に異変が起こる。ケーキには、一時的に体が元に戻るある種のアルコール成分が含まれていたのだ・・・
【初回限定盤】メイキング番組「名探偵コナン ドラマスペシャル 帰ってきた工藤新一」他を収録

内容(「Oricon」データベースより)
日本テレビ系にて放映、青山剛昌原作による大人気探偵アニメ「名探偵コナン」実写版ドラマスペシャル第2弾がDVD化。ミス・ジャパネスク受賞祝賀パーティで、ミス・ジャパネスクに脅迫状が届き、予告どおり殺人が起こる。パーティに出席していたコナンは偶然食べたケーキが原因で一時的に工藤新一の姿に戻り、事件解決に乗り出すが…。出演は小栗旬、黒川智花、香椎由宇ほか。特典ディスクが付いた初回限定版。
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禅―心と体が綺麗になる坐り方

2007年12月26日 | 本・雑誌・漫画
禅―心と体が綺麗になる坐り方
池田書店編集部
池田書店

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内容(「MARC」データベースより)
「ひとり坐禅」「いざ、参禅」「ZEN知識あれこれ」の3章に分けて、豊富なカラー写真やイラストとともに気持ちのいい坐禅を紹介する一冊。禅寺や修行僧についても掲載。座禅のやり方等、部分的に英文解説付き。

食う寝る坐る永平寺修行記 (新潮文庫)
野々村 馨
新潮社

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内容(「BOOK」データベースより)
その日、僕は出家した、彼女と社会を捨てて―。道元が開いた曹洞宗の本山・永平寺。ひとたび山門を潜れば、そこは娑婆とは別世界。東司(トイレ)にも行鉢(食事)にも厳格な作法がある。新入りは、古参僧侶に罵倒され、規矩を徹底的に叩き込まれる。さらに坐禅に日々打ち込んだ末、30歳の著者が会得したものはなにか?雲水として修行した一年を描いた体験的ノンフィクション。

内容(「MARC」データベースより)
自分を探すために、僕は自分を捨ててみた。30歳の時に突然出家し、曹洞宗大本山・永平寺に上山、雲水として一年間の修行生活をした著者が、社会復帰後に語る修行の日常と「捨てきれない僕」との闘いの日々。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
野々村 馨
1959(昭和34)年、神奈川県生れ。在学中から中国、チベットなどアジア各国を旅した。卒業後、デザイン事務所に勤務するが、30歳の時、突然出家し、曹洞宗大本山・永平寺に上山、雲水として1年の修行生活をおくる。その後、再びデザイン事務所に勤務し、その通勤の行き帰り、電車の中で修行記を執筆し始める・・・


最近、僕は「坐禅」や「仏教」に強い興味を持っている。これらが「人間の心」をどう変えていくかに惹かれるからだ。物凄い昔から受け継がれたものには、「真」があると思う。
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誰も書けなかった年金の真実―あなたがもらえなくなる日 by 辛坊 治郎

2007年12月26日 | 本・雑誌・漫画
誰も書けなかった年金の真実―あなたがもらえなくなる日
辛坊 治郎
幻冬舎

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「ズームイン!」のニュース解説、「ウェークアップ!フぷらす」のキャスターを務める著者の「年金」に関する鋭い分析。僕も今の「年金制度」が破綻するのではないかと、対策を考えている。
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た・か・く・ら by 嘉門 達夫

2007年12月26日 | 本・雑誌・漫画
た・か・く・ら
嘉門 達夫
扶桑社

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内容紹介
本書は、人物観察眼の鋭さから「シンガーソングライター界のファーブル」「ギターを持った日本野鳥の会」などと異名をとる嘉門達夫氏が初めて書き下ろす、亡き友に捧げた私小説である。
~あらすじ~
春めいて来たある朝、突然、幼なじみの高倉から電話があった。「オレ、肺がんであと三ヵ月って医者に言われてん。それにしても四十七やで。ちょっと早すぎると思わへんか?」すべての物事を判断する基準が「オモロい」か「オモロない」かだった高倉。とにかくコイツが死ぬまで、オモロくせんとイカンと思った僕は「おえ!高倉、葬式の最後に死んだ本人がビデオで挨拶するってオモロいと思わへんか?」と言うと「おお、オモロいがな!そんなんやってくれんの? やろう! やろう!」と言う事になり・・・・・・。
子供の頃の一大イベント「大阪万博」の想い出とともに綴られる、可笑しくも切ない友情物語。



