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カナダの家族はトロントを訪れた延辺大学の教授の助けで、1986年から金壽卿と手紙の交換を行い、1988年にはついにヘヨンさんが、北京大学で開かれた朝鮮学学術大会で父親と劇的に会えた。

2021-09-30 07:20:18 | 日朝関係史から未来をみる!

「言語の天才・金壽卿の人生を通じて、

日本に『離散家族』を知ってもらいたい」

登録:2021-09-29 08:36 修正:2021-09-29 10:42
 
[インタビュー]板垣竜太・同志社大学教授
 
金壽卿の評伝を書いた板垣竜太教授=「慰安婦」問題専門サイト「Fight For Justice」提供//ハンギョレ新聞社

 『北に渡った言語学者:金壽卿1918-2000』(人文書院)。人類学者である同志社大学社会学部の板垣竜太教授(49)が7月に日本で出版した、言語学者の故・金壽卿(キム・スギョン)(1918~2000)氏の評伝だ。

 日本の植民地時代に京城帝国大学法文学部哲学科を卒業し、東京帝国大学大学院で言語学を学んだ金壽卿は、「朝鮮の言語の天才」と呼ばれた。江原道通川(トンチョン)出身の彼が、植民地支配からの解放までに習得した外国語は、ギリシャ語、ラテン語、サンスクリット、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、デンマーク語、日本語、中国語、モンゴル語、満洲語の15言語にもなる。「金壽卿が金日成大学の在職時に、フランス語の原書を直読直解して授業したことが、今でも同大学での伝説的な講義になっています。合わせて7言語でそのまま原書を読みながら教えることができたと言われています。京城帝国大学で金壽卿を教えた日本人言語学者の小林英夫は、解放後に日本人の弟子たちに『京城帝大には金壽卿という言語の天才がいた。君達はなぜ彼ほどできないのか』と鼓舞したといいます」

 24日にビデオ会議アプリのZOOMを通じて会った板垣教授の話だ。彼は韓国のマダン劇(広場で演じられる劇)に興味を持ち、東京大学4年生の時から学び始めたという流暢な韓国語でインタビューに応じた。

 
 
             『北に渡った言語学者』表紙//ハンギョレ新聞社
 
 
      1942年頃に東京で撮影した金壽卿=娘のキム・ヘヨンさん提供//ハンギョレ新聞社

 韓国での翻訳出版(青い歴史出版社)も予定されているこの評伝は、金壽卿の人生と言語学者としての成就の両方を取りあげた。「ある若い研究者が、本を読んであまりに号泣して鼻血が出たと言っていました。本を読んで泣いたという読者が意外に多いです。『ハングルの誕生』の著者の野間秀樹教授もSNSで『すごい本』だとほめてくれました」

 解放後、ソウル大学商学部の前身である京城経済専門学校の教授だった金壽卿は、1946年8月に38度線を越えて北朝鮮に向かった。その年の9月に開校した金日成大学の創設要員として働いてほしいという北朝鮮の招請に応じたのだ。金日成大学朝鮮語学科教授の金壽卿は、翌年に金日成大学のキム・ドゥボン総長らと共に朝鮮語文研究会を作り、北朝鮮政権初期の言語政策の基礎を築いた。同じ漢字は同じ形態で表記するという「形態主義」の原則を掲げ、「頭音法則」を破棄し漢字を撤廃するなどの北朝鮮の「言語革命」に深く関与した。

 
 
京城帝国大学法文学部哲学専攻生が、1938年の卒業送別記念に撮った写真。後列1番右が金壽卿、後列左から2番目が鳳岡・丁海龍の弟のチョン・ヘジン=娘のキム・ヘヨンさん提供//ハンギョレ新聞社
 
