森且行(もり かつゆき、1974年2月19日 - )は日本のオートレース選手で、SMAPの元メンバーである。東京都足立区出身。東京都立日本橋高等学校卒業。血液型B型。
所属事務所
ジャニーズ事務所 → JKA・川口オートレース場
オフィシャルファンクラブ
Angel → ビアンコ
ジャニーズ時代の参加ユニット
スケートボーイズ
SMAP
でこぼこ隊
音松くん
来歴·人物
中学時代に、兄の森久典(別名・森正行)と共に、ジャニーズ事務所のファンクラブ「ジャニーズ・ファミリー・クラブ」へ直接履歴書を持って出向いて頼み込んだ結果、2人揃ってジャニーズ事務所入りを果たし、ジャニーズJr.となる。
1987年11月、スケートボーイズの一員としてデビュー。 1988年4月にSMAPを結成し、1991年9月9日にCDデビューした。
1996年5月いっぱいで、オートレース選手に転身する為、SMAPを脱退。同時にジャニーズ事務所も退社した。
SMAP時代のイメージカラーは白で、今でも好きな色は白。
2000年後期にオートレース最上位のS級にランクされ、一流選手の仲間入りを果たす。2005年から一時期A級に陥落したが、2006年後期にS級復帰し、それ以降はS級を維持している。2008年は6月に腰の手術をしながらも好調を維持し、優出15回・優勝5回を筆頭に初の川口オート1位、スーパースター王座決定戦出場を決めた。
2008年賞金ランキング10位(45,640,500円)
2008年のスーパースター王座決定戦においてはPR隊として各新聞社を回り、広告を行った。森自身にとっても初出場ということで各新聞社のHPで大きく扱われた。
オートレースでの師にあたる人物は広瀬登喜夫。
既婚で1児の父。
SMAPの中で森だけフジテレビ系列の月9ドラマやTBS系列の金曜ドラマ、明治製菓のCMに出演していない。
SMAP時代のソロ曲は「angelの秘密」「永遠に抱きしめたい」「イルカに逢った夏」「お茶でもどうかな」など。
オートレース選手としての活動概略
1996年8月25日 : 訓練中に大事故。左大腿骨脱臼骨折の重傷。
1997年春 : 同期生に数ヶ月遅れて養成所卒業(事故による入院で訓練が遅れたため)。
1997年7月6日 : デビュー戦を1着で飾る。
1998年4月14日 : 25期生の新人王決定戦で優勝。
1998年 : オートレース選手の森且行としてポカリスエットのCMに出演。
2001年 : オートレース選手の森且行としてユニクロのCMに出演。
2003年10月4日 : 念願のグレードレース若獅子杯(GⅡ)で優勝。
2004年3月21日 : SG(グレードレース最高峰)第17回全日本選抜オートレースで初優出(5着)。
2005年7月28日~31日 : 鈴鹿8時間耐久ロードレースでオートレース・ハルクプロ監督を務め、青木治親・安田毅史ペアが総合3位クラス優勝した。
2007年4月~: 平成19年度のオートレースイメージキャラクターに選ばれ同CMに出演。
2007年4月15~18日 : 川口オートレース場の開催で、自身初の完全優勝を達成[1]。優勝戦は定評ある雨コースでの勝利であった。
平成20年度後期適用ランク(平成20年1~6月の結果を基に算出)で全国14位となり、初めて川口オートレース場で1位となった。
2008年12月9日:5年ぶりとなるGⅡ優勝(西日本鉄道 GⅡ第4回オーバルチャンピオンカップ)
2009年1月28日初のGⅠ優勝(川口オート第57回GⅠ開設記念グランプリレース)
SMAPのメンバーとして
木村拓哉と共にメインボーカル的な役割を務めており、ファンの間では「ツインボーカル」と呼ばれていた。SMAPの初期のシングルの大半が、Aメロ・木村、Bメロ・森、サビ・全員という構成になっている。また、SMAPの初期の作品では、サビの部分の大半は木村と森の声が占めていた。そのため、脱退後は森ソロパート部分を他のメンバーで担当し直すこととなり、現在に至ってる。
SMAPの楽曲は、「君は君だよ」「$10」(発売前のコンサートでは自身がソロで歌っていたため)、「最後の冬の日」(本人お気に入りだがメンバーには曲が暗く不評で、コンサートでは歌われなかった)、「たぶんオーライ」(他メンバーも振り付け・衣装共に好きと語る)、「雨がやまない」(ファン向けビデオでアルバムの中で一番好きな曲を答えた)、「まったくもう」「過去の人」が好きだとテレビのインタビュー及び雑誌で語ったことがある。
SMAPの人気に火がつく契機となった『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)では、森の姓がタイトルに含まれることもあって、メンバーの中でも主要な扱いを受けていた。番組タイトルそのものは司会であった森脇健児と森口博子の頭文字をとっている。
当時光GENJIのメンバーでSMAPの先輩であった諸星和己の影武者を務めており(全部で4人)、諸星が夜遊びに出かけるときにはバイクを走らせて、多くのパパラッチやマスコミの目をこちらに引かせていた(2008年6月19日のダウンタウンDX内のコーナーにて)。
フジテレビ系『SMAP×SMAP』の料理コーナー「BISTRO SMAP」では当初「木村vs森」という構図で対戦が行われていたが、番組開始からわずか2ヶ月で引退・降板となった。なお最終出演日は木村とチームを組んでいる。
引退記者会見には、SMAPのリーダー・中居正広が同席した。中居は、森がオートレース選手になるという夢を叶えたということで、読売ジャイアンツの選手になるという自身の夢であり、ファンである当時ジャイアンツの新人内野手であった仁志敏久(現横浜ベイスターズ)のユニフォームを着用していた。本人の希望としては近藤真彦のようにレーサーと芸能活動の両立を希望していたとの説も強い。