悲喜劇は書くのが難しい。さすが嘉門達夫さん、上手いこと、書きはった。
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篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝

2007年12月26日 | 本・雑誌・漫画
篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝 [河出文庫 た24-1] (河出文庫 た 24-1)
竹熊 健太郎
河出書房新社

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内容紹介
戦後大衆文化に放たれた、激烈なるエネルギー――
康芳夫(マルチプロデューサー、虚業家)/石原豪人(挿絵画家、画怪人)/川内康範(月光仮面原作者、生涯助ッ人)/糸井貫二(全裸の超・前衛芸術家) 彼らケタ外れの偉人たちを追う伝説のインタビュー集。裏の昭和が熱く妖しくよみがえる。

サブカルチャー総合誌『クイック・ジャパン』創刊当初の名物企画から生まれた名著『篦棒(ベラボー)な人々』、待望の文庫化。 解説=本橋信宏

著者について
1960年、東京生まれ。編集家、漫画原作者、ライター。多摩美術大学非常勤講師。桑沢デザイン研究所非常勤講師。著書に、『サルでも描けるまんが教室』(相原コージと共著)、『私とハルマゲドン』『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』『ゴルゴ13はいつ終わるのか?』、ほか多数。



康芳夫さんとは新宿の文壇バー『風花』で出会った。この人が「アントニオ猪木とモハメッド・アリの異種格闘技選手権」「オリバー君をアメリカから呼んで、日本人女性とセックスさせ、子供を作らせようとした人物だとその時、紹介された。普通の人間では無いオーラを放ちまくっていた。70歳位ではないだろうか。エネルギーあふれる人物・・・というか、怪物に僕は出会えて嬉しかった。
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ボーイズ・オン・ザ・ラン 8

2007年12月26日 | 本・雑誌・漫画
ボーイズ・オン・ザ・ラン 8 (8) (ビッグコミックス)
花沢 健吾
小学館

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いつも買っているコミック。主人公の奮闘と空回りぶりが可笑しくも面白い。
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八木亜希子 in 『明石家サンタ』

2007年12月26日 | テレビ番組
八木亜希子(やぎ あきこ、1965年6月24日 - )とは、共同テレビ所属のフリーアナウンサー。元フジテレビアナウンサー(1988年4月~2000年3月)。静岡県引佐郡三ヶ日町(現在の同県浜松市北区)出身、その後神奈川県へ移住。血液型はO型。


人物
私立横浜雙葉高等学校→早稲田大学第一文学部哲学科心理学専修卒業後、1988年にフジテレビにアナウンサーとして入社。同期の女性アナウンサー(有賀さつき、河野景子)と共に「花の三人娘」と呼ばれ、いわゆる女子アナブームの全盛期を飾った。

また、ドラマ出演やCDデビューなど、アナウンサー以外の活動も話題となったが、2000年3月末に惜しまれつつ退社。

その後半年ほどの充電期間を経て、共同テレビ所属のフリーアナウンサーに。タレント、女優としても活躍し、テレビCM、ドラマ、映画などに出演。2002年10月、大学時代の同級生である会社員と結婚。その後、アメリカのニューヨーク、カリフォルニア州サンノゼに在住し、現在は帰国して神奈川県在住。英語も得意。

明石家さんまとのコンビで人気のクリスマス番組『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』(フジテレビ系、1990年~)は今も健在。

アナウンサーとしてのスタンダードを確立し、以後、彼女を目標とする女性アナウンサーも多い。 温厚でおっとりした口調だが時折出演者を嗜たり鋭い切り口の発言をすることで有名だった。