 
1942年、東京帝国大学の図書館前で金壽卿(左側)とイ・ヒスン(右側)を写した写真=娘のキム・ヘヨンさん提供//ハンギョレ新聞社

 朝鮮戦争後の分断の悲劇を全身で受けた金壽卿とその家族の苦痛も、本の一つの軸だ。戦争が勃発し、金日成大学の教員で構成された短期宣撫工作団の一員として南に向かった金壽卿が、北朝鮮に向かう過程で妻と2男2女の子どもたちと別れ別れになったのだ。家長と離れ、南側の土地に留まった子供4人のうち3人と妻(故・イ・ナムジェ)は、金壽卿を探すのに役に立つだろうという判断で、1970年代にカナダに移住した。故人となった長女のヘジャさんは、国外で父親の消息を調べるために、あえて外国進出がしやすい看護学を専攻して家族が移住できるようにし、1948年に平壌(ピョンヤン)で生まれた次女のヘヨンさんは、父親の消息を少しでも得るために、トロント大学で一歩遅れて言語学を勉強した。カナダのビザを取れなかった次男(テソンさん)は、代わりにドイツでドイツ語学の研究で博士号を取得し、釜山大学で30年近くドイツ語を教えた。

 カナダの家族はトロントを訪れた延辺大学の教授の助けで、1986年から金壽卿と手紙の交換を行い、1988年にはついにヘヨンさんが、北京大学で開かれた朝鮮学学術大会で父親と劇的に会えた。梨花女子専門学校の出身でイ・ヒスン教授の愛弟子だった妻も、夫が亡くなる2年前の1998年に平壌で再会し、「半世紀の別れの恨」を解いた。

 東京大学の学部で文化人類学を学んだ板垣教授は、4年生だった1994年に偶然、韓国のマダン劇の台本集を読み、韓国研究を決心した。母校で修士課程を終えた後、21カ月間、慶尚北道の尚州(サンジュ)に滞在し、この地域社会が日帝強占期(日本による植民地支配)の間にどのような変化を遂げたのかを研究した。

 「慶北尚州の植民地経験研究」で博士号を取得した板垣教授は、自分が金壽卿の評伝を書いたのは偶然が作用したのだと明らかにした。「博士論文を執筆した2002年に小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問し、日本社会に北朝鮮を悪魔化する流れが生じました。多くの知識人もそのような攻撃に体制順応的に加勢したのです。過去の植民地主義者のように北朝鮮を批判する声も出たのです。これを見て、他の形で北朝鮮を研究できる方法がないかを考えました」

「北に渡った言語学者:金壽卿」評伝が出版 
京城帝国大学時代に15の言語に精通したことで有名 
1946年、金日成大学創設の要員として「越北」 
南側の家族はカナダに移住して「再会」に成功 
2013年に日本で最初の「金壽卿学術大会」 
北朝鮮地域の研究の代わりに8年かけて評伝を執筆

 
 
金壽卿(左側)とイ・ナムジェ(右側)は1943年に京城の京城府民館で結婚した=娘のキム・ヘヨンさん提供//ハンギョレ新聞社
 
 
朝鮮戦争の時に別れ、48年ぶりに1998年に平壌で再会した金壽卿とイ・ナムジェ夫妻=娘のキム・ヘヨンさん提供//ハンギョレ新聞社

 他の人とは異なる北朝鮮研究のテーマの一つとして「咸興(ハムフン)の1945年前後の地域史」などを考えついた彼は、ハーバード大学燕京研究所の訪問学者だった2010年3月、トロントで偶然にもヘヨンさんに会い、言語学者の金壽卿についての話を聞いた。「トロントで北朝鮮から韓国に渡った北側出身の韓人たちから、日帝時代の北朝鮮地域の宣教資料がたくさんあると聞き、夕食の席でキム先生に会いました。その日のホテルに戻る車中で金壽卿についての多くの話を聞きました。そして、忘れていた2年後に、同志社大学の研究会後の打ち上げで、同じ大学の同僚である言語学者のコ・ヨンジン教授が金壽卿先生の話をしたのです。北朝鮮言語政策の基礎を築いた人だということで」

 彼とコ教授は、2013年に韓中日の学者を呼び、同志社大学で言語学者金壽卿に光を当てる学術大会を開いた。その席にはヘヨンさんとテソンさんも参加し、「父、金壽卿」という文章を発表した。

 彼は評伝の完成には2013年からまる8年を要したと語った。なぜ評伝を書いたのかについて尋ねた。「初めは、北朝鮮地域史を研究しようとしましたが、フィールドワークは容易ではありませんでした。資料は多く集めましたが中心軸がなく、非常に迷いました。そうしているうちに、金壽卿という存在を知ってからは、人物を中心に20世紀の歴史を再び書くことができるという考えが浮かびました。金壽卿を中心に広い世界史を書くことができると考えたのです。この人の人生には、冷戦とソシュール構造主義言語学、離散家族、北朝鮮政治がすべて含まれています」

