「長久保宿」 10:30
長野新幹線を上田で下車、JRバスに1時間揺られ終点が長久保。半年ぶりの再訪となる。
笠取峠から続く下り坂に松尾神社から一直線の竪町に旧い家並が続いている。
濱田屋旅館まで下りL字に折れると横町、やはり時代に取り残されたような風景が続く。
長久保を抜けると谷がY字に分かれる。左は大門川に沿って白樺湖から茅野に至るR152。
右は依田川に沿って和田峠を経て下諏訪に至るR142、こちらが中山道になる。
Y字に分岐する大和橋交差点を右に進むと旧和田村に入る。
庚申塔が並ぶ青原交差点からは依田川を挟んでバイパスと旧道に分かれる。
交通量の少ない旧道を旧跡を探しながら和田宿まで歩くことができる。
「和田宿」 12:30
旧道を4kmほど進み依田川を渡ってきたバイパスと並行するとほどなく和田宿に入る。
和田峠という難所(標高は1,500mを超え、下諏訪宿までは20km)をひかえた和田宿は、
本陣1、脇本陣2、問屋2、旅籠28と山中に極めて活気のある宿場であったそうだ。
和田宿は1861年の大火で大半を消失したが、江戸に降嫁する和宮の宿泊予定地であり、
幕府の資金(強制的貸付)により復興された。現在残る遺構はその当時の建築だ。
屋根に栗の三枚板に重しの石を載せている和宮も宿泊した本陣と脇本陣の翠川家。
出桁造が見事なのは下の問屋・山木屋。
そして隣接する旅籠・大黒屋だ。
かわちやは歴史の道資料館となっている。
二階に上ると出桁造の格子から街道を眺めることができる。
「大出一里塚」 15:10
和田から下諏訪までは20km超、和田峠への登り口である男女倉口まで距離を稼ぐ。
歩道のないR142を歩くときは、大型トラックが駆け下りていくので命懸けだ。
「唐沢一里塚」 16:10
唐沢集落から山道を入っていくと唐沢一里塚がある。山中ひっそり左右一対が残る。
記憶が正しければ板橋の志村一里塚以来だ。
「男女倉口」 16:30
R142に戻って1kmほどのラストスパート。
やがてR142は新和田トンネル有料道路と和田峠に登る旧道に分かれる男女倉口。
右側の旧道を択ぶとまもなく和田峠への登り口に至る。
長久保宿から和田宿を経て男女倉口までは13.8km。明日は和田峠越えに挑む。