フリーアナウンサー後の出演
FNS春の祭典2000 - 2000.0405
FNS秋の祭典2000 - 2000.1004
爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル - 2000.12~2002.12
女子アナ。 - 2001.01(第1話ゲスト出演)
TOKYO CONCIERGE (J-WAVE)- 2001.4~2003.3。降板後も、ゲストとして2度出演。
みんなのいえ - 2001年公開(準主役級)
THE 有頂天ホテル - 2006.0114公開(客役)
明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー - 1990.1225~(毎年イブの深夜)
バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 - 2007.0210公開(本人役カメオ出演)
明石家さんちゃんねる- 2007.4~(初の他局(TBS)のレギュラー番組)
八木亜希子と垣花正のサウンドコレクション(ニッポン放送)- 2007.0427・2007.0622
2007天神祭生中継(テレビ大阪) - 2007.0725 ※司会
ボクらの時代(フジテレビ)- 2007.1104
垣花正のあなたとハッピー!(ニッポン放送)- 2007.1211

フジテレビ在籍中の出演
FNNスーパータイム(お天気コーナー) - 1988.07~1989.09
お天気チャンネル - 1988.10~1989.09
FNNモーニングコール(月・火) - 1989.04~1990.03
今夜は好奇心(リポーター) - 1990.04~1991.03
アンテナホット7(月・火・水) - 1990.07~1990.09
FNN NEWSCOM(金) - 1990.10~1991.03
ビデオの女王様・シリーズ - 1990.10~1992.03
初詣!爆笑ヒットパレード - 1991.0101
おはようナイスデイ - 1991.04~1993.03
FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91 - 1991.0720(総合司会)
ウゴウゴルーガ(木)(トマトちゃん) - 1992.10~1994.03
夜のヒットスタジオ・リターンズスペシャル - 1993.0331
プロ野球ニュース(日) - 1993.04~1994.03
殿様のフェロモン - 1993.04~1993.09
明石家さんまのスポーツするぞ!大放送 - 1993~1997(全11回)
新春かくし芸大会 - 1994、1995、1998、1999、2003
めざましテレビ - 1994.04~1998.03
エンタメゆうえんち 東京移住計画 - 1995.10~1996.03
第10回(1996年)FNSの日十周年記念1億2500万人の超夢リンピック - 1996.0713(進行係)
ザッツお台場エンターテイメント! - 1997.0331
中村雅俊のゼッタイ!知りたがり - 1997.04~1998.03
めざましテレビ週末号 - 1997.04~1998.03
FNNスーパーニュース - 1998.04~2000.03
FNS30周年'99秋の祭典 - 1999.0929
これが年の差なんてだろ!? - 2000.02

発言・逸話・その他
就職活動当時日本テレビも受験していたが、最終面接で「長嶋監督の奥様と同じ名前ですね」と問われ、「はい。でも我が家はアンチ巨人で、阪神ファンです」と答えてしまい、不合格となった。
フジテレビの入社最終面接で、ミュージカルが得意と履歴書に書いていたために、当時の鹿内春雄社長から踊るように言われ、その場で一人ミュージカルを演じた(この時一緒に受験していたのが、大学の同級生で元日本テレビアナウンサーの福澤朗だったが、福澤はすでに日本テレビから内定を受けていたためあまり熱心には受験せず、よそ見ばかりしていたため不合格となった)。
『とんねるずのみなさんのおかげでした』の名物コーナー「食わず嫌い」の収録後トークで、そのミュージカルのことを石橋貴明にツっ込まれたが、恥ずかしさのあまり顔を赤らめ両手で頭を抱えしゃがみ込んでしまった。
1991年にはウッチャンナンチャンの内村光良との交際を写真誌に撮られたこともあった。内村が会見で交際宣言。しかし、その後破局。
内村との離別後、同局アナウンサーの野島卓と交際。婚約寸前まですすむが、野島の女性問題が発覚し破局。
同期の有賀さつき、河野景子とは今でも交流があるようで、時々会う事もあるという。
1994年のFNSの日特番『平成教育テレビ』では、司会の一人としてセーラー服姿で出演したが、司会のビートたけしから「あれは宇宙企画が得意としているものですね」と突っ込みを受けていた。
俳優の宮川一朗太は早稲田大学第一文学部の同級生。
明石家さんまが2004年のFNSの日に『さんま・中居の今夜も眠れない』で「八木は俺のことを好きだと思っていた」と暴露。
後のイメージからは考えられないが、新人時代は現代っ子で目上のスタッフに対してタメ口を利いたり「パパ」呼ばわりするなどをしていたという。
フリーアナウンサーの渡辺真理は、中学・高校の後輩に当たる。