 
 
金壽卿(左)の次女のヘヨンさん(中央)が1988年に平壌を訪れ、戦争後に北朝鮮で生まれた妹のキム・ヘオクさん(当時金日成大学の学生・右)と一緒に写った写真=娘のキム・ヘヨンさん提供//ハンギョレ新聞社

 言語学者としての金壽卿の最大の業績は何か。「北朝鮮の朝鮮語学を切り開いた人です。研究者が研究しなければならない部分を直接作ったということが最も重要です。10以上の言語を知っており、西欧の言語学の本をすべて原書で読み、京城帝国大学でドイツ哲学者のヘーゲルをテーマに卒業論文を書きました。西欧の学問の伝統を正しく学んだ人です。学問とは何であるのか、そして、その学問のうちの言語学、言語学のうちの朝鮮語学が何であるのかを正しく知り、そのような前提のもとで朝鮮語学を作りました。他の言語学者には難しいことでした」

 もしかして著書で新たに明らかにした事実があるのかを尋ねた。「北朝鮮は1948年から1月15日をハングルの日(訓民正音記念日)として記念しています(韓国では10月9日をハングルの日としている)。実は、1947年10月9日付の北朝鮮の党機関誌『労働新聞』に、ハングルの日の議論についての金壽卿の文章が掲載されました。金壽卿はその論文で、10月9日は1446年に頒布した訓民正音解例本の出版記念日に過ぎず、訓民正音を創製した日は実録に出ている1443年12月(旧暦)が正しいと主張しました。北朝鮮のハングルの日の変更に金壽卿が深く関与したことを推察できる文章です。すでに定着している慣行であっても、科学的な検討を通じて変えられるのであれば変えるという科学的社会主義に傾いていた当時の北朝鮮の社会の姿を示す文章で、なおさら興味深かったです」。彼は金壽卿の論文を読み、多くの面白さを感じたと語りながら、理由をこのように明らかにした。「金壽卿は朝鮮語学を基礎から作った人で、自らその学問の前提を作らなければならなかったのです。彼の開拓者的な論文には、直接は書きはしなくても、行間からソシュール構造主義言語学とマルクス主義を読みとれます。文章も非常に論理的です」

 
人類学者である板垣教授が韓国研究に関心を持つようになったきっかけは、韓国のマダン劇だった=板垣教授提供//ハンギョレ新聞社

 彼は評伝を書いたのは、「政治指導者や軍隊だけで表象される北朝鮮に、言語の天才であり離散家族である金壽卿のような人もいることを、日本人に知ってもらおうという意図もある」と明らかにした。「韓国の人々には北朝鮮は他者であるわけにはいきませんが、日本はそうではありません。例えば、離散家族は日本人の目にはあまり入ってこない問題です。日本人が評伝を読み、北朝鮮の人々と離散家族の本当の心を読み取ってほしいです」

 計画を尋ねると、彼は「北朝鮮の美術、建築などの文化史を共同研究している」と明らかにした。最近、北朝鮮の学術刊行物などを電子化した「コリア文献データベース」(KBDB)も構築し公開した。

カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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山田洋次監督は「関東大震災の時、多くの朝鮮人が差別と偏見に基づく暴力で殺害されたという事実を決して忘れてはならない」と明らかにした。彼は「このような事実を後世に伝えてこそ平和につながる」

2021-09-02 10:14:13 | 日朝関係史から未来をみる!