森が出演する最後の『SMAP×SMAP』は、当時の番組最高視聴率となった[要出典]。また、中居が司会を務めていた『TK MUSIC CLAMP』(フジテレビ系)にも引退日直前(1996年5月29日OA)に出演、二人でしんみりとしたトークを展開した。
引退後は、SMAPの過去のVTRがテレビ番組で紹介される際、森の映る映像は全て編集でカットされるようになった。本来森が歌っているシーンを他のメンバーのアップに差し替えたり、森の立ち位置が端の場合には、画面を拡大する、CGで森の姿を切り取る、モザイクをかけたりすると言った編集が施されている。これは、ジャニーズ事務所の副社長・メリー喜多川の「森などという人間は最初から(SMAPに)存在しない!」(メリー本人が実際に発言)という強引な意向・主張により、森の存在を隠滅するため、森の映る映像を一切流さないようにテレビ局などのマスコミ各社に圧力を掛けた結果である。香取慎吾が総合司会を務めた2007年のフジテレビ系『FNS27時間テレビ・ビストロSMAPスペシャル』内でSMAPのデビューシングルのジャケット写真が公開された時や、日本テレビ系列『24時間テレビ』の宣伝特番(2007年放送)で1995年にSMAPがメインパーソナリティーを務めた時の映像を流した際も、やはり森の姿が消されていた。
例外として、2004年6月頃にテレビ朝日系列で放送された『中居正広が今さら…キスした?SMAP』では6人全員で写った当時のビデオもいくつか放送されていた。ただ番組内では殆ど触れられず、唯一遥洋子が「6人やったんやなあ…」とつぶやく程度だった。この他にも、『TBSテレビ50周年特番』や、『SMAP×SMAP』で過去のVTRを特集した際に若干、森の姿が確認された。また、映像が放映されない場合でもメンバーが自ら森の事についてコメントする事が、極稀にある。但しその場合、森の名を最初に口にするのは必ず中居であり、他のメンバーが森の話題を出したのは、日本テレビ系『速報!歌の大辞テン』に稲垣吾郎がVTR出演した際、森のパートを誰が歌うことになるかについて触れた程度だった。映像では森脱退後のコンサートのものが使われていた。また2001年にSMAPが『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に出演した際には草が森の話題をだし、脱退直前の話が同番組の司会者・タモリによってされた。現在も中居や木村はたまに自身のラジオ番組で森の事を口にしている。
木村に長女が産まれた際には、「おめでとうメッセージ」を伝えたり(注:仲の良い香取慎吾への電話)、2001年、稲垣が事件を起こした際にも心配して電話を入れたり(注:こちらも香取慎吾への電話。香取が出なかったため香取の携帯をマネージャーが中居に渡し、中居が出た)、自身の公式サイトでも「好きなドラマ」にメンバーのドラマを挙げたりなどしている。
2004年、稲垣が自身のソロプロジェクトである&G名義で『ミュージックステーション』に出演した際のタモリとのトークでは、デビュー当時のエピソードなどを語りながら突如思い出したようにカメラに向かって「森くん見てる~~?」と稲垣が手を振る一幕があった。ただその行為には特に誰も反応せず何事もなかったように番組は進行した。
木村拓哉がラジオ番組に出演した際「中居君がリーダーを降りた時、次にリーダーになるのは森君、そんなわけないだろ」と発言して新聞の見出しなどには「木村拓哉ラジオで禁句をしゃべる」ととりあげられた。
主な出演作品
テレビドラマ
基本的にソフト化されていない(3年B組金八先生除く)。世にも奇妙な物語に関しては、制作会社や他の出演者など複雑な要因が絡んでいるので、森の出演の件のみが原因とは必ずしも言えない。
3年B組金八先生 (第3シリーズ)(1988年、TBS)
他のシリーズが次々とVHS・DVDソフト化される中、このシリーズのみソフト化が見送られていた。森が出演していたことが原因の一つとして考えられる。しかし、放送から19年経った2007年10月26日・11月23日にようやくDVD化という形で初めてソフト化された。2つのDVD-BOXに分けての販売のみ。
ツヨシしっかりしなさい(1989年、日本テレビ)
世にも奇妙な物語「三日間だけのエース」(1991年、フジテレビ)
真夜中を駆けぬける(1993年、ABC)
君が見えない(1994年、関西テレビ)
ママのベッドへいらっしゃい(1994年、テレビ朝日)
SALE!(1995年、ABC)
映画
シュート!(1994年)
もともと1994年6月29日にVHSで発売されているため、その後2002年6月25日にDVD化されている。
この映画は他のメンバー5人と共にSMAPが主演であり、テレビ番組でSMAPの過去のVTRを振り返るときに流れることがある。しかし、やはり森の出演部分はカットされることが多い。
大失恋。(1995年)
もともと1995年12月16日にVHSで発売されているため、その後2003年12月5日にDVD化されている。
ふと思い出した。テレビでは森の映像は「使用禁止」なのである。つまり、SMAPというグループに、「森且行」は存在しない事になっている。今、放送している番組でも、森ま存在はVTRからカットされている。キムタクが森くんの事に触れたのは嬉しかった。生放送ならではの事だ。収録だとキムタクの発言は当然カットされているだろう。
森君がいた頃のスマップSMAP 1/2