今、録画した『明石家サンタ』を観ている、何故か。毎年楽しみにしている番組だ。やはり、生放送の「さんま」は面白い。八木亜希子はいい歳のとり方をしているなぁ~と思う。河野景子、有賀さつき・・・フジテレビの元アナウンサーに比べて、「知性」と「上品さ」を感じる。さんまとのコンビも抜群にいい。おもろい番組。また、睡眠時間が減る。
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ロディ・マクドウォールの事をふと思い出した。いい俳優だった。

2007年12月25日 | 映画・DVD・ビデオ
ロディ・マクドウォール(Roddy McDowall、本名:Roderick Andrew Anthony Jude McDowall、1928年9月17日 - 1998年10月3日)は、イギリスで生まれアメリカ合衆国で活躍した俳優。


来歴
ロンドンにて生まれる。父親Thomas Andrew McDowallはスコットランド人、母親Winifredはアイルランド人。幼い頃にアメリカに移住し、「わが谷は緑なりき」の主役級の末っ子役など、子役として数多くの映画に出演した。「名犬ラッシーの家路」(1943年)で共演したエリザベス・テイラーとはそのとき以来親友。しかし、成長するにつれ子役として低迷してしまったため、18歳でニューヨークに移動してブロードウェイで活躍。1960年には "The Fighting Cock" でトニー賞も受賞している。

その後、映画界に復帰、「史上最大の作戦」や「クレオパトラ」、「猿の惑星」シリーズでは完全特殊メイクによる主人公のチンパンジー、コーネリアス博士役を好演するなど大作に出演した。

クラシック映画作品の収集家でも知られ、数多くの16mmやビデオテープを所蔵していた。しかし、海賊版なども所蔵していたため、1974年にはFBIによって家宅捜索されたこともある。

写真家でもあり、5冊の写真集を出版している(写真集「多重露光」など)。その為か、1972年放送のドラマ刑事コロンボ第6話「死の方程式」では、カメラマニアの殺人犯役でゲスト出演している。マクドウォール自身は、当時人気絶頂の国民的刑事ドラマで犯人役を演じるにあたって、「徹底的なまでに悪を楽しむキャラクターとして役作りを行った。とても楽しい経験だった。」と振り返っている。   1985年以降の「フライトナイト」シリーズでは、気弱な吸血鬼ハンター、ピーター・ビンセント役に抜擢され、彼にとって最高の当たり役となる。同作品により世界中のB級ホラー映画ファンから敬愛されるというカルト的なブームも起こった。

映画芸術科学アカデミーにも参加し、映画界に貢献した。70歳で肺癌で亡くなったが、遺灰は太平洋に撒かれたという。


主な出演作品
わが谷は緑なりき How Green Was My Valley (1941)
名犬ラッシーの家路 Lassie Come Home (1943)
史上最大の作戦 The Longest Day (1962)
クレオパトラ Cleopatra (1963)
偉大な生涯の物語 The Greatest Story Ever Told (1965)
猿の惑星 Planet of the Apes (1968)
新・猿の惑星 Escape from the Planet of the Apes (1971)
刑事コロンボ Columbo 死の方程式 Short Fuse (1972) TV
ポセイドン・アドベンチャーThe Poseidon Adventure (1972)
ファニー・レディ Funny Lady (1975)
処刑教室 Class of 1984 (1982)
フライトナイト Fright Night (1985)
潮風のいたずら Overboard (1987)
バグズ・ライフ A Bug's Life (1998) 声の出演