関東大震災で犠牲の朝鮮人追悼式、

山田洋次監督ら「朝鮮人虐殺、忘れてはならない」

登録:2021-09-01 20:05 修正:2021-09-02 06:57

 

小池都知事、5年続けて追悼文を拒否
 
 
日本の市民団体などで構成された「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会」は1日、東京墨田区の横網町公園で追悼式を行った=生中継映像より//ハンギョレ新聞社

 新型コロナ拡散の中、東京で関東大震災当時に集団虐殺にあった朝鮮人の御霊を慰めるための追悼式が開かれた。

 日本の市民団体などで構成された「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会」は1日、惨事から98年を迎え、東京都墨田区の横網町公園で追悼式を行った。ただし、新型コロナ予防のために一般参加者を受けつけない代わりに、オンラインで生中継した。追悼式を準備した宮川泰彦実行委員長は「二度と同じ誤りを繰り返さず、98年前の悲惨な歴史的事実を忘れず、世代を越えて伝承することが、今生きている私たちの責任」と強調した。日本の市民団体は、1974年から追悼式を続けてきた。

 日本の著名な映画監督や作家も書面メッセージを送った。『たそがれ清兵衛』、『東京家族』などの映画を作った日本を代表する巨匠である山田洋次監督は「関東大震災の時、多くの朝鮮人が差別と偏見に基づく暴力で殺害されたという事実を決して忘れてはならない」と明らかにした。彼は「このような事実を後世に伝えてこそ平和につながる」と付け加えた。小説家の中沢けい氏は「不当な暴力で人の生命を奪い取ることがないことを切に望む」と述べた。

 韓国の市民団体「独立」も書面メッセージを通じて日本の市民団体の努力に謝意を表した。しかし「日本政府が関東大震災虐殺問題に対して無責任と無関心で一貫している」として「韓国・日本の市民団体が共に乗り出さなければならない」と強調した。

 
 
関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式で、韓国伝統芸術研究院のキム・スンジャ代表が犠牲者の御霊を慰める舞いを踊っている=生中継映像より//ハンギョレ新聞社

 小池百合子東京都知事は、歴代の都知事が毎年送ってきた朝鮮人犠牲者のための追悼文を今年も送らなかった。最初の当選の翌年である2017年から5年連続だ。小池知事は、朝鮮人虐殺に対しても「いろいろな見解がある」として、責任を回避する発言をしている。

 関東大震災は1923年9月1日午前に発生したマグニチュード7.9の大規模災害だ。「朝鮮人が暴動を起こした」、「朝鮮人が井戸に毒をまいた」というデマが出回り、自警団が朝鮮人・中国人などを虐殺した。警察や軍の一部もそれに加担し、朝鮮人虐殺の被害者は数千名に達すると推定される。

東京/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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偏向した外交と安全保障の論理を前面に出し、被害者の人権を無視した粗悪な判決内容には、法曹界内外で批判の声が強い。下級審に過ぎない今回の判決が・・・

2021-06-10 09:10:31 | 日朝関係史から未来をみる!

[社説]人権無視の判決では韓日関係は未来に進めない

登録:2021-06-09 06:07 修正:2021-06-09 07:10
 
7日、ソウル中央地裁で強制徴用労働者と遺族85人が日本製鉄、日産化学、三菱重工など日本企業16社を相手取って起こした一審の判決について、却下判決を受けた遺族のイム・チョルホさんが控訴の意向を明らかにしている。イムさんの父のイム・チョンギュさんは、日帝統治下で当時の長崎に強制労働に行き、帰ってこなかった/聯合ニュース

 ソウル中央地裁民事34部(キム・ヤンホ裁判長)が7日、日帝強占期(日本の植民地時代)の強制動員被害者と遺族ら85人が日本の戦犯企業16社を相手取って起こした損害賠償請求訴訟を却下した後、波紋が広がっている。偏向した外交と安全保障の論理を前面に出し、被害者の人権を無視した粗悪な判決内容には、法曹界内外で批判の声が強い。下級審に過ぎない今回の判決が、あたかも2018年に最高裁(大法院)の全員合議体が下した強制動員賠償判決を覆したかのように無理に理屈をこじつける保守メディアの態度も、情けない限りだ。

 今回の判決の論理は、強制動員被害者の損害賠償問題は韓日請求権協定により完全に解決されたので、日本企業を相手取った損害賠償請求権は行使できないということだ。2018年10月に最高裁が「植民地支配の不法性」を根拠に賠償判決を下したことに対し、「植民地支配の不法性と徴用(強制動員)の不法性は、すべて国内法的な解釈」だとし、真っ向から反する主張を行った。侵略国が不法性を否定すれば終わりという形の加害国中心の国際政治の論理を踏襲したのだ。請求権協定で日本から受けた外貨のおかげで「漢江(ハンガン)の奇跡」が起き、被害者の賠償請求権を認めれば「日本との関係が損なわれ、韓米同盟で韓国の安全保障に直結する米国との関係の毀損にまでつながることが起こり得る」というとんでもない根拠を加えもした。厳正な法理に基づき人権侵害の被害者の権利を保護しなければならない司法府が、外交と国際的な力の論理を前面に出し、理解できない判決を下したことは、極めて遺憾だ。