脇役が多かったが、芝居はピカイチだった。70歳で亡くなったのが惜しまれる。
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オスカー・ピーターソンさん死去 ジャズピアノの巨匠

2007年12月25日 | 歌・CD
 ジャズピアノ界の巨匠、オスカー・ピーターソンさんが23日、腎不全のため、カナダ・トロント郊外の自宅で死去した。82歳だった。AP通信が伝えた。


05年7月、スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルで演奏するオスカー・ピーターソン氏=ロイター
 グラミー賞の7回受賞を始め、数々の音楽賞を総なめにし、20世紀最高のジャズミュージシャンの一人とされる。卓越した技巧と華麗さ、力強さを兼ね備えた演奏スタイルで、モダンジャズの歴史に名を刻んだ。日本にも数多くのファンを持ち、53年に来日した際、穐吉敏子(あきよし・としこ)の演奏に注目、米国デビューのきっかけになった。99年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。

 カナダ・モントリオール生まれ。父は鉄道のポーターで、幼い頃からピアノを習い、地元で演奏活動を始めた。49年、20代でニューヨークのカーネギーホールでデビューを果たし、全米の注目を浴びた。スタンダード曲などを集めた「プリーズ・リクエスト」などを発表。全盛期にエラ・フィッツジェラルド、レイ・ブラウンらジャズ界の巨人と共演。93年に脳卒中を患ったが、リハビリをしてその後も活動を続け、半世紀以上にわたって頂点に立ち続けた。
(朝日新聞より引用)


何気なく、喫茶店で流れていた音楽が音楽音痴の僕にとって気持ち良く、喫茶店の人に訊いたら、「オスカー・ピーターソン」の曲だった。十数年前の話である。本当に、心の中に、スーッと入って来る気持ちよいサウンド。好きだなぁ。なんか、僕が観た映画の監督とか聴いた音楽の演奏家がここ数年で亡くなっていく。淋しい気持ちである。

We Get Requests
Oscar Peterson
Verve

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1. Corcovado (Quiet Nights of Quiet Stars)
2. Days of Wine and Roses
3. My One and Only Love
4. People
5. Have You Met Miss Jones?
6. You Look Good to Me
7. Girl from Ipanema
8. D & E
9. Time and Again (Don't You Think?)
10. Goodbye, J.D.

An Oscar Peterson Christmas
Oscar Peterson
Telarc

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1. God Rest Ye Merry Gentlemen
2. What Child Is This?
3. Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!
4. White Christmas
5. Jingle Bells
6. I'll Be Home for Christmas
7. Santa Claus Is Coming to Town
8. O Little Town of Bethlehem
9. Christmas Waltz
10. Have Yourself a Merry Little Christmas
11. Silent Night
12. Winter Wonderland
13. Away in a Manger
14. O Christmas Tree

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あの女性下着を捨てていた押谷容疑者は、「14年前の強盗殺人」 「2億円横領」も発覚

2007年12月25日 | Weblog
使用済みの下着を民家に捨てたとして逮捕された押谷和夫被告=2日、大阪府茨木市 平成6年1月、大阪市北区の「大阪第一ホテル」の客室で派遣社員の女性=当時(26)=が殺害された事件で、大阪府警捜査1課と曽根崎、茨木署は25日、強盗殺人容疑で大阪府茨木市彩都あさぎ、会社員、押谷和夫被告(48)=廃棄物処理法違反罪で起訴=を再逮捕した。公訴時効まで約1年に迫る中、事件は急転。当時の現場の遺留物のDNA型と押谷容疑者のDNA型が一致した。押谷容疑者は「はっきり覚えていません」などと供述、容疑を否認しているという。

 また、押谷容疑者が以前勤務していた大手百貨店で約2億円を横領し、株式投資に流用していたことも判明。百貨店によると、全額弁済したため刑事告訴は見送られ、14年1月に懲戒解雇処分になったという。捜査1課は事件当時の生活実態についても追及する。

 調べでは、押谷容疑者は6年1月16日午後6時ごろ、大阪市北区梅田の大阪マルビル内にある大阪第一ホテル26階の一室で、女性の頭や顔を殴り、首を絞めて殺害。手提げバッグを奪った疑い。

 押谷容疑者は昭和52年から大手百貨店に勤務。百貨店によると、子会社のクレジットカード管理会社に出向して経理を担当していた平成10年ごろから着服を始め、13年12月に発覚するまでに約2億円を横領していた。

 発覚当時は手元に1億数千万円が残っており、押谷容疑者は「株式購入資金に充てた」と釈明。全額を弁済することを約束し、数回に分けて弁済したという。

 6年の事件当時は本社の事務を担当しており、事件当日は午前中は出勤、午後から年休を取得。担当者は「事前に年休を申請していたと思う」と話しており、捜査本部は押谷容疑者がホテルを予約しデート嬢を呼んだ経緯を詳しく調べる。
(産経ニュースより引用)


容疑者の周りに住んでいる人は「いつも、ちゃんとした服装で挨拶もちゃんとする普通の人だった」と言っていたが・・・こんな余罪(?)があるとは!
コメント (2)
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初めてのドラマで・・・

2007年12月25日 | テレビ番組
僕はテレビ局に入社し、「制作部」に配属された。「ワイドショー」「漫才・落語の中継」「クイズ番組」等、「バラエティー番組」は一通りやったが、僕は「ドラマ」がやりたかった。仕事が終わって、ドラマの撮影現場に駆けつけ、何時間も先輩達がドラマを作るのを眺めていた。

やがて、ドラマ班の人数を増やさなければ・・・という事になり、ドラマの先輩が僕の事を推薦してくれ、僕は晴れてドラマ制作の現場に立つ事ができる様になった。職種は「AP(アシスタント・プロデューサー)」。つまりは、すべての部署からの注文・苦情等、雑用をする事、そしてプロデューサーのアシスタントをする事が仕事になった。

初めてのドラマの準備期間中は僕に、あらゆるセクションから「作業の注文」があった。
クランクインしてからも、スタッフが足りないので、地方ロケに行った時、泊まっている宿舎とロケ現場の間を車で往復し、俳優さんをロケ現場に連れて行ったり、出番の終わった俳優さんを宿舎に戻したりもしていた。準備期間の間も「睡眠時間」は短かったが、撮影に入ると、いちばん遅くまで次の日の段取りの打ち合わせで起きていて、翌日はスタッフでいちばん早く起き、撮影の準備に明け暮れていた。心身ともにヘトヘト。正直、家の温かい布団に包まって、ゆっくり寝たかった。でも、スタッフもキツイ現場で頑張っているのだから、そんなことを言えるはずも無い。

そんな或る日、地方ロケで、俳優さんをロケ現場まで送り、一端、ロケに必要な道具を取りに宿舎に戻り、再びロケ現場に向かう途中で、運転しながら、意識を無くしてしまったらしい。川の土手を走っていたのだが、道がカーブしていたにも関わらず、まっすぐ行ってしまったのだ。

ガラガラガシャーン!という音で目が覚めた時、車は土手から川原に落ち、回転していた。秒数にすれば、5秒くらいの時間がスローモーションの様に、思え、自分の過去の体験が走馬灯の様に頭の中に次々とよみがえって来た。僕は死ぬんだなぁ~とその時思った。車は2回転し、川の中に落ち、ハンドルは僕のお腹まで数センチのところに来ていた。幸いな事に、川の中に「魚の養殖の為のコンクリートブロック」があり、車がその上に乗った形となった。でも、足元には水が入って来る。「車が全壊する音」って、凄い音なんや~と頭の隅で考えていた。