 今回の判決にもかかわらず、最高裁の2018年の全員合議体判決は、今なお韓国司法府の権威に裏付けられた判例であるという点には変わりはない。控訴審で今回の判決が翻される可能性は高いと思われる。にもかかわらず、一部の保守メディアが、「一審がキム・ミョンス最高裁の判決に一つひとつ反論した」(朝鮮日報)、「主要7カ国首脳会議(G7サミット)を控え最高裁判決が覆され、ついに『外交の時間』が来た」(中央日報)などと報じて今回の判決に過度な重みを加え、世論を糊塗するのは軽薄な策略だ。

 韓日関係は改善しなければならない。しかし、植民地支配の不法性を否定し、それにより大きな被害を被った個人の人権を無視しては、韓日関係は未来に進めない。国家主義的で非法律的な論理がちりばめられた今回の判決は、むしろ障害物になるだけだ。法的判断は法理にしたがい厳正に行いつつ、外交的努力も並行するというのが正しい方向だ。政府は最高裁の判決後に「司法府の判決には介入できない」という論理だけを掲げ、被害者が実際に日本の謝罪と賠償を受けられるようにする外交的努力を十分には行わなかったという指摘を謙虚に受け入れ、よりいっそうの積極的な外交によって解決策を設け、韓日関係改善のための実質的な努力を続けていってほしい。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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「被告の不法行為は、計画的、組織的、広範囲にわたる反人道的犯罪行為」であり、国際法規の上位にある奴隷貿易禁止など「強行」規範に違反したと判断する」として、主権免除は適用されないと述べました。

2021-01-09 13:55:22 | 日朝関係史から未来をみる!

「慰安婦」 日本に賠償命令

韓国地裁判決 「反人道的犯罪」

 韓国のソウル中央地裁は8日、韓国人の「慰安婦」被害者12人が日本政府を相手に損害賠償を求めていた裁判で、原告側の訴えを全面的に認め、日本政府に1人当たり1億ウォン(約950万円)を賠償するよう命じる判決を言い渡しました。

 日本政府は、国家は他国の裁判権に服さないとする「主権免除」を主張し、訴訟が却下されるべきだとの立場から、審理をすべて欠席してきました。これに対し判決は、「被告(日本政府)の不法行為は、計画的、組織的、広範囲にわたる反人道的犯罪行為」であり、国際法規の上位にある奴隷貿易禁止など「強行(絶対)規範に違反したと判断する」として、主権免除は適用されないと述べました。

 さらに、日本の統制下で「強制的に1日に数十回、日本の軍人たちの性行為の対象となった。過酷な性行為による傷害、性病、望まない妊娠などの危険を甘受しなければならず、常に暴力にさらされた」と被害を認定。戦後も含め、「原告(被害者)は精神的、肉体的な苦痛に悩まされた」とし、被告側に賠償の義務があり、1億ウォン以上の賠償は妥当だと判断しました。

 日本政府は同日、菅義偉首相が首相官邸で記者団に「断じて受け入れることはできない」と述べました。

日本は韓国政府と協議を

田村政策委員長が会見

 日本共産党の田村智子政策委員長は8日、国会内での記者会見で、韓国の地裁が元日本軍「慰安婦」の女性が日本政府に求めた損害賠償請求を認める判決を出したことについて問われ、「わが党は国際法に照らして、戦争被害について個人の請求権は認められているという立場だ。戦争被害は、被害当事者がいかに救済されるかが基本であって、『救済されていない』という訴えがあるときに、『問題は解決済みだ』と言ってはねつけることはあってはならない。いかに応えるかという立場で、日本政府は韓国政府とも協議すべきだ」と述べました。

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日朝協会本部機関誌12月号:4面~6面掲載します。

2020-12-01 09:25:33 | 日朝関係史から未来をみる!

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