午後3時頃。小学生達が土手を自転車で通ったので、「助けてくれ~ぇ!」と叫んだ。ドアも窓も開かない。小学生達が先輩APに連絡してくれ、助けに来てくれた。僕は額をフロントガラスで切っており、顔が血だらけで、先輩も誰か分からなかったと後で聞いた。

先輩と救急車に乗ったのだが、田舎の救急車は「自動車工場」に委託されているらしく、運転しているお兄ちゃんとおばさんが「病院はどういけばいい?」と争っている声が聞こえた。なんとか無事に病院に搬送され、そのまま手術室に。顔のケガ以外は大したケガも無く、当時メガネをしていたので、とっさに両手でメガネをかばった性で、両手首から血が滴り落ちていた。その傷は今でも残っている。先輩が靴下を買いに行ってくれた事、川に流れた「ロケ等の領収書」を拾い集めてくれた事、とても感謝している。その晩はその病院に入院。

翌日、うちの母が迎えに来て、自宅で半月通院しながら、静養する事になった。入院した病院からいちばん近い駅で母と電車に乗ると、電車の線路沿いでロケ隊が撮影しているのが見えた。正直な気持ち、「寝られる正当(?)な理由」ができて、ホッとしていた。

その事故以来、ドラマのAPを長らくやったが、いろんな人に用事を頼まれても、優先順位を付け、自分のできる容量を超えない様に、頼まれた事でも勇気を持って断る姿勢を身に付けた。

ドラマが終盤に近づいた頃、同じロケ地に撮影に行ったら、僕が車ごと落ちたカーブには「ガードレール」が整備されており、記念に写真を撮って帰って来た。

今でも、自宅にその時の連続ドラマの第1話と第2話の台本がある。ちょっと、血が付いていて、フロントガラスで表紙が一部割けている。

そんなことがあっても、僕はドラマを合計14年間もやり続けた。ドラマの現場は正直しんどい。でも、「麻薬」の様なもので、撮影が終わってしばらく経つと、ドラマの現場に居たくなる。東京という大都会で毎日、連続ドラマ・単発ドラマを合わすと、20隊くらいの撮影隊が頑張っているのではないか。新宿中央公園辺りで、ロケバスを見つけると「ドラマやりたいモード」にスイッチが入る。特に、1月期の連続ドラマはキツイ。昼間の撮影できる時間は短いし、夜間の撮影は時に「冷凍庫の中」にずっといるくらい寒い。でも、それだけ
苦労して撮影したドラマが放送され、話題になるとキャスト・スタッフともに本当に嬉しいものだ。

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走行中に自動ドア開く、小5男児マイクロバスから転落死

2007年12月24日 | 子供・動物・生き物・ペット
 24日午後6時25分ごろ、東京都練馬区大泉町の外環自動車道大泉ジャンクション付近で、走行中のマイクロバスの自動ドアが突然開き、小学5年生の男子児童(11)が道路上に転落、後ろから来た2トントラックにひかれ、間もなく死亡した。

 埼玉県警高速隊の調べによると、バスは、埼玉県川越市やふじみ野市で活動する少年サッカーチーム「福原サッカークラブ」のマイクロバスで、車内には事故当時、運転手のほか24人の子どもが乗っており、茨城県霞ヶ浦での練習試合を終え、帰宅途中だった。同高速隊は自動ドアが開いた原因などを調べている。

 事故の影響で、和光インターチェンジ―大泉ジャンクション間が午後6時40分ごろから通行止めになった。
(読売新聞より引用)


何故、自動ドアが開いたのか、そして亡くなった少年は何故、ドアのところにいたのか?うちの子供3人もサッカーをやっており、親として本当に悲しいニュースだ。
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幸せだったかな ビートたけし伝&北野ファンクラブ DVD-BOX

2007年12月24日 | 笑い
幸せだったかな ビートたけし伝
井上 雅義
白夜書房

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内容紹介
「70年代、探しものの旅 浅草にはオイラの失くした何かがあった」(ビートたけし)
※オビ文より。

白夜書房刊、高田文夫責任編集『笑芸人VOL.6』~『笑芸人VOL.17』に連載されていた、ビートたけし飛翔伝「六区ビートララバイ」の内容を改訂し、単行本化したものが本書。カバーイラストは、黒田征太郎。

昭和四十七年、明治大学を中退したたけしは浅草のストリップ劇場、フランス座で芸人修業をはじめた。著者の井上雅義は偶然にも同時期にフランス座に座付作家志望で入門し、たけしと三年間寝食をともにする。謎の多い、たけしの浅草修行時代の真実を知る、数少ない証人の一人。名著『浅草キッド』(ビートたけし著、新潮文庫刊)の出てくる“井上”こそ、本書の著者である。いわば『浅草キッド』の外伝として書かれたのがこの『幸せだったかな ビートたけし伝』である。

「たけしは本当に芸人になりたくて、浅草へとやってきたのだろうか」
今もなお著者の中にある疑問。あるときは芸人、あるときは映画監督、様々な顔を持つ芸人・ビートたけしの誕生の謎を解くべく、たけしの青春である浅草時代を振り返る。
浅草時代のたけしの青春伝説を書くことが、四十年前にたけしと出逢ったころからの念願であった……と語る、著者入魂のビートたけし伝。
たけしの「探しものの旅」を体感できる一冊となっている。

北野ファンクラブ DVD-BOX

ポニーキャニオン

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内容紹介
たけしの必笑エンターテインメント満載!

1991年からフジテレビで放送された伝説の番組がDVDで復活!

●1991年2月13日~1996年3月22日にかけてフジテレビで放送された、たけしの伝説的TV番組「北野ファンクラブ」待望のDVD化!

●北野たけしがお笑い芸人として絶頂期のコントを満載!笑いの津波があなたを次々と襲っちゃいま
す!

[内容解説]
北野ファンクラブは1991年2月13日~1996年3月22日にかけてフジテレビで放送された深夜番組で、いわば『ビートたけしのオールナイトニッポン』のテレビ版とも言える番組として人気を博した伝説
の番組。

番組はオールナイトニッポン同様ビートたけしと高田文夫をパーソナリティに迎え、最近の時事問題から深夜放送ならではの下ネタまで幅広いジャンルから毎回話題を取り上げて爆笑トークを展開。
セットも「北野」の印判をイメージしたパネルと東京スポーツ、黒板数枚(グレート義太夫がイラストデザインやレイアウトをし、毎回チョークで書き込んだ)だけというシンプルなもので、そのチープ感もまた絶妙。番組内ではたけし軍団出演による、海パン一丁や全裸姿のキャラが登場するコントや当時の人気番組をパロディ化したゲームなどバラエティに富んでいました。
今回のDVDでは、その優れモノのコンテンツの中から特に面白かったものばかりを厳選!完全版と
も言える3枚組DVD-BOX。

【収録予定】・たけし&文夫のトーク・コント各種・たけしの人生相談・全裸シルエットクイズ・海パン刑事・全裸行進・お弁当紹介等々

[スタッフキャスト]
企画
北野武/吉田宏
出演
ビートたけし/高田文夫/たけし軍団 ほか
企画協力
オフィス北野
演出
つきざわけんじ
プロデューサー
梅本満(イースト)/高橋松徳(フジテレビ)
製作・著作
フジテレビ/イースト

(C)2007フジテレビ/イースト

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
91年から96年まで放映され、人気を博した伝説の番組「北野ファンクラブ」をDVD化したBOX。ビートたけしと高田文夫をパーソナリティに迎え、時事問題から深夜放送ならではの下ネタまで、幅広いジャンルをテーマに爆笑トークやコントを展開する。3枚組。

「ビートたけし」が好きだ。あの「恥じらい」。いつまでも「バカで入られること」。余人にはできないと思う。うちの次男の名前も「たけし」。漢字は違うが、「ビートたけし」リスペクトで名付けた。